10話 『ペイティ・オレイユ』
ちょっち短いんじゃ
「奴を、調べろ」
心地よさそうな表情や仕草とは裏腹に、寝言の様に紡ぎだされた言葉は冷徹な雰囲気を孕んでいた。寝返りを1つ打ったユリアは、その恰好のままゆっくりと目を開く。
いつもと違う場所で眠っていた。自分に支給されているベッドは――他の家に比べれば格の違う品質だが――ここまで寝心地がよくない。
状況を確認する。
確認し終わった。
見渡すまでもない。ベッドから匂う――犯罪のようであるが、幼馴染故、だ――エリザの匂い。なにより、エリザの部屋をユリアが忘れるわけがない。
ならば、何故自分はここで寝ていたのか。
セシリア様に、報酬としてエリザのベッドで寝る権利を得たからだ。しかも期限、回数は定められていない。
さて、残る疑問は。
「奴を、調べろ……」
口をついて出る言葉。幼い頃、忘れてしまわない様にずっと呟き続けていた事柄のように、心が自分に命令してくる。
奴――奴とは。
「あたしが奴、なんていうのは……ジェシカ・ライカップしかいねぇよなぁ?」
誰に聞くでもなく、呟く。一瞬、頭を置いている枕の温度が上がった気がした。
ジェシカ・ライカップ……エリザの婚約者である、フランツに纏わりつく女。
フランツの事は、どうでもいい。本当に、心の底からどうでもいい。一応フランツも幼馴染に当たるわけだが――、一切の興味が無い。
問題は、エリザだ。
エリザが泣いていた。ここ数日は吹っ切れたようだったが、それでも心が傷ついたのは事実だ。
ユリアには、それが許せない。
エリザに向ける感情が愛恋でない事なんて、自分が一番よくわかってる。だからこれは、妬み嫉みではない。
報復だ。
親愛を傷つけられた。親友を泣かされた。なら、同じく親友が動こうと思うのは当たり前だろう?
ミカルスにも言った通り、その矛先はフランツではない。
ジェシカ・ライカップ。
ジェシカ・ライカップを、調べろ。
「なんでソレを今更思ったか……だよな。調べるなんてこと、奥様も旦那様も、ミカルスだってやってる。親父も動いてみるととか言ってたし。
だから、あたしが調べるべきはあたしが集めた情報。あたししか知り得ない情報。
さて、ユリア・リトレット。
――何が思い出せる?」
目を瞑る。
眠らずに、夢を思い出す。
何か夢を見たはずだ。だって、眠る前は奴を調べろなんて思っていなかったのだから。
夢。夢。夢。
「……インフォルマ? インフォルマの夢なんて、なんで見るんだ? いや、違うな……インフォルマが何か言ってる。
う、ん、お、う、お、い、お、お、え、お。
『う』にしちゃ口尖らせてねぇ。歯も噛みあってる。こりゃ『く』か『ぐ』だな。
『ん』はそのままでいい。
『お』……発音前に、舌が口蓋についてる……濁音か。それも擦過音。『ど』か『ぞ』、『じょ』だな。
『う』もそのままでいい。
『お』、これも舌が口蓋についてるが……舌先だな。『の』か。
ちっ、なにが好きでインフォルマの口の動きなんか――エリザのためか」
脳裏に映る映像から、そこまで得意ではない読唇術を使って何を話しているか読み解く。
「次。
『い』……口角が『い』よりも多く広がってる。『し』か。
『お』。口蓋にあった舌を叩きつけるみてーにおろしてる。『ろ』だな。
『え』は……さっきの『の』と同じか。『ね』。
『お』も最初の『く』か『ぐ』と同じ……『こ』か『ご』
くんぞうとしろのねこ……ぐんじょうとしろのねこ。
――群青と白の猫、か」
キーワードだ。
インフォルマが群青と白の猫の話をしている夢を見た後、奴を調べなければいけないと思った。奴――ジェシカ・ライカップを。
つまり、ジェシカ・ライカップと群青の白の猫には繋がりがあるはず。
がばっと音を立てて起き上がる。思い立ったが吉日だ。口惜しいが、ベッドメイクは他の侍女に任せよう。開けていた2日間、担当してくれていたペイティでいいか。
「さしあたってはインフォルマだな……。ん、ん゛っ。
――ペイティ、来なさい」
咳払いをし、部屋の中だというのに名前を呼ぶと――。
「何かご用でしょうか、侍女長」
トタタタと駆ける音がして、2日間枕の洗濯をしていた侍女――ペイティが現れた。
「私は少々用事が出来ました。今日のベッドメイク、あなたにお願いするわ」
「……はい。承りました」
ペイティ・オレイユ。
ユリアが、大切なエリザのベッドメイクを、信頼していない侍女に任せるわけがない。
ペイティもまた、戦える侍女さんだった。
その役割は、斥候。
脚が速く、耳が良い。ユリアが最も信頼を置く侍女の1人である。
