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ほしのうた  作者: 仲俣 のあ
第一章
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第一話 はじまりの音

 夢と現実の区別がつかなくなることは、往々にしてある。それは、あまり特別なことではない。だから、不思議には思わなかった。自分が漆黒に呑まれ、瞳には闇しか写らなくても。そのことに恐ろしさを感じないことも。つまりこれは、現実とまがうほど現実に近いが、ただの夢だ。


 『時は…満ちた』


 何も見えない暗闇の中、突然声が響いた。誰の声かは、わからない。その声はとても穏やかなのに、内に秘めた頑なな強さを隠しきれていなかった。それでいて、どこか懐かしさすら感じた。声は深く優しく、透き通るように響くのに、緊張感も備えていた。


 『我が名を呼べ……アリア…』


 アリア、と突然名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。此方は知らないのに、向こうは自分を知っている。それを嫌だとは思わないが、焦燥感に襲われた。声の求めるとおりに、その名を呼んでやらなければ。どうやらアリアは、この声の主を知っているらしい。しかし、記憶を辿っても思い当たる節はない。いったい何処で会ったのか。


 『………アリア』


 声は少し強くなったようだった。再び名前を呼ばれて、アリアは目を開いた。とは言え、もともと暗闇だったので、瞼が閉じていたように感じていただけで、アリアはずっと目を開けていたのかもしれない。しかし今は、確実に目を開けている。暗闇を映すアリアの瞳に、ぽつりと、小さな白い点があった。それはアリアの目の前にあって、手を伸ばすと、光だとわかった。指先をほんのり照らす程度に小さかった光は、アリアの手が触れた途端、一瞬で広がった。あっという間に、アリアは真っ白な光に包まれた。光は心地よく暖かく、アリアを抱きしめた―――そして、声が大きく響いた。


 『呼ぶのだ、我が名を!』


 急に視界が開けて、アリアの目に飛び込んできたのは、毎日見上げる天井だった。ぱちぱちと何度かまばたいて、ようやく、そこがアリアの部屋だと認識した。

 「あ、夢………」

 まだぼんやりとした頭で、アリアはベッドから起き上がった。ほら、やっぱり夢だった。誰に訴えるわけでもないが、心の中で少し勝ち誇った顔をした。小さな一人掛けの硬いソファに、乱雑に置かれた濃い灰色のつなぎを手に取り、それに着替えて鏡の前に立った。いつもと変わらぬその姿に、ふうっと大きなため息が零れる。

 鏡に写るアリアの髪と瞳は、まさに文字通りの金色だった。月の光を浴びて輝く金が眩く、誰もが息をのむほどに美しかった。アリア自身も、この髪や瞳の色を気に入っていた。短く切られた髪も、真っ直ぐ前を見据えた瞳も、少し浅黒い肌によく映えて輝く。しかし一方で、この輝きを疎ましく思うこともあった。その疎ましさを閉じ込めるように、身体を包むつなぎと同じ色の帽子を深く被ると、こぼれた髪を帽子の中にねじ込んだ。こうすると、金色は隠れ、殆ど目立たなくなった。


 部屋を出たアリアが向かったのは、寂れて使われなくなった教会の礼拝堂だった。幼い頃から、アリアはこの教会に住み着いていた。思い出せる限りの記憶をたどっても親の姿はなく、古い教会にはアリアの他に二人、同じように身よりのない者がいるだけだった。

 祭壇の脇にある小さいピアノを開くと、鍵盤をひとつ、叩いた。ポーン、と、鈍い音が出て、さほど響かずに消えた。それでも、アリアの心を揺さぶるのには充分だった。音を耳にするだけで、いてもたってもいられず、身体が疼くのを感じた。辺りを見渡し、誰もいないことを確認すると、用心深く、小さく口を開き、そこから声を洩らした。アリアの声は、実に素晴らしいものだった。小さくともその響きだけで、全てのものを震わす。アリアが音を紡ぐにつれ、周囲の空気が明らかに変わった。音の響きが、辺りを彩る。埃を被った礼拝堂は、音に触れたところから、繁栄を極めた当時の姿へと変貌した。色を失ったステンドグラスは、その輝きを取り戻し、礼拝堂を鮮やかに染める。古くかび臭い礼拝堂が、アリアの歌によって、かつての栄光を映すかのように厳かに様変わりしていった。


 しかし、その姿は瞬く間に消え、普段の姿に戻った。輝かしい時代を写していた礼拝堂は再び埃を被り、一瞬で暗く湿った空間になった。アリアが、急に歌うのを止めたからだ。口をつぐんだアリアの目線の先には、ひとりの女性が立っていた。腰よりも長く真っ直ぐ伸びた髪と切れ長の瞳は、漆黒の闇のように黒い。対照的に彼女の肌は青白く、儚いような印象を受けた。ふっと口元に笑みを浮かべると、女性はアリアに近づいた。

