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Lo-Fi boy/fighter girl

作者: 麻桐涼

 田山努羅権という人間がいた。

読みは『たやまどらごん』だ。何を思ってこんな名前を付けたのかは分からない。ただ分かるのは、この名前が常識人からすれば非常に滑稽というだけだ

ドラゴンて、ドラゴンって……。

一般的にはキラキラネームと呼ばれる名前だ。推測してみれば、両親はきっとドラゴンのように強い子供になって欲しい、人外のように枠に収まらないクリエイティブな人間に、なんて願望を持って付けたのかもしれない。

だが、実際ドラゴンなんてファンタジー全開の名前など脳内お花畑でもなければ付けることは無い。願望をこめたり、思い入れはしようとも、その名前が子供にとってどうなるかを考えないで命名する親は多い。

まず、人間関係には大きく作用するのは確実だ。特に、遠慮を知らない小学生、中学生時代なんかは酷いものだろう。

「ドラゴンとかかっけぇー」

「おいドラゴン、プリントとってよ」

「ドラゴンがカレー食ってる!」

なんて馬鹿にして故意に名前で呼ばれるだろう。しかも、ゲームや小説を覚えたての年代だから、なまじ『ドラゴン』がどんなものか知っている分、火を吐けよ、飛んでみろよ、全体攻撃してみろよ、何て言われるかもしれない。示威玖不離伊都『じいくふりいと』くん何て居たら心臓を抉り出されてしまうだろう。まあ、そんな名前ドラゴン以上にいじめられそうだけど。

そして人間関係の最難関、恋愛においては絶望的だろう。まず、名前からして周りに交際関係であると知られたくないだろうし、親に紹介なんてもっての外。そして名前を付けた親がまともだとは思わないし、そもそも関わりたいと思う方が稀有だろう。

そして、そんな中で人格形成された上で高校生になればどうなるか、人間不信におちいって、名前にコンプレックスを抱え、自ら誰かと関わることは難しい状態に違いない。

友達も出来ず、もちろん恋人も出来ず、孤独な青春時代を送るだろう。

内向的性格に磨きをかけ、大学へと進学することになる。進学後は、やはり名前の名前で少しは話題の種になることもあるだろう、出席の際に名前を呼ばれ、嘲笑の的にされることもあるだろう。だが、そんなものは関わりさえなければ、風化していく。大多数の人間と関わらなければ、内向的性格を生かし孤独さえも克服してコンプレックスから目を逸らすことが出来る。

こうして、孤独な竜が誕生した。


竜はいつか天使と対峙し、敗れる。






図書館の自習室でカリカリとペンを走らせる。イヤホン、ミュージックプレイヤー完備、目の前には書き上がらんとするレポート、完璧だ。

満足感に浸り、体勢を崩して伸びをする。するとチラリと壁掛け時計が目に入った。あと二十分ほどで次の授業が始まる頃だった。思ったよりも集中して取り組めていたようだ。

次の授業は行動心理系の選択科目。

俺はその授業はあまり好きではない。グループをその都度設定され、ディスカッションをさせられる。苦痛の時間だった。

後半は簡易レポート作成ではあるのが救いだが、そこまでの時間は途方も無く長く感じる。必然的に誰かと話さなければならないし、配られるプリントにはグループの名簿が載っている。そこに書かれる名前には自他共に違和感がある五文字の漢字も載ることになる。

リーダーにされたときはまだいいが、他人がリーダーだと、そいつに大声で自分の名前を呼ばれることになる。田山さーん、なら問題は無いが、田山という学生は同じ科に3人居るのが災いして、フルネームで呼ばれることが多々あった。

