第十章 海風
第十章 海風
出会いの印象は最悪だった。
それは夕陽がもっとも忌み嫌うタイプの男。
何で今日出会ったばかりの男に壁際まで追い込まれなくてはならないのだ? しかも職場の装備用ロッカーで。
「ばっかじゃないの?」
一階級上の、仮にも上官に対して使ってよい言葉ではなかったが、口をついて出てしまったものはしょうがない。
だが、彼はそんなことには微塵も気にする素振りを見せず、グイッと夕陽ににじり寄った。確かに前の所属で女性隊員達が噂していた通りの超絶なイケメン。モデルと言われても納得してしまう。
だが、それが何だと言うのだ?
空自創設以来の天才パイロットだか何だか知らないが、こっちだって実戦部隊二年目にして異例とも言える、千歳のトップガンの称号を手にしたのだ。なめられてたまるか。
「あたし、あんたみたいな男、大嫌いよ」
北空の魔女の由来となった、男達が消沈する冷ややかな視線で彼を見据える。しかし彼はニヤッと笑うとますます距離を狭めてきた。
「ありがとう。その言葉、最高に嬉しい。知ってる? 好きの反対語は無関心なんだぜ?」
「なっ」
彼の唇が自分のそれに近づく。周りには誰もいない。絶体絶命のシチュエーション。叫べばよいのかもしれないが、そんな普通の女の子のような真似はプライドが許さなかった。
やっ、何でこんなやつなんかに……。
悔しさでギュッと目を瞑る。だが、唇はそのまま来なかった。恐る恐る目を開けると、彼はスッと離れてクスッと笑った。
「君の初めては全て俺がもらう。正々堂々とね」
その言葉に夕陽はカッと真っ赤になった。
何で、何で分かったの? あたしがキスもまだだって……。
「あ、あんたなんか好きになるわけないじゃない! 絶対にあり得ないんだから!」
彼がアハハと楽しそうに笑う姿に腹を立てると、思い切り胸を突き飛ばしロッカーを出て行こうとしたが、咄嗟に手首をつかまれた。
「ちょっ!?」
そして後ろから片腕で両肩をホールドされる。
「離して!」
「ほら、前向いて」
「はぁ!?」
パシャッ
前を向いた瞬間に鳴った機械音。
「ほい、夕陽とのツーショットげっと。いる?」
な、なんなのよこいつ……。しかもいきなり呼び捨て―――――!?
「いるかそんなもん!!!」
それが天才ファイターパイロット・門真敏生との出会いだった。
誰にも負けたくない。ファイターパイロットである以上、性別などは関係ない。
訓練は初日からハードだった。
慣れ親しんだF15Jイーグル戦闘機から最新鋭機・F35BライトニングⅡへの機種転換。
アビオニクス関連だけでも勝手が違うのに、短距離離陸、垂直着陸、そして空中静止と、何から何まで勝手が違う。ヘリコプターかこれは? と思わずツッコミを入れたくなる代物だった。
部隊創設前に機種転換を済ませた隊長の勝野と副隊長、そして二人の四機編隊長の指導の下、促成栽培が行われる。一週間後には「いずも」への初着艦が控えていて、気持ちばかりが焦ってしまう。
三日過ぎても未だしっくり来ず、いよいよ気分が落ち込み始めた。歴戦の猛者である飛行教導隊長の勝野が巡回指導の折、自らの目で選り抜いた若手精鋭部隊。声がかかった時はすごく嬉しかった。
だが、このままでは確実にエリミネート(落第)だ。千歳のトップガンとして出戻りだけは避けたいという焦りの気持ちが負のスパイラルにさらに拍車をかける。
「でさ、そこの店、夜景もすごく綺麗なんだ。次の土曜日行かね? もちろん俺の奢りで」
暗い気持ちで昼食のお惣菜を口に運んでいると、目の前から能天気な声で話しかけられる。例の門真二尉だ。
ってか、何で当たり前のようにあたしの前に座ってるんだ? こいつは。
よりによって二機編隊長である彼のウィングマンにされてしまった。だが尊敬する勝野の編成であれば文句は言えない。それに彼はこと、戦闘機で翔ることに関しては誰もが一目置く若き天才パイロット。その噂は宮崎の新田原から遠く離れた北海道の千歳基地にも及んでいて、現に同じく転換三日目のライトニングを既に苦もなく乗りこなしているように見えた。前所属が飛行教導隊だけあってコーチングにも長けているに違いない。そういった意味ではこの状況はラッキーと捉えなければならないはずなのだが。
「あの……」
夕陽は視線を落したまま、声をかけた。
「ん? なになに?」
ようやく夕陽にかまってもらえたのが嬉しいのか、ぐいっと身を乗り出してくる。
「門真二尉はその……以前にライトニングに乗られたことはあるんですか?」
「だーかーら、俺のことは敏生でいいって。あと敬語禁止。これ、上官命令ね」
「じゃ、もういいです」
ムッとして話を打ち切ると、彼は溜め息をついて椅子の背にもたれかかった。
「なんだよ? なんでそんなこと聞くの?」
「だって……、もう乗りこなされているように見えるので……」
「そう? まあこれでも苦労してるんだぜ、初めての彼女のスポット探し」
「は?」
彼は再び身を乗り出すと、妖しく笑う。
「ほら、彼氏としては雷子ちゃんに気持ちよくなってもらわなくちゃならないからさ。力づくだと嫌われるし、彼女の悦ぶポイントを優しく探るわけ」
「……何の話ですか?」
「もちろんヒコーキの話だよ」
彼はお茶を呷ると夕陽を扇情的な目で見つめた。
「彼女の悦びが俺の悦び。そうすれば彼女も俺を愉しませようとしてくれる。そして二人はいつしか一つになるのさ。そんとき初めて最高のエクスタシーが得られるんだ」
夕陽は情熱的に語る彼をポカンと見つめていたが、ハッと我に返るとバンッと乱暴に箸を置いた。
「意味わかんない! 聞いたあたしがバカでした!」
スクッと勢いよく席を立つと、腹立たしさのあまりズカズカとその場を立ち去った。
何なのよあいつ!? ちょっと腕が立つからって人のこと馬鹿にして!