 「あれほど、歌ってはいけないと申し上げましたのに…どうしたら分かっていただけるのでしょうね」

 女性がしなやかに動くと、長い黒髪がさらりと揺れた。アリアは、気まずそうに目を泳がせている。

 「あぁ、えーっと。き、今日は早起きだね、ワルツ」

 黒髪の女性は、名をワルツという。アリアが物心ついた頃から側にいた。アリアと共にこの教会に住む、身よりのない者の一人だ。ワルツの方が年上だからか、アリアにとって彼女は母であり、姉であり、そして全てを許せる友人であった。おそらくワルツも、アリアと同じように親がいないのだろう。詳しく聞いたことがなかったが、二人の間に、互いの生い立ちは関係なかった。

 「話を逸らさないでください」

 言い訳を考えるアリアに、ワルツはピシャリと言い放った。しかし、怒っている様子はなく、むしろなぜか、悲しげな表情を浮かべていた。

 「もっとも、訳もなく禁止しては、納得もできないでしょうけれど…」

 「あ、いや、約束を破った僕が悪いんだ。何だか変な夢を見て、落ち着かなくて。ごめん」

 珍しくしおらしいアリアに、ワルツは困ったように微笑んだ。

 「……仕方ありませんね。それより、もう仕事へ行く時間なのでは」

 ワルツの言葉に、一瞬でアリアの顔は青ざめた。声にならない声で呻きながら、アリアは礼拝堂から飛び出した。文字通り、飛んだのだ。

 アリアには、不思議な力があった。それは身体能力を高めるような力で、うまく使うと短い時間なら宙に浮き、飛ぶことができた。そうして森へ向かって飛んでいったアリアを、ワルツは呆れたように見送った。

 「………だから、その力も無闇に使ってはいけないと申しましたのに……」



 この日は、いつもと変わらない一日であるはずだった。しかし、どこか、いつもと違うようだった。その違いを感じていたのは、静かな大地であり、ざわめく森の木々であり、冷たい空気であり、急な流れの水であり、やっと顔を出した太陽であった。そのほかは―――特に人間という種族の生き物は、何も感じ取ってはいなかった。

 静かだが、しかし異様な雰囲気を纏った森に、いつものように斧の音が響いていた。森の中の小さな仕事場で、アリアが薪を割る音だった。アリアは、斧を振り上げては降ろし、幾つもの薪を割っていった。額には、じわりと汗が滲む。しばらくして、ようやく手を止めたアリアは、肩に掛けたタオルで汗を拭った。そしてふと、仕事場の窓に目をやった。深く被った帽子の端から金色の髪がこぼれていた。まるで光がこぼれているようで、アリアは眩しそうに目を細めた。

 「………何だろう、この感じ…」

 人が皆、感じていなかった、予感とも言える違和感を、アリアは微かに感じていた。それは、とても重要で、特殊なことだったが、アリアにとってはほんの少しの胸騒ぎに過ぎなかった。

 「おはよう」

 「あぁ、おはよう。今日も寒いなぁ」

 遠くから、仕事場へやってきた村人が挨拶し合うのが聞こえてきた。アリアは慌てて、こぼれた髪を隠すように帽子に押し込むと、仕事場の中へ消えていった。


 アリアの住む村、アンファングでは、村のすぐ裏に広がる森での林業が、村の人々の生活を支えていた。アンファングの森で伐採される木材は、神木として重宝されていたのだ。そのため、森は神聖な場所であるとされた。村のしきたりとして、女性や子供の森への立ち入りを禁止し、働くことができるのを男性だけに限った。アンファングは、村人が一丸となってしきたりを守り、質素堅実に生活することで、村を維持してきた。そのせいか、アリアは村では異端視されていた。この村の伝承に、金色は忌むべき妖しき色とされる記述があるからだ。だからアリアは、髪を隠すため帽子を深く被り、いつも目を伏せていた。しかし、アンファングは小さな村だから、アリアという異質な者の話は、村の隅々まで行き渡り、どこへ行ってもアリアは嫌厭された。

 「ほら、アリア、早く掃除を終わらせないか」

 仕事場に集まってきた村の男衆は、嫌悪感に満ちた顔でアリアを見た。重要な仕事はさせず、掃除や薪割りなどの雑用ばかりを言いつけた。そのためアリアは、誰よりも早くから仕事を始めて、誰よりも遅くまで仕事をしていた。

 「はい、すみません」

 苛立ちを隠さない村人に素直に頭を下げると、アリアは素早く掃除に取りかかった。心の中で怒りを感じていても、アリアが言い返すことはなかった。アリアには、守りたい者たちがいて、そのためなら自らが非難されようと、厭わなかった。自分の怒りを表現するより、大切な家族を守ることの方が、アリアにとっては重要だった。



