2.人間―5
「そのメモに、書いてあるんでしょ? 敵を殲滅しろ、だったかな」
言われ、橘は大慌てでポケットからメモを取り出し、読み返す。と、当然そこには言われたままの文字が書いてある。ポケットにメモをねじ込み直したのは、彼女の強さだったといえようか、だがしかし、顔を上げ、再度女を見ると、やはり恐怖という現実に引き戻されてしまう。
そんな橘を弄ぶかのように、女は続ける。
「その目的はね、『私達』も同じなんだよ」
「私、達……!?」
困惑していたし、パニックに陥りかけていた。だが、そこは、確かに違和感を覚え、拾い上げていた。その言葉から読めるのは当然、敵を殲滅しろ、という指示からも推測できた、敵は複数いるという事実。
考え自体は及んでいなかったが、感じ取り、漠然とした形として、理解は出来た。
敵は複数いて、そして、目の前の女はその敵の一人で、そして、
「貴女……、宇宙人なの……?」
橘と里中が持っている情報。それは、敵からは生き残るための力を奪える、というモノと、敵は宇宙人だ、というモノだ。当然、そう考える。敵が敵だと認めた以上は、その結論にしか至る事が出来なかった。
言われた女は、一瞬目を丸くして唖然としたような表情を見せたが、すぐに、笑い出した。可笑しそうに、だが、上品にくすくすと。
「そう、そうだね。宇宙人! いいかもね。うん、間違ってないと思うよ?」
からかうようにそう言う女だが、橘にとって重要なのは、からかわれている、楽しまれている、という事等ではなく当然、言葉の意味。それは、彼女が、宇宙人だ、とつまりは敵だ、と認めたという事。
当然、この瞬間から橘の頭の中で連想されていた宇宙人のイメージは拭われた。仮に彼女が本当の意味で宇宙人でなくとも、この理解不能な場では宇宙人であり、同時に敵であるのだと。それだけが、理解出来た。
同時、橘は体勢を僅かに低くした。意識はしていなかったが、自然とそうしていた。それは、走り出す体勢である。逃げる、逃げろ、と脳が判断を下していた。この女、つまりは敵と出会っても、戦おうなんて考えるなと脳が勝手に判断した。例え、殲滅しなければならないとしても、だ。
「ッ!!」
橘はタイミングを測る。いや、測ろうとした。だが、しかし、敵がそれを許すはずがなかった。
女は橘が体勢を僅かに低くしたのを完全に察知したのだろう。橘の体勢が低くなったその直後、手に持っていた、直径一メートルはありそうな輪を、横に腕を振って、回転するように、そして当然、橘目掛けて、投げていた。
空を切る音が聞こえたその瞬間には、その投げられた輪は、既に橘の目の前にあった。
が、橘はそのまま、前に飛び込むように躓いて転んでしまったため、本当に偶然、その一撃を避ける事が出来ていた。
頭上を空が切れる音が通り過ぎる。まるでジェット機の発進を近くで見た時のような、空気の動き方だと橘は感じた。
反射的に、大慌てで橘は立ち上がり、女が動いていない事を確認までして、振り返った。見れば、自身のすぐ後ろに位置していた平屋の玄関が、派手に崩壊していた。それどころか、
「え、……えぇっ!?」
音が、止まない。
先程女が投げた輪は、平屋の中で暴れまわっていると言わんばかりに、あちこち破壊する音と、風を斬る音を、響かせ続けているのだ。
何が起こっているのか理解ができるはずがなかった。だが、確かに、橘は見た。平屋の窓があった位置を破壊して飛び出し、女の手中へと戻る、その輪を。
恐ろしい程に回転しながらブーメランのように女の手元にしっかりと収まった輪は、見ただけで、刃がついていると理解出来た。それ程の光景を今の一瞬で橘へと叩き込んだのだ。
橘が輪を視線で追い、女の方へと振り返って手中に戻った巨大な輪を見たと同時、背後の平屋が、崩れ落ちた。