この先も彼とコンビを組まなければならないかと思うと、夕陽はとても憂鬱だった。
ブリーフィングを終え、午後の訓練が始まる。
今度こそ、今度こそはしっかり飛ばさなきゃ……。
暗い気持ちで隊舎を出て駐機場に向かう。空は碧いのに気分は優れない。
それは突然の奇襲だった。
「ぶははははははっ」
いきなり背後から両脇腹をくすぐられ身をよじる。
「あ、笑った」
またしても彼だ。
「ちょっ、何すんのよ!? 変な声出しちゃったじゃない! セクハラよセクハラ!」
怒る夕陽の頭にポンと彼の手が乗る。
「ずーっと思い詰めた顔しちゃって。肩の力抜けよ」
その彼の言葉に夕陽はハッとした。
「お、いいねその顔」
彼の手が夕陽の頤にかかり、顔を持ち上げられると視線が絡む。その目には自分を馬鹿にしたような感じは全く見受けられない。いや、それどころか初めて見る真剣な眼差し。
あまりの顔の近さに思わず息をのむ。
「相手はバケモノだ。ねじ伏せようなんて考えるな。巻かれてみろ」
彼はそう言い残すと、再び夕陽の頭をポンと叩いて自分のライトニングへと向かっていった。夕陽はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、やがて空を見上げて大きく息を吸うと、再びエプロンに向かって歩き出した。
その日の午後のフライトは自分としては初めて納得の行くものとなった。今まで一体、何を悩んでいたのか馬鹿馬鹿しくなるほどに。
基地に戻ってきた夕陽は機を降りるとすぐに彼を探した。
いた……。
彼はまだ自分の機体の下にいて、機付長と何やら身振り手振りを交えて話をしている。
機体の調子について申し送りでもしているのだろうか? やがて、話し終えた彼がこちらに向かってきた。夕陽は意を決して行く手を遮ると、彼を見上げた。多分、今、きっと変な顔だ。
「あ、えと……〝敏生〟!」
そう呼ばれて彼は目を丸くした。その反応に思わず自分で顔が赤くなるのが分かる。
何よ!? あんたが呼べって言ったんじゃないの! って、違う。今は……。
「その……、さっきはありがとう………ね」
夕陽の言葉に、やがて嬉しそうにニカッと笑う子供のような彼。その表情に心臓がトクンと跳ねた。今にして思えばあの時、既にハートを射抜かれていたのかもしれない。
一か月も経てば、なぜ彼が〝最強〟と呼ばれるのか嫌でも理解せざるを得なかった。悔しいが全くもって歯が立たない。それは戦技の腕前もさることながら、戦闘下における状況判断が恐ろしいほど迅速かつ的確なのだ。ここまで圧倒的な実力差を見せつけられると悔しさを通り越して逆に畏敬の念すら抱くようになってしまう。
少なくとも同僚としては当初彼に抱いていた嫌悪感はなくなり、普通に接することができるようになった。
ただ、男として見た時は話は別だ。隙あらば毎日のように言い寄られ、正直クラっとしたことも一度や二度ではない。だが、素直によろめくには彼の周りにはあまりにも女性が多過ぎた。休日にデート中の彼と街で鉢合わせることもしょっちゅうで、しかも毎回違う女を連れている。そのたびに彼はツレを放ったらかしにして自分の事を追いかけて来るのだが、なぜか面白くない夕陽によってあえなく撃沈される。そんなことの繰り返しだった。
「しょうがないですよ。門真二尉の女癖の悪さは有名ですから」
ハイボールを呷りながら美鈴が夕陽を宥める。
「携帯も二つ持ってるんですよ? 割り切り用なんですって。新田原では皆知ってます」
美鈴があっけらかんと笑いながら話してくれる。
「何それ? 最ッ低」
「でしょう? それなのに人気あったんですよね~。イケメンだし優しいし面白いし。やっぱ、危険な香り? でも隊内では手は出さなかったな。面倒見もいいから若手の男の子達からも慕われてましたよ」
美鈴がテーブルに片手で頬杖をついてニヤニヤと夕陽を見た。