 日が高く昇った頃、アリアは珍しく、伐採の現場へ行くように指示された。現場で働く者に、作業道具の一部や軽食を届けるためだった。

 「すぐ戻れよ。昼食の準備がまだなんだから」

 「はいっ」

 アリアの心は弾んでいた。伐採の作業は、神聖な儀式とも言えるものだった。それを、間近で見られることはあまりなかった。いつも配達をする青年が今日は休んでいるため、アリアに白羽の矢が立ったのだ。車輪が二つある荷車に必要な物を詰め、アリアは森の奥へと進んだ。

 「やっぱり、おかしい……」

 小さな胸騒ぎに、アリアは不安げに独り言を漏らす。しかし、この胸騒ぎの原因を解明するのは難しいことのように思えたし、実際、無理なことだった。聖なる森は、その胸騒ぎを助長するように木々をさざめかせながら、奥へ奥へとアリアを飲み込んだ。


 「軽食持って来ました!」

 作業場所に着くと、胸騒ぎを振り払うように、アリアは努めて明るく振る舞った。しかし、その明るさに快く応える者はおらず、それどころか、声を聴いてビクリと体を強ばらせる者までいた。その嫌な雰囲気を、アリアはしっかり感じ取っていた。それでも、その空気に飲まれることはなかった。なるべく同じような嫌悪感が漏れ出さないように、アリアは注意を払っていた。相手の悪意に悪意で応えることは、さらなる悪意を生むだけだと知っていたからだ。何も感じていないふりを、聡くないふりをすれば、相手が自分を見下し満足するだろう。アリアが笑顔のままで積み荷を降ろしていると、予測通り、皆すぐに作業に戻った。中には、手を止めることすらしない者もいたが。


 神木の伐採は、一人が何度か木に斧を入れ、次の者に代わる。そうして順番に、何度も何度も同じ場所に斧を入れていくことで、木を倒すのだ。これが一種の儀式とされていて、作業員以外が滅多に見られるものではなかった。アリアはその作業を横目で見ながら、荷ほどきをしていた。

 と、その時だった。突然、木が傾いた。思わぬタイミングで思わぬ方向だったが、作業員達は安全な場所にいた。ただひとり、まだ作業員としては新米の青年が、ちょうど木が倒れる方向にいたのだ。周囲が危険を知らせる声を上げる前に、アリアは飛び出していた。


 「危ないっ」


 本当に咄嗟だったから、青年を助けるのに、人の足ではとても間に合う距離ではなかった。周囲の叫び声が響いた時には、バキバキと音を立てて、木はその巨体を地面に横たえていた。砂埃が収まり、作業員は皆、恐る恐る木の下に青年の姿を探した。しかし、見当たらない。すると、作業員のひとりが息を呑んだ。神木の下敷きになるはずだった青年を見つけたのだ。彼は、神木から少し離れた場所にいた。アリアに抱きかかえられて、震えていたのだ。静まり返った森の中で、アリアは溜め息をついて呟いた。

 「危なかった…」

 一瞬だったはず。間に合う距離ではない。しかし、青年の命は救われた。何故か。作業員達は、信じられない現状に、いくら頭を回転させても、出てくるのはアリアへの恐怖だけだった。一方アリアは、溜め息をついて漸く、今朝ワルツに言われたことが頭を巡っていた。禁じられていたのに、力を使ってしまった。いけないことだと考える前に、身体が動いてしまった。木が倒れる前に青年のところへ飛んでいき、安全な場所へ運んだ。作業員だけでなくアリアも、驚きのあまりに動きを止めていた。

 「何を、した」

 沈黙を破ったのは、助けられた青年だった。青年はアリアの手を払い飛び退くと、恐怖に後ずさった。それを皮切りに、作業員達が口々に騒ぎ立てた。

 「アリアがやったのか」

 「いったい、どうやって」

 「何でこんなことができるんだ」

 「人間業じゃないぞ」

 そして、とうとうひとりが呟いた。


 「……ば、化け物………」


 アリアの側から、皆が離れていった。アリアに助けられた青年ですら、もうアリアの手の届かないところまで遠ざかっている。作業員達のなかで、ただひとり、一際大きな男が前に出てきた。それは作業現場の責任者だった。彼はアリアを真っ直ぐ見つめると、哀しげに告げた。

 「アリア。お前はこのまま、帰れ。明日からは工場にも来なくていい。しばらく………休め」

 言い捨てると、責任者の男は踵を返した。彼の言葉の意味するところを、アリアはわかってしまった。解雇されたのだ。何か言わなければと思うのに、言葉は出てこなかった。ただ、深くお辞儀をすると、皆の視線を浴びながら、俯いてその場を立ち去った。たった今貰った休みが明けることはないと、悟っていた。きっと、もう二度と雇ってはもらえないだろう。森の中を進む足が、重く感じた。歩みは遅くなり、とうとう立ち止まった。もう、誰も見えなかった。

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