その時から、他人の目に映る俺にはフィルターがかかる。

そしてこの性格だ。寡黙であると捉えてくれればいいが、実際はコミュニケーション下手で、まともに意見すらいえない。

ドラゴンのクセに。

一度だけそう言っている同じグループの奴に出くわしてしまった。俺に気づいたそいつは、気まずそうに目を逸らして去っていった。

他人と関わるのはいやだ。俺を認識しないでくれたらどれだけ幸せか。

鬱々とした感情を閉じ込め、レポートを仕上げてしまおう。

ペンを動かして教科書を読解した自分の意見を書き込む。

最後の署名で思わずペンが止まった。今に始まったことではないが、この名前を書くことを躊躇してしまう癖があった。

気にするな、気にするなと自分に言い聞かせ、最後の一文字まで気を抜かず書き終えた。

荷物をまとめ、次の教室へ余裕を持って移動しよう。


教室に着くと、既に教授はレジュメを机に並べ、黒板にはリーダーの学籍番号が列挙されていた。

そこに僕の番号は無かった。

該当したらしい生徒が教授へと寄って名簿をもらっていた。嗚呼、これから襲い来る苦痛は如何程か。俺は押し潰されてしまうのではないだろうか。

これほど常にストレスに晒されていてはいつの日か自分の頭皮を鏡越しに見慣れる事態も遠くは無い。

名簿をもらった生徒達は名前を呼び始めている。

「田山さーん、田山……なんて読むんだろうこれ」

うち一人の女性が僕の苗字を呼んだらしい。その読みを把握する前に向わなければ。

「はい、たぶん俺です……」

頼りない声でその女性に話しかける。するとその人は俺に気づいたようで、名簿を見せてきた。

「すみません、読めなくて……この名前の人ですか」

「そうです」

「ちなみになんて……」

すると察したように押し黙ってしまった。これ以上追求すれば気まずい事になると把握してくれたのだろう。

ありがたい。

「あ、ドラゴンですか?もしかして!」

……最悪だった。

「よろしくお願いしますね、ドラゴンさん。席はあの辺りなんで、では!」

何か恨み言を言う暇もなく、その人は次の生徒を探しに言ってしまった。元気であるのは良いが、物分りはよくないのだろう。

俺は不承不承言われた辺りに座った。

結果座った場所はぎりぎり隣のグループの席だったらしく、更に恥をかくこととなった。

……最悪だ。


ディスカッションが始まった。議題は足の組み方での性格判断。

内容自体は難しいものではない。コンビニ本の読解行動心理学でさらっと書いてあるようなものだ。

自己紹介が始まる。

リーダーであるさっきの女性に目線を流すと、自己紹介を始めるところだった。

「私の名前は村上えんじぇるです。今回リーダーに……」

「ヴェッホゲホ!!」

思わず噴出した。キラキラネーム、自分と同類がいるとは思いもよらなかった。

……いきなり咽たせいで周りの注目が集まり、泣きそうになる。その女性、えんじぇるさんを見ると、

「あはは。良いですよー。慣れてます!ちなみに漢字は天使って書くんです、かわいいでしょう?」

内心、かなりの驚愕だった。自分と似たような境遇で居て、こうも平然としていられるのかと。

「す、すみません。思わず……」

この流れは不味い、自分に非難の目線が向いているのが分かる。

「じゃあ、次の人~」

自己紹介は次の人へと移り、流れていった。

そして、俺の番。

「どうも……先ほどはすみません。俺は田山……ドラゴンって言います」

また注目、そして非難。

そんな名前の癖に、どの面下げて笑ったんだと。

「ドラゴンって格好良いですよね!」

天使さんは、笑ってしまった仕返しなのか、無神経なのか茶々を入れてきた。

「そういえばドラゴンって~……」

そうしてぺちゃくちゃと昔のゲームの話をし始めた。

わかった、この人は無神経なだけだ。自分のように繊細ではない、ライオンの鬣のように毛の生えた心臓を持っている。

その後は脱線した話題から戻り、ディスカッションが始まった。俺がいつもどおりまともに意見がいえない以外はスムーズに進行し、結果的に教科書どおりの心理状態の表れ、という形で終わった。

 ディスカッションが終わってからは、和気藹々と天使さんを中心に軽い会話が飛びあいつつ、レポートを書いていた。……俺を除いて。何にせよこれ以上の糾弾も陰口も聞かずに終わり、平和な放課後が訪れた。


昨日のことも忘れかけ、空いた時間に遅めの昼食をとっていた。好物のチキン南蛮定食を黙々と食べていると、目の前に誰かが食事の乗ったトレーを置いた。

俺の平和な食事を邪魔するのは誰か、と顔を上げると、昨日の女性、天使さんがいた。

「ここ、いい?」

返事も待たず、天使さんはトレーに乗った食事、奇しくもチキン南蛮定食を食べ始めた。

この空いた食堂、空いたテーブルは幾つもあるのに何故わざわざ俺の前に座ったのか、意図して座ったということしか分からない。。

のこりの飯を素早く食べ終え、立ち去ろうとする。

「座ってて」

昨日の明るい声とは打って変わって、低い声でそう言われた。これが本当に昨日のあの天使さんか?

