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第四章 その始まり



第四章 その始まり



 その日もいつもと変わらぬ日常だった。

「海斗!! 右だ右!! スペースあるぞ!! ……ああもうっ!!」

 頭を抱え、顔を真っ赤にして悔しがる夫に、元女性自衛官だった妻の香織が苦笑する。

 冷静沈着で巧みな操艦技術を誇り、周囲から一目置かれている「そうりゅう」艦長の土方勇介も息子の前ではただのバカ親だった。

「せっかく海斗がスペースに飛び出したんだからそこは縦パスだろう!」

「まあまあ、田中君も左から二人来てたからあれはしょうがないでしょ?」

「そうそう、落ち着きなよ、パパ」

 一人憤るも、妻と娘から突っ込まれては敵わない。しぶしぶ座席に腰を下ろす。

 海斗は若手選手の育成に定評のある地元のJリーグチーム・サンアローズ広島のユースチームに所属していて、U18日本代表にもFWとして名を連ねており、その将来を嘱望されている自慢の息子だ。

「だいたい、もう四対一で圧倒的リードなんだから間違いなく勝てるでしょ?」

 試合後の外食目当てについてきた娘の七海(ななみ)がつまらなさそうに呟く。

「それは違うぞ七海。勝負は最後まで何があるか分からないんだ。点は取れるうちに取っておかないと後々痛い目に遭うことだってある。そう、あれは忘れもしない二〇一二年の……」

「あ、ほらパパ! チャンスチャンス!」

ドッと歓声が起こり、土方が慌てて振り向くと、歓喜の輪の中心で海斗がガッツポーズしていた。

「海斗か? 海斗が決めたのか!?」

「うん、凄いシュートだったよ! 三人背負っての反転シュート!」

「兄貴すげ~! ハットトリックじゃん!」

 妻と娘がパチパチと拍手する横で土方がガックリと肩を落とす。

 今日は全くツイていない。海斗の一点目はトイレ、二点目は七海にねだられてジュースを買いにいった隙に、そして今の三点目はよそ見をしていて、一つも息子のゴールシーンを見ることができていなかった。

「パパって本当に間が悪いよね~」

 おかしそうに七海がケタケタと笑う。

「こら、七海! パパにそんなこと言うんじゃないの」

「大丈夫よ~。ママとあたし、二人の美女に挟まれてるんだから兄貴のゴール見れなくたってパパ幸せよね~?」

「え……? あ、ああ、幸せだけど海斗のゴールは見たかった……」

 しょんぼりする土方を妻と娘が笑いながら慰める。と、ズボンのポケットに入れている携帯がブブブと鳴った。慌てて取り出すと「潜水隊群司令部」の文字が画面に表示されていた。

 なんだ……?

「悪い、パパちょっと電話に出てくる」

 そう言って父親が席を外すと、七海は愉しそうに母親を見た。

「また兄貴、ゴール決めちゃったりね」

「こら、そういうこと言わない」

「ってか、あたしお腹空いちゃった。早く焼肉いきた~い」

「全くこの娘は……」

 天真爛漫な娘に香織は苦笑した。悪態はついているが基本的には父親が大好きな娘だ。

 陸に上がっている時はなんだかんだ言いながらいつもベッタリで、夫もそんな娘に癒されていることは分かっている。

 元自衛官だからこそ分かる潜水艦乗りの厳しさ。それゆえ、少しでも妻として夫の安らげる場所を創り出そうと、子供達の前では夫を最大限に立て、その様子を常に気にかけ腐心してきた。

