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1.開始





1.開始




 目の前にあった細長いスーツケースの様な漆黒に染まったケースを開いたが、そこには何も入っていなかった。だが、確かにそこには細長い何かが入っていた跡がある。

 それについての現状を把握する事だけは、容易い。誰かが、先に抜き取ったのだ。

「……なぁにが支給してある、だよ。誰でも開けられるなら意味ねーじゃん」

 成城悟(せいじょう さとる)は目の前に置かれた空のスーツケースを見下ろして、嘆息した。

 散々溜息を吐き出して、その後に顔を上げて辺りを見回すが、見えるのは真っ白な砂浜と、綺麗に透き通った海。その反対側に木々の生い茂った山だ。

 海の方向はいくら見ても、地平線の先に何も見えない。意図的に探る様に見て見ても、船の一つも見当たらない。海鳥の姿がちらほらと見えるが、今、この状況で役に立つ存在ではないだろう。

 成城は立ち上がった。ブリーフケースは忌々しげに蹴飛ばした。砂浜の上を滑って転がって、成城から数メートル離れた位置に転がった。

 当然、正対するは山。木々が生い茂り、雑草が生い茂り、進入して見なければ中の様子が全くわからない山。大きさはそうないようだが、それでも登りきるには半日を要しそうな程だった。

 正確な時間はそれを表示するモノがないために知る事はできないが、空を仰げばまだ、太陽は天高く登っている。暗くなるまでに山の中を探索するとしても、暫くの時間はあるだろう。

 成城は山に進入する一歩手前で、自分のその姿を見下ろした。真っ黒なロングTシャツに真っ黒なジーンズ。最後に思い出せる記憶を思い出して見ても、こんな服装だった覚えはない。

 長袖に長ズボン。山に入るには半袖よりは十分な格好だ。

(着替えさせられたんだろうな。この状況を作り出した誰かに)

 思って、だが、どうしようもない事を改めて自覚して、成城はその山の中へと足を踏み入れた。

 踏み入れて数歩歩いて、背後を振り返っても先程いた砂浜が確認できなくなっている事を確認した後に、辺りを見回す。

 見えるのは木々に雑草。空を見上げると木々の梢が視界のほとんどを支配し、差し込む明かりは少ない。これは早めに抜け出さないとまずいな、と成城は思った。

 足場の悪い山道を上る。地から這い出る様に存在する木々の根が足場を悪くするが、思いの外、体力は奪われなかった。

 気温が適正な気温である事も要因にはなっているだろう。この場は確かに、全く見知らぬ土地で、どうしてここにいるかも理解できないが、居心地の悪い場所、ではなかった。山特有の湿っぽさが肌に触るが、その新鮮な体験も、心地よい程だった。

 それ故に、成城は尚更不信感を抱いていた。

 何故、こんな場所にいるのか、と。

 山を登りながら、順建てする様に、思い出す。

 目覚め。その前。最後に残る記憶はまだ始めたばかりの仕事から帰ってきて、普段通りに床についた記憶だった。そして、次に目覚めたのが、先の砂浜。当然、移動した記憶もなければ、ここが夢遊病程度で来れる様な場所ではない事も理解している。

 目覚めてすぐは、仕事の事を思ったが、余り楽しくない職場だと早々に察していたため、このまま無断欠勤で首になろうが構わない、と思った。が、それ以前に、ここから脱出する術を持たない。

