第三話 奇襲
“アリアを守れ”
ワルツは、確かにそう言った。なんて無茶な話だ、とソナタは思った。アリアはいつだって、想像以上のことをしでかす。昔から予測不能で、計り知れない。それを守れなんて、しかも相手は生物かどうかも危うい正体不明の者だ。そして、そんなことは全てわかった上で、ワルツも“守れ”と言ったのだ。無理でも何でも、何よりアリアの無事を優先させなければならない。ソナタは緊張してアリアを見守っていた。しかし、間に合わなかった。礼拝堂から飛び出したアリアは、大声で叫んでいた。
「僕がアリアだ!」
正直、ソナタは呆れていた。この状況で、何故そんなことをするのか。後先考えずに動くのが恐ろしいと、どうしたらアリアにわかってもらえるのか。
「……あ…の……馬鹿………!」
ソナタが、アリアを連れ戻そうと走ったときには、もう黒い“何か”はアリアのすぐ側まで迫っていた。黒い“何か”は、アリアの声を聞いた途端、その姿を変えた。地を這って移動していたのが、一瞬で猿のような体つきになり、その場から飛び上がった。そして気づいたときには、両腕を大きく掲げてアリアのすぐ上にいた。あまりに急な展開に、アリアは立ち尽くしていた。
「え………」
「アリア、逃げろ!」
ソナタの声で、アリアはその場から飛び退いた。さっきまでアリアが立っていた場所には、何体かの黒い“何か”の屈強な両腕が振り下ろされていた。地面は大きく抉れ、黒い“何か”の腕はそこにめり込んでいる。
「うそっ」
驚きの声をあげるアリアを、黒い“何か”は休ませることなく追った。先程地面を這っていたものと同じとは思えない程の瞬発力を備えた“何か”は、もの凄い速さで飛んだ。空を飛ぶというより、ジャンプすることで宙に浮いているようだったが、滞空時間が長く、ジャンプも非常に高かった。アリアは適度な距離を保ちながら、森の方へ向かった。村にいた“何か”は、皆アリアについていった。力を使い空を飛ぶアリアの体は光り輝き、遠くから見ると光の塊が飛んでいるようにも見えた。その光景を、村人は恐怖に震えながら見ていた。
「あの光は、アリア、なのか…」
「あいつらは、アリアを狙っていたぞ。アリアはあいつらを知っていたのか」
「何にせよ、原因はアリアだろう」
「村を危険に晒すなんて、信じられない!」
村人の手当てをしていたワルツは、村人の話に耳を塞ぎたかった。遠ざかっていく光を見つめて、ただアリアの無事を祈った。
「アリア……どうか、ご無事で…」
森の奥深くまで飛んでも、黒い“何か”は疲れることなくついてきた。
「くそっ…一か八か……」
アリアは急上昇して、森の木々より遥か高くに舞い上がった。ざわざわと黒い“何か”は付いて来る。そして高く高く上がりきって、アリアは、今度は急降下した。重力も手伝って、アリアは激しい速度で落ちていく。力の使えない黒い“何か”はアリアと違い、空中で加速することは出来ないと考えたのだ。期待より差は開かなかったが、少しずつ黒い“何か”は遅れ始めていた。
(もう少し…か)
アリアは速度を緩めることなく、ほぼ垂直のままに森に突っ込もうとしていた。しかし森の木々に顔が触れるギリギリのところで、進行方向を変え、森の木々の上を滑るように飛んだ。方向転換の間に合わない何体かの“何か”は、そのまま森の中へ落ちていった。バキバキと、木が折れる音がする。しかし、それでもまだ数体がアリアを追尾していた。段々と、アリアの体力も限界に近づいていた。もう一度高く上がろうとした、その瞬間。
ガツン、と、アリアは後頭部に鈍い痛みを感じた。黒い“何か”の振り下ろした拳が、直撃したのだ。ソナタとの喧嘩とは格段に違う、強烈な痛みだ。身体を動かそうと思うより早く、アリアは真っ逆様に森へと落ちていった。黒い“何か”は、とどめを刺すつもりなのか、落ちたアリアを追った。しかし、いくら探しても、見つからないようだった。そのうち、黒い“何か”は、誰かに呼ばれたように、一斉に村の方へ向かっていった。
