9話 『見定めたのは敵か仇か』
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「んっ、ふぁぁ……」
エリザが目を覚ます。昨日とは違い、枕が暖かなままであるために覚醒には至っていない。その代り、今日はエリザの親友であり最大の信頼を寄せる侍女が帰って来ていた。
枕はその侍女の為に遠慮したともいえる。
「エリザ様。起床の時間です。失礼してもよろしいでしょうか」
聞く者によっては、鋭く感情の無い、冷たい声だと評するだろう。だが、エリザや枕からしてみれば、エリザを起こすのに最適な音域と音量であり、それが全てエリザのために向けられていることをしっかりと察する事が出来た。
「ふぁぁ……ええ、いいですの」
大きな欠伸は眠気からではなく、脳を切り替えるためのもの。ツンと来る感覚がエリザを覚醒させてくれた。
「失礼します。
……どうか、されましたか?」
ユリアが部屋に入ると、そこには満面の笑みのエリザがいた。
安心しきった、蕩けるような笑顔のエリザ。流石のユリアもこれには面食らう。
「いえ……ユリアの存在のありがたさというものを身に染みて感じているだけですの。
――いつもありがとう、ですの。大好きですのよ、ユリア」
突然、自分の――愛恋でないとはいえ――好きな娘から朝一番に告白されたらどうなるか。たとえ同性とはいえ、誰もが見惚れるような笑顔で。
「ば、ばか、何言ってんだよ! 早くこっちこい! 着替えさせてやるから!」
正解は、しどろもどろになる、だ。
エリザがユリアを恋しがって呆けてしまっていたように、ユリアも調査日間、エリザ成分が足りていなかったのである。
ユリアの感覚としては、昨日まで一切近寄ってこなかった猫がいきなり頭を擦り付けて懐いてきた感じだ。
勿論、2人に恋愛感情なんて無粋な物は生まれていない。
「ふふ、昔からそうですの……自分は素直でまっすぐなクセに、私が素直になると顔を真っ赤にして……むぐ!?」
「いいから着替えましょう、エリザ様。
……ひぅっ!? 手のひら舐めんな!」
エリザの背後に回ったユリアが左手でエリザの口をふさぎ、器用にも右手だけで着替えを替えていく。その左手をペロペロと舐めるエリザの顔は、本当に楽しそうだった。
無情にも、時間だけはいつも通り過ぎていく。
最後の方大分ドタバタしてたけど、間に合ったか? アレ。
エリザ嬢があんなにもデレたのは、まぁユリアが帰ってきたこともあるんだろうけど、昨日の夢が原因なんだろうなぁ。
枕との会話及び枕の存在を覚えていないとはいえ、引っぱってきた夢自体はエリザ嬢が見てるモンだ。寝ているエリザ嬢がな。
印象深い記憶と2日間だけとはいえ会えなかった寂しさが相俟った結果って奴だろう。
ごちそうさまでした。
「……ふぅ。ったく、いきなりあんな笑顔みせんじゃねーよっての……。自制したせいでしどろもどろになっちまったが、危うく押し倒して撫でまくってた所だったぜ……」
よーしよしよしよしってか。
「エリザのベッドに触れるのも2日ぶりか……。やっぱいい匂いだよな、アイツ」
変態的な発言だ。これが男だったらお縄だろ。確実に。
「さて、とりあえず枕を洗って――」
「そ・の・ま・え・に」
「――報告ですね。申し訳ございません、セシリア様」
音もなく、影もなく。
ユリアの首に纏わりつくようにして、ユリアの耳に息を吹きかけながら――。
セシリア・ローレイエルは現れた。
いやマジで。
現れた、って言葉しか思い浮かばない。何度も言ってるが俺に死角はない。強いて言うなら、遮蔽物の影のみが死角だ。
だからユリアの影に隠れてりゃ見えないんだが、ユリアがドアを閉めた後にドアが開いた形跡は――って、少し開いてやがる……。
この家の住民は何と闘ってんだよ。
「うん、そうよーユリアちゃん。エリザの事が好きで好きで好きで好きで仕方ないのはわかるけど、職務怠慢はダメよ。私だって忙しい中時間を創ってるんだから、ちゃんとしてくれないと」
ユリアの肩から胸の方に腕を回して寄りかかり、キスもたるやという距離で話すセシリア。
一見すれば妖艶な光景なのだが、ユリアの冷や汗のせいかな。
俺にはいつでも首を取れるのよ? と死神が囁いているように見える。
「はい。申し訳ございません。
では、報告してもよろしいでしょうか」
「えぇ、お願いするわ。体勢はこのままでも……いいわよね?」
こぇぇぇええ! セシリア母ちゃんこえー!
