【読切版】オレと彼女の法線ベクトル
主人公の性格がめちゃくそ悪いです。どっかのバスケ漫画の赤髪君に割とそっくりです。ok、バッチコイ!という方だけお進みください。
「全てに勝ってきた君でも、勝てへんもんがあるんやで」
◇◆◇
オレは小さい頃から何事でも負けたことがなかった。
幼稚園のかけっこでも、小学校のテストでも、年上との剣道の試合でも。
いつも一番。成績表や出席番号以外、オレの名前には一番しか付いていなかった。
そのうち、オレの周りの人間は軽蔑と畏怖が混じったような視線を向けてくるようになった。
どうせ逆恨みだのなんだのの類だろう。けどまあ、うん。
つまらない。正しいのは勝ったオレだ。敗者はただ勝者に従っていればいい。
将棋の駒のように、挟まれて逆の色になるオセロの駒のように。
周りの人間はただの駒。同じ剣道部の部員だってそうだ。
オレが主将で、あとは駒。団体戦の時はオレの言うことに従って勝てばいい。
けれど、少し困ったことがある。
中学後半から急に発現した、オレの霊媒体質。
幸い唯一友人と呼べそうな剣道部の人物ががそういった現象に詳しいほうらしく
どうにかなってはいるが、常に清めの塩やらやお札やらを持ち歩けというのは中々面倒だ。
しかし持っていなければ良くないものを何でもかんでも引き寄せてしまう。
知り合いはオレの性分が原因だと言うが、理解できない。
正しいのはオレだ。間違いなのは他の奴らじゃないか。
敗者の方が正しいなんて、そんなことあるものか。
剣道部の練習をいつも通り終え学校を出たの頃には、
日はもうとっくに沈んでいて辺りは暗くなっていた。
もう4月だが、夏至は遠く日の入りはまだまだ早い。
西の空には申し訳程度に夕焼けの残滓が残っているが、空はもう深い藍色一色だ。
校門で友人と別れ、エナメルバッグと竹刀袋を担ぎなおして歩き出す。
電車通学のため駅を目指していつもの道を行く。
オレの通う陽香高校は千葉県に位置し、小学校から高校まである私立校だ。
敷地も馬鹿みたいに広く、入学したての中学のころはよく迷った。
今ではそんなこともなくなり、通学路も知らないことは無いほど行き来した。
その、はずなんだが。
ちりん、と微かな鈴の音が響いた。
思わず足を止めて後ろを振り返る。誰も、いない。
柄にもなくほっとして駅に向かおうとしたが、あることに気が付いて再び足が止まる。
どうして、空が真っ赤なんだ?
その場で辺りを見回す。
アスファルトだったはずの地面はいつの間にか旅館のような石畳に。
石畳は真っ直ぐに東西に伸びていて、上空の夕焼けにも負けないほど真っ赤な鳥居が、
その上に数え切れないほど並んでいる。
石畳と鳥居の一本道の周りは竹藪が鬱葱と茂っている。
学校の近くにこんな場所は無い。
京都かどこかにはこんな場所があったはずだが、そこである可能性も皆無だ。
あの場所に、鳥肌が立つようなぎすぎすした空気が漂っているはずが無い。
「何なんだ一体…」
小さく舌打してバッグの外ポケットを開ける。
友人から貰った塩とお札はそこに入れていた。
気休めにしかならないかもしれないが、いざとなったら使え。
そう言われて渡されたそれらの道具で、これまでに何度か怪奇現象を逃れて来た。
さほど期待はしていなかったつもりだったが、その二つを見つけて、絶句した。
塩は袋の中で消炭のように真っ黒になっていて、
札のほうも火気などあるはずがないのに焼け焦げたように黒くなっていた。
変化があったのはその二つだけ。
しかし、怪奇現象を逃れるためのものがピンポイントに、二つ。
これは今までになく、まずいのかもしれない。
使い物にならなくなってしまった二つをとりあえずバッグに入れ、
チャックを閉めて肩にかづぎ直した、その時。
―……ぉー……せーと……んせー…
遠くから、微かな歌声が聞こえてくる。たぶん、小さな女の子のもの。
声はだんだん近づいてくる。
逃げなければ、と思いつつも、正体を見てみたいという中途半端な好奇心が先に立つ。
―…こはど……のほ……ちじゃー…てんじ…さー…のほそみ…じゃー…
歌っているのは、「とおりゃんせ」のようだ。
次第にはっきりしてくる声に合わせて、ひたすら続く石畳の先に小さな人影が現れた。
目を凝らして凝視する。
日本人形のようなおかっぱ頭、鳥居に同化してしまいそうな赤い着物。
距離はまだまだあって顔まではよく見えない。
歌は続く。
―行…はよいよい、帰りはこ…いー
エナメルバッグの肩掛けを強く握って構えていると、
まだ距離があったはずの女の子が目の前に現れた。
身長はオレのほうが圧倒的に高いはずなのに、オレを上から見下ろしている。
黒髪がオレの顔にかかる。見えなかった相手の顔は目の前にあった。
息が止まる。感じたことのない恐怖がオレの足を地面に縫い付けてしまった。
目は、なかった。黒い空洞がオレを見下ろし、口角がつり上がる。
―カエサナイヨ?
