ボーちゃんはもういない。
紙芝居用のシナリオとして製作したものに手を加えました。紙芝居として演じたらどうなるかを想像して読んでいただければ、より楽しめるかと思われます。
なっちゃんはお絵かきの好きな女の子でした。
なっちゃんはお絵かきのヘタな女の子でした。
友達みたいにキレイなお姫様が描けません。
友達みたいにカッコいい王子様が描けません。
何を描いてもデッサンが狂います。
何を描いてるかわかってもらえません。
でもがんばりました。くじけず何度も描きました。
スケッチブックいっぱいに描きこんで、それでもみんな、わかってくれません。
なんとか描けるようになったのは、ボーちゃんの絵だけでした。
丸い頭と、棒の体で出来た棒人間のボーちゃんは、棒人間ばかりが住むボーランドの王子様でした。
かぼちゃのブルマを履き、王冠を被ったボーちゃんは、国民の人気者でした。
剣が得意で、いろんな悪者を退治しました。
火吹き山に住む巨大なドラゴン。
子供たちをさらって食べちゃう森の魔女。
船を沈める大ウミヘビ。
聖剣ズガーンで、ズガーンと景気よくぶっ飛ばしました。
ぶっ飛ばしました。
………………。
……。
一部嘘です。
ちょっと見栄っぱりなところのあるボーちゃんは、国のみんなにはいかに自分が勇敢に戦ったかということを自慢して回りましたが、実はけっこうぎりぎりでした。
ドラゴンの吐く火でこんがり焼き上げられそうになったり。
森の魔女のお菓子につられて子供たちと一緒にさらわれそうになったり。
ヘビが苦手なので、大ウミヘビを見た時は泣きそうになりました。
火が扱えなくなり、お菓子が食べられなくなり、ヘビがますますきらいになりました。
でもがんばりました。くじけませんでした。勇気を奮い起こして戦いました。
国では大好きなお姫様が、眠り病にかかっているのです。
治すためにはドラゴンの心臓と、魔女のお菓子と、大ウミヘビの牙が必要なのです。
悪者を退治して国へ戻ると、ボーちゃんは万歳三唱で迎えられました。
割れんばかりの歓声。
鳴りやまないファンファーレ。
やがて喝采の中、目覚めたお姫様が侍女のお姉さんに手を引かれて、ボーちゃんのもとへと歩いてきます。
「お、お姫様……」
感動してまともに喋れないボーちゃんの手をとり、お姫様は柔らかく微笑みます。
「目覚めさせてくれてありがとうボーちゃん。大好きよ」
ほっぺにキスされ、照れるボーちゃん。祝福するみんな。嬉しそうなお姫様。
ボーちゃんは手を振って応えます。
「ありがとうみんな。ありがとう」
最高でした。幸せでした。ハッピーでした。
花吹雪が舞う中、ボーちゃんはなっちゃんに向かってこう告げます。
「ありがとうなっちゃん――」
「――!?」
なっちゃんは驚いて目を見開きました。
夢かと思ったけれど、夢ではありませんでした。
スケッチブックの中から、ボーちゃんが手を振っています。
「やあなっちゃん。いつもいつも、ステキな絵を描いてくれてありがとう」
ボーちゃんがたしかに、なっちゃんに語りかけてきたのです。
王国のみんなと話すときのように、優しくやわらかく話しかけてきたのです。
ボーちゃんだけではありません。
ボーランドのみんなも動くようになりました。
お姫様はキレイな声で歌を歌い、侍女のお姉さんは掃除をさぼってお昼寝し、ドラゴンは集めた宝石をうっとり眺め、魔女はお菓子作りの研究に余念がなく、大ウミヘビは虫歯に悩んでいます。
みんなみんな、生きてました。勝手気ままに暮らしてました。
なっちゃんは絵を描き足しました。
お姫様にはのど飴を、侍女のお姉さんには安眠枕を、ドラゴンには大きなダイヤモンドを、魔女にはお菓子の作り方の本を、大ウミヘビには歯ブラシをあげました。
みんなみんな、いっぱい喜んでくれました。
自分だけの箱庭のような、それはそれは楽しい世界でした。
なっちゃんはこのことを秘密にしました。
みんなみんな、なっちゃんの絵をバカにしたからです。
「わたしだけの秘密なんだから、わたしだけの王国なんだから、誰にも教えてなんかあげないんだから」
誰かにスケッチブックを覗かれそうになると、覆いかぶさるようにして隠しました。
なっちゃんはさらにお絵かきに夢中になりました。
「なっちゃん。また今日もお絵かきしてるね」
「最近は絵と喋ってるみたいよ」
「……なにそれ。気持ち悪い」
いつの間にかなっちゃんの周りからは、友達がひとりもいなくなりました。