 だから電話を終え戻ってくる途中の夫の表情が、いつもと違い尋常でないことに気づいてしまった。

「ごめんママ、七海。緊急出航になった。いったん家に戻ってから艦に行く。しばらく戻れないと思う」

 席に戻った夫は先ほどの厳しい表情を消していて、申しわけなさそうに二人に頭を下げた。

「津波? 台風?」

 心配そうに覗き込んでくる七海の頭を土方が優しく撫でる。

「うん、まあそんなところかな。ママの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」

「あなた……」

 明らかにいつもと様子の違う夫を香織が不安気に見つめる。

「家を頼む」

 土方は妻の手を握り、ひと言残すと自分の荷物を取り席を立った。

 そしてピッチで躍動する息子を名残惜しげに見つめると、思いを断ち切るかのように(きびす)を返してスタジアムを後にした。


           *


「姫ちゃん、可愛いでちゅね~。パパ、絶対姫ちゃんをお嫁にはやらないでちゅからね~」

「あっ、こら! お口にチューしない!」

 刑部が生後八か月の姫子(ひめこ)の口にたまらずキスすると、妻の(あおい)が目を剥いて怒りを露わにした。

「何だよ? 姫ちゃんに妬いてんのか?」

 ニヤリとニヒルな笑みを浮かべる夫に葵が溜め息をつく。

「バカ! お口にチューすると虫歯菌が移るのよ!」

 その妻の言葉に刑部はああ、と口元を緩めると、

「大丈夫だ。虫歯菌は赤ちゃんに話しかけるだけで既に移ってるそうだ。あと、ご飯のふーふーとか。だから今さらだ」

 とのたまい、娘に頬ずりする。

「まったく。あんたがここまでバカ親になるとはね」

 葵がやれやれといった感じで笑うと、刑部は娘を縦抱きにしてギュッと抱き締め、妻に見せつけた。

 姫子という名前は妻の葵が子供の頃大好きだった少女漫画のヒロインから名付けたのだが、刑部はこの名前をいたく気に入っていて、暇さえあれば抱っこして姫ちゃん姫ちゃんと頬ずりしている。

 隊内ではクールな色男で通っているらしい夫が、家にいるときは娘相手に目尻を下げ、おむつ替えも厭わず進んでやっているなどと誰が想像し得ようか?

「そう言えば敏生クンと夕陽ちゃん、婚約したんだって? 隊長の奥さんから聞いたわよ」

「ん? ああ、先週な。まさか、敏生があのお子ちゃまにあそこまでハマるとは」

 先週の休み明けの訓練後、全体ディブリーフィングで突然敏生によって宣言された二人の婚約。当然のごとく仲間達からからかい交じりの祝福を受け、翌日の訓練後にはライトニングから降りるなり、二人揃って空自以来の伝統である「バケツシャワー」の奇襲を喰らった。

 肌寒い中、全身びしょ濡れになりながら、パイロットからグランドクルーまで総出で囃し立てられ、幸せそうに笑顔を浮かべる二人の姿が印象的だった。

「あらそう? 夕陽ちゃん可愛いじゃない。あたしが男なら放っておかないわよ?」

「そうか? あの娘、男を寄せ付けない雰囲気持ってるからなぁ。艦の若いやつらは結構ビビってるぜ? 〝北空の魔女〟とはよく言ったもんだって」

「女が男社会でやっていくのは大変なのよ。いいじゃない、好きな男にだけ見せる可愛い笑顔」

「そうか。じゃあ俺も奥さんにもっと笑って欲しいね」

「バカ」

 どちらからともなく重なる唇。敏生は〝遊んだ女とのでき婚〟とバカにしていたが、実は葵との馴れ初めは中学生の時だったりする。当時、同級生で席が隣同士だった二人。それ以来、主に刑部が原因で幾度もくっついたり離れたりを繰り返し、結局はお互いに居心地のよい今の鞘に収まった。

 深い口づけになり夫婦ともにスイッチが入ると、刑部は「姫ちゃんごめんね」と言って娘をベビーベッドに寝かせ、葵とソファに縺れ込んだ。お互いに激しく(まさぐ)りながら服を脱がし合う。