「でも門真二尉がこんなにご執心な女の人、夕陽さんが初めてですよ?」
「美鈴ちゃん、楽しんでない?」
「ええ、とっても」
その言葉に夕陽はがっくりと項垂れる。正直、自分でもよく分からない。出会ってたったの一か月そこらで自分が恋に落ちるなど、全くもってあり得ない。彼が他の女と歩いているのを見て胸がざわつくのは、きっと彼による洗脳のせいだ。毎日顔を合わせるたびに好きだの愛してるだの言われて、おかしくならない方がどうかしている。
そうだ、危くあいつの術中にはまるところだった。危ない危ない。
夕陽がぐいっと生ジョッキを呷ると、ポンと肩に手が乗った。敏生だ。
「美鈴悪いな、横いいか?」
「どーぞどーぞ」
美鈴が可笑しそうに席を立つ。
「ちょっと、美鈴ちゃん!」
救いを求めるも、美鈴は可愛く手を振って他の席に移っていった。
「まだ怒ってんの?」
「怒るって何を?」
「いや、この間のこと」
「べっつに。ただの同僚がどこで何していようが知ったこっちゃないわよ」
「そっか。じゃあ今度の土曜日、遊びに行かね?」
「はぁ!?」
何でそこでそうなるんだ? こいつの思考には全くついて行けない。
夕陽は自分一人怒っているのが急に馬鹿馬鹿しくなり、溜め息をつくと敏生を見た。
「行くってどこに?」
「八景島のシーパラとかどう? 夕陽、ジンベエザメ見たことないだろ?」
「ジンベエザメ?」
「すっごくデカイお魚さん。その他にもペンギンとかイルカショーとか。遊園地もあるし」
「えっ!? ペンギンさん!? 行く行くー!」
ええい、こうなりゃもうヤケだ。たっぷり奢らせてやるんだから! 巻かれてみろって言ったの、敏生だもんね。
あくまでこれはフリなんだと自分に言い聞かせながら、夕陽は彼の誘いに乗った。
そんな軽いノリだったにも関わらず、昨夜は緊張してあまり眠れなかった。こんなことであれば多少なりとも免疫は付けておくべきだったのだ。
この歳になって初めての異性との外出。
だってしょうがないじゃない……。
高校までは厳格な両親の下、常に監視下に置かれ、航空学生になってからはただひたすらファイターパイロットになることを目指してきた。その容姿からデートの誘いは多かったが、ひと睨みすると大抵の男は逃げていった。
だが、彼は違った。
出会ってからひと月ちょっと、これだけあしらっているのにめげない男は初めてだ。上官なのでセクハラで訴えるのも可能なのだが、そこまでしようとは思えない。そう、満更でもない自分がいるのは認めざるを得なかった。上官としては指示も的確で文句なしの男。
一度くらいなら彼のプライベートに触れておくのも悪くない、と思うのは言いわけじみているだろうか?
気がつけば無意識のうちにいつもより短めのスカートを履いてきてしまっている。相手は航空自衛隊内にその名を轟かせた希代の女ったらし。
失敗したか? などとあれこれ思いを巡らせていると、ポンと肩を叩かれた。
「よっ、おはよう」
「あ、お、おはよう……」
見慣れたパイロットスーツではなく、ファッション誌から抜け出してきたような洗練された出で立ち。
「すげえな、待ち合わせ十分前。俺より先に女の子がいるの、何か新鮮」
「十分前集合は当たり前でしょ?」
「へへ、夕陽のそういうところが大好き」
「ちょっ、な、何をいきなり」
「ほい、切符。行こうぜ」
「あ、いくら?」
「女の子に金なんか出させるかよ。これ、門真家のポリシーね。覚えといて」
そういうとさりげなく手を取られ、夕陽は従うしかなかった。
土曜日の朝だが、横浜に向かう電車はそこそこ混んでいて、敏生は車両の端にスペースを見つけると、夕陽を他の乗客から庇うように位置取りした。さりげなく手は繋いだまま、しかも近い。男と手を繋いだことなんて小学校のキャンプファイヤー以来、真っ赤になった顔を悟られないよう俯く。
ねえねえ、あの人むちゃくちゃカッコよくない?