瞬間、オレは弾かれたように走り出した。
後ろを少しも振り返ることなく、石畳に足を取られそうになりながら、ただひたすら。
暫く走った頃、バッグの外ポケットに携帯を入れていたことを思い出した。
友人のあいつと連絡を取れれば少しは何とかなるかもしれない。
走りながらポケットを開け、携帯を開いて電話帳から友人の名前を探す。
素早く見つけて着信ボタンを押す。呼び出しコールが鳴る中でもオレは走り続けた。
やがてブツッという音がして口を開こうとしたが、それを遮って電子的な人間の声が耳に入る。
『お掛けになった番号は現在利用されておりま…』
「くそっ、こんな時に限って使えない――」
奴だ、と毒づこうとして、気付いた。
オレは電話帳からあいつに電話したんだ。なのに、その番号は利用されていない?
そんなはずはない。メアドならともかく電話番号を変えるなんて滅多にない。
万が一変えていたとしても、俺に何かしら連絡するはずだ。
なのに、利用されていない?
ぐるぐると考えながら、オレはまた気が付いた。
いつの間にか、足を止めてしまっていたことに。
そしてオレの背後に、到底人間とは思えない気配があることに。
『カエサナイッテイッタデショ?』
携帯を片手にゆっくりと振り向くと、
オレの肩に触れるほど近くで、あの着物の女の子が口角を吊り上げていた。
悲鳴をあげる間もなくオレの喉が鷲掴みにされる。
ぎりぎりと締め上げてくる手は間違いなく目の前の女の子のものなのに、
信じられないほど力が強い。
必死で振りほどこうとするが、酸素が足りないせいで力も出ない。
『ツカマエタ!ツカマエタツカマエタアハハハッヒャハハハハッ!
オニイチャンノメシロイカミノケスゴクキレイヨ、ワタシニチョウダイ!
チョウダイチョウダイワタシニチョウダイカラダヲチョウダイワタシニワタシニワタシニ!!』
けたけたと目の前の奴が笑う。
頂戴、とこいつは言った。ようはまたオレが引き寄せてしまったわけか。
しかも、先程の塩と札のことを考えればそれなりに力を持っているらしい。
だんだん視界が霞んできた。そろそろ本気でまずい。
『ワタシノモノワタシノモノ!
