叶うならこれからも貴方とワルツを
「はっ……はっ……は………」
肺が痛い。荒い息が口から漏れる。走り難い婚礼衣装を引きずりながら塔の上へ、上へと階段を登っていく。純白を示す婚礼衣装は血を吸って赤く染まっている。大聖堂から肩で息をするほどずっと走り通してなんとかここまで逃げて来た。婚礼をあげる筈の大聖堂に押し寄せたのは生国の軍隊。祝いに訪れた筈の父は今まさに自分が結婚した相手を殺した。
「うそ……うそよね…」
そう呟いてみたものの自虐的な笑みが顔に浮かぶ。血に染まった婚礼衣装が現実だ。なんとか逃げ惑いながらもとある塔の最上階まで逃げてきた。目の前の壁にすがって息を整える。
“馬鹿らしい………”
背後の壁に背を当てて空を見上げる。まだ昼の最中の出来事らしく、酷く晴れわっている。
“本当にお父様はこの国を属国にするのね……”
息が整うとようやく頭が回り出す。乳母や周りの重臣からは“お止めください”と言われた婚礼。
ー貴方には心に決めた方がいらっしゃるのでは?ー
その言葉に何も言わずに微笑んだ。
“好きという気持ちだけで結婚したいと言えるのは子供の時だけよ”
確かにずっと好きな相手だった。きっと自分の初恋。だが、彼とは身分が釣り合わなかった。彼への気持ちが募る前に誰かと結婚すれば自分の気持ちを誤魔化せると思った。
ーだが…ー
国のためという大義名分で嫁いだ相手から指輪を受け取ろとした瞬間。目の前の相手の首が胴体から消えた。意味が分からずに目を瞬いた自分に血飛沫が降りかかる。
“姫様お逃げください”
突然の事態に固まる自分に控えていたらしい乳母が剣を構えた父との間に割り込み、そう言って自分の背を押した。彼女は生きているだろうか。
“怖い……”
その光景を思い出して、“ぎゅっ“と自分の体を抱きしめて震える。国のために嫁ぐ筈がなぜか殺されそうになった。
“お前が死ねば我が国がこの国を責める正統な理由が出来る”
さっき聞いた父の冷たく下卑た声が耳に甦る。
「っ……」
涙が目から零れ落ちる。視線を下に落とせば白い婚礼衣装は血に染まっている。それが今起きたことが現実だと突きつけてくる。
「………助けて………」
震える唇で言葉を紡ぐ。最後に吐息に隠して彼の名を呟く。もう自分に呼ぶ資格はない。それでも出たのは彼の名前。
「助けてよ………」
勝手だと分かっているのに涙が零れた。手をぎゅっと握りしめる。
“好きだった“
“愛してた“
彼が幼いながらに騎士の礼をしてくれた時は嬉しくてドキドキした。照れ隠しに“私より背の低い人とは結婚しないって決めてるの”と言えば彼が愕然とした表情をしたのは今でも忘れられない。それでも何かにつけて会いに来てくれる彼が自分は好きだった。こんな状況でも彼のことを思えば笑みが浮かぶ。
“……好きだったのね……私”
そう過去を回顧出来るのも今のうち…。なぜなら父がこの状況で自分を見逃す筈はないからだ。きっと自分を殺しにくるだろう。彼に二度と生きて会えることはないだろう。その証拠に階下から慌ただしい足音が聞こえてくる。それに自分の運命を悟る。
「なら最後ぐらいは……貴方に恥じないように死なないとね…」
階下から上がってくる足音に嘆息して、立ち上がる。何の抵抗もせずに死んだら彼に“馬鹿じゃないの?お前”と言われてしまう。それだけは嫌だ。彼の呆れた表情を思い出してクスクスと笑う余裕も出る。彼のことを考えるだけで自分に力が戻る。
“本当に私は馬鹿ね…”
意地を張った結果がこれだ。だが…現れた兵士達を前に息を吸い込む。
「か弱く命ごいすると思ったら大間違いよ!私をなめないで頂戴!」
そう言い放つと武装した兵士達に先制攻撃を放った。
それでもやはり多勢に無勢。どんどん押されていく。
「はっ……はっ……はぁ……」
顎を伝う赤い液体は汗か血か…。それすら分からずに膝に手をついて荒い息を整える。周囲には肉片と化した兵士達の死体。肉片とは言わなくても手足がちぎれたり、蒸発した死体がそこらかしこに散らばっている。
“そろそろ限界ね”
あの混乱した自分から考えればよく善戦したとは思う。でも彼の父親の一人に魔術の基礎は習ったが才能のない自分にはここが限界。敵も残り少ないがこちらの魔力の残量も残り少ない。今は魔術攻撃を警戒してこちらを遠巻きにしているがいずれは突破されりだろう。自分の予想通り、自分を追ってきた生国の軍隊は自分の姿を見つけて躊躇いなく攻撃を仕掛けてきた。だから自分も持てる限りのお礼をした。彼ほどに力も魔力もないが、それでも抵抗もせずに死ぬ訳にはいかなかった。別にあの言葉を信じている訳ではない。
“お前が危ない時は必ず助けてやるから一瞬でも長く生き延びろ”
