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ほしのうた  作者: 仲俣 のあ
第一章
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第二話 日常の崩壊

 後悔はしていなかった。青年を助けるために力を使ったことは、致し方なかった。けれど、これからを思うと不安で押しつぶされそうだった。歩みを止めたアリアを、森のざわめきが包む。風があちこちから吹き付けて、頬を優しく撫でた。湧き水のせせらぎも、大地の柔らかさも、太陽の暖かさも、全てがアリアを慰めているようだった。

 「ワルツ達に、どう話そう………」

 ぽつりと呟くと、涙が出そうになって、空を見上げた。まだ太陽は随分高い。今帰っては、ワルツ達に心配されてしまう。それはアリアの自尊心からすると、耐え難いことだった。しばらく森の中を彷徨いてから帰ることにして、アリアは考えを巡らせた。この小さな村では、噂はすぐに広がってしまう。とすれば、このアンファングで働くことはできないだろう。つまり、答えはひとつ。何処か別の場所へ、働きに出るしかない。それが最も現実的で、最も避けてきたことだった。

 アンファングから一番近い街でも、森を歩けば丸一日かかる。もちろん馬車を使う金などなく、もし別の街で働くなら、当然、教会から出て行くことになるだろう。それはつまり、ワルツ達と離れなければならないということだ。

 「そういう時期…か……」

 アンファングでは、家族が離れることはあまりない。出稼ぎに行くことも、よほどの事情がなければ選ばれない選択肢だ。村の古くからの風習で、家族が離れて暮らすことは良くないことだとされていたからだ。だがワルツは以前、大人になれば独り立ちをするのが当然だと考える人も、世界にはいると言っていた。この小さい村だけが正しいと思うべきでない、と。もう、この村の外の世界へ独り立ちする時期なのだと、ぼんやりと感じていた。そして、ふと思い出した。今日は、アリアの十八歳の誕生日だった。



 小高い丘の上に建つ教会が、沈む太陽に照らされて赤く色づいていた。遠目でそれを見ながら、アリアは重い足を引きずった。まだ答えを出せないでいるのに、もうすぐ教会に着いてしまう。礼拝堂へ続く坂道を登りながら、思わずため息を吐いた―――その時。突然、小道の脇から何者かが飛び出してきた。アリアは咄嗟に腕で顔を守る。腕に痛みを感じたが、それですぐに悟った。この程度の強さ、本気で狙ってはいない。

 「………ソナタ、またお前かっ」

 言いながら、アリアは素早く反撃した。勢いよく飛んだアリアの拳を、相手はさらりと交わした。と同時にアリアの膝裏を蹴り上げ、アリアは前のめりになりその場に膝をついた。すぐさま顔をあげると、そこにいたのは、まだあどけなさの残る少年だった。少年の真っ黒な髪と瞳は、ワルツを彷彿とさせる。しかし彼女より、肌の色は健康的なように見えた。

 「おかえり」

 ソナタと呼ばれた少年は、アリアを見下すように仁王立ちして、ニヤリと笑った。この手合わせは、ほぼ毎日の日課だった。ある時エスカレートして、二人は傷だらけになり、ワルツにこっぴどく叱られたこともある。それ以来手加減するようになったが、二人は止めなかった。しかしここまで熱心だと、じゃれているというより、戦闘の訓練でもしているようだ。

 このソナタも、この教会に住まう者の一人だ。というより、この教会にはアリアとワルツとソナタの三人しかいない。ソナタは、ワルツの弟だ。見た目が似ているのは当然で、アリアだけが、似ても似つかない風貌である。しかし、三人ともそんなことを気にしたことはなかった。三人は確かに信頼しあっていたし、紛れもなく家族だった。

 「………二人とも、暴力はいけないと、あれほど……」

 気づけば、側には冷ややかな視線を送るワルツがいた。かごにいっぱいの野菜を持って、ため息をついていた。ワルツの眉間に、深い皺が刻まれたのを見て、アリアとソナタは即座に謝った。

 「ごめん…」

 「ね、姉さん…ごめんなさい」

 教会の脇に、三人は小さな畑を作っていた。女性であるワルツと、まだ若すぎるソナタは、村のしきたりにより働くことができなかった。そのため、少しでも足しになればと始めたのがきっかけだ。今ではある程度の広さがあり、様々な種類の野菜が栽培されていた。その畑で穫れた野菜はどれも美味しくて、ワルツの持つ野菜を見ると、アリアの腹の虫が騒ぎ始めた。そういえば、アリアは朝から何も食べていなかった。