 妻の葵を裸に剥いたところで、ソファサイドのテーブルに置いてあった刑部の携帯が鳴った。画面の表示は部隊からになっている。刑部は溜め息をつくと、妻に口づけしてから電話に出た。

「はい、刑部です。……はい? (けい)(きゅう)()(しゅう)? 何かあったんですか?」

 警急呼集(非常呼集)と聞いて、裸の妻が不安そうに起き上がる。

「はい、……分かりました。すぐに向かいます」

 刑部は電話を切ると、携帯を元に戻して再び葵に覆い被さった。

「ちょっと、行かなくていいの?」

「こっち済ませてからだ。こんな状態でいけるか。しばらく戻れないかもしれないのに」

「だって、何かあったんでしょう? 急がないと?」

「知らん。集合時に話すんだと。どうせ隊長は今、家族で御殿場のアウトレットだし、敏生達はディズニーランド。他のやつらだって出かけてる。こっちは基地まで歩いて十分だ。時間は充分にある」

「本当にあんたってクールよね」

「そんな俺に惚れたんだろ?」

「バカ」

 二人はクスッと笑い合うと、夫婦の営みを再開した。


           *


 遡ること五時間前―――――

 槙村は濃紺の幹部作業着に着替えると、自室を出て、職場である戦闘指揮所(CIC)に向かった。途中、ポンと背中を叩かれて後ろを振り返ると、幹部作業着にグレーのヘルメットと救命胴衣(カポック)を装着した若葉が笑顔を浮かべて立っていた。

「和馬もこれから当直(ワッチ)?」

「ああ。なんだ、若葉は艦外か?」

「そ。信号だよ。やだな、日に焼けちゃう。真っ黒に日焼けした花嫁ってどうよ?」

「花嫁が若葉なら何だっていいさ」

 槙村は周囲に人がいないことを確認すると、若葉の唇にそっと口づけた。

「ちょっ、誰かに見られたらどうすんのよ!?」

 真っ赤になって口元を両手で覆う若葉に、槙村は柔らかく笑うと、

「これから薄暗い部屋で八時間、レーダーと睨めっこだ。これくらい許せ」

 と言って若葉のヘルメットをポンと叩き、職場へと急いだ。

 ドアの前で見なりを整えてからCICに入ると、普段は艦橋に上がっているはずの艦長が詰めていた。いつにもまして緊迫した雰囲気が漂っている。

「遅いぞ、槙村」

「すみません、野暮用で。……何かあったんですか?」

 前任者とワッチを交代し、持ち場につきながら槙村が訊ねると、艦長は顎をしゃくりながら槙村の担当する目の前のモニターに目配せした。モニターの中心には「はるさめ」と僚艦の「てるづき」を示す二つの緑色のBlip、そして左下の離れたところには〝味方以外〟を示す赤色のBlipが複数示されていた。恐らく中国艦だ。

「五隻も?」

 驚いてモニターを見つめる。彼我(ひが)の距離は約八〇キロメートル。こちらに向かってきているようだ。

「哨戒中のP3Cより入電。中国艦隊の構成は昆明級駆逐艦一隻、蘭州級駆逐艦一隻、江凱級フリゲート艦三隻」

 最新鋭艦のみで構成されたその報告内容にCIC内がドッとどよめく。大規模演習の事前通知もなく、これだけの陣容で尖閣へ向かってくることは非常に珍しい。室内の空気がさらに張り詰める。

CIWS(シウス)(近接防御火器システム)とチャフ(ミサイルへの目眩まし)の安全装置は一五〇キロメートルの時点で既に解除した。どう思う?」

 艦長が槙村の横からモニターを覗き込むように顔を近づけた。

「やつらの対艦ミサイルの射程は一二〇キロメートル前後。やるつもりならとっくに撃っててもおかしくありません」

「だよな。ただの示威行動と見ていいか」

「あるいはこちらのシースパロー(対空ミサイル)の射程三〇キロメートルギリギリまで迫るつもりかも。やつら、こっちが先に撃てないことは分かっていますから」

「だが、俺らに全て撃ち落とされて対艦ミサイル(ハープ―ン)で反撃を喰らうことくらい想定しているだろう。となると防御を考えてある程度のレンジは取ってくるはずだ。俺なら六〇~七〇キロメートルの地点でぶち込む。本当に仕掛けてくるつもりなら、な」

