”ざまあ””勧善懲悪”はやっぱ読者をスカっとさせるがやり過ぎは帰って逆効果かも
さて、虐げられた弱い者を力のあるものが救う勧善懲悪は古来から人気であると思う。
私に吉原の話も江戸時代とか吉原という単語が大名の名前などよりよく知られているというのもあるが、ろくに食事も睡眠時間も与えられズ悲惨だった遊女の生活が主人公によって改善されるというのが、現代の社会人の劣悪な労働環境に通ずるところがあったのではないかと考えている。
そしてざまあもなろうでは人気になる要素だと思う。
魔法科高校の劣等生が爆発的に人気を得たのはおそらく”オレツエー要素”や”ハーレム”要素よりも”ざまあ”要素によるものが大きかったのではないかと思う。
主人公である司波達也の在籍している国立魔法大学付属第一高等学校の二科生は雑草と呼ばれエリートである一科生の花冠の補欠扱いで、一科生の欠員が無い限り何の価値もないと認識されて、一科生からは見下され学校のシステム的にもぞんざいに扱われているとされていた。
しかしその雑草と呼ばれた主人公やその友人たちが彼らを見下しているエリートを作中でこてんぱんに打ちのめしていく事が読者の現実的なフラストレーションを解消させるように認識させたことが主人公達に対して共感を覚えさせ魔法科高校の劣等生を圧倒的人気作品にさせたのではないかと私は思う。
しかし、横浜篇辺りからは学校外の敵と戦うようになり、周りが皆主人公を認めて持ち上げるばかりになってしまうと主人公はただのいけ好かない完璧チートハーレム主人公になってしまったし、実質的なメインヒロインの深雪に対しての周りの絶対服従的な態度に気持ち悪さを覚える読者も出てきたようにおもう。
個人的には魔法科高校の劣等生が抜群に面白かったのは九校戦編まででそれ以後はどんどん面白く思わなくなっていったのはそういったことが原因ではないかと思う。
アメリカのポンコツシリウスさんとか嫌いではないけどね。
ザマア要素というのは共感を得るには良い手段だとは思うが、使い方をあやまるとむしろ主人公に反感を持たせてしまう危険な両刃の剣でもあるのだと思う。
あと最近の悪役令嬢物の婚約を破棄する側の男女の頭の悪さは異常でどう考えても国の将来がないような人物ばかりなのもどうかなと思うけどね。




