6話 『侍女の踏み付け猫の笑み添え』
文字数がのびなーいでーす
「ん、うぅ……」
エリザが目を覚ます。安心と快眠を提供する枕のおかげで、目覚めは最高だ。最高すぎて二度寝したくなることが欠点であるのだが。
いつもならここで、ユリアが起こしに来る。だが、今日そのユリアはいない。
エリザはその事を知らない。それに気づいた枕が焦る。
ユリアの夢で見たあの寝起きの悪さ。
それを直に見てみたい――ではなく、アレが発揮されたら、学園に間に合わないかもしれない。
「ふぁふ……」
その予想を現実とするかのように、あたたかい枕を胸に抱きなおすエリザ。まるで乳飲み子である。
「……エリザ様、起床の時間です」
ユリアとは比べ物にならない、か細い声がかかる。
あの無駄に鋭い声はこういうタメか! と枕は理解した。こんな声ではエリザは起きない。
入室の許可を得られないためか、侍女も入ってこない。
つくづくユリアの大切さがわかる。
手を回すといっていたセシリアも、エリザの寝起きの悪さがここまで治っていないとは思ってなかったのだろう。
「んにゅぅ……」
夢世界に入ってない事から、エリザの眠りは浅い。だから、何かしら刺激があれば覚醒するはずだ。
何かないかと廻りを見渡す枕。見渡すような頭はないが。
勿論、何かあっても動かすことなどできないことも忘れている。
そんな枕の視界に入ったもの。
それは、窓に張り付く霜だった。
天啓を得たとばかりに、枕内部の温度を下げ始める枕。
エリザと密着している部分だけ、だ。
「ひゃぁ!?」
いきなり冷たくなった枕に驚いて目を覚ますエリザ。
ネグリジェという布一枚越しに、水が触れてきたようなものだ。冷たくしすぎない辺りは枕の良心とも取れる。
「エリザ様? どうかなされましたか?」
ドアの前にいた侍女が、エリザの悲鳴に先程より大きい声で問う。
出せば出んじゃねーかと枕が悪態をつくが、夢世界でもないので2人には聞こえない。
「あっ……、いえ、枕が……あら? 暖かいですの。あの、ユリアはどうしましたの?」
エリザが悲鳴を上げた時点で、枕は元の温度まで戻っている。
それに疑問を持ちつつ、起こしに来た侍女がユリアでないことに気付いて疑問を投げた。
「奥様の依頼により、侍女長は今日明日おりません。
……お召し物を替えさせていただいてもよろしいでしょうか」
ユリアがいない。たった2日と言われても、それは少なからずエリザに衝撃を与えた。
夢世界でならば、エリザは日常の心の支えを枕とユリアだと言うだろう。
だが、現実世界のエリザは枕を覚えていない。
心の支えはユリアだけなのだ。
家族が滅多に帰ってこないエリザにとって、ユリアがいなくなることは不安でしかなかった。
「……、あ、はい。お願いしますの……」
呆然とした後、侍女を待たせていることに気付いて許可を出すエリザ。
その後も呆然と朝食を食べ、心ここに非ずと言った様子で学園に向かった。
エリザ嬢大丈夫かアレ。
あんな状態で学園行って。
まぁスクアイラとかいう常識人がフォローしてくれることを祈るか……。
今日のベッドメイクは暴力侍女じゃなかったから痛みはない。が。
が、だ。今日の侍女は、『漬けとくタイプ』だった。
水ン中だから脱水もできねぇし、大人しく中の素材が水浸しになんのを我慢し続けなくちゃならねぇ。
って、おいおい、あの侍女どこへ……え、どんだけ漬けとく気だよ! 枕の洗い方がなってねーよ!
これなら暴力侍女の方がまだ……どっちもどっちだな。
仕方ねぇ、出来る事をするか。
今日の朝、天啓を得たんだ。
俺は俺の特殊能力――温度操作と湿度操作――を使いこなせてなかったんだ。
この能力があるってわかったのは俺の意識が宿った日の夜――エリザ嬢の学園生活一日目だな。春先とはいえ、肌寒い季節だ。金髪美少女がわざわざ俺を使ってくれんのに、布団の奥へ奥へ丸まってたんじゃおもしろかねぇだろ? だからあったまれーあったまれーつって念じたらできたんだ。邪念から生まれた能力ってこったな。
ま、それによってエリザ嬢はぬくぬく、俺はふわふわで願ったりかなったりなわけだ。
夢世界もそんときが初めてだな。
ちなみに湿度操作を見つけたのは、脱水の時だ。
入学初日だけはベッドメイクされたものの洗濯はなかったから、温度操作見つけたその翌日に湿度操作を見つけたことになるか。
ま、これでも科学の発展した所から来たワケだからよ、色々試そうと思って――踏みとどまったんだ。
まず、低温。分子運動がどうのこうのってのはよくわかんねぇが、つまり冷たきゃ固まるんだろ? エリザ嬢が俺を使ってる時に試すわけにゃいかんし、暴力侍女の洗濯の時もダメだろ。ってーと、時間は限られてくるわけだ。エリザ嬢が学園から帰ってくる少し前の時間にな。
そんな時間に、固まる程冷えてみろ、周りのベッドや空気まで冷え切っちまう。
あくまで俺ァ枕だ。使用者を不快にさせるのはダメだ。
次に、高温。これはもっとだめだ。
確か、紙ですら300度くらいで自然発火した気がする。枕の素材がなんなのかはわかんねぇが、上げすぎて燃えたら取り返しがつかねェ。あげるとしても、冬場にひと肌より少し上くれぇだな。
こういう理由があって、実験はやめてたんだが……あの侍女が、周囲に誰もいないで水ン中っつー良い実験環境を造りだしてくれたからな。
やるしかないだろう。
冷やすぜェ……?