そんな若い女性の話し声が聞こえてきて少しムッとする。なぜだ? 分からない。
「えと、ずいぶん決めてきたね……」
照れ隠しから、とって付けたような話題を振る。敏生は一瞬、キョトンとして夕陽を見たが、クスッと柔らかく笑った。
「ん? これ普段着だけど? 下はユニクロだし、上もGAPだから。二尉の手取りなんて知れてるからその分、着こなしでカバーだよ」
「そ、そうなの?」
「それより夕陽の今日のカッコ、まじ可愛い」
「へ?」
「うん、いつにも増して」
彼の手がスッと背中に回り、軽い抱擁のような形になる。夕陽の頭の中はもはや真っ白だ。あまりにも自然な彼の所作は撥ねつける隙すら与えてくれない。
そ、そうよ、電車混んでるから撥ねつけたら他のお客さんの迷惑になるし!
電車が揺れる度、逞しい彼の胸が額に当たる。やがて背中にあった彼の手が頭に回ると、夕陽は促されるまま彼の胸に頭を預けた。頭の中で必死に言いわけを唱えながら。
「わ〜! すっご〜い! 海きれ〜い!」
やって来たのは八景島シーパラダイス。爽やかな海風が心地よい。
「先月、一週間の初航海終えたばかりじゃん。それに夕陽、出身下関だろ?」
「こういうときに見る海はまた違うよ〜」
「そんなもんか」
「敏生、よく来るの? ここ。その、この間の土曜日に海老名で一緒にいた女の子とか、日曜日に横浜で見かけた子とか……」
軽口を叩いたつもりなのに、胸がズキンとする。
「ん? あいつらとは来たことないよ。ただの割り切った友達だし。ここ来たのは高校生以来かな。当時の彼女と」
彼女……それはそうだろう。平静を装い、彼を見上げる。
「……その彼女さんとはどうなったの?」
「振られたよ、他に男ができたって。……俺といると辛かったんだと、やっかみとか。なんだよそれって感じだよな」
敏生の予想外の返答内容に夕陽は思わず動揺する。もしかしてそれが手当たり次第、女に手を出すことになった理由なのだろうか?
あたし、もしかして地雷踏んだ?
「それ以来、ぶっちゃけ女の子に深入りするの怖くてさ。だから恋は本当に久しぶり。一目惚れは初めてだし」
一瞬曇った彼の顔が、またすぐにいつもの能天気な表情を取り戻す。その様子にホッと息をつくと、夕陽は繋いだ手に視線を落した。
「……ねぇ、何であたしのこと好きになったの? よく知りもしないのに一目惚れとか」
「やっぱ容姿?」
「……あたし帰る」
怒って踵を返した夕陽の手首を、彼が咄嗟につかんだ。
「おっと、勘違いすんなよ。こっちはモデル並みの美女なんて腐るほど相手にしてきたんだ」
馬鹿にされたと思いきや、いたって真面目な顔つきの彼と目が合う。
「夕陽、背は低いし見た目華奢だろ。おまけにそのルックス。そんな子がファイターパイロットでしかも千歳のトップガン。それこそ血の滲むような想いをしてきたんだろうな。そう思うと無性に守ってやりたくなったというか」
出会って一瞬でそこまで見抜いたというのか? もっとも、彼のその言葉に取って付けたような様子は微塵も感じられない。でもあたしは……
「あたしは今さら男の人に守って欲しいとは思わない。これまでも道は自分で切り開いてきたわ」
「それでいいんじゃない? 夕陽を守りたいのは俺の勝手だし。好きな子を守りたいのは男なら当たり前の感情だよ。深く考える必要はない」
流されそうな夕陽としては精一杯の抵抗のつもりだったが、彼の方が何枚も上手だった。
「何も一足飛びに恋人関係なんて求めちゃいないさ。まずはエレメント(編隊)を組む仲間として親交を深めようぜ」
そう言われてしまうと、これ以上抗う理由はない。
「……うん」
こくん、と小さく頷く。完全なる敗北。だが、悪い気はしない。胸がトクンと鳴る。
「ってことでまずはジンベエザメ! こっちこっち!」
少年のような笑顔を浮かべ、手を引く敏生。プライベートで続くか不安だった会話も途切れることなく、終始彼がリードしてくれる。彼と一緒にいると自然と女の子になれる自分がいて、それもまた驚きだった。
うん、これが女ったらしのテクニックってやつよね、あぶないあぶない。
ハッと我に返っては一人注意喚起を繰り返す。恋愛慣れしていない夕陽にとっては、裏表のなさそうな彼の笑顔をどこまで信じてよいのか、さっぱり分からなかった。
それが今日の出来事。腕の中に抱き締めているのは、彼に買ってもらった大きな白イルカのぬいぐるみ。ベッドに座りながら、彼とのやり取りを一つ一つ丁寧になぞる。