言われるがままに座り、天使さんが食べ終えるのを待つ。俺は俯き、手は震えなんとも情けない姿だ。

天使さんは箸を置き、水を一口飲んだ。

そして一呼吸置き、口を開いた。

「キラキラネーム」

そう呟いた。

心臓がドクンと跳ねる。

「気にしてるんだよね?」

じっとこちらの目を覗き込み、逃がさないという意思がありありと感じられた。

「分かるよ、私もそうだもん。親が嫌い、そうだよね?こんなバカみたいな名前を付けてさ」

この瞬間理解した、こいつは、昨日猫の皮を被っていた。そして、自分よりも強いと。

「自分の名前にコンプレックスを感じて、人との関わりを避けてきた。おかげでコミュニケーションもまともに取れない」

語りだした天使さんは止まらなかった。

「散々バカにされてきたでしょ?ドラゴンって、はっ!その頼りないナリでよくそんな名前名乗ってるね。アホらしい。不相応もここに極まり!だ。昨日のみんなも内心笑ってたよ。しょっぱいドラゴンだなって」

「……す、好きでこんな名前になったわけじゃない。それにあんただって……」

同じキラキラネームじゃないか、そう続けようとした。だが、その目に阻まれた。

「あんただって……何?確かにえんじぇるなんて名前もバカらしいよ。だけど私はあなたとは違う。バカにされないよう努力してきたよ。そして未だにバカにしてきた奴に負けたつもりは無い。そこがあなたとの違い」

負け、負けって一体なんだ。

「あなたはね、負けてるの。一方的にバカにされて、あなた一人の評価が下がるだけ。ドラゴンという名前に負けて、評価争いでも負けている。今は大学という勉強で成り立っている世界に居るけど、社会に出ればそこは、あなたにとって地獄だよ」

「だから、何だよ。あんたには関係ないじゃないか」

それは、悔しいが事実かもしれない。だがそれを食堂で捕まえられて言われる筋合いは無い。

「確かに関係は無い、無いけどムカつくの。うじうじしたあなたを見てるとね。言うなれば自己満足、すっきりするために言いに来たの。それだけ」

トレーをもって”天使”は立ち上がった。

「それとね、チキン南蛮定食でチキンを箸で切って食べるのも気に食わなかった」

そう言い、離れていった。

その背中に、俺はポツリと漏らす。

「天使じゃなくて、悪魔じゃないか」

じっと天使の背中を睨む。

天使は面倒くさげに手をひらひら振っていた。




それからは大して変わらない学校生活だった。

ただ、俺にも反骨精神はあったようで、少しは自分のコンプレックスと向き合うようにはなった。

寝る前に少し筋トレした。

腹筋を百回出来るようになって、腕も筋肉が膨らむようになった。

人と話せるようなバイトに就いた。

今でも言いよどむ事はあるが、陰口を聞くことは減った。

髪の毛を美容院で切るようにした。

流行の髪形にしてもらって、茶髪に染めたら店員さんに褒められた。

格好良いって。

あの天使を見返すため、負けないため、その言葉を自信に据えて更に頑張った。

表面上、営業上言っただけかもしれない。

だが、とても嬉しかった。ドラゴンでも格好良いんだって。ドラゴンは格好良いんだって。

いつしか天使に認められたいと思うようになっていた。

いつも目線で彼女を探していた。

だが、それからは全く見かけなかった。

彼女は本当に居たのか?白昼夢を見ていたのではないだろうか。

自分を変えるために、深層心理から湧き出た願望が発露した幻覚ではないか。

本気でこんなバカらしいことを考えていた。

ある日ゼミの知人にふと、えんじぇるという名前を出したところ、一つ上の先輩にそんなの居たなと聞いた。

居たんだ、やっぱりあの人は居たんだ。小躍りしそうになるほど嬉しく感じた。

それからはもっともっと頑張った。

一年後、俺は広告代理店に就職が決まった。

自信が付き、自分の名前をネタに友人と盛り上がることが出来るようになっていた。


軽い都合で市役所にやってきた。

さして混んでいないロビーでソファーに座り、自分の受付の番号が呼ばれるのをゆったりと待つ。最近は飲み会に行くことが多くなった。自分がザルの部類だと知ったのもつい最近だ。楽しいと感じる。ドラゴンのコールで飲まされるのも満足感すら得るようになっていた。けどまあ、そのコールが数分おきにきたりするので、胃が少し荒れているような気もする。胃薬が必要か。

帰りに薬局によって……と思ったそばから自分の番号が呼ばれる。

立ち上がった瞬間、一度見ただけの、けれども脳裏に焼きついた後姿が見えた気がした。

受付嬢が番号を何度も読んでる。だが今はどうでもいい、その後姿を追った。

その女性は、戸籍住民課の前で止まった。

 「えんじぇるさん!」

俺は、掠れそうな声を絞りきって、その名を呼んだ。そして、彼女は振り向く。

彼女の手には、見覚えのある紙が握られていた。

そう、それは彼女の救いとなる紙。

名の変更届を。

その引き攣った顔を俺は一生忘れなかった。


 

              おわり。


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