同じ頃、森へ向かう道を、ソナタは懸命に走っていた。アリアを守れと言われたのに、力のないソナタは追いつけもしなかった。
「くそっ………どうして…」
悔しくて涙が出そうだ。アリアとは、幼い頃からずっと一緒だった。アリアの方が歳が上だから、何をやっても当然のように勝てなかった。頑張っても、努力しても、追いつけない。それは力ばかりの話ではなかった。アリアは、村人に何をされても、必ず許した。抗わず、受け入れ、優しさを惜しみなく与えた。どんなに邪魔者扱いされても、村人が困っていれば、率先して助けた。ソナタには、到底真似できなかった。いつか追い越したい。アリアを守れるほどに。
「俺が追い越すまでは……絶対…死ぬなよっ」
そんなソナタの切ない願いとは裏腹に、森の方から黒い“何か”が帰ってきた。黒い闇が、ソナタの上空を通り過ぎる。その中に、強く放たれていた金色の光はない。
「どうして………あ、アリアは…どこだ…」
ソナタには目もくれず、黒い影は村へと飛んでいった。
戻ってきた黒い“何か”は村の広場で、何重にも重なり円陣を組み始めた。次から次へ、到着した者が加わり、円はかなりの大きさになった。村人に家からでないよう注意して、ワルツは物陰から様子を見守っていた。少しして、完成した円の中心に砂埃があがったと思うと、次の瞬間には、其処に女性が立っていた。その女性は、自分の膝より低く、ひれ伏すように頭を下げた黒い“何か”を一瞥し、両の太ももに括り付けた銃のようなものを取り出した。
「其処だ」
彼女は呟くと、ワルツの隠れる物陰に一発の弾丸を放った。銃弾は普通とは違い光り輝く弾で、ワルツの側にあった木箱は銃弾を受けて粉々になった。ワルツは意を決して、姿を露わにした。
「貴女は、何者ですか」
こんな状況でも、ワルツは堂々と話した。その様子からは、恐れや戸惑いは見受けられなかった。
「我が名はシャコンヌ。アリアの命を奪いにきた」
シャコンヌが言葉を発した次の瞬間、彼女はワルツの目の前にいた。
「そして、御前も殺す」
シャコンヌの両手の銃口が、ワルツの額と胸に当てられていた。しかし引き金を引くよりほんの僅かに早く、ワルツは銃口をかわして脇に飛び退いた。ワルツの着地とほぼ同時に、シャコンヌの足が振られ、ワルツの頭を蹴り飛ばした。咄嗟に腕で頭を庇ったが、踏ん張りきれずにワルツは数メートル先に飛ばされた。なんとか態勢を整え、足から着地する。シャコンヌは、冷たい視線をワルツへ送っていた。このままでは、いけない。ワルツは自分の命が危険にさらされていると実感したが、それよりもアリアが気になった。一刻も早く目の前の敵を倒して、アリアを探しに行かなければならない。戻らないソナタも、どうなっているかわからない。しかし、意識を集中させなければ攻撃を避けるのも難しかった。
黒い“何か”に殴られて森に落ちたアリアは、水の中にいた。落ちた場所は、湖の中だったようだ。幸いなことに意識ははっきりしていて、後頭部には少し瘤ができた程度だった。落ちながら見た景色は、何とも優美なものだった。森を丸く切り取ったように其処だけ広くなっていて、色とりどりの花が咲き乱れていた。柔らかい風が吹いて、水面が波打っていた。湖の中に落ちながら、森の上空を、アリアを探す黒い“何か”が飛ぶのを見た。しかし、まるで彼らには見えないかのように、通り過ぎていった。
(不思議だ…此処は外から見えないのか……それに、水の中でも息苦しくないし、冷たくもない)
力を使い切って動くこともままならないアリアは、重力に任せてゆっくりと水の中を落ちていった。そしてとうとう、湖の底に着いた。なんとか頭を動かして辺りを見渡すと、月の光で照らされているからか、さほど暗くはないことが分かった。ふと、湖の底の中心付近に、何か影が見えた。
(これは、石像?)
