2.人間―6
男の登場によって、女の顔から初めて笑みが消失した。眉を潜め、怪訝そうに男を見ている。
この時、敵である女は疑っていた。人間に、今のような動きが出来るはずがない。きっと、『能力』を使った仲間だろう、と。だが、しかし、状況証拠はその男が、橘側、つまりは人間側の味方をしていると示している。
悩んだ。故に、女は率直に問うた。
「君は人間?」
女には知能がある。考える力がある。故に、判断する。男が人間であれば、『まず負ける理由はない』。男が味方であれば、敵対する理由はない。この光景は何かの勘違いなのだ、と。
そう考えると、男の返事が楽しみに思う程だった。例え男が人間で、人間が二人になろうが、負けるという考えはなかったし、挙句、その内の一人は戦意喪失している。何も、有利な事は変わらない。すぐに殺せる。故に、返事を待った。
が、男は、自身満々に、言い放った。
「俺は人間だ」
男はそう言った後、右手に持っていた刀をゆっくりと持ち上げ、その鋒を女へと向けた。
女は、その光景が、
「ふ、うふふふ……はははははは!」
おかしくて堪らなかった。
考え方は至って明快であり、男もそれを察している様だった。
人間如きが、と。
だが、男は、
「俺は砂影玲衣。詳しい事は後で話し合おう。少なくとも味方だ。貴女は?」
砂影玲衣である。既に、数匹の『敵を殺した』男である。が、二人ともそれを知らない。
「私は、えっと。橘楓。わかった」
男の、砂影の自信が顕著過ぎる程に現れているからだろうか。橘は、この男に、今は頼るべきだ、という判断を下し、同時、落ち着いた。冷静になれた。考えれば、すぐだった。女が投げた輪は間違いなく迫ってきていた。コンマ数秒先で、橘を屠るはずだった。が、それがなく、その代わりをするような位置に砂影が立っていたという事は、砂影が、何かしらをしたのだろう、と推測出来る。そこまで考える事が出来た時点で、ある程度でも冷静でいる事が出来た。
冷静になって、やっと先程の音がした方に視線を投げた。と同時だった。遥か遠くに転がっていた女の持っていた輪が、急に自立していると言わんばかりに動き出し、そして、恐ろしい速度で女の手元へ戻ろうと、浮かび上がり、飛んだ。
「えっ!?」
そんな声を漏らす事しか、橘は出来なかった。
だが、砂影は、違う。超人は、既に、動いていた。
輪が女の手元に届く直前で、既に女の目の前にまで迫っていた砂影が、片方の刀を振るって、叩き落とした。
金属同士が打ち合う音が甲高く鳴り響く。白と黒が打ち合い、黒が直角に向かう先を変え、地面に叩きつけられ、一度跳ねてすぐに砂の地面の上で静止した。
その時の女の表情は、酷いモノだったが、それを見ていたのは真正面に位置する砂影だけだった。
判断は恐ろしく早い。
一瞬だった。女が落とされた武器を再度動かそうか、それとも目の前の敵を捌いてしまうか、と考えている内に、二つの鋒は肉を突き破り、二つの刃は敵を横一線に引き裂く。
見慣れないモノが吹き出す光景を橘は確かに見た。緑の蛍光色の粘着質な液体が吹き出す光景が、見えていた。が、その次の瞬間には、上体が、崩れ落ちていた。上半身が、叩き着られていた。その女の状態に気づいて、初めて、砂影が両の刀を女の腹部に突き刺し、横に開くように振り斬った事実に気付いた。
全てが、早すぎた。
砂影が足元に上半身、下半身と重なるように落ちた女の死体を何度も踏みつけて死んだ事を確認している頃になってやっと、橘は動く事が出来た。
足が震えている事はわかった。呼吸も止まっていたのだろう。気付いて意図的にしてみればすぐに荒れた。
が、橘は不安定と言える程に震えている足で、転ばないように慎重に歩き、死体に足を乗っけている砂影にまで、近づいて、ただ、こう言った。
「友達を、追いかけたいんだ」
彼女は今、身体こそ恐怖から解放された余韻に浸っているが、冷静だった。冷静に、何をまずすべきなのか、判断する事が出来ていた。
そして、明確にすべき事を浮かべる。