「それでは、お願いします。
……あと、この公爵家で猫を見かけたら捕えておきなさい。敵の可能性があります」
「ッ!? わかりました。猫、ですね」
特徴は言わない。まずはインフォルマに裏を取らなければ。
ユリアは足早にエリザの部屋を出て行った。
「ふふふふ、侍女長から直々に『お願い』されちゃった。嬉しいなあ……。それに、またこの枕を踏め――洗えるとは思わなかったよ。ふわふわしてて気持ちいんだあ。
それにしても、猫かあ。
……1日目に荒らして行った奴、猫だったのかなあ。侍女長がきっぱり敵だ、なんていう猫……。逃しちゃったのかなあ。失態だね……。
よーし、今日は目を離さないようにしよーっと」
この侍女、ぶつぶつ言ってて怖いんだけど……。
夢世界から帰って来てからも、俺みてーなのがいる可能性を考えてたらまた水に浸けられた。ユリアの洗濯が懐かし……くはならないけども。
枕みたいなのがいる可能性を考えるより、そもそもの問題。誰が枕を造ったのかを考えた方が良いって結論に至った。
真っ先に考えられるのは、あの魔女然とした婆さん。群青白猫の夢に出てきたってのもそうだが、人里離れた場所に住んでるってのもポイント高い。
エリザが言ってたように、この国では魔法が使える奴は稀有なんだろう。ってことは、魔法が使える奴は引っ張り蛸で優遇されるか、奴隷みてーにこき使われるかのどっちかだ。
この国がどっちの扱いをしてんのかはわかんねぇが、あの婆さんはソレを嫌ってあんな山の天辺に住んでんじゃねぇかと思う。
よって、枕の製造者かはともかく、あの婆さんは魔法使いだ。仮定だが。
魔法使いなら魔法に造詣が深いはずだろ? 記憶に関する魔法の事もなんか知ってるかもしれねぇ。どうにかしてコンタクトを取りたい。
俺が外界とコンタクトを取る方法。
それは今朝、ユリアが証明してくれた。前回のエリザ嬢は、元から考えていた決意を夢世界で話しただけだ。
でも今回、ユリアは夢世界で決意した事を現実世界へ持って行った。それだけユリアの意思が強いのかもしれねぇが、決して不可能な事じゃないってわけだ。
夢世界の記憶を持ったまま現実世界に出ていけるかもしれない。
そんなことができるなら……そんなことをしたら、合法的なセクハラが出来なくなるじゃないか!
……ではなく、夢世界の記憶を持って行けるなら、俺の移動が可能になるかもしれないということだ。そんで、気絶させるなりなんなりしてジェシカ・ライカップやバンボラ・ライカップの夢を俺が覚えて、エリザ嬢やユリアに話す。
これで全て解決! ……とはいかないだろうが、少なからず進展するだろ。
問題は、どこまで覚えていられるか、だな。
これは実験あるのみだろう。
勘でしかないが、事が大きく動くのは1か月後……エリザ嬢達2年生の終業式だ。
それまでに、エリザ嬢とユリアに頑張ってもらうしかない。
「んふふふ、ふみふみタイムー。えいっ」
ぐぅぇっ!?
完全に思考の海に没頭してた! もう脱水か!
「あぁ、やーらかい……」
流石に足裏で主人の枕を踏むのは悪いと思っているのか、足裏だけは使わない。
だが、それ以外を駆使して俺を脱水させてくる。
思考中だったからセルフ脱水もしてない。
だが……。
「んぅー。すりすりしても気持ちいーし、踏んでもやーらかいし。
いいなぁ侍女長。いつもコレ触ってるのかぁ」
足の甲で押しつぶすように、半分だけ正座するように乗っかる。そのまま引き延ばすように足を移動。やーらかい脚だな……。
真ん中の膨らんでいる部分と四方の耳は膝でぐりぐり。ぐぇっ、ぐぇっ。
最後に枕と足が垂直になるように正座して――足を開く。
背徳的な光景。
「よっし。終わりー。シーツとベッドカバーも終わったし、あとは見てよう!」
そう言って、俺を天日干しにしている場所の横で膝を抱えて座るペイティ。
ロングスカートだから何かが見えるということは無い。なにより、その中は先程がっつりみたばかりである。
「んー」
無為な時間が過ぎる。
こんながっつり見張ってる人間がいたら、例えアイツが普通の猫だったとしても来ないと思うんだが、そういう事には頭が回らないのか?
「んー。んー」
んーんーうっさいわ! って、なんかカックンカックンしてんな……まさか。
「ねむ……。枕……」
おいおいおいおいおいおい! 天日干し最中! てか主人の枕!
「なにこれやーらかーいー」
ダメだ。寝る気満々だ。
あーあー、怒られても知らんぞ……。
新キャラ? ペイティちゃん! なお、彼女がユリアに抱いてるのは尊敬です。