アリアの目に飛び込んできたのは、真っ白な女性の石像だった。年の頃は二十前後の、髪の長い女性が、神に祈りを捧げるように、両手を組んで小さく俯いている。瞳は伏せられていたが、とても美しい女性だった。すると、また、あの夢の中の声が聞こえてきた。それは今まで聞いた中で一番鮮明に聞こえた。
『我が名を、呼べ』
アリアは、不思議と納得した。嗚呼、この女性だったのだ。懐郷の念にも似た感情を思い起こさせる、アリアを呼ぶ声の主。もう迷わなかった。アリアは、心の中ではっきりと呼んだ。
―――…ムオン……―――
一瞬で、目の前が真っ白になった。眩しくて目を開けられないのか、目を開けているのに見えないのか、分からなかった。ただ、ふわりと身体が浮くような感覚になった。そして弾けるように光が消えると、そこで漸く、アリアは自分が抱きかかえられて宙に浮いていることが分かった。森の木々よりも高いところで、重力に逆らっている。石像だった女性は、今、アリアを抱えながら、優しく微笑んでいた。眩い光は消えたが、女性の身体はまだ白い光を湛えている。
「さあ、行こうか」
女性は戸惑うアリアを抱いたまま、村へと飛んだ。
女性が放った白い光は、アンファングにも降り注いでいた。村は、突然光に包まれた。その光に触れた黒い“何か”は、音も立てずに消えていった。ワルツに銃を向けていたシャコンヌは、腕で顔を覆いながら、口惜しげに呟いた。
「失敗していたか……」
村にいた黒い“何か”が全て消え去ると、村を包むほどの光は消えたが、森の上空では淡く残って光っていた。その光は徐々に村に近づいてきた。黒い“何か”を追って村を目指していたソナタの上を通り過ぎ、光はシャコンヌとワルツの前で降りてきた。
「アリア!」
ワルツは光に駆け寄り、ムオンからアリアを受け取った。ムオンの光は漸く収まり、その端正な顔立ちがはっきりと見えた。髪も、肌も、着ている服でさえ真っ白だったが、瞳だけは血のような赤だった。その瞳をシャコンヌに向け、彼女を睨みつけた。
「賽は投げられた。お前に指示を出した者に、そう伝えろ」
「貴女が、ムオン…か………っ」
シャコンヌは、更にムオンに何か言おうとしたが、口をつぐんだ。そして現れたときと同じように、砂埃と共に消えた。
「あの人…あの、黒い奴らの親玉?」
アリアは、自分を支えるワルツに訊ねた。
「少なくとも、関係のある者でしょう。シャコンヌ、と名乗っていたくらいで、確かなことは他には、何も」
そこへ、やっとソナタが帰ってきた。ワルツとアリアの無事を知ったソナタは、今にも泣きそうな顔で、押し黙ったまま二人に寄り添っていた。
「帰りましょう―――ムオン様も、どうかご一緒に」
ワルツに声をかけられ、ムオンは素直に従った。しかし、教会へ向かおうとする四人を、アンファングの村長は引き止めた。
「待ちなさい」
四人が止まり振り向くと、村長は怒りを露わにして残酷な通告をした。
「村を危険に貶めたのは、アリア、お前だ。アリアには、この村から出て行ってもらう。明日、日が昇る前に、だ」
「なっ、何言ってるんだ!アリアがいたから、黒い奴らも追い払えたんだろう!」
ソナタは思わず、村長に反論した。村長は、たじろぐことなくソナタに厳しく言い放った。
「村を守るのが私の仕事だ。そして、村に住む者も、村を守るために力を尽くさなくてはならない。アリアがしていることは、村を守る行為とは言えない」
「アリアに助けてもらってるくせに、いつも悪者扱いして!少しは自分の責任も認めろよ!」
「ソナタ!」
怒鳴り散らすソナタを止めたのは、他ならぬアリアだった。アリアはワルツに支えられながら、なんとか立っていたが、輝く金色の瞳だけは、真っ直ぐに村長を見据えていた。その色が、あの黒い“何か”の瞳の色と同じに見えて、村長は少し戸惑った。
「ソナタ、いいんだ。村長、話はわかりました。村の皆に迷惑をかけた償いとして僕が出来るのが、村を出て行くことだと言うなら、僕は村を出て行きます」