今の輪による投擲攻撃で柱が数本粉砕されたため、屋根が支えきれなくなっての事だったが、そんな事はどうでもよかった。背後で家一軒崩れ落ちてもなお、砂塵が舞い上がって視界を濁らせてなお、橘の視線は女に釘付けだった。
当然だ。ただ投げただけの輪が、どうして平屋を破壊しても止まらずに、挙句、Uターンをして女の手元に戻ってくるというのか。そもそも、あのひ弱に見える矮躯の女の子が、直径一メートルはあるであろう巨大な輪を、あそこまでの勢いをつけて投げる事が出来るのも、おかしい。
おかしい、おかしい、異常、ありえない。
理解が追いつくはずがなかった。目の前にいる女から、逃げる事すら不可能なのでは、と思えた。
「さて、と。じゃ、まだまだそっちも数いるみたいだから、早速数を減らさせてもらおうかな。逃げた方も追いかけないとだしね」
女は微笑む、不気味に。
そして、今度は女が体勢を僅かに低くした。そして、輪を、再度投げようと構えた。
その姿を見て、橘は、避けなければ、と思った。だが、それは反射的な事であり、考えれば、死ぬ、という結論を思い浮かべていた。
女が輪を持っていた手を大きく後ろに引き、そして引き伸ばしたバネが戻るように、輪を放つ。
横に超高速で回転しながら、恐ろしい程の速度で僅かに弧を描いているがほぼ直線で迫ってきた輪に、橘は対応できない。
「ッ!!」
投げられた事は理解した。手から離れる瞬間は確かに見極めた。だが、飛んでくる輪に反応は、追いつかなかった。
目を閉じた。瞼が完全に降りきるのが間に合ったのは、偶然にも人類の持つ筋肉の中で一番素早い動きを出来るのが瞼を開閉するための筋肉だったからであり、その他の動きは一切対応しきれていなかった。
橘が最後に思い浮かべたのは、里中の逃げ際の背中だった。
守れなくてごめん、と思う時間さえ、許されなかった。
だが、そうは上手くいかない。それは、人間も、宇宙人もだ。
いくつもの要因が重なっていたが、それらは全て、偶然にしか過ぎない。強いてその要因に因果のある問題点を上げるとすれば、平屋を壊したのは、やりすぎた、という事。
いくら平屋と言えど、それは村長のモノであると想定出来る程に広く敷地をしようしており、それが崩れるとなると、遠目に見ても舞い上がる砂塵が見て取れ、その音は村を越えて響き渡り、何者かの存在を、視覚的にも聴覚的にも他に伝える可能性をぐんと上げた。
そして、その光景を見た、その音を聴いて、一番近くにいて、一番最初に動いた何かが、そこに向かったのが、現状であり、事実。
何かが地面に転がる音が、遠くから聞こえた事で橘は反射的に目を開けた。目を開ける、という動作をする事で気づかされる。まだ、死んでいないのだ、と。
「へ、え」
思わずそんな間抜けな声を漏らしてしまった。意識は当然していない。ただ、死んでいない、という確認の次に理解したその光景に対して、驚いたという現れだった。
男が、いた。見知らぬ男だった。先にみた目に傷のある男ではなく、ここに来て初めてみた男だった。
が、その男の顔よりも前に、まず目に入ったのが、男の両手に一本ずづ握られる、長さがそれぞれ違う、純白の日本刀だった。それを確認した後、
「……偶然でも近くにいてよかった」
そう言った男の顔を見上げた。若い男だった。細身だが、筋肉質だと感じられる程に、威圧感が屈強な、男。どこか人間離れをしているような雰囲気を醸し出しているが、それは、先に出会った男のモノとは違い、見てすぐに、良い人だと感じ取れるモノだった。
橘の前に顔の良い男が立っていた事に女は当然気づいていた。見えているのだから、当然だ。だが、しかし、女は、あの速度でほぼ一直線に橘へと飛んでいた輪を、真横から蹴っ飛ばした男のその動きは、目で追えていなかった。