一緒にいてとても楽しかった、それは事実。アパートの前まで送ってくれた彼におやすみなさい、と言うのは何だが少し淋しくて。でもそれがまた悔しくて。
「敏生のバーカ!」
夕陽はそう叫ぶと、白イルカのぬいぐるみを抱き締めたままゴロンとベッドに横たわり、そっと目を瞑った。
そんなこんなでつかず離れずの一年半。あやふやな関係のまま、その後も何度もデートらしきものは重ねた。〝らしき〟というのは彼曰く〝夜〟がないのはデートと呼ばないらしいから。クリスマスも初詣も二人きりだったが、いずれも寸前で臆病風に吹かれた夕陽のせいで〝夜〟は未遂に終わっている。
キスですらインフルエンザでダウンしたときの夕陽から敏生の頬への一回きりで、きょうびの中学生ですらもっと進んでいるに違いなかった。
「え? お前らまだ付き合ってなかったの?」
周りからは驚かれ、先輩パイロットの刑部にはお子ちゃまと馬鹿にされる。だが、厳格な家庭に育ち、家出同然で自衛隊に入隊してからは誰にも負けじと男をはねつけて生きてきた夕陽にとって、身も心も一人の男に捧げてしまうことが怖くて仕方なかった。
この頃になると、自分の気持ちにはとっくに気づいてはいたのだが。
そんな二人の関係を一気に動かす事件が起きたのは春先のことだった。
航空自衛隊の全戦闘機部隊を機種別に集めて毎年行われる戦技競技会、通称「戦競」。
各部隊は必勝を期して、代表機にノーズアートと呼ばれるド派手なスペシャルマーキングを施すことで知られており、航空祭とはまた別に、航空ファン達の注目を集める大会だ。
その戦競に、今年から海自所属の「いずも」飛行隊も新設されたF35部門に参加することになった。
そして、二隻目の空母「かが」の就役に向けて独自に戦闘機運用のノウハウを積みたい海自の要望もあり、今回のF35部門は厚木で開催される運びとなったのだ。
厚木に集結した部隊は青森三沢の第三航空団第三飛行隊、福岡築城の第八航空団第六飛行隊、ホームの「いずも」戦闘飛行隊、そして競技で仮想敵役を務める、敏生の古巣の飛行教導隊。各飛行隊からは予備一機含む三機のF35と、予備一名含む五名のパイロット、そして整備員が代表チームとして送り込まれ、四日間に渡り優勝を争う。
競技内容は飛行教導隊との対戦闘機戦闘、そして飛行隊対抗の対戦闘機戦闘だ。
「トシ!」
その声に振り向くと、隣を歩いていたはずの敏生が足止めされ、あっという間に周りを囲まれていた。 久々に再会した飛行教導隊の猛者達に代わる代わる揉みくちゃにされている。夕陽には誰からも愛される彼が少し羨ましい。その様子を遠巻きに眺めていると、肩をポンと叩かれた。
「よ、久しぶり」
「木村一尉!?」
そこにいたのは夕陽が千歳時代にコンビを組んでいた木村英司一等空尉だった。
「木村一尉、何でここに?」
「ああ、お前が厚木に移った半年後に築城に異動になったんだ。どうだ、元気か?」
「はい! 木村一尉もお元気そうで」
真面目で人格者、腕も立つ、夕陽が全幅の信頼を置いていた上官。ある意味、敏生とは正反対の男と言えた。
「ああ……。なあ神月、久しぶりに再会したことだし今夜……」
「夕陽!!」
木村の言葉を遮るように背後から大声で呼ばれ、振り向く。敏生がボサボサになった髪の毛を手直ししながら駆け寄ってきた。
「敏生……。もういいの?」
「ああ、あいつらキリないからさ」
「あいつらって、仮にも先輩方でしょ?」
クスクスと夕陽が笑う。と、敏生が夕陽の前に立つ木村を訝しげに見た。
「こちらは?」
「あ、あたしの千歳の時のエレメントリーダーで木村一等空尉。今は築城の六飛に異動されたそうで。木村一尉、彼は敏生…じゃなくて門真二等海尉。あたしの今のエレメントリーダーです」
夕陽の紹介を受けた木村は敏生を一瞥すると、ふんと鼻で笑った。その様子に敏生もムッとした表情を浮かべる。
「そうか、君が噂の天才パイロット君か」
「どうも。千歳では夕陽がお世話になりました」
二人が握手を交わす。その二人の間で静かな火花が散ったことに夕陽は気づいていなかった。
戦競が始まった。
もともと若手精鋭を集めた「いずも」戦闘飛行隊はやはり強く、特に敏生と夕陽の息の合った見事なコンビネーションは周囲に驚きをもたらした。競技はただ撃墜すればいいだけでなく連携も重要な評価項目となるだけに、それは非常に大きなアドバンテージとなる。
一年半に渡りトップパイロット達に揉まれてきた夕陽にとって、戦競は初参加ではあったが自身の成長に確かな手応えを感じることができ、久々に充実感で満たされていた。