「アリア、駄目だ…駄目だろ!……っ姉さん、何か言ってよ…」
ワルツは、唇を噛んで俯き、何も言わなかった。アリアの言葉を信じられないソナタは、大きく首を振った。信じたくなかった。自分がアリアを守れていれば、礼拝堂から外に出さなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。無言で自分を責め、うなだれるソナタに、アリアは優しく笑った。
「ソナタ、僕のために怒ってくれて、悲しんでくれて、ありがとう。僕は大丈夫…ソナタやワルツが、僕を信じてくれているから、僕のことをわかってくれているから、僕は、それだけでいい」
そう言うと、アリアはその場に崩れ落ちた。体力の限界だったのだろう、そのまま、アリアは深い眠りについた。ワルツは無言でアリアを抱えると、踵を返した。震える拳を握りしめるソナタも、ただ見守っていたムオンも、ワルツに続いた。
「わかっているだろうな、ワルツ」
村長は、去っていく背中に念を押した。誰も足を止めなかったが、村長はそれを肯定と捉えた。そしてその背中が見えなくなるまで、睨みつけていた。
教会に戻り、アリアは直ぐに自室のベッドへ運ばれた。倒れるまで力を使ったことはなかったから、ワルツもソナタも心配だった。
「大丈夫かな、アリア」
「ぐっすり眠っているわ。暫くは、このままにさせてあげましょう」
不安げな二人を前にしても、ムオンは表情を変えなかった。アリアの側について、じっとアリアを見つめていた。
「私がついているから、二人は休むといい」
「だけど…」
不満を漏らそうとするソナタを、ワルツが制した。
「やめなさい、ソナタ…色々あったから、貴方も疲れているでしょう。ではムオン様、御言葉に甘えさせていただきます」
ムオンに向かって深々と頭を垂れると、ワルツは部屋を後にした。ソナタはその様子を訝しげに見ていたが、ワルツの後を追った。
「姉さん、どういうことだよ。あの女、何者なんだ……偉そうに指示しやがって」
アリアの部屋の隣にある自室に戻ろうとするワルツに、ソナタはむくれて声をかけた。困ったように笑い、ワルツはソナタの頭を撫でた。
「後できちんと説明するわ。今日はもう、休みましょう。明日は忙しくなるのだから」
暫くされるがままにしていたソナタは、ぼそりと呟いた。
「明日、アリア、此処から出て行くのかな」
「……そうね…きっと、そうなるでしょうね」
静かな寝息をたてるアリアのすぐ横で、ムオンは頬杖をついていた。穏やかな寝顔に、そっと触れてみる。さらりと揺れる金の髪に、ムオンは目を細めた。優しい風が、窓から吹き抜ける。揺れるカーテンの向こうから、突然声が聞こえた。
「それが、アリア様ですか」
心地良く響く低い男の声は、何の感動もしていないようにぶっきらぼうだった。カーテンを開けて、男は部屋の中に入ってくると、ムオンの後ろから、のぞき込むようにアリアを眺めた。ムオンは振り向きもせず、男に訊ねた。
「何があった」
「………タイヨウ様とルスイ様は、既に目覚めておいでです…が、タイヨウ様が力を暴走させ、非常に危険な状態です。ルスイ様が食い止めています」
舌打ちをして、ムオンは立ち上がった。その苛立ちが手に取るように伝わる。ムオンは壁に拳を叩きつけた。ドンッ、と鈍い音がした。
「どいつもこいつも……っ」
ムオンの怒りを宥めるように、風がふわりと吹き込んだ。カーテンがたなびき、ぱたぱたと音を立てていた。
「アリア………?」
眠れずにいたワルツの部屋に、突然、ドンッという音が響いた。音がしたのは、隣のアリアの部屋からだった。あの様子では目が覚めることはないだろうに、何故、音がしたのか。胸騒ぎがして、ワルツは直ぐにアリアの部屋へ向かった。慌ててノックもせずに、勢いよく扉を開いた。しかし、ワルツは其処で動きを止めた。
部屋には、誰もいなかった―――――そう、誰も。ムオンは勿論、ベッドで寝ていたはずのアリアの姿もなかったのだ。ただ、大きく開かれた窓のカーテンが、激しくはためいていただけだった。