「あの子、どうしちゃったのかしら……」
「おまえの教育がなってないんじゃないのか?」
「なによ。あなたこそ……」
こそこそスケッチブックと話すなっちゃんを、お父さんとお母さんが気味悪そうに見ています。
それでもかまいませんでした。
なっちゃんにはボーランドがあったからです。
いくつかの季節が過ぎました。
世間は冬。寒くなってきたのでボーランドのみんなに暖かいコートを着せてあげようと思ったなっちゃんは、お父さんお母さんの買い物について行かず、コタツで絵を描いていました。
暖かさで眠くなり、うとうととコタツで丸くなり、なっちゃんは眠ってしまいました。
ぐーぐー、すやすや。
ぐーぐー、すやすや。
気持ちよさそうに眠るなっちゃんを見て、みんなは幸せな気持ちになりました。
「子守歌を歌ってあげましょう」
お姫様が自慢のノドを披露します。
「わたしの枕を貸してあげましょう」
侍女のお姉さんが安眠枕を差し出します。
「起きたらお腹が空くわよねえ」
森の魔女がお菓子作りを始めます。
「お菓子を食べたら歯を磨かなきゃな」
大ウミヘビが歯ブラシを取り出します。
ぐーぐー、すやすや。
ぐーぐー、すやすや。
ボーランドのみんなに見守られ、なっちゃんは幸せに眠りについています。
そんな時です。部屋に誰かが入って来たのは。
抜き足、差し足、忍び足。
口もとをマスクで隠した男の人です。
なんということでしょう。空き巣です。
お父さんお母さんが出かけたのを見て、家にはもう誰もいないと思ったのです。
「なっちゃん、起きて!! 逃げなきゃ!!」
しかしなっちゃんは目を覚ましません。
「わしが火を吹いて追い払ってやる!!」
「オレがこの牙でかみ砕いてやる!!」
みんな口々に叫びました。ドラゴンと大ウミヘビが大きな口を開きました。ボーちゃんは聖剣ズガーンを構えました。
しかし棒人間の悲しさ。スケッチブックの中からでは、空き巣に何もできません。
そうこうしているうちにも、空き巣は部屋の中を物色しています。金目のものがないか探しています。
やがてその冷たい目は、眠りにつくなっちゃんをとらえます。
――もはや、一刻の猶予もありません。
「みんな、聞いてくれないか」
ボーちゃんは真剣な顔でみんなに告げます。
「いよいよ戦いの時が来たんだ。ボクらはなっちゃんのために、命を賭けよう」
ボーちゃんの言ってる意味がわかったみんなは、悲鳴をあげました。
棒人間は鉛筆で描かれています。
鉛筆は、炭素を結晶化させたものです。
紙に押しつければくっつきます。
削って吹けば宙を舞います。
目に入れば痛くて熱くて、大の大人だってたまったものではありません。
ドラゴンの火も大ウミヘビの牙も、聖剣ズガーンだって人間に傷はつけられませんが、ただひとつ、自分たちの体は武器になります。
でもそれは、命がけの行動でした。
棒人間は紙の上でしか生きられないからです。
「みんな、たのむ。お願いだ!!」
ボーちゃんは見てきました。なっちゃんがお絵かきの練習をしているのを、ずっとずっと見てきました。
友達にからかわれても、お父さんお母さんに理解されなくても、なっちゃんはずっとずっと描いてきました。
それがますます、なっちゃんを孤独にしました。
そんななっちゃんを、これ以上の危険にさらすわけにはいきません。
「ボクらは今こそなっちゃんに、恩を返さなきゃならないんだ!!」
ボーちゃんのあふれる思いに、みんなみんな、涙ながらにうなずきました。
大好きななっちゃんを守る。心がひとつになりました。
ボーちゃんは口もとに手をあててメガホンを作ります。
「やい悪漢!! こっちに来い!!」
声の限りに叫びます。
「そうよ!! こっちよ!! こっちに来なさい!!」
お姫様が続きます。
「こっちに美味しいお菓子があるよ!!」
森の魔女がお菓子で釣ります。
「コタツで寝るのもいいかもですよ!!」
侍女のお姉さんが安眠枕をぶんぶか振り回します。
引き出しを漁っていた空き巣が振り返りました。
どこからか聞こえる大勢の声を怪しみます。
やがてその目は、コタツの上のスケッチブックに吸い寄せられます。
「寝てる子が喋るわけないし、まさか……まさかなあ……」
首を傾げながらスケッチブックに近づいた、よーく見ようと顔を寄せます。
「くらえ悪漢!! 正義の力を受けてみよ!!」
ボーちゃんの声を合図に、みんな一斉に動き出します。