そんな順調に進んでいたかに見えた矢先、事件が起こった。それは三日目の午後の競技が始まる前のこと。
敏生を探していた夕陽は、格納庫の方が騒がしいことに気づいて駆け付け、愕然とした。
夕陽にとって新旧エレメントリーダーの敏生と木村、その二人が口元から血を流し、それぞれお互いの仲間達に羽交い締めにされ宥められている。それは明らかに殴り合いの喧嘩が繰り広げられた後だった。 敏生は未だ興奮している様子で、仲間を振り解こうとあがいている。
「敏生!! やめて!!」
夕陽は彼のところへ駆け寄ると、敏生を抑えようと抱きついた。
「何やってんのよバカ!! 何があったか知らないけど!? 暴力に訴えるなんて最低!! 見損なったよ!!」
その夕陽の言葉でピタリと彼の動きが止まる。
そっと顔を上げ彼の様子を窺い、夕陽は凍り付いた。自分を見つめる、それは初めて目にする彼の傷付いた表情。
「あ……」
敏生の力が抜け、彼を抑えていた他の仲間達も体を解く。
彼は地面に転がっているヘルメットを拾い上げると、よろよろと隊舎に戻っていった。
「……何があったんですか? 木村一尉!」
夕陽は縋るように木村を見たが、木村もまた仲間の腕を振り解くと、何も答えずに口元の血を拭いその場を立ち去った。
結局、敏生は相手が上官だったこともあって五日間の自宅謹慎処分となり、一方の木村はお咎めなしだった。それはこと戦闘機分野においてはおんぶに抱っこで肩身の狭い海自が、空自に配慮した結果でもあった。
絶対的なエースである敏生の失格と離脱は痛かったが、もともと「いずも」戦闘飛行隊は勝野がパイロットから整備員まで有望な若手をかき集めた精鋭集団、それでも優勝を果たすことができた。
勝利に沸く飛行隊の仲間達。だが、夕陽の心は晴れなかった。何より、自分の言葉に傷ついた敏生の顔が頭から離れない。
一人歓喜の輪から外れ、隊舎の裏で蹲る。
「神月……」
名前を呼ばれて顔を上げると、そこにいたのは木村だった。
「木村一尉……」
心なしか彼の顔が蒼い。上官に対し座ったままでは失礼なので、夕陽はおもむろに立ち上がると、お尻をパンパンと払った。
「すまない! 俺はお前に対して最低なことをした!」
いきなり頭を下げられ、戸惑う。思い当たるのは昨日の敏生との喧嘩のことしかない。
「どういうことか……詳しく聞かせてもらえます?」
夕陽が木村を覗き込むようにお願いすると、彼はポツリポツリと話し始めた。
木村は焦っていた。彼の所属する築城第六飛行隊はF35Jに機種転換中の身で、未だ半数以上がF2戦闘機のまま。機種変更完了まではあと二年はかかる。そんな中での戦競への参加。隊内のF35J錬成を任されている木村としては今回の戦競で結果を求められていることは分かっていた。
だが、F35Jのマザースコードロン(母体飛行隊。F35Jを最初に装備した部隊)である第三飛行隊には練度で全く敵わず、それどころか通常型のJ型に比べ、空戦性能面で劣るはずの海自のF35Bには圧倒的な力を見せつけられた。そしてその中の一人が、かつての自分の部下で、密かに想いを寄せていた夕陽だった。確かに彼女は千歳時代から抜群のセンスを誇っていたものの、当時は太刀打ちできないほどではなかった。
それが今はどうだ? 明らかに自分を上回る技量を持ち、そして自分の知らない男と抜群のコンビネーションを見せている。そして、千歳時代にはめったに見せなかった笑顔。
全てが腹立たしかった。自分の不甲斐なさ、かつての部下への嫉妬、そして想いを寄せる女性を取られてしまった悔しさ。
だから感情をぶつけてしまった。
門真敏生。空自創設以来の天才パイロットと言われた男。
「お前んとこの客寄せパンダには負けたくないからな」
すれ違いざま、ペコリと頭を下げた彼に思わず口走ったのが発端だった。
「……何すか? それ」
聞き捨てならないといった様子で立ち止まり、振り返る若き天才。
「いい気なもんだ。空自のPR戦略でパイロットになれたようなもんなのにな。さも実力のような顔しやがって」
違う、そんなことこれっぽちも思っちゃいない。俺は一体何を?
「……夕陽は千歳のトップガンだったんだろ? それに勝野のオッサンが選んだやつだ。何よりこの一年半、俺はずっと一緒に飛んできた。あいつの実力は誰よりもこの俺が知っている」
射抜くような目で睨みつけてくる後輩。その言葉にカッとなる。それくらい俺だって知っている!