何この生殺与奪権はこっちが握っているからキリキリ吐け! みたいな状況。
尋問? 尋問なの?
「では、総勢20名の元ライカップ家侍女たちの証言をまとめた結果を報告します。
まず、ライカップ家に仕えていた侍女が一斉に辞めさせられた理由、ですが。
これは、まちまちでした。
日ごろの態度が悪い、バンボラ様の命令を無視する、バンボラ様が大事にしていた花瓶を割った、等の『正統そうな』理由から、ジェシカ様と髪色が似ている、ジェシカ様の事をバンボラ様に告げ口した、ジェシカ様が嫌い、等という荒唐無稽な理由まで。
しかし、詳しく話を聞いてみた所、ほとんどの侍女がそんなことをした覚えがないと。まるでとってつけたような口ぶりでバンボラ様に言われたと言っておりました」
むしろジェシカ嬢くだりの方が真実だったりしてな……。
「ふぅん……バンボラがねぇ……。あの平民にも及び腰でまともに話せないバンボラがそんなことを……」
「次に、バンボラ様及びリーヤン夫人、ジェシカ様に最近変わったことが無かったか聞きました。
結果、20名の内の15名。主に屋敷の維持をしていた者達が、今年の頭あたりから妙な音をジェシカ様の部屋で聞くようになったと証言しました。
キィキィと張った糸を擦るような音、何かが爆ぜるような音。15名全てが同じような音を聞いております。
更に、残りの5名。主にバンボラ様とリーヤン夫人、ジェシカ様の身の回りの世話をしていた者達ですね。
バンボラ様とリーヤン夫人の部屋近くで動物を見かける事が多くなったと彼女たちは言っておりました。
ネズミや猫、鳥だけだったそうですが、段々と大きな体躯の犬や蛇が出る様になってからはバンボラ様に相談したようなのですが、どうにも要領を得ず、言ってしまえば記憶が曖昧な状態でうやむやになっていた、と証言しています。止める気にも何故かなれなかったと」
猫……大きな体躯の犬……ダメだ、どうにもアイツを連想しちまう。
つーか確実に記憶を弄られているようにしか聞こえない。やっぱそういう魔法があるんじゃねぇか?
クッソ、誰か魔法に造詣が深い奴、俺で眠ってくれねーかな。
「……ふふ、なーるほど。
やっぱり、アナタに任せて良かったわ……。
ご褒美に、エリザのベッドで寝ていいわよ」
「恐れおお……えっ?」
ナイスセシリア母ちゃん! そしてカモンユリア! こいつ魔法に詳しそうには見えねーけどな!
「それじゃ、おやすみねユリアちゃん」
入ってきたときと同じく、全く音を立てないでドアを開け、セシリアは出て行った。
勿論閉めるときにも音はたってない。
「お、奥様の依頼の報酬だもんな……。受け取らない方が失礼、だよな」
ドアの方を見ながら喋るユリア。
見えやしねぇが、確実にニヤけてる。あ、振り返った。やっぱりニヤけてやがる。
「よっし、んー! いい匂い。
そして……この枕。あったかぁい……」
快眠に誘うための温度はばっちりだ。
さぁ、ようこそユリア。真っ暗な世界へ。
「よぉ、ユリア。また会えて何よりだ」
「……、あぁ! 枕か! なるほど、忘れるっつーのはこういう事か……。慣れねえな」
真っ暗な世界におしゃれなテーブルとティーカップ。枕は優雅に紅茶を啜り、ユリアはおしゃれな椅子にあぐらをかいて座っていた。
「いやー、ユリアには色々言いたいことがあったし、いろいろ聞きたいことが在ったんだよ」
「あん? あたしに聴きたいこと? なんだよ」
枕が注いだ紅茶を豪快に飲むユリア。 味は気に入ったらしい。
「まず、言いたいことな。
――ユリア……お前……」
「なんだよ、早く言えよ」
沈痛な面持ち――は、わからないので、沈痛な声色で言いよどむ枕。
「初恋ミカルスだったんだな! 可愛かったぜぇぇぇええ?」
「――――死ね」
テーブルごと枕を蹴り飛ばすユリア。ティーポットとカップは金のガラスとなって砕けて空間に消え、置いてかれた紅茶だけが枕にかかった。
「あっつ! 熱いっつか痛い! 踏むな踏むな、いろいろ出ちゃうから!」
「んー、ほんっと柔らかいなお前。 触り心地も抱き心地もいいが、踏み心地までいいとは」
グリグリグリグリとつま先を枕にいれるユリア。余談だが、この空間においてユリアは靴を履いていない。ソックスのまま枕を踏み躙っている。
ユリアには枕の感覚が、枕にはユリアの足裏の感覚がダイレクトに伝わるのである。
「――ちっ、エリザの記憶か……大方、寝起きの姿を見られたって知ったエリザが見せたんだろ?
