5話 『気障な王子より猫』
ちなみに、枕内部が真っ暗な空間なのはマックラな空間だから()
「はぁ……。身を引く事を決めたとはいえ、あぁも目の前で仲睦まじくされると、中々に響くものがありますの……」
大きなため息を吐くエリザ。学園から帰ってきてすぐの事だった。
侍女たちが学園の制服を部屋着へと替え、髪の結紐を解く。金の髪がサラサラと流れるように落ちる。
両親や兄は、帰ってこない。
昨日が特別だったのだ。誰か1人だけが帰ってくることはあれど、3人とも揃う日など家族の誕生日くらいだろうか。
それほど、ジェシカ・ライカップに関する情報が重要だったとも取れる。
「今日は先に湯浴みしますの。準備は――」
「既に。奥様から、今日は湯の準備を先にしておけと仰せつかっておりました」
自分の母親に畏怖の念を送るエリザ。言付かり、それが本当に現実になったと、ユリアも驚いていたが。
「今日の食事は少なめで――」
「既に。奥様から、今日はエリザ様の食欲が減るだろうから分量を少なめにしておいてくれと仰せつかっておりました」
何も言わずに湯浴み場へいくエリザ。追従するユリア。
創立者、アンチュイ・シオン。シオン商会の初代会長の真価は、人脈や商売の腕ではなく、その予知染みた直観だったらしい。
その血は綿々と、脈々と9代目まで受け継がれているのだと、二人は理解した。
『やぁ、ジェシカ。今日も可憐だね。そうだ、今度、王室の庭園に来ないかい? 沢山の花々が君を包んでくれるだろう』
そんで適当に花見繕って、まるで君のようだ、君には負けるけどね、っつーんだろ?
私の時とまるで同じですのね……。
『ん? あ、あぁエリザか。
――ジェシカに、手はださせないよ?』
おー、ナイトだねぇ。頭に滑稽な、とか愚かな、とか付くが。
私、この時話しかけてすらいませんでしたのよ? 完全にフランツの中で、私は敵なんですのね……。
『わ、ジェシカ。そんなにひっついてどうしたんだい? 僕はどこにもいかないよ』
ほぉ……腕組みとは。見せつけてくるというか、哀れというか……。
一応まだ、対外的には私と婚約しているはずなのですが……。私個人に見せつけるならまだしも、周囲に見せつけてどのような意味があるのでしょう……。
『……エリザ。そんなにジェシカを睨み付けないでくれ。ジェシカは1年生なんだぞ? ほら、怯えてしまったじゃないか』
その直前に見せていた見下した様な表情は目に入らないんだなぁ。
怯えも、もう少し演技と分からせないようなやり方があるのでは……。
『ふふ。さ、行こうか、お姫様?』
あちゃー、鼻の下伸ばしちゃってまぁ!
殿方ってどうしてこう……。いえ、それが武器になることは分かってますの。
『あー、エリザ様。その、馬鹿王子がすみません。ですので、どうか穏便に……』
あれ? コイツ誰だ? まだ一度も見た事無い気がするが。
フランツの従者のスクアイラですの。騎士見習いで、お兄様と仲が良かったと記憶していますの。
にしては、何か怯えてんな……。
『あっ、その反応……見限っちまいました? あ、大丈夫です。馬鹿王子には言いませんよ。軍団長様はご存じで? あ、なら陛下にも話が行ってそーっすね。道化は馬鹿王子だけか……。もう少し周りを見ろってのに』
なにこの常識人。これだけ良い従者がついてんのにどうしてあぁなったんだあの馬鹿王子?
正確には、スクアイラは従者というより監視役なのですわ。お父様が言うには、ですけど。
『その、俺も気を付けてるんッスが……ジェシカにだけは気を付けてくださいッス。たかが一女学生に俺が撒かれるとは思いませんッス。何か、不穏な気配を感じるんスよね……』
ここでもジェシカ・ライカップか……。
フランツが手を貸している、とかでなければいいですの……。
『んじゃ、俺はこれで。何かあったら遠慮なく言って欲しいッス。俺のバックにゃ陛下がいるんで、馬鹿王子関係の事ならある程度は融通聞くと思うっスから』
陛下直々の監視役ってこた、ハナからあの馬鹿王子、王様にも見限られてたんじゃね?
スクアイラがフランツの従者になったのは10歳の時……。その時には、もう……?