おかしい。
凍らねェ。具体的に何度っつーのはわからねぇが、0度はとっくにすぎてると思うんだが……。あと侍女も帰ってこねぇ。
体感温度っつーのが感じ取れねぇから、今下がってんのかわからねぇんだよな。もしかしたら0度近くの状態でとまったままかもしれねぇってのは笑えねぇ。
仕方ねぇ、高温を試してみっか。
熱すぜぇ……?
今度は見る間に結果が出た。
ポコポコポコポコ気泡が上がってやがる。沸騰直前って感じだな。
どこまでいけるか試してみてぇが、100度以上にこの木桶が耐えれるかどうか……。
つか、そろそろ侍女が帰ってきそうだしやめとくが吉だな。
冷却冷却……。
「あら……?」
木桶に浸けておいた枕の周囲の水が飛び散っている。
外にある洗い場だから、猫が荒らしでもしたのだろうかと周りを見渡すが、姿は見えない。
枕の耳を掴んで水から出すと、ほんのり冷たかった。心なし水も減っている気がする。
「……?」
少々不思議には思ったものの、侍女は脱水を始めた。
痛い。
膝は痛いです名も知らない侍女さん。
暴力侍女は、枕が勝手に脱水される事に慣れてるから、過度な脱水をしない。少し触って乾いたと思ったら天日干しコースだ。
だがこの侍女はソレに慣れてない。
水から出された時点で、俺は体内の水気を飛ばしてんだが……。水を冷やした時の名残りで枕自身が冷たいのが仇になった。
あろうことかこの侍女、簀子みてぇな木の板に俺を乗せて、その上から膝で押しつけやがる。侍女服が濡れるのを嫌がってんのか素足でだ。ソレ濡れるからロングなんじゃねーのかよ。
素足の膝で、ぐりぐりぐりぐりと押される。
侍女の体重が軽いのか、暴力侍女に捏ねられたときほどの痛みは無ぇが……。
しかし、コイツ脚綺麗だな。
少しだけ話は逸れるが、俺に死角という物はない。
朝は周りを見渡すなんてアホなことやらかしちまったが、本来はオールレンジだ。
俺っつー意識がある分、視点の集中箇所はあるけどな。
だから、枕を侍女服のスカート内に入れて膝入れられると、全部見えるんだ。
ま、ドロワーズなんだけどな。
だが、こう……背徳感溢れる光景であることは確かだ。
光源がスカートと地面の隙間しかない分、仄かな明かりの中で。
ドロワーズから伸びる太ももと、膝、膝裏、脛、足の甲……。
うぅむ。いいなぁ。痛いけど。
っと、終わったか。離れていく膝が惜しい。
で、天日干しか。そこはかわらねぇのな。
熱いぜ。
ん……?
鳥……?
俺が干されている場所はバルコニーなので、屋根が無い。
だから快晴な空がよく見えるんだが……でっけぇ鳥が屋敷の真上を旋回してるな。
何か狙ってんのか?
「なー」
うおっ!? いつのまにいやがった! まるで今そこに現れたかみてぇな感じだったが……。あ、もしやあの鳥に狙われてんのコイツか?
だったらもっと遮蔽物のあるトコに隠れた方がいいんじゃねぇかなぁ。
って、ありゃ。鳥がいねぇ。
……猫、鳥だったりして……。
「なー」
眠れ―! 枕 を使って眠れー! と念を送る。が、反応なし。
何しに来たんだコイツ。
改めて猫を見遣る。
エリザ嬢の夢でも思ったが、ほんと変な色の猫だよなぁ。
首から尻尾の方へ、群青と白が二重螺旋を描いてる。前の世界の生物学とかに真っ向から喧嘩売ってる気がするぜ。
瞳は……コレ、解り辛いがヘテロクロミアか? 紅色とオレンジ、だな。益々怪しい猫だ。擬人化したらイケメンになりそうだぜ。
そういやコイツ、オスなのかメスなのかもわかんねーんだよな。
「なー」
そうかそうか。メスだったのかお前。
ネコ語ってどうしたらわかるんですかね。
「なー?」
んー?
って、あれ?
こいつ、何に鳴いてんだ?
侍女はいねぇ。ここにいるのは俺と猫だけだ。
――俺の事、気付いてんのか?
「にゃぁぁあああ」
ニヤリと、口角を上げて。
まるで人間の笑みのような表情を浮かべて、猫は姿を消した。
比喩じゃない。文字通り、煙みたいに消えてなくなっちまった。
ファンタジーだぜ……。
枕の見える範囲以外描写しないという縛りが牙をむく