「ふん、お前だって思ってるんだろう? あいつが客寄せパンダだって」
「やめろよ」
「カッコつけやがって。どうせお前はあいつの容姿に惚れただけだろ?」
「……てめぇ!」
次の瞬間、左頬に衝撃を受けその場に倒れ込んだ。彼はさらに怒りの形相で上に乗りかかってきて、胸倉をつかまれる。
「夕陽はあんたの事を信頼していた!! なのにあんたは!!」
その目にはうっすらと涙が滲んでいて、それが逆に木村の癪に障った。怒りに任せて殴り返すと今度は門真が転がった。
あとはもう覚えていない。気がついたら仲間達に羽交い締めにされていた。そしてその目に飛び込んできたのは、彼を必死に止めている夕陽の姿。
何もかもが自分の完敗だった―――――
「めったに笑うことのなかったお前が、あいつといる時はいつも笑顔なのが悔しかった。お前とあいつの息の合ったコンビネーションに嫉妬した。最低だよな、俺。本当にすまない」
深く頭を下げ自分に詫びる、かつての上官の姿。その姿勢に嘘偽りはないだろう。そういう男だ。だが、夕陽はぼんやりと彼を眺めながら、全く別のことを考えていた。
「……そっか。あいつといる時、あたし笑えてるんだ」
夕陽は木村の謝罪には答えず、独りごちて微笑んだ。
「え?」
「ありがとうございます、木村一尉。あ、大丈夫ですよあたし。客寄せパンダなんて百も承知ですから」
そう言い残すと夕陽は駆け出した。
「神月!! 俺、お前のこと……ッ!!」
背後から木村が叫ぶ。夕陽は立ち止まって振り向くと、
「ごめんなさい!! あたし、彼が、敏生の事が大好きなんで!!」
と、満面の笑顔で叫び返し、再び走り出した。
会いたい。敏生に。一刻でも早く。
ロッカーで着替え、急いで廊下に出ると隊長の勝野が向こうから歩いてくる。
「あ、隊長! 神月、早退します! 祝勝会にも参加できません!」
勝野は一瞬キョトンとしたが、すぐに口元に笑みを浮かべると、
「明日も休んで良し!」
と返ってきた。
敏生……、敏生、敏生。
息を切らせながら正門を駆け抜け、そのまま綾瀬の街を走る。
自宅謹慎の身だからきっとアパートにいるはずだ。部屋に入ったことはないが場所は知っている。
彼のアパートの部屋に着いた夕陽は呼吸を整えると呼び鈴を鳴らした。しかし、反応がない。ノックしてみるが同じだった。
禁を破って出かけてしまったのだろうか? それとも傷心を癒すため、他の女性のところに……?
ぶんぶんと頭を振って嫌な妄想をかき消す。しばらく待ってみたが彼は帰ってこず、仕方なく夕陽はいったん、自分のアパートに戻ることにした。
いつも当たり前のように傍にいた彼。会いたいのに会えないのはこんなに辛いものなのか。
途方に暮れて歩いていると、ふと、向こう側からコンビニ袋を下げて歩いてくる男の姿が目に入った。
「夕陽……」
向こうもこっちに気がつき、気まずそうに立ちすくんでいる。
その顔を見た瞬間、なぜだか無性に怒りがこみ上げてきて、夕陽はズカズカと敏生の前まで歩み寄ると、平手で思いっきり彼の左頬を引っ叩いた。
「ぶっ……おっ、お前暴力は最低って……」
「うるさい!! つべこべ言ってんじゃないわよ!!」
怒鳴りつけると、ジワっと涙が滲み始める。
「何で、何で何も言ってくれないのよ!? あたし一人バカみたいじゃない!!」
夕陽は涙を流しながら、そっと敏生の大きな右拳を両手で包んだ。暴力は決して肯定できない。だが、自分のために振るわれたこの拳。愛しくて仕方ないからこそ、次は間違って欲しくない。
「敏生のこの手は……操縦桿を握るためにあるんだよ!? 大空を翔けるためにあるんだよ!? あたしのために……無駄遣いなんか……しないでよぉっ」
彼の拳に額をつけ、嗚咽する。
「……それは違う」
彼はコンビニの袋をドサッと足下に投げ置くと、夕陽を抱き締めた。
「この手はお前を守るためにあるんだよ。俺にとっての全てを守るために。それじゃ……ダメか?」
「バカ……ッ!」
彼の手が頬にかかり、夕陽は涙で溢れた目をそっと瞑った。次の瞬間唇が重ねられると、夕陽は彼の腕に身体を預けた。
色気も何もない、夕暮れ時の住宅街でのファーストキス。
そして夕陽は彼に抱かれた。
愛しい彼の匂いが立ち込める部屋。玄関を上がるなり敏生に後ろから抱き締められる。
大丈夫、怖くなんかない。
「ごめん、俺、今童貞に戻った気分。少し乱暴になるかもしれないけど許して」
背中に感じる彼の鼓動。その言葉に偽りは無さそうだ。夕陽がコクンと頷くと敏生にヒョイっと横抱きにされた。そして唇を塞がれると、そのまま部屋の中に運ばれ、ベッドに横たえられる。彼の匂いが染み付いたシーツにますます動悸が早まる。激しいキス。ファーストキスはつい先ほどのことなのに、あれから何度キスを重ねたか、もう数え切れなくなっている。
