1.開始―2
当然、成城の出現に女は気付く。振り返り、驚くように表情をこわばらせた。遅れて、その存在を認識した後、女は慌てて武器を両手で握り締めた。小さな柄を両手で掴むには長さが足りず、両手を覆う様に構える事になっていた。
それでも女の手は小さい。なににせよ不格好ではあった。
唐突に震えだす女を見て、気の緩みではあるが、成城は、この女には負けない、殺されない、と思った。後になってから、余程不意を突かれなければ、と付け足した。
成城は数歩近づいた分だけで立ち止まって、斧を持ったまま、両手を上げた。そして、言う。
「大丈夫。俺も、気づいたらここにいたから」
そう、言った。堂々と言ったつもりではあったが、声は自然と緊張から震えたいた。
女は、凍ってしまったかの様に、動かなかった。ただ、警戒する様に成城を見ていた。恐らく、警戒して、必死に成城という存在を確認しようとしているのだろう。
それを見て、更に強く、この女に負ける事はない、と思い込んだ成城は、右掌を開き、斧を手放した。女の視線は成城の手から落ちて地面を一度だけ跳ねて静止した斧へと釘付けになった。が、成城が一歩踏み出した時点で、視線は成城へと釘付けになった。
そこで、一歩だけで、成城は止まる。
止まり、慎重に、言う。
「俺は、成城悟。君は?」
自己紹介。まずは互を知らなければならない、というこの理解不能な状況での、咄嗟の判断だった。
成城にそう問われた女は、どもりつつも、視線を成城の上から下までさまよわせる様に見て、そして数秒の後に、やっと、応える。
「へっ!? え、えっと……、誰!?」
「え」
成城は思った。何を言っているんだこの女は、と。
(今説明しただろうが!)
と、胸中に渦巻く忌々しげな感情は捨てて、この現状だ、混乱していてもしかたがない、と自身を宥める様に自身に何度も言い聞かせ、そして、言い直す。
「俺は成城悟。気づいたらここにいた。多分……君もそうなんだと思うから、話かけてみた。どう?」
成城はそう言った。大袈裟に身振り手振りまで付けて出来る限り女を安心させようとした。すると、
「あ、えっと。私は、高無華、です」
一応な、だが、自己紹介が返ってきた。一歩前進した、と成城は密かに喜ぶ。
だが、まだ焦ってはいけない。成城が見る彼女の視線は、成城の顔、瞳と、足元に落ちている純白の斧とを行き来している。まだ、怖がっているのは間違いなく、彼女は未だナイフを構えた腕を下ろしてすらいない。
「と、とりあえず、情報の共有が、したい、かな、なんて」
成城も戸惑った。いくら相手が華奢な女性で、大きな体格差があるとは言えど、相手は、刃物を持って構えていて、その鋒を成城へと向けているのだ。刺されでもすれば、終わりだ。この島に医者がいて、治療設備でもあれば別だろうが、そうではないだろう。
成城は言って、静かに腰を下ろし始めた。体勢を低くする事で、成城の手と地面に転がる斧が近くなる事で、高無の顔がこわばるのがわかった、が、これは仕方のない事だ。
成城はしゃがむと、斧に触れたが、それを、後方へと放り投げた。
土の地面に跳ねてそれなりに遠く転がった斧は、二人の手では届かない位置に留まって、静止した。
成城が見る高無の表情には、驚愕が張り付いていた。彼女も、この意味不明な現状での武器の有利性は理解しているのだろう。
それを理解しているからこそ、成城は斧を投げた。そもそも、斧は成城に与えられた武器ではない。手放す事自体に惜しさはあまり感じなかった。
立ち上がり、しっかりと高無と視線を重ね、成城は慎重に言葉を吐く。
「これで多少は信じてもらえたか、な? とりあえず、話を聞きたい。それだけなんだ。俺だって目覚めたらこんな場所にいて、困惑してるんだ」
伝える事は、伝えた。それしか方法はなかった。
だから、こそ、伝わってもらう事を祈るしかなかった。
視線は重ね続けた。
すると、高無の両腕は、ナイフを握ったままだったが、下ろされた。鋒は地面へと向いた。更に数秒後、高無はナイフから左手を離し、そして、手放した。
高無の手から離れて落ちたナイフは、その鋒を土の地面に埋めて、静止した。
その光景を見て、成城はやっと溜息を吐き出せた。安堵した。これで、少なくとも、今だけでも、刺される心配はなくなった。
「よかった。とりあえず、聞いてくれ。俺の知ってる事だけだが」
まずは自分からだ、と成城はここに来る直前までの記憶と、来てから見たモノの全てを語った。
それを聞いていた高無は何度か相槌を打って興味深そうに聞いてた。そして、全てを聴き終わった後に、『それ』を、指摘しつつ、説明する。
「私のには『ここは無人島だ』なんて書いてなかった。その変わりに、『敵は全部で三○匹だ』って……」
「え、マジで?」
思わず素の声が漏れた。
成城は確認する様にズボンのポケットに突っ込んでおいた紙切れを取り出して、確認する。ぐしゃぐしゃになってこそいるが、文字が消えている事はない。
それに続いて高無もポケットから紙切れを取り出して、綺麗に折りたたんでおいたそれを開いて、確認する。
互に見せ合うと、その違いを、確かに確認した。
「なんで書いてある事が違うんだ……?」
単純な疑問だった。
この状況を作り上げた人間が確かにいるとして、考えれば、紙切れにそれを書いたのはその人間だと想定出来る。記述してある事柄が違うとすれば、そこには、何かしらの目的がある、と想定出来る。
(目的は何だ?)
成城は考える。だが、この現状から見て、考えられる事は一つだ。
先程成城が言った『情報の共有』。それこそが、この目的なのではないか、と。
自分以外の人間がいる。そして、違う情報が書いてあるメモを持っている。それを考えれば、可能性が出てくる。他にも人間がいて、それぞれ別の事が書いてあるメモを持っていて、それらを集めると、ある程度でも、情報が収集出来るのではないか、と。
だとすれば、
「そうだ」
「? どうかした?」
成城が視線を森の中、成城が来た方へと投げたのを高無が不思議そうに見る。
「さっき話した死体の男も、メモを持ってるかもしれない」
「あ、だったら確認しに行かないとね」
「その通りだ」
そうと決まれば話は早い。
「ナイフ、拾えよ。俺も斧を拾う」
武器を取る事は一応確認した。安心しきれていないという事実の顕れで不快感を抱く程だったが、どうしようもない事実で、それに足止めをくらう理由もない。高無から離れて成城が斧を拾い上げる。拾い上げて、だった。
足音。成城の動きが止まる。成城の正面から聞こえてきたそれに反応して、ゆっくりと顔が持ち上がる。
足が見えた。成城や高無がそうしてここまで来た様に、木々の乱立する森の中から出てくる足が。
「ッ、」
すぐに斧を拾い上げ、上体を上げた。
高無も成城の後方からだが、確かにそちらを見ている。そしてその存在に気付いたのだろう。
「誰?」
そう言ったのは高無だった。
「自己紹介が先だね。そうだね、僕は大悟。君達は?」
そう名乗った青年は、爽やかな印象を持たせる笑顔で、二人を受け入れた。
だが一方で成城は眉を顰めた怪訝な表情で大悟を見る。
(服装は一緒だ。だけど、武器を持ってない……?)
違和感はそこだった。武器は、武器こそはこの現状の中で重要な役割を担うモノである。それを所持していない、という事は、何かがあった、という事だろうか。
「大悟……、お前、武器は……?」
素直に、問う。




