【逢魔が刻】
「こんなところにいやがったのか、このバカ」
防波堤の上。胡座をかいて塩の海を見つめていた僕に声をかけてきたのは、相棒であるアディル・イースフールズだった。
「まーた仕事サボりやがって。いい加減殺すぞボケ」
あいも変わらず口が悪い。眼鏡の下の目つきも悪いし愛想も悪い。僕が相手でなければ、喧嘩になるところだぞまったく。というか、
「あれ、もうそんな時間だっけ? いやぁ、メンゴメンゴ」
まさかもう仕事の時間だったとは。僕はアディルに頭を下げる。自分が悪いと思ったときは素直に頭を下げることができる。それが僕のいいところだ。
「……はぁ、ホント反省しねーのなこのタコスケは。んで、何をそんなに見てたんだ?」
後ろで結わえた長髪の赤毛を左右に揺らすと、アディルは胸ポケットから取りから出した煙草を咥え、これまた取り出したライターで海から吹きつける潮風を遮るように手をかざし火をつける。
「んー、いや、何か流れついてこないかなぁって」
そう言って僕は結界の外、この人工島バベルを取り囲む赤い海へと再び目をやった。期待とは裏腹に水平線は穏やかで、夕暮れに染まる空の雲以外に、動くものはない。
「ンなことあるわけねーだろアホかテメー。外の世界なんて、とっくの昔に滅んでるっつーの」
「いやまあ、そうなんだけどさ。もしかしたら、見知らぬ女の子が流れてきて、新しい物語が始まるかもしれないじゃない?
ボーイ・ミーツ・ガール的な! 的な!」
「漫画の読み過ぎだこのスカタン。
この海の塩分濃度知ってるか? 生き物一匹いやしねぇ。
結界の外の大気じゃあ、人どころかゴキブリだって生きていけねーんだぞ」
「わかってるよ……」
そう、僕だってわかってる。まあ、実際に結界の外へは出たことがないから、というか出たら死んじゃうから、実感という意味ではわかっていないのだけれど。
むかーし昔に世界は滅び、人類はここ、バベルにしかもはや生存していない。
いや、人類どころか動植物ですらそうだ。いわゆるここが、最後の楽園というやつである。
「まったく、アディルパイセンは夢がないなぁ」
「うるせぇ、クソガキ。現実的といえ」
「大人はすぐそうやって子供の夢を……あっ」
言いかけて、僕はアディルの背後にそれを見つけた。
「あん?」
それは、卵の罅のようであった。何もない空間に、小さな亀裂が生まれたかと思うと、瞬く間にそれは大きな広がりをみせる。
『クラック』と呼ばれるその現象は、バベルの内側の世界を守る結界の綻びである。
人類がこの滅亡した世界で生きていくために、バベル全域へと施した結界。その結界も完全なものではなく、綻びがときとしてこのように罅割れのような形で現れるのだ。
罅割れは時間が経てば自動的に修復する。問題は、この『クラック』の向こう側からくるものだ。
すなわち、世界を滅ぼした存在。
今なお、世界を滅ぼしている存在。
僕らはそれを、『御使い』と呼ぶ。