シュー、ズルズルズル。シュー、ズルズルズル。
すべてのページに描かれた無数の棒人間たちが、衣装が、小物が、建物が崩れ、磁石みたいに一か所に集まります。ぐるぐるぐるぐる、台風みたいに渦を巻いて、紙の上を移動します。
「な……なんだこれは……!!」
あまりのことに呆然自失した空き巣の目に向かって、みんなは飛びました。
「う……うわああああぁ!?」
大量の炭素の結晶が目に入って、空き巣は悶え苦しみました。
炭素の結晶は目の中に入ってからも暴れまくり、空き巣がいっぱい涙を流しても、指で掻き出そうとしても出て行きません。
「た……たすけて……誰か……目がぁ……っ!!」
たまらず、空き巣は転がるように家を出て行きました。
空き巣の出て行く音で、なっちゃんは目を覚ましました。
最初に目に入ったのは、白紙になったスケッチブックと、宙を舞う炭素の結晶です。
――どうしてそうしたのかはわかりません。大人になって思い返してみても、なっちゃんには説明できませんでした。
ただその瞬間はそうするのが正しいと思ったから、なっちゃんはダイブしました。
両手で水をすくうような格好で、炭素の結晶を受け止めます。
タンスの角におでこをぶつけて、泣きそうなほど痛かったけど我慢しました。
両手で受け止めたものを確かめます。
黒々とした集まりでした。もはや棒人間でもなんでもありません。ただの炭素の結晶でした。
「ボーちゃん……みんな……!?」
それが元はなんだったのか、なっちゃんは気がつきました。
「どうして……どうして……!!」
何を聞いても、ボーちゃんは答えてくれません。みんなも答えてくれません。
帰宅したお父さんお母さんが、なっちゃんの様子に驚きます。
泣き腫らした目。おでこにでっかいたんこぶ。両手は真っ黒に汚れていたからです。
「どうしたの!! なっちゃん!? おでこ打ったの!?」
「どうしたんだ!! なっちゃん!? とにかく傷の手当をして、手を洗おう!!」
「いや!!」
なっちゃんはいやいやをします。
「どうしたんだ……とにかく見せて!!」
騒ぐふたりから、必死で手を遠ざけます。
「だめだめ!! 絶対だめ!! これはボーちゃんなんだから!! ボーランドのみんななんだから!! 見せないし、洗わない!! お風呂にだって一生入らない!! とにかくほうっておいて!!」
じたばた暴れるなっちゃんを、お父さんお母さんは力ずくで取り押さえました。
火がついたように泣くのをおさえこんで、無理やり手を洗わせます。
「あぁ……あああ……!?」
石鹸をつけられ、水で浮かされた炭素の結晶が、洗面所の流しに流されていきます。
黒い水となって、排水口へ吸い込まれていきます。
なっちゃんには止められませんでした。
なっちゃんの目の前で、みんなはどこかへ行ってしまいました。
こうして、なっちゃんとボーランドのみんなの暮らしは終わりを告げました。
その後、何度棒人間を描いてみても、みんなは二度と、生きて動き出すことはありませんでした。
その後、空き巣を撃退したと褒められ、新聞で騒がれたなっちゃんは、一躍町の人気者となりました。
去って行った友達も戻ってきました。
みんなはもう、なっちゃんの絵をバカにしません。
詳しいことはわからないけど、なっちゃんの絵が結果的に空き巣を撃退したことを知ったからです。
みんなに認められるのは嬉しいことだけれど、友達に囲まれるのは楽しいことだけれど、なっちゃんの心には空白があります。ぽっかり穴が開いています。
ボーランドのみんなと暮らした日々。
ボーちゃんと話したたくさんの会話。
かけがえのないあの日の記憶を忘れないように、なっちゃんは再び鉛筆を握ります。
向かうのは白紙のスケッチブック。
動いてくれなくても、答えてくれなくても。
描くのは、なっちゃんだけの国――。
再びいくつかの季節が巡って、なっちゃんはお姫様みたいに綺麗な大人の女性になりました。
お絵かきの腕はめきめき上達し、大きなコンクールで優勝するほどになりました。
プロのお絵かきとして、テレビに講演にひっぱりだこです。
そんななっちゃんには、いくつかの噂があります――。
時々自分で描いた絵に向かって喋りかけている。
話が通じてるみたいに笑っている。
なっちゃんの描いた絵の片隅には、いつも同じサインが描かれている。
それはユーモラスな棒人間で、さらにさらに噂によると、それは人の見ていないところで、こっそり動き出すんですって――。