『あ、あと! ミカルス様には、スクアイラはよくやってたって言ってくれると嬉しいッスー!』
なるほど、親切だったのはそのためか……。
それだけじゃないと信じたいですの……。
緑豊かな自然と、咲き誇るという言葉が似合う桔梗に囲まれたログハウス。
そのウッドデッキで、エリザと枕が紅茶を飲んでいる。
「なぁ、エリザ嬢」
「なんですの? 枕さん」
方や淑女然とした仕草で、優雅に紅茶を飲む。
方や、どういう原理でカップを持っているのかも、飲まれている紅茶がどこへ消えているのかもわからない枕が、無駄に様になった様子で紅茶を飲む。
「ジェシカ・ライカップって……いつからいたっけ」
「いつから、というと……、今年の初めを過ぎた辺りでしょうか……1年生ですし」
そもそも枕の大きさではティーポッドにすら手? が届かなそうなのだが……。
夢だから、と一言で片づけるには違和感が大きかった。
「俺はさ、今年の初め――エリザ嬢が学園に入園した時からエリザ嬢の夢を見てんだ。
ついでに言うと、俺はその夢を1秒たりとも忘れねぇ。だってのに、ジェシカ・ライカップがいつから馬鹿王子に付き纏い始めたのか、覚えてねぇんだ」
「言われてみれば、初めてジェシカさんを見た、という記憶がありませんの……」
ティーカップを傾ける枕。そこが口なのだろうか。真っ白な布地は、しかし汚れることは無かった。紅茶だけが減っていく。
「つまりよ、俺が覚えてねェ、エリザ嬢も覚えてねェ。つったら答えは簡単だよな。
――ジェシカと出会った記憶が消されてる……、そういうことじゃねぇの?」
「記憶を、消す? そんなことできますの? そんなマジックアイテム、耳にしたことありませんの」
ティーカップに紅茶を注ぐ枕。 飲みすぎであろう。
エリザはまだ1杯目だというのに。
「そもそもマジックアイテム? っての自体、最近聞いた言葉なんだよな……。記憶消したり操ったりする魔法とかねぇのか? ファンタジー的な要素だろ」
「そんな魔法あったら国家転覆ものですの……。魔法を使える者自体、珍しいのですわ。マジックアイテムも希少なものですのよ?」
目の前にいる存在自体、稀有で希少なマジックアイテムだと思わない辺り、エリザが心から枕を友達としていることがわかる。
後頭部? を枕の耳で掻く枕。
「そうなのか……。ま、ジェシカ嬢の事は一旦保留だな。俺じゃ情報が少なすぎる。エリザ嬢の父ちゃんと母ちゃんが集める情報を待ちゃいいか」
「お母様に集められない情報が、あるとは思えませんの」
転生しているとはいえ、枕のこの世界の知識は幼子と同レベルだ。 自らの意思で行動できないというのは、それほどまでに選択肢の範囲を狭める物だった。
「そういえば、エリザ嬢。先日、可愛い猫がいたって話してたよな。ソレ、そんな猫か思い出せるか?」
「猫、ですの? ……あぁ! あの子ですのね! 確か……」
空中にスクリーンが浮かび上がる。学園へと続く道だろうか。そこの茂みに、群青と白の入り混じる、なんともファンタスティックな猫だ。どういう色素をしているのだろう。
スクリーンにエリザは映っておらず、主観視点で猫を見下ろしていた。
「やっぱりこの猫だったか……。疑いたくはねぇが、コイツも怪しいな」
「この猫の事知ってますの? というか、どこで知りますの?」
エリザの疑問は尤もだった。少なくともエリザの主観では、枕はベッドの上から動けないのだから。
猫が部屋の中に入れるとも思えない。
「ん。暴力侍女が俺を2階のバルコニーに干すんだがな。そんときに乗ってくんだよ。そんで夢見んだ。猫視点の夢も中々面白いぜ」
「あの子猫が、2階のバルコニーに? ……どうやって昇りますの……?」
また紅茶を注ぐ枕。5杯目だ。
エリザも2杯目を注ぐ。
「それがよ、今日気になる夢を見てな。馬鹿でけぇ樹と、魔女みてぇな老婆の夢だ。あと超高ぇ山。霊峰とか言ってたっけな」
「霊峰……と言いますと、この辺りではありませんわね……。一番近くて、アドラシコーズ霊峰でしょうか。あんな子猫が行けるような場所ではありませんが」
何かを思い出すように目を閉じるエリザ。
子猫を映していたスクリーンが、どこかの山を映し出した。
「色合いが一緒だな……。樹は……わからん。っつーか、デカすぎて遠近感が息してねぇな。どんだけでかいんだこの山」
「昔、お兄様の遠乗りに連れて行ってもらった事がありますの。その時の記憶ですのね。
確か標高は14,000m程だったはずですの」
それは、人間が住めるのだろうか。枕の記憶では、地球の最も高い山でも9,000m以下だった。 名前は忘れたようだが。
そこに住んでいた老婆は人間なのだろうかと首? を捻る枕。
「あの婆さん何モンだよ。それこそやっぱ、魔女って奴か? ファンタジー的に、あの猫は使い魔とかそんなんか? いや、あの婆さん、また来たのかって言ってたな……。うぅむ、わかんね」
「諦めが速いですのね……。起きたときに覚えていれば、調べるなりできるのですが……」
決意等、心に決めた事ならば、起きても覚えていられる。 この空間におけるエリザは、謂わば無意識の様な物だ。 だからこそ、枕の事を覚えていないともいえる。
元から自分で考えていた事を固めるならともかく、ここで枕から得られた情報はぼんやりと思い出せてマシなほうだった。
「あの夢の最後も気になるし……、あぁ、こういう時に身動きとれねーのは不便だな」
「その、……余り乗り気にはなれませんが、一つだけ方法が……」
本当に苦々しく、本当は嫌です! という顔を前面に押し出してエリザが言う。
「そ、そんなに嫌ならやんなくてもいいぜ……?」
「――ッ! い、いえ。
その……、お母様とお父様、お兄様に枕さんで寝ていただく、ことですの」
お母様までは普通のトーンだったのに、お父様、お兄様の時点でトーンが下がる。
年頃の女子としては、父親や兄に自分の枕を使わせることに抵抗があるのだろう。
「あー、それで情報交換してくりゃいいってことか。……ソレ、起きて覚えてられんのか?」
「あっ」
結局問題はそこへ帰結する。 枕とのやり取り処か、枕の事自体を覚えていられないというのは、何をするにしても致命的だった。
「ま、どうしようもねぇこと考えても仕方ねぇ。確か母ちゃんに貸す、みたいな話してたよな。貸す事決意しとけばそこはいけんじゃねぇの?」
「……頑張ってみますの」
タイミングよく、白い光が世界を覆う。
朝だ。
寒いダジャレですみません!