「姫衣が……里中姫衣って女の子が、今、逃げてどこかにいるんだ。探して、合流したい」
強く、言った。念を押すように、でもあり、気持ちをそのまま表現するように、でもあった。
砂影は死体から足を下ろして振り返り、そして、口角の片方を僅かに持ち上げて、笑む。
そして、告げる。
「俺も、友人達と合流したいんだ」
言って、一度辺りに視線を配らせ、戻して、
「それに、ここは目立ち過ぎた。その事についても話ながら、移動しないか?」
「わかった」
提案に、橘は素直に頷いた。
そして二人は歩き出す。砂影が自然と行き先を決めるようになっていたが、橘はそれに関して不満を抱きはしなかった。この男は信用出来る。そう思ったからだ。どうしてか、と考えれば、今の光景を見た事と、実際に結果として、守られた、という事実があるためだ。と漠然とした事しか思い浮かばないが、直接的な要因はなくとも、そこまで信じて良い、信じるしかない、信じるべきだ、と冷静な橘はそう判断したのだ。
二人は歩いて、特に村を散策する事もなく、村を出た。
村を出た時点で、流石に、と思ったのだろう。歩きながらだが、橘が問うた。
「村の中を探さなくても良いのか?」
人に問う言葉だが、里中を探したいという気持ちも当然あった。
だが、砂影は首を縦に振った。
「あぁ、村には昨日一度入ってるんだ」
その言葉を聴いて、先客は砂影だったか、と橘は思い直した。
「くまなく捜索したか、と言われれば頷ききれないけど、あの村には恐らく何もない」
自信たっぷりに言い切る砂影。その自信はどこからくるのか、根拠はあるのか、と問いたかったが、橘は今は聞くべきでないと判断した。
それに、と砂影が続ける。
「察してるとは思うけど、俺は少しだけ超人っていうか、イロイロとすごいわけだ」
「何それ?」
橘が怪訝そうにするが、砂影は大して気に留めない。
「ある程度なら、人の気配とかも察知出来るって事なんだ。漫画みたいだろ? でも本当だから、信じてください」
そう言って微笑む。が、笑みは橘には向けなかった。
二人は歩く。橘も砂影も、目覚めたその時の状況確認から、太陽の動きや夜に場違いな程綺麗に見える星の位置から方角を確認しているため、二人で確認せずともどちらへと向かっているか、理解は出来た。そしてなにより、この島には中心に聳え立つ木々の生い茂る青い山がある。それと村等目立つ建造物等の位置から推測すれば、向かう先を予測する事は容易かった。
二人は村の東側から出て、そのまま南へと向かった。つまり、山の方向へと、向かっていた。
その道中にも会話は交わした。すんなりと会話を交わしている様子を見れば、砂影が付近に敵がいるとは判断していないのだろう。
当然、会話の中でありったけの、出来るだけの情報交換をした。当然、メモの個人差のある部分についても、だった。
その話の最中で、橘が気になった部分があった。
敵の事を砂影が知っている事はわかった。既に何体も倒しているというのだから、当然だと思った。だが、橘のメモに記述されていた『敵は宇宙人だ』という言葉に驚きを見せた際、橘は何か違和感を感じ取った。それが気になったが、言葉に出来る程明確に浮きだった違和感でもなかったため、問いたくも、問う事はできなかった。
山へと向かう目的は当然二つ。里中を捜すためと、砂影が仲間達と合流するためだ。
砂影は村へと向かう道中で、人が山の方へと全力で駆けるのを見たが、村の中で何かあると優先して向かったため、その人には声をかけなかったんだ、という話を橘にした。
聴いた橘は当然、その人が、里中だと思い、特徴を伝えてみると、そうかもしれない、という首肯が返ってきた。
「事情は話した通りで、出来るだけ仲間を集めた方が良いと思うんだ。だから、その里中って子も、絶対に合流しよう」
砂影はそう言い切る。橘がずっと抱えている不安を拭ってやるように、強く言い切った。だが、
「そんなの当たり前。そっちも、ね」
橘は、強い女だった。