そうだよ、あたしの初恋はミカルスだよ。一瞬で散ったけどな。悪いかよ」
「悪かねーよ。可愛かったってだけでって痛い!
ったく、紅茶に罪はねーってのに……。待て、足を下げんな。俺が悪かったから!」
ティーカップやポットを再構成する枕。テーブルとイス、カップとポットだけは枕の思い通りになる世界なのだ。
「はぁ、それで? 他に言いたいことと聞きたいことあんだろ? 前みてーに起きる時間が来ちまっても面白くねぇ。とっとと言えクソ枕」
「いえっさー。いや、いえすまむか。
言いたいことはいいや、聞きたいことが多いんだ。エリザ嬢に関わることだからな」
エリザに関わることと聞いてピクリと眉を動かすユリア。
「1つ目。群青と白の螺旋模様の猫って、お前さん見たことあるか?」
「猫ォ? 群青と白って……んなもん見た事――はないが、聞いたことあるぞ」
腕を組んで記憶を漁るユリア。 スクリーンが勝手に反応し、シーンが浮かんでは消えを繰り返す。
「そうだ、あいつ……インフォルマ! じゃ、わかんねーか。ライカップんとこの元侍女頭なんだけどよ、バンボラの旦那、あー、ライカップ家の当主な。そいつの部屋をよく出入りしてた猫がそんな色だったって言ってたぜ」
「ちっ……十中八九クロってわけね……あんがとよ。
んじゃ次。お前さん、あのクソ女……ジェシカ嬢を初めて見たのっていつだ?」
自分の日ごろの楽しみの一つである猫が敵かも知れない事を罵る枕。 それほど気に入っていたのだろう。
「クソ女を初めて見たのは……あー、いつだっか。気付けばフランツの周りにいた気がするけど……」
「やっぱお前さんもそうか……。
続けて聞くが、記憶を弄ったり消したりする魔法とか知らねぇか? マジックアイテム? とかいうのでもいいんだが」
ユリアが悩んでいるにもかかわらず、今度はスクリーンが反応しない。
完全に忘れているということだろうか。
「んな魔法あったら国が簡単に滅んじまうよ……。
あ、でもマジックアイテムなら思い当たるぜ」
「おぉ! 流石ユ――」
「お前」
お前。
人差し指を枕に向けて、お前と。
「弄ったりのトコは知らねーけど、消したり出来てるんじゃねーの? アタシここの空間のこと忘れてたぜ?」
「い、いや! それはそうだが……。ここは無意識的な空間だから覚えてないんであってだな――」
ならば、それに介入できる自分とはなんなのか。
無意識での会話は意識に干渉する。 今日の朝、完全とは言わないまでも、エリザはユリアの昔を思い出して態度が急激に変わっていた。
ならば、昔を忘れさせることもできるのではないか。
記憶を、無意識を弄ることで改変する事も、可能なのではないだろうか。 枕は考えている。
「あたしはマジックアイテムとかそんな詳しくねーんだけどよ。
――アタシだったらお前みたいな枕、1つ作って終わりになんてしないぜ」
快適だしな、と笑うユリア。
そうだ、一番最初に考えたではないか。
――他の枕にも意識があるのかもしれないと。
愚鈍ではあったが、急激にエリザを目の敵にし始めたフランツ。
とってつけたような理由で侍女を全員解雇にしたバンボラ・ライカップ。
この2人が、例えば自分と同じような枕を使っていて、ソレが意識を操っているとすれば……。
「ジェシカ・ライカップだよな」
「ジェシカ・ライカップか」
同時に辿り着く。
ユリアだって頭の回転が遅いわけではない。むしろ早い方だ。
これだけのヒントと、これだけの疑問点があって、辿り着かない方がおかしい。
「なぁ、枕。お前動物の夢も見れたりすんのか?」
「……会話はした事ねーが、見れるな。さっき言った群青と白の猫がそうだ」
ライカップ家に出入りするようになった沢山の動物。
ジェシカ・ライカップの部屋から聞こえる妙な音。
もしかしたら、自分以外にも意識のある枕がいるのかもしれない。
それも、ジェシカ・ライカップの手の元に。
「ん、起きる時間みてーだな。結局カギはジェシカ・ライカップか。
ここは無意識空間つったっけ? なら――」
ユリアは目を閉じる。胡坐をかいたまま、姿勢を正す。
「――奴を調べろ」
暗い、昏い声色で、はっきりと。
言い聞かせるようにユリアは呟いた。
白い光が世界を覆う。
考え込んだままの枕と、集中するユリアを光がつつんだ。
あくまで恋愛カテゴリです(震え声)




