2.人間―3
つい最近、という言葉がやけに里中に響いたように、それは、本当に、最近である。
「多分、昨日とか今日の朝とかだと思うね。海に近いここは風が強く吹くけど、来る道の途中に真新しい足跡がまだ残ってた。ここに人が入った形跡は今見た感じ、ないけど……。一応の警戒でしかないけど、一応、一旦ここに身を潜めてみようかなって思った」
橘はそう言うと、深い溜息を吐き出した。彼女も疲れているのだ、とそこで里中は察した。ついつい頼りがいのある橘を頼ってしまっていたが、状況は同じだ。何もわからないのも、同じだ。
改めて、里中は橘に感謝するのだが、口にも態度にもそれは出さなかった。それで良いと、思った。素直に頭を下げても、無下にも無視される気までしたからだ。まだ出会って数時間ではあるが、そこまでは理解しているつもりでいた。
実際、橘は気にしていない。自分で里中は自分が守らなければ、と感じて自ら先導する様意識して動いているのだ。自分の思った事をしているまでだ、と思っている。
「さて、と」
そう言った橘は里中を見つめる。不意に真面目な視線を投げられて、里中は首を傾げた。「何?」
「いや、とりあえず休憩って感じなんだけど、その間にお話をしようかなと」
「お話? いいよ。何の話する?」
問われ、間髪入れずに橘は返した。
「一応、確認しておくけどさ。私達どこかで会った事なかったか?」
突然の、言葉に里中は目を見開いて驚いた。まさか、と思った。が、しかし、考えてみても、記憶を探って見ても、掘り起こして見ても、思い当たる節は、なかった。
「え、っと。そうだっけ? ごめん、私記憶にないや」
「あぁ、そうだろうな。私も正直、記憶にない。ただ、なんとなくそんな気がしただけなんだが、」
ここまで言った所で、橘の視線が不意に外に向いたのを、真正面で見ていた里中は当然気付いた。
何? と聞こうと口を開く前に、橘が「しっ」と人差し指を自身の口下に持っていき、静かにしろ、と無言の合図を出した事で、里中は押し黙り、ただ、視線を橘の向かう先と同じ方向へと投げる事しかできなかった。
暫く、二人とも動かなかった。固まったままだった。そして、里中が、橘がどうしてそうしたまま動かずにいるのか、気づけたのは数分してからのkとだった。
(あ、足音っ!!)
気付いた。外を闊歩する足音が。
そう、闊歩する音。それは、言葉通り、慎重に辺りを探りながら歩くなんてモノではなく、村の中を、散歩するかの如く、軽快な足音だった。その足音を聞くだけで、すぐ理解出来た。
こんな動きが出来るのは、自分達のような理解不能な状況に貶められた人間では、ない。と。事実、二人はこの平屋に到達するまでも、慎重に歩き、周りを極力警戒、観察しながら歩いてきた。それが、普通なのだ。見知らぬ土地に来て、そこに敵がいるという情報を与えられていて、進むというのは、そういう事なのだ。
だが、その足音を聞いていると、まるで、敵等恐れていないと言わんばかりの、余裕が伺える。それは、別の方向から見てしまえば、
(敵を、探してる……?)
橘がそう思った。だが、彼女が連想した敵、とは、自分達の事だった。
つまり、宇宙人が、歩いているのではないか。そう、考えた。
足音は平屋の前を通り過ぎて行ったが、数分待機していると、また平屋の前を通り過ぎていった。まさに、闊歩。周りに何がいようが構わない、というその大胆すぎる足音は、当然、二人を不安にさせた。
が、足音が村の中をうろうろと徘徊していて、中々出て行く様子を見せないため、橘が、動く事にした。
声を潜め、里中に言う。
「静かにしててな。窓から少しだけ、覗いてみるから」
「え、」
里中は言われ、今のこの状況では、大人しく身を潜めておくのがベストではないか、と思ったが、既に橘は立ち上がり、居間から出ようとしていた。
橘は居間から出ると、通路に設置されている小さな窓の傍まで身を寄せ、そして、そこから、外を覗き込んだ。
足音は今は、遠くに聞こえる。が、暫くすればまた、こちらへと戻ってくるだろう、と予想し、橘はその体勢のまま、暫く待った。その間も里中は静かにしていたが、心配そうに橘を見つめているのを察すると、橘は改めて、彼女は自分が守らないとな、と思い直す。
息を潜める。窓の外から見えるのは正面の大通りと、大通りとぶつかる平屋の前を横一線に走る道である。窓から僅かに顔を覗かせているだけなので橘には地面の様子までははっきりと見えていないが、足跡が増えているんだろうな、という想像はした。
冷や汗を垂らし、息を呑む事数回、足音が、近づいて来る気配がした。間違いない。聞こえてくる足音は西のほうから近づいてくるようで、じょじょに大きくなってきていた。
そうして、見えてきたのが、
(……あれ、人間、だよな。宇宙人って感じじゃない。男? 私より若いか?)
橘が窓の端から覗き見たのは、純白の刀を持った、男の姿だった。道を歩いている。が、視線はほとんど正面に固定されっぱなしで、その容姿から、
(既に敵……と、戦った後なのかな?)
そう、想像が着いた。
歩く男は無表情だったが、どうしてか、笑んでいるように感じ取れた。
正直、見てまず感じた印象は、不気味、だった。普段、日常の中であれば関わりを持ちたくないな、と思う程に。
だが、この状況で、『他の人間』と出会う、という事は、希望に繋がる、という事である。
橘の考えでは、既に先客がいて、自分達より情報を持っているという仮定が成り立っていた。
そして、視線の先に映る男は、既に敵を殺した様子がある。戦いを交えた様子がある。何より、まだ真新しい、右目を皮膚からまとめて断ち切られた生々しい傷跡が、何よりの証拠として、そこに浮かんでいた。
最初は悩んだ。だが、進まなければ、何も理解できまい。そう、自分を信じる、という選択肢を、橘は取る事にした。
一度、窓から顔を離して、身を低くして里中の下まで戻り、静かに、言う。
「姫衣、人間がいた。多分私が想像していた先にいた人間、だと思う。もしかすると違うかもしれないけど、こんな状況だし、確認するには直に話し合うしかないだろう。……だから、少し行ってくる。大人しく、待っててくれないか?」
当然、里中は、
「え、私も行きたい」
拒否。だが、それを橘は許さない。
「ダメだ」
不安が残っていた。
「なんでよ」
橘が、希望と同時に感じ取っていた、あの男の不気味さが、危険因子の可能性がある、と橘自身が橘自身の選択に警告を発していたからだ。自分の考えの正確さを試すような行動はするが、そこに安全性の保証はない、賭けだとしっかりと理解している。
それに、里中を巻き込む、とはいかなかった。
「もしかすると、あの男が敵なのかもいしれないだろ。だから、とりあえず私一人で会ってみる。で、味方だと思ったら連れてくるし、敵だったら私がなんとかする。これ以上は譲らない。じゃ」
里中が否定し、我が儘を吐いてまで着いてこようとするのは、わかっていた。だからこそ、橘は納得はしないだろうと思いつつ言うだけ言って、返事は待たずにすぐに立ち上がり、部屋から飛び出していった。里中が声を潜めつつ待ってと言ったのが背中に届いたが、それは敢えて聞こえないふりをした。
ここから、先、いや、この状況であれば、いずれの場所でも、いずれの時間でも、何が起こるかわかったものではない。最善を尽くすのが、何よりの前提だ、と橘は信じている。
「……どうも」