 なるほど、敵に与える対処の時間を極力短く、そして反撃に備えるには妥当な距離だ。

 もちろん、敵が先に撃ってこないことが大前提なのだが。

「なあ、本当にやつらはやってくると思っているのか?」

「分かりません。ただ、最悪の事態を想定しなければいけない状況になりつつあります」

「それはそうだが……。いまいち現実感がない。駄目だな」

「私もです」

 数年に渡り領海線で睨み合いが続いているものの、これまで最も緊迫した事態は中国艦による射撃レーダーのロックオンだけだった。なぜ今さら? という艦長の気持ちは槙村にも分かる。情報部員の彼自身、頭では理解していてもやはりどこか雲をつかむような感覚は拭えなかった。戦後七十年以上が経過した現在。それだけ日本人は平和に慣れ過ぎていた。

 艦長は厳しい顔で槙村のもとを離れると、矢継ぎ早に各科に警戒指示を出し始めた。


           *


 備え付けの双眼鏡で艦を確認できるのは四〇キロメートルが限界だ。中国艦はまだ八〇キロメートルほど先らしいので見張りの対象からは外している。若葉のいる左舷の見張所からは艦橋が死角になっていて、三キロメートル右後方にいるはずの僚艦の「てるづき」も見えない。

 その視界に広がるのはどこまでも透き通るような空と碧い海。

 防大を卒業し、艦艇勤務になって早三年。プライベートのないハードな職場ではあるが、この思わず惹き込まれる、美しい地球を身体で感じることのできる風景は正直役得だと思っている。

 和馬にも見せてあげたいな……。

 今頃、薄暗い部屋でレーダーと睨めっこをしているはずの恋人を想う。重要機密を取り扱うCICに出入りできるのは艦内でもごく一握りの人間だけだ。一度、副長のお使いで足を踏み入れたことがあったが、あの息苦しさは自分には無理だと思った。だからこそ、上陸直後の彼は解き放たれたように、いつも激しく自分を求めてくるのだろう。

 素直になれずに彼と犬猿の仲を演じてしまった学生時代。その境界線が変わったのは若葉が練習艦から「はるさめ」に異動してきて槙村と再会した間もない頃。大きなミスをして先任伍長に激しく叱責されているところを彼が庇ってくれたときからだった。てっきり嫌われていると思っていた彼が間に入って、代わりに頭を下げてくれたことへの驚き。そこから二人が恋人同士になるまでに時間はかからなかった。

