みずからの声
「なぁ」
暗闇の中で声が響いた。
「なんだ?」
暗闇の中で別の声が響く。
「お前どっからきたんだ?」
「なんだ、いきなり……」
けだるそうな態度を示す一方をよそに、もう一方は親し気な態度で話し始める。
「なんか話をしてくれよ」
「話すことなんてない」
「じゃあまず俺から話してやるよ。俺はさ、海から来たんだ」
片方の態度を気にすることもなく、気さくな方が話し始める。
「海ってのはまぁ穏やかなところだよな、毎日ゆらゆら揺れてるだけでさ。でもたまーに台風とか来るとすげぇことになるんだ。ざっぶぅ~ん、とかドッパアアアアアアアン、って感じでさ、波がすっげぇ立つんだ。俺それに乗って空飛んだこともあるんだぜ?」
「へぇ……」
「お、乗って来たな?」
片方が小さく笑いを零したのを見て、気さくなほうが嬉しそうな態度を見せる。
「俺は海には行ったことがないもんでね」
「そりゃ珍しいな、どこにいたんだ?」
「俺は戦場にいたんだ」
「へぇ」
今度は、けだるそうにしていた方が語り始めた。
出だしから面白そうな雰囲気を感じ取ったのか興味津々に相槌をうつ。
「あのころは毎日が騒ぎだった、あちこちからドンパチ音がして気が休まるようなときは全然なかったな」
「楽しかったのか?」
「まぁな、ただじっとしているよりはずっとだ。銃の振動が響いてくるのも遠くから響いてくる振動を感じるのも、そこで何かが起きていることを感じることができた」
始めの態度とは裏腹に語りはどんどんと長くなっていく。気さくなほうも全く未知の世界の話に耳を傾けていく。そして、次第に話は戦場という場所に相応しいものへと変化し始める。
「ある時、全身がドンと動くような感じがした。同時に俺はひっくり返って地面に落っこちたように思った。俺は一体なにが起きたのか全然分からなかったな、辺りを見回したら隣に人間が転がってた。足からは血が凄い勢いで流れ出ているのが見えた。その血で俺まで赤く染まっちまった。驚いちまって、俺は赤色から目を離すことが出来なかったな。まぁ正確にはそれは血じゃなくて、アイツを狙った銃弾が腰に下げてた水筒ごと足を貫いてたんだけどな。そんで、水筒からこぼれた水が血と混ざってすごい量が出てるみたいな感じに見えてたって感じだ」
「じゃあ、別に大した怪我じゃなかったのか?」
「ああ、大した怪我じゃなかった。少なくとも、もう助からないような怪我じゃなかったな。放っておけば死ぬだろうが、処置すれば助かるような怪我だっただろうな」
語っていた声が少しだけ言いよどむ。
「だからアイツは置いて行かれた、アイツが足を撃たれて動けなくなった瞬間、一緒にいた他の四人が一斉に駆け出した。もともとその程度の集まだ、生き延びる確率が高くなるから一緒に居るだけで、命を懸けてまで他人を助けるようなことはしない連中の集まりだった」
語る声が次第に小さくなっていく。
「アイツはなんとか立ち上がろうとした、今度はもう一方の足を撃たれた。今度は水混じりじゃなくて濃く粘ついた赤色が噴出したのが見えた。そして、アイツはばったりと倒れて動かなくなった。もちろん死んじゃいない、地面に倒れたままアイツは死ぬのを待つだけの存在になった。助けにくるような奴は誰もいない、誰かがアイツを助けようとして近づいたら今度はそいつが撃たれる、アイツはそのまま残りの人生を過ごすことになった」
「……お前は黙って見てたのか?」
「仕方ないだろ、俺はそれしかできないんだから、お前が俺の代わりにそこにいたとしてもそうするだろう?」
「ま、それもそうだな」
最初に話を持ち掛けたきさくな方が、さも当たり前と言った具合に肯定した。
「そこからは想像できる通りのことが起きただけだ、アイツは悶え苦んで、多分死んだな」
「多分?」
「俺は最後まで見てねぇんだよ、途中で離れることになっちまったからな」
「なんだよ、蒸発しちまったのか」
「砂漠地帯だったんだ、五分やそこらで終わりだよ」
「俺らの宿命ってところか」
「そういうこった」
二つの存在が暗闇の中で語り合う。
「おっ、そろそろじゃないか?」
気さくな方が微かな振動を感じて声を上げた。
「じゃ、ここでお別れだな」
「地球の水はプラマイゼロで循環してるんだ、またどっかで会えるさ」
言い終わると同時に蛇口がひねられ、水道から綺麗な水が流れ始めた。