遠い昔に贈られたその言葉は長く続く王室の歴史の中で一人爪弾きにされていた自分を支えてきた。魑魅魍魎が渦めく王家の中で王女として生きてきた自分が何の抵抗もせず、悲劇の姫に仕立てられるために殺されるなんて耐えられなかった。何より彼にそんな弱い女だと思われたくなかった。だから自分が知る限りの攻撃魔術を使って、敵を退けた。
“どう?これが私よ”
膝についていた手を外し、荒い息を吐きながらも居並ぶ面々に笑ってやる。私はただ守られるばかりの姫では居たくない。彼の背を守れる一人の人間として彼に認められたかった。だから最後まで悲劇の姫としてではなく戦って死ぬ。それが自分に騎士の礼を捧げてくれた彼に対する礼儀だと思った。だが、その強がりももう終わりに近い。
「この野郎!」
抵抗されると思ってなかった兵士達がいきり立つのが分かる。捕まった後の自分の運命も察しがつく。
ー汚されるぐらいなら自決もじさないんだからー
太腿に隠しておいたナイフを手に相手を睨む。一触即発の均衡は破られようとしていた。
その瞬間、それはまるで閃光のように訪れた。。
“なんで………ここに…”
髪を捕まれ、魔力も尽きた自分が床に引き倒されそうになったその瞬間、空から自分と兵士達の間に影が割り込んだ。自分を掴んでいた手が血を撒き散らしながら宙を舞う。鮮やかに現れて自分の視界を覆う背中を自分は知っている。現れた影は自分が見守る前で圧倒的な強さを示して敵を蹂躙していく。あれほど自分がてこずった相手をいとも簡単に制圧する相手に目を丸くする。
ー彼はいつの間にこんなに強くなっていたのだろうー
「ぎゃあぁぁぁ!」
また一人、品のない悲鳴を上げて誰かが塔から落ちる。
「固まるな!そいつは傭兵ギルドでも腕利きの傭兵だぞ!」
現れた影を見たその隊の責任者が叫ぶ。呼ばれた本人はその言葉に目を瞬いた後、ニヤリと笑ってその力量をいかんなく発揮する。逆にその言葉に冷静に嘆息する。
“馬鹿ね………強いところじゃないわ。だって彼は最年少A級ギルドライセンス保持者だもの”
あれほど迫っていた死が呆気なく遠さがる。目の前で始まった一方的な戦いを呆然と見守る。目の前で響く断末魔と人を斬る鈍い音だげが遠くに聞こえる。
どれぐらいの時間が経ったのか………。
“じゃり ”
砂を踏む音が響いて彼が自分の視界に戻ってくる。
「大丈夫か?リィ」
その姿と言葉に絶対的な安堵を感じて涙が込み上げた。
「リィ?」
目の前で何の反応も示さない自分に相手が不思議そうに小首を傾げる。情けないことに膝から力が抜けた。“カラン”と手に握っていたナイフが石畳に落ちる。ずるずると床に座り込みながら唇を震わせる。そのいつもと変わらない姿に自分の心は決壊する。我知らず、張りつめていた心が崩れて瞳から雫が零れ落ちた。
「……なんで……なんで貴方がここに居るのよっ!」
本当はそんな言葉じゃなくて“来てくれてありがとう”ぐらい言えればいいのに。だけど意地っぱりな私はそれが言えない。ぎゅっと握りしめた拳に力を込めてハラハラと泣くことぐらいしか出来ない。顔を俯かせて子供のように“ひっくひっく”としゃっくりと繰り返して泣く。彼が来てくれなければ自分も数瞬前には床で事切れる亡骸の一つになっていた筈だ。そんな状況でも“ありがとう”も言えない自分に相手が困った表情で頭をかいているのが視界に入る。しばらくどういうか悩むように視線を忙しなく動かした相手が自分の姿にため息を吐いて項垂れた。
「遅くなってごめんって」
その言葉に感極まって泣き腫らした顔で“パン”と力なく相手の胸元を叩く。
「本当よ!この馬鹿!来るならもっと早く来なさいよ!」
相手にとったらなんと理不尽なことだと思うが力なく殴りながら罵る。彼に二度と生きて会えないかもしれないことがどれだけ怖かったと思うのだ。泣き腫らした不細工な顔で彼を理不尽に詰る。
「本当に怖かったのよ!」
「うん」
「もう駄目かと思ったのよ!」
「うん」
「二度と貴方に生きて会えないかと思ったのよ!」
そう罵ると彼が目を見開いて苦笑混じりに手を伸ばしてくる。
「………遅くなってごめんって」
そう言いながら相手が自分の頭をわしわしと撫でる。それに無言で目を伏せた。本当に自分は彼に甘えている。でも、彼だけは昔から特別だった。彼は自分のどんな姿を見ても軽蔑も呆れもしない。
“リィ”
幼い頃は今では一歩で渡りきれてしまうような小さな小川が渡れずに怖いと怖じけづくといつも一歩前から手を伸ばしてくれた。今もまるで物語の中の騎士のように自分を助けに来てくれた。だから彼を困らせるとわかってはいても言わずにはいられなかった。
「でも、私。そんな貴方が好きなの」
泣き腫らした顔で不細工に微笑みながら今日初めて自分の気持ちを口にした。
“貴方が好き”
その言葉に自分の世界が制止した。
“まじか?”