 「お腹すいた…」

 呟くアリアに、ワルツは微笑む。

 「ふふ、もう食事にしましょうね……今日は豪華ですよ」

 「え?どうして」

 アリアが不思議そうに訊ねると、ソナタがまた、ニヤリと笑って答えた。

 「誕生日だろ、アリアの」



 食堂に入ると、既にいくつか料理が並んでいた。アリアは思わず涎が出そうだった。

 「うわぁ、美味しそう」

 「もう少し作りますから、先に食べ始めてください」

 「いただきまーす」

 野菜を運ぶワルツを背に、ソナタは先に席に着いていた。アリアもすぐ向かいに座った。三人で囲む食卓は、穏やかで楽しくて、アリアの好きな時間だ。ワルツの料理はどれも美味しくて、特に今日は普段より豪華だった。もっとも、普段と違うのは、食卓に少量の肉や魚があるくらいだが。それでも、自分のために作られた料理の数々に、アリアは胸がいっぱいだった。


 食事を終えた三人は、そのまま談笑を続けていた。しかし、何気なくソナタが発した言葉に、アリアは顔を強ばらせた。

 「アリア、今日は、珍しく早く帰ってきたよな」

 今日のことを、二人に伝えなければならないと、アリアは悟った。いつまでも隠しておけない。なるべく早く、出来れば、それは今―――

 「アリア、どうかされましたか」

 「顔色が悪いぞ。食い過ぎたのか」

 あまりに思い詰めて、それが顔に出ていたのか、ワルツとソナタが心配そうに見ている。アリアは、思い切って話をした。仕事を解雇されたこと、今後は別の街へ出稼ぎに行くべきではないかと、悩んだこと。ワルツとソナタは真剣に話を聞いていたが、アリアが話し終えると、二人は微笑んだ。

 「働きに出るのも、此処にいるのも、アリアの自由にして構わないのですよ」

 ワルツが諭すように話すと、ソナタはぶっきらぼうに言い放った。

 「ばっかだな!そんなの、お前が決めて、好きなようにすればいいだろ。俺だってそのうち働くんだし、余計な心配するなよな」

 「あ、うん…そう、だよね」

 思わぬ返事に、アリアも困ったように笑った。悩んでいた自分が、少し滑稽に思えてきた。好きにしていいと言われると、途端に、どうしたいのかわからなくなった。自分は、どうしたいのか。考え込んだアリアに、ワルツが言った。

 「良かったですね、怪我がなくて…助けた方も、アリアにも」

 その言葉に、アリアは、なんだか報われた気がした。心に抱えたもやもやしたものが、少し晴れていくような気分になった。しかし、また真剣な表情に戻ったワルツが、真っ直ぐにアリアを見つめてきた。

 「その力のことで、あなたにお話ししなければならないことがあるのです」

 「なんだよ、姉さんも相談事か?」

 「いいえ、相談事ではないの。ソナタ、あなたにも聞いてもらうけれど、無用な口出しはしないで頂戴」

 ふざけたような口調のソナタを一喝して、ワルツはまたアリアに向き直った。

 「アリアは、他の者にはない力を持っています。宙に浮いたり、素早く動けたり、強い力を発揮できる力………これは、アリアがアンジュという一族の末裔であることによるものです」

 アンジュ、という言葉に、アリアもソナタも反応してしまった。アンジュとは、古くからこの世界に伝わるお伽噺に出てくる一族のことだ。人間と天使の狭間の者をアンジュと呼ぶらしいが、詳しいことはわからない。王族や学者、教養のある者は知っているようだが、少なくともこのアンファングには、そのような人物はいなかった。ただわかるのは、アンジュがもう絶滅した種族だということだ。

 「ぼ、僕が、アンジュ……?」

 驚き言葉を失うアリアの向かいで、ソナタも目を丸くしていた。

 「姉さん、アンジュなんてお伽噺だろ」

 「史実がお伽噺として伝わったのでしょう。アンジュは確かに実在します。今も僅かに生き残った末裔達が、人に悟られることなく、ひっそりと生活しているそうです」

 突然のワルツの告白に、アリアは動揺を隠せなかった。お伽噺だと思っていたことと自分自身が繋がるなど、考えたこともない。しかし、自分と同じ一族の者が何処かで生きていると思うと、興味が湧いた。ところが、ワルツは追い討ちをかけるように、さらに話を続けた。

 「けれど、大事なのは、もうひとつの力です。アリア、あなたには、アンジュの力とは別に、特殊な力が備わっています」

 「べ、別の力?」

 「詳しいことはわかりません。私が言えるのは…その力は、使い方次第で、人を救うことも、滅ぼすことも出来るということです。その力を操るためには、あなたの歌声が必要となります」

 「えー………っと…」

 アリアは、絞り出すように話した。

 「正直、信じられないけど……アンジュのことは、気になるよ。お伽噺も詳しく知らないし………でも、アンジュとは違うもうひとつの力なんて、そっちの方が理解できないよ。その不思議な力を使ってしまわないように、僕が歌うのを禁止してたってことでしょ」