 だが、脱出する方法(可能性)は知っている。

 山を登り、僅かに汗を肌に滲ませながら、成城は必死に考える。

 目覚めて一番に目に入った、あの紙切れについて。

 その紙切れは今も成城のジーンズの右ポケットにねじ込まれているが、既に何度も見直した。それに、何度も見返す程の情報は書かれていない。

 ただ書かれていたのは、

「敵の殲滅をしろ。武器は支給した。それ以外に脱出の手段はない。ここは、無人島だ」

 口にして、改めてこの意味不明な現状を実感する。

 目覚めて、知らぬ土地にいて、持ち物はなく、服装まで変わっている。挙句、敵、というモノが何かもわからなければ、支給されたという武器もない。

 情報はほとんどない。自分が成城悟という人間である事はわかっている。記憶喪失ではないと確認出来る。だが、それに対してすら不安を感じる程に、現状が、理解できない。

 歩む度に考えた。現状を整理しようとした。だが、答えがでるはずがなかった。情報量が、少なすぎる。

 だからこそ、成城は山を上る。探索する。何か、ないのか、と。

 それに、成城に与えられたと思われるスーツケースは、中身が空だった。あの中身が最初から空だという不自然な状態でなければ、きっと、どこかにその中身を持っていった人間がいるはずだ。希望がなくとも、その程度の事が希望に成り代わる。

 暫く山を登っていると、感覚がずれてくる。

 光景は変わらない。屹立する木々の乱立されたこの場所は、進んでいないのかと思う程に、光景を変えない。これがほとんど手入れのされていない自然なのだ、と実感する。

 斜面を進み続け、登っている、という感覚はあるが、真っ直ぐ歩けているのか、という不安は抱いていた。が、戻ってさえいなければ、とりあえず今の成城は進んでいる、という事だ。問題はない。

 だが、先が見えないというのは恐怖だった。

 時間を確認する道具もない。日が落ちるよりも前にこのほとんど日の差し込まない場から抜け出さなければならないのは成城でも理解できている。

「……。疲れるな」

 時折そう吐いた。

 そのまま、実時間で一時間と数分、経過した時だった。

 成城は足を止めた。変わらない光景は相変わらずだったが、変化はあった。

 目の前を、何か雫の様なモノが上から下へと通り過ぎた。二度、だ。

 成城はその行方を探る様に、視線を落とす。足元へと、自分の足元へと落とした。

 そして、自分の足が真っ赤な水溜りに浸かっている事に気付いた。

 それが何なのか、理解は容易かったが、理解し難かった。

 続いて、その赤い雫が落ちてきた元を探る様に、視線は上に上げた。嫌な予感がしていた。だが、そうは思わなかった。だからこそ、ゆっくりと、非常に遅い速度で、かと言って何も考えずに、視線を上へと持ち上げた。

 すると、目が、合った。

 成城は驚愕から、目を見開いた。成城と目を合わせたそれは、瞳孔を開ききっていた。

「な……、あ、っ……」

 意図せず、そんなうめき声の様なモノが漏れた。何かを喋ろうとしたわけではない。だが、音が口から漏れ出していた。

 木々の枝に引っかかった人間――だったモノ。

 死体。

 男の死体だ。見た目から二○代半ば程度の歳だと思えたが、実態はわからない。何せ死体は口を聞けないのだから。

 成城が腰を抜かして地面に落ちた時、その僅か過ぎる揺れによって、なのか、死体が持っていた『ソレ』が、成城の目の前に落ちてきた。

 真っ赤な水溜り、血溜りに鋒を付けて、跳ねて成城の膝下に寄ってきたそれに、成城の視線は自然と移動した。

 死体という、あまりに非日常を象徴する存在を視界から外したからか、僅かながら緊張を緩めた成城は、それでも無意識に、落ちてきたそれを、手に取った。

 それは、斧だった。小型の斧で、その大きさから大工が使うモノではないかと推測できたが、色は、純白。その存在理由は間違いなく工具としてではないと判断できた。

 これは、武器だ。

 成城にも支給された様に、頭上にいる男も成城と同じ様に武器を支給され、そして、それがこれなのだ、とすぐに思えた。

 小型の斧を右手に取って、成城は視線を持ち上げた。やはり、死体が映る。

 目が合うと、どうしても身体が震えた。開いた瞳孔は恐ろしい程に不気味で、涎と血を垂れ流す大きく開かれた口には、虫が群がっていて時折、成城のすぐ目の前に落ちてきていた。

 が、人間の慣れというのは恐ろしく、ずっと、死体を眺めていると、先に成城の身体を震わしていた恐怖というのは、フェードアウトするように、薄れていくのだった。

「……、何があったんだ?」


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