泣きながら自分を詰る彼女からの初めての告白に嬉しさに息が止まりそうになった。たとえ、一人で1000人近い人間と戦って生き残れと言われても止まらない息が彼女の言葉一つで止まりそうになる。本当に彼女はいつも自分をこんなにも喜ばせる。衝動のまま、彼女に手を伸ばして力の限りに抱き締めた。
「どうしたの?」
その言葉に彼女の肩越しに空を見ながら息を吸い込む。
「正直に言う」
「うん」
自分の言葉に彼女が頷く。その相槌に覚悟を決める。
「今までみたいにいい生活はさせてやれない」
「うん」
「ドレスもそんなに良いのを何枚も買ってやれないと思う」
「うん」
「砦に詰めてる間はあんまりお前の傍には帰れない」
「うん」
「お前を寂しく感じさせるかもしれない」
「うん」
「でも、どんな戦場に出ても絶対にお前の所に帰るから」
「うん…」
「お前が誕生日の日には絶対に傍にいるから」
「うん!」
最初は小さかった頷きが徐々に力強くなるのが抱き締めた体から伝わってくる。
「だからこれだけは信じて欲しい」
そこで言葉を切って背を正す。
「絶対にお前を幸せにする。だからこれからも俺とワルツを踊ってくれないか?」
その言葉に抱きしめた彼女が泣きそうに震えるのが分かる。だから急かすことなくじっと彼女からの言葉を待つ。息を吸い込む音がして彼女の言葉が耳に届く。
「喜んで」
その言葉に彼女を更に力強く抱きしめた。
「ねぇねぇ、お母さん!それでお姫様はどうなったの?」
幼い声が自分を現実に引き戻す。その言葉に目を細めてベッドの中で興味津々に自分の言葉を待つ息子達の頭を撫でる。
「お姫様は助けに来てくれた騎士と結婚したわ」
「うわ~」
「カッコいい!」
まだ5歳になったばかりの双子息子達は目を輝かせる。その言葉にクスッと笑う。
「そうね………スゴくカッコいいわよ」
彼にそう言ったことはないけれど、自分にとっての一番の騎士は彼だ。
「さ、お話はもう終わり。もう寝ましょうね」
そう言うとベッドヘッドの蝋燭の火を吹き消す。
「おやすみなさい」
『おやすみなさい!』
双子の頬にそれぞれキスを落として部屋を後にする。そのままトントンと階下に降りてドアを開ける。するとその途端、物語の騎士が情けない表情で自分を振り返る。
「リィ、壊しそう!」
慌ててこちらに来る騎士にあの時の格好よさはない。生まれたばかりの娘を抱いておろおろしている。
「カッコいい騎士が台無しねぇ」
その姿に嘆息すると夫の腕の中から娘を受けとる。
「ほんといい加減、自分の子供なんだから慣れて」
「でも!」
自分の言葉に情けない表情をする夫に笑いが零れる。すやすやとおとなしく眠る娘を上の二人を寝かしつけにいく間、預けただけだ。
「リィフはいい子よね」
悪戯盛りの息子二人と違って大人しい娘を居間に用意されたベビーベッドに寝かせて情けない表情崩さない夫の元に戻る。
「おかえりなさい」
「ああ」
久しぶりの帰宅に微笑みかける。夫の目の下にうっすらとある目の隈を見つけて自分との約束を守るために無理をしたのだと察する。
「約束守ってくれてありがとう」
だからまずはお礼を告げる。忙しいだろうにケーキとプレゼントを抱えて帰って来る姿が酷く嬉しい。
「いや、遅くなってごめん」
そんな彼女の言葉に首を振る。彼女の誕生日に傍にいると約束したのは自分だ。互いを見つめあってどちらともなく近づいてキスを交わす。そして顔を離して照れくさそうに笑いあう。
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
夫の腕の中で頷いて、見上げる。あの日より夫は更に背を高くした。今は軽く見上げないとならない。
「ねぇ」
「うん?」
久しぶりに会った夫が自分の言葉に甘く微笑むのに手をスッと差し出す。
「で、今日はワルツに誘って頂けないのかしら?」
肩を竦めてそう言えば彼が目を瞬くと“もちろん”と頷いて一歩体を下げる。優雅に騎士の礼をして自分の手をとる夫が手の指に口づける。
「姫、私と踊って頂けますか?」
そのいかにもよそ行きの言葉にクスリと笑って頷いた。
「喜んで」
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。
小説を書いていて時々、自分の誤変換の才能が怖くなります。
“心”と書きたいのに出てきたのは“小五郎山“
最早原型を留めておらず、恐怖に震えました。
予測変換機能とは怖いものです(笑)
少しでも楽しんで頂ければ幸いです