 ワルツは、小さく頷いた。

 「じゃあ、どうしてその力のことを、ワルツは知っているの?」

 「その事実をアリアに伝えるように、託されたからです」

 曖昧な返事に、アリアは納得できなかった。

 「託されたって、誰から」

 ワルツは、少し戸惑ったようだったが、真っ直ぐアリアを見据えてはっきりと答えた。


 「アリアの…ご両親から、です」



 すっかり夜も更けた礼拝堂に、アリアはひとりでいた。ピアノの鍵盤のひとつを何度も叩きながら、物思いに耽っていた。ワルツの話の後、三人は多くを語らずに各々の部屋へ戻った。アリアは、自分の力について突然告げられた事実が、まだ整理できないでいた。そして、ここで聞くことになると思っていなかった両親の話に、心は穏やかでいられなかった。今まで、両親は遠くにいるとしか聞かされてこなかったから、最近では考えることすら、なくなっていた。どうせ両親などいないも同然だったし、今更話に出てきても、何とも思わない…そのはずだったのに、今は驚くほど動揺していた。

 そうして、ワルツの告白が頭を離れずに眠れないアリアは、こっそり部屋を抜け出して礼拝堂に来たのだ。アリアは、ピアノの音に合わせて、小さく音を口ずさんでみた。特別な力の鍵となるのが歌声であるなら、何か起きるのか。少し期待も込めていた。すると、アリアの歌にのって、何処からか声が響いてきた。透明感のある、心地よく響くその声に、アリアは聞き覚えがあった。

 「夢の中の、声と……同じ…」

 その声は、夢と同じようにアリアに語りかけてきた。


 『我が名を呼べ…もう…時間が……ない』


 アリアの心には、何とも言えぬ感情が湧いていた。うまく言い表せないが、アリアはわかったのだ、その名が。何故だかはわからない。ただ、湧き上がるその名を言葉にしようとした、その時だった。突然、耳をつんざくような悲鳴が響いた。慌てて声のした方の窓から外を覗くと、見たこともない光景が広がっていた。


 普段から、村は夜になると真っ暗になり、月明かりと家から零れる灯りしか、照らすものがなくなる。しかし今は、さらに暗かった。黒く蠢く“何か”が、じわじわと村を覆っていたのだ。見るだけで悲しみや苦しみといった感情で心が埋め尽くされていった。思わず胸を押さえて、アリアは窓にへばりついた。黒い“何か”は、頭に直接響くような声を発しているようだった。それは微かで、しかし確実に、アリアの名前を呼んでいた。

 「アリア!無事ですか!」

 はっきりとした声で名前を呼ばれ、今度は黒い“何か”ではない者に呼ばれたことに気づき、ゆっくり振り返った。それは、心配してアリアを探していたワルツとソナタだった。アリアを見るなり、ワルツはアリアを抱きしめた。

 「良かった、無事で………」

 「部屋にいなかったから、心配したんだぞ」

 二人を見て、アリアの心を占めていた苦しい感情が、ふっと消えた。

 「ご、ごめん……ありがとう」

 ワルツは、アリアから身体を離すと、緊張した面もちで話した。

 「アリア、あなたにも聞こえていると思いますが、あの者たちはアリアを狙っています。絶対に此処から出てはいけません…絶対に。ソナタ、貴方はアリアを守りなさい。何があっても」

 こんなに厳しい口調で話すワルツを見るのは初めてだった。アリアが問いかけようとする前に、ワルツは外へ飛び出していた。

 「い、一体何が起こってるんだ」

 「知らないけど………とにかく、外に出るなよ、アリア」

 ソナタはそう釘を刺したが、アリアは気が気ではなかった。話をしている間にも、黒い“何か”は村を飲み込んでいく。それは恐らく、生物だった。手足は見えないが、ナメクジのように地面を這っている。瞳なのか、真っ黒の中に金色の光が二つ輝く。その“何か”に触れた村人は、生気を吸われたように青ざめ、その場に倒れ込んでしまっていた。村へ走ったワルツは、村人を避難させ、倒れた者に手当するよう指示をしていた。その手際の良さに、アリアは何故か胸がチクリと痛んだ。その間にも、黒い“何か”はアリアを探しているようだった。

 「あいつらが狙っているのは僕なのに……どうして僕は、何もできないんだ…」

 歯がゆかった。悔しかった。守られている自分が情けなかった。窓に添えられていた掌は、いつの間にか拳へと変わっていた。アリアは、嫌悪感をそのまま吐き出したような声で呟いた。


 「反吐がでる」


 そして、ソナタの制止も聞かず、アリアは礼拝堂から外に飛び出していった。

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