 今でも思い出す、上陸した日の初デート。庇ってくれたことへのお礼ということで、渋々な態度を装いつつ若葉の方から食事に誘ったのだが。

〝お前、実は俺のこと好きなんだろ?〟

〝な、何ですか! 変な言い掛かりはやめてくださいよ!〟

〝じゃあ、俺が実はお前のこと、ずっと好きだったと言ったら?〟

〝え……?〟

〝嫌なら突き飛ばせよ?〟

 次の瞬間、彼に抱きしめられたかと思うと唇を塞がれた。あまりにも突然のことでかなり戸惑ったものの、状況を理解すると彼の首に腕を回し、夢中で唇を返した。

〝ずっとお前のことが好きだった〟

〝あ、あ、あたしも……本当はずっと先輩のことが好きだった!〟

 これまでのすれ違いを埋めるかのような情熱的なキス。やがて彼はそっと離れると、不機嫌そうに若葉を見た。

〝お前、来るの遅えよ。俺は危うく勘違いだったと割り切るところだった〟

〝な、何よ! あたしの気持ち分かってたなら迎えに来てくれたって良かったじゃん!〟

〝そこは男の機微ってやつだ。分かれよ〟

〝何それ! 全然分かんない!〟

 若葉は彼をキッと睨み付けると、悔し紛れに今度は自分から唇を押し付けたのだった。

 あれから一年半。今でもたまに喧嘩はするが、お互いのことを良くわかっている分、仲直りも早い。何よりも長年に渡って想い続け、遠回りしてやっと手に入れた恋。

 その彼と、この航海が終わったら入籍する。左手の薬指に輝くエンゲージリング。佐世保帰港までの一週間がとても待ち遠しい。

 だから、CIWSとチャフの安全装置が解除されたと聞いて不安が拭えなかった。艦長もCICに降りて、メインブリッジは副長が指揮を取っている。完全に有事を想定した体制だ。信号員達もどことなく不安げな面持ちで見張りをしている。

 何事もなければいいけど……。

 不安を胸に抱きながらも警戒は怠らない。相変わらず周辺には漁船一つ航行している様子はなかった。

 人間達の勝手な線引きで緊張の領域と化した大海原。上空では海鳥たちが優雅に戯れていて、とてもここがアジアの二大国によって領有権争いが行われている場所とは思えない。

 あまりに穏やか過ぎる大自然。

 だからその、突如として鳴り響いたアラーム音を理解するまでには時間がかかった。

 それは総員戦闘配置のアラーム音―――――

 えっ? 抜き打ち訓練?

〝対空戦闘用―――――意!! 中国艦よりミサイル発射!! これは訓練ではない!! 信号員は艦内に退避!!〟

 艦中に響き渡る艦長の声。

 え? 何? どういうこと?

「深山三尉何やってるんですか!? 早く中へ!!」

 部下の怒鳴り声に我に返ると、若葉は慌てて部下達に続き、ブリッジに入って扉を閉めた。

 ブリッジ内は騒然としていて、副長を中心に怒号が飛び交っている。それから数秒と経たず、前方の窓がカッと明るくなったと思うと、大量の火焔と爆音を立ててシースパロー艦対空ミサイルが真っすぐ上空へと飛び立っていった。

 嘘でしょう……!? 何これ……、実戦?

 心の準備もないままに、突然始まった戦闘。目の前で起こっていることがとても現実には思えない。

 神様……。どうか、あたし達に慈悲を……。

 上昇後、海面スレスレまで高度を落として南の方角へ飛び去っていくミサイルの白い航跡を眺めながら、若葉はただひたすら天に祈りを捧げた。


           *


 事の始まりは突然だった。

 情報部員として最悪の事態を想定していた槙村でさえ、最初はそのレーダー上のBlipに我が目を疑った。

「中国艦より機影……。速度から恐らく対艦ミサイル!!」

「何!?」

 艦長が驚いて槙村を振り返る。その報告にCIC内の誰もが凍りついた。

「間違いありません!! 全部で一〇発」

「哨戒中のP3Cからも入電!! 中国艦がミサイルを発射した模様!!」

 音速でこちらに向かってくる対艦ミサイル。躊躇している時間などない。

「みんな慌てるな!! 訓練通りだ!!」

 艦内に総員戦闘配置を知らせるアラームがけたたましく鳴り響くと、艦長は艦内放送のマイクを口に当てた。

「対空戦闘用―――――意!! 中国艦よりミサイル発射!! これは訓練ではない!! 信号員は艦内に退避!!」

「シースパロー、いけます!!」

「よし!! 一番、二番、シースパロー発射!!」

「はるさめ」の艦橋前方にあるVLS(垂直発射セル)よりシースパロー艦対空ミサイルが轟音を上げて立て続けに二発発射された。二キロメートル離れた僚艦防空を任とする最新鋭護衛艦「てるづき」からも、時を同じくして六発のシースパローが発射された模様だ。

 合計八発のシースパローミサイルが、海面スレスレを音速で迫り来る中国の対艦ミサイルに狙いを定め、向かっていく。

「よし、機関最大戦速!! おーもかーじいっぱい!!」

「はるさめ」のガスタービンエンジンが唸りを上げ、最大戦速で回避行動を開始する。槙村が見つめるレーダー上で、彼我のミサイルは「はるさめ」から二五キロメートルの地点で交錯した。

 どうだ!?