好き。
彼が一枚一枚、丁寧に夕陽のブラウスを、スカートを、そして下着を脱がしていく。初めて異性に晒す肌が恥ずかしくて、彼にしがみつくが、その手を彼がそっと振りほどいた。
「ごめん、見たいんだ。夢にまで見た夕陽の身体」
その言葉に夕陽はキュッと目をつぶると顔を横に向け、恥ずかしさに耐えるようにシーツの端を握りしめた。
「とても綺麗だよ、夕陽」
彼の指がすーっと、夕陽の曲線をなぞる。それから後のことはよく覚えていない。ただ、彼と一つになれた瞬間、止めどなく涙が溢れた。
「大丈夫? 痛い?」
痛い。でもこれくらい平気だ。そうじゃない。
動かず、心配そうに頬を撫でてくれるその手を取ると、首を横に振った。
「さっきね……、敏生に会いたくてここに来て、でも部屋に敏生がいなくて……心が張り裂けそうだったの」
泣きながら、でも彼に分かって欲しくて途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。
「もしかしてあたしのせいかな、とか……他の女の人のところに行っちゃったのかな……とか」
失ってしまったと思った。よく確認もせずにあんなことを言ってしまったから。
「だからね、今すごく幸せで……」
今まで怖くて踏み出せなかった世界。直接感じる彼の温もりが、彼の吐息が、彼の鼓動が、こんなに幸せだったなんて。だから。
「お願い……、もうあたし以外の人とこんなことしないで……。好きなの、敏生が……!」
彼とこうなって初めて知る感情。
いやだ。たとえそこに彼の気持ちがなかったとしても、他の女になんかこの幸せを渡したくない。
敏生は驚いた様子で泣きじゃくる夕陽を見つめていたが、やがてすごく嬉しそうに微笑むと、瞼にそっとキスを落としてくれた。
「大丈夫。俺はもう、夕陽だけのもんだから」
「としきぃ……」
怖い。幸せ過ぎて。こんなことならもっと前から彼に抱かれておけばよかった。
すると彼は急に悪戯っぽい笑みを浮かべて、夕陽の耳元に口を近づけ囁いた。
「その代わり……。今夜は一度で済ますつもりはないから」
「……え?」
「ということでまずは一回戦ね」
「え? あっ……!」
翌朝に待ち受ける過酷な状況を知る由もなく、夕陽は彼の与えてくれる快感に素直に身を委ねた。出会ってから一年半に渡りお預け状態だった彼は、初めての夕陽に対して容赦なかったが、それは嫌ではなく、むしろそこまで愛されていたことにこの上ない悦びを感じ、もっと早く彼のものになっていればよかったと後悔した。
それが今から八か月ほど前の出来事。
あの温もりは永遠に続くものだと思っていた―――――
*
叩きつけるような海風に夕陽は現実に引き戻された。
硝煙の渦巻く海。甲板には撃破したミサイルの破片らしきものが散らばっている。
「夕陽さん……」
その声に振り向くと、美鈴が生気を失った顔で立っていた。
「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさぃ……」
彼女は突然、その場に泣き崩れると甲板に手をついて、憑かれたように謝り続けている。
わけが分からず、茫然と見つめていると、美鈴が消え入るような声で話し始めた。
「昨日の夜……機体をチェックしてたら門真二尉がいらっしゃって……」
……敏生が?
「夕陽さんの機体を……飛ばさないでくれって……不具合だと……言ってくれって……土下座までされてあたし……」
美鈴はそこまで話すと、堰を切ったかのようにうわあああと号泣しはじめた。夕陽はしばらくの間その彼女の様子を眺めていたが、やがてゆっくりと彼女に近づくと、ポンポンと労るように背中を叩いてやった。
「美鈴ちゃん、騙されたんだ」
「え……?」
突然クスクス笑い始めた夕陽に、美鈴が驚いて顔を上げる。
「土下座はね、あいつの常套手段なんだよ。いつもそう。他の女の子と鉢合わせした時とか」
夕陽はふーっと溜め息をつくと、すっきりした表情を浮かべた。
「おかしいと思ったんだよな。今まで美鈴ちゃんが飛ばせない事なんてなかったもん」
「夕陽さん……」
「ごめんね、辛かったでしょう? 美鈴ちゃんまで巻き込んで、あのバカ」
夕陽は寂しげに笑うとスッと立ち上がった。
「夕陽さん……?」
一転して厳しい表情で戦場の空を見つめる。
「飛ばせるんでしょ? あたしのライトニング。じゃあ行かなきゃ」
いつでも飛べるよう、装備は付けたままだ。
「彼が待ってるの。あたしのこと」
そう言うと夕陽は甲板上の愛機に向かって歩き出した。
「夕陽さん!!」
「……今までありがとうね。大好きだよ、美鈴ちゃん」
止めようと叫ぶ美鈴の声にいったん立ち止まると、振り向くことなくそう言い残し、再び歩み始めた。
南海の嵐の中、魔女が降臨したことに気づく者など誰もなく。