 未だこちらに向かってくる五個のBlip。

 クソッ!

「五発撃墜!! 残り五発、向かってくる」

 音速の対艦ミサイルが「はるさめ」と「てるづき」に到達するまであと一分三十秒弱。

 もはや一瞬の躊躇も許されない。既にこの距離では対空ミサイルでの迎撃は不可能だ。

 主砲のイタリア・オートメラーラ社製七六ミリ速射砲がレーダー照準でミサイルを自動ロックオンする。最大射程距離は一六キロメートル。

「ミサイル、本艦の左八〇度、まっすぐ突っ込んでくる。距離一六、〇〇〇。主砲、撃ちー方はじめ!」

 砲雷長の指示と共に主砲が毎分一〇〇発の速射モードで砲撃を開始した。レーダー照準だが、的の小さいミサイルを主砲で撃ち落とすのは至難の業だ。それでも何とか「はるさめ」と「てるづき」が一発ずつ撃ち落とした。残り三発。だが、そのレーダー上の光跡に槙村は愕然とした。

「三発、全て本艦に向かってきます!!」

電波妨害(ジャミング)開始!! チャフ発射!! とーりかーじいっぱい!!」

 艦長が矢継ぎ早に指示を出す。間髪入れずにチャフが発射され、艦前方を大量のグラスファイバー片が覆った。

「はるさめ」が最大戦速で艦体を大幅に傾げながら回避行動を続ける。ジャミングとチャフにより、三発のうちの一発が目標を見失い軌道を逸れていった。

 向かってくるミサイルは「はるさめ」まであと二キロメートル。時間にして十秒の距離。

 クソッ!! 頼む!!

「総員、対ショック姿勢をとれ!!」

 誰もが息をのむ。

 最後の砦である、艦橋の前後に配置されたCIWSの二〇ミリ機関砲二門が射程距離に入ったミサイルを自動制御で捉え、火を噴いた。

 ミサイルの硬い弾頭を撃ち抜くため、レアメタルであるタングステンを使用した徹甲弾が毎分三、〇〇〇発の速度で発射され、ミサイルに対して猛烈に弾幕を張る。艦から五〇〇メートルのところで大爆発が起こった。一発は撃ち墜としたのだ。

だが―――――

〝若葉―――――ッ!!〟

「はるさめ」とミサイル、二つのBlipがレーダー上で重なり合う。それが槙村が最期に見た光景だった。


           *


 対ショック姿勢を取っていたものの、想像以上の大きな衝撃に若葉は転倒した。恐らく命中箇所は左舷下部。

 和馬は!?

 若葉は急いで立ち上がり、扉を開けて見張所に出ると艦橋下部を覗き込んだ。

 まさか……。

 一瞬にして顔から血の気が引く。船腹に開いた大きな穴。

 あそこにはCICが!? 和馬―――――ッ!?

 若葉が恋人の名前を叫ぼうとした瞬間、真っ白な光に包まれたかと思うと身体がふわりと宙に浮き、そして彼女は意識を失った。

 現代の戦闘艦の装甲は脆弱だ。年々と威力を増すミサイルに各国の海軍は無駄な装甲強化を諦め、いかに艦へのミサイルの到達を防ぐかに主眼を置いてきた。よって、ミサイルの命中はそのまま即撃沈を意味する。

「はるさめ」に音速で命中したミサイルは艦橋下部の装甲を易々と突き抜けると、遅延信管により一定の間を置いてから内部で炸裂した。

 その凄まじいまでの爆発力は瞬時に艦橋内のクルー達を焼き尽くしてさらに弾薬を誘爆させ、「はるさめ」は大爆発を引き起こした。一瞬のうちに艦橋構造物が吹き飛び、艦体を真っ二つにへし折ると、五分とかからずに満水排水量六、一〇〇トンの巨大な艦体は海へと沈んでいった。

 ほとんどのクルー達が、自分の身の上に起こったことを把握できぬままに―――――


           *


「艦長!! 〝はるさめ〟が!!」

「てるづき」のクルー達が呆然と僚艦の最期を見届ける。自分達が助かった安堵感などさらさらない。いや、むしろ―――――

「艦長!! 反撃を!! ハープーンの発射準備なら出来ています!!」

 砲雷長が涙を流しながら艦長に訴える。

「艦長!!」

「艦長!!」

 クルー達が悲愴な表情で次々と艦長に詰め寄り、反撃を訴える。

 これは完全な敵対行為だ。専守防衛の観点からも反撃をしても問題はないはず。だが「はるさめ」を失った今、たとえミニイージスと言われる最新鋭艦の「てるづき」とて、単艦ではこちらが圧倒的に不利だ。相手を沈めることが出来たとしても道連れがいいところだろう。そしていたずらに中国側に戦火拡大の口実を与えるわけにもいかない。艦長はギリっと唇を噛み締めると自身の膝を思いきり叩いた。

「本艦はこれより〝はるさめ〟の救助に向かう!! やつらが次に撃って来たときは全弾、ハープーンを見舞って道連れにしてやる!! それより今は傷ついた仲間の救助が先だ!! 警戒は怠るな!!」

 その艦長の指示に誰もが我に返ると、急いで「はるさめ」救助の準備を始めた。


           *


「要救助者発見!!」

 波間を漂うグレーのカポックに身を包んだ人影。間違いなく「はるさめ」のクルーだ。

 タグボートを急行させるとグッタリした様子で仰向けに海に浮かんだまま動かない。自力では上がれそうにないので、一人が身体にロープを括りつけて海に飛び込み、フォローする。

 ようやくボート上に引き揚げたそのクルーは女性だった。階級章は三尉。女性士官だ。

 そして男達がその姿に息をのむ。大爆発で吹き飛ばされたのか、肩から右腕が失われていた。既に大量の血液が失われているようで顔色があまりにも白く、もう助からないのは誰の目にも明らかだったが、それでも励まさずにはいられなかった。

「もう大丈夫ですよ! あなたは助かったんです!」

 そう声をかけられた女性士官はうっすらと目を開けた。何かを探しているのか、目をきょろきょろとさせている。

「……かずま……は? CICは……?」

 その女性士官は焦点の合わない虚ろな目で訊いてきた。もしかしてCICに恋人でも乗っていたのだろうか?

「てるづき」先任伍長の海曹長はギュッと唇を噛み締めると、自分の娘くらいの年齢と思われる女性士官を励ますように無理矢理笑顔を作った。

「はるさめのCICの皆さんは無事ですよ! さあ、あなたもみんなのもとに還りましょう!」

 だが、その海曹長の言葉を聞いた女性士官は

「よかった……」

 と、安心したように呟くと、そっと目を瞑り、そのまま動かなくなった。

 それは眠りにつくような安らかな死に顔だった。若い女性士官の非業の死。その様子を目の当たりにし、堪えきれなくなった海の男達の慟哭が南の海に響き渡った。

 護衛艦「はるさめ」、中国艦の放った対艦ミサイルにより撃沈。

 戦死者四十六名、行方不明者九十四名、生存者二十五名。

 それが後に尖閣紛争と呼ばれる戦いの、哀しい幕開けだった。


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