カラダカラダキレイナカラダワタシノカラダワタシダケノカラダキャハハッ!』
至近距離で叫ぶ声も徐々に遠くなっていく。
もう、意識も持ちそうにない。
エナメルバッグが肩からずり落ちて地面に落ちる音を聞いた、次の瞬間。
「全てに勝ってきた君でも、勝てへんもんがあるんやで」
凛とした声がオレを現実に引き戻した。
いや、正確に言えばその声の直後の弓の音、だろうか。
パァンッ! といううちの弓道部でも滅多に聞けないような鋭い音の直後に、
目の前の女の子が吹っ飛んだ。
同時に手も首から離れ、やっと解放されたオレは地面にへたりこんだ。
そのまま喉に手をあてて咳き込んでいると、目の前に見知らぬ後姿が現れた。
「やっと見つけたで。高校デビュー早々こんなんに巻き込まれるとは難儀やなぁ」
関東ではあまり聞かない関西地方の訛。
特徴的なイントネーションで喋りながらオレの前に立ったのは、
すらりと背の高い女の子だった。
腰近くまであるストレートの黒髪。
長袖のブラウスから除いた白い手には弓が握られている。
校則に違反しそうなほどに短く折られたスカートは、折りすぎて少しプリーツが乱れている。
膝まである黒いハイソックスに同じ色のローファー。
それに縁取られた両足は細いけど、しなやかな筋肉が備わっているのが分かる。
良く見ればブラウスもスカートも見覚えのあるものだった。
しばらく前を見ていた彼女はやがてこちらを振り返った。
ブラウスの胸に刺繍されたマークは、間違いなく陽香高校の校章だった。
「うちの名前は影蓮寺翠、君の名前は?」
緊張感がないのか余裕の現われなのか、このタイミングで彼女は自己紹介する。
あの着物の奴がどこにいるのか分からないのに、何なんだ?
いや、さっきのでもう倒してしまったのか?
何度か咳払いした後、オレも口を開く。
「…桂木光祐」
「桂木っちね、了解了解!」
「か、桂木っち!?」
唐突に名づけられるあだ名に困惑する。
今までオレの名前を呼んだ奴も数えるくらいにしかいないのに、
あだ名なんて前代未聞だ。友人のあいつだって名前で呼ぶんだぞ。
「にしても、逢魔時ちゃうのに仕掛けてくるとかどんな神経してんねんあいつ。
意外に力持ってるっぽいな…。ただの神隠しの怪とちゃうんかな」
一人で呟きながらスカートのポケットをあさり出す彼女―影蓮寺の言葉に、
聞き慣れない単語が飛び交う。
「は、え?おうまがとき?それに神隠しって?」
「魔に逢う、または大いなる禍と書いて、逢魔時。
妖怪やら幽霊やらにばったり会いやすい時間で、夕方の薄暗い時のこと。
ようは幽霊さんらのホームグラウンドな時間のことや。
神隠しは日本でドが付くほどメジャーな怪奇現象。子供が消えるとかゆうあれな」
予想外に詳しい答えに思わず黙る。
オレの友人でもここまで詳しくないぞ。相当のオカルトマニアか何かだろうか。
そんなことを一人で考えていると、影蓮寺の視線が唐突に鋭くなる。
弓を強く握って、俺に背を向ける。
「あーもう、結構本気で射たのに耐えとるとか面倒なやっちゃな。
札も使って二刀流せぇってか?」
緊迫した状況を仄めかせる台詞にも関わらず、口調からは余裕が窺える。
相当場慣れしているのが想像できるが、こんな状況に慣れてるなんておかしくないか?
影蓮寺に対する疑問はどんどん降り積もっていく。
けれどそれを聞けるような精神状態でもなかった。
右手に弓、左手にポケットから取り出した札らしきものを持ち、影蓮寺は仁王立ちしている。
その陰から覗くと、また息が止まりそうになった。
オレたちから少し離れた場所に、あの着物の女の子が浮かんでいた。
相変わらず不気味に口角を吊り上げながらこちらを見ている。
けれどその目はオレではなく、影蓮寺に向けられていた。
『オンミョウジ…オンミョウジ…!
ジャマシナイデ、ソレハワタシノカラダ!ジャマシナイデジャマシナイデジャマジャマジャマ!』
「生憎やけど譲る気は微塵もあらへん。
桂木っちの魅力的な体質に惹かれてここに連れ込んだんやろうけど、
うちが来たからにはそうはさせんで!」
今あいつ、陰陽師って言ったか?
陰陽師って、あれだよな。平安時代の安部晴明とかがやってたやつ。
未来を占ったり式神を従えたり、妖怪を祓ったりしたという。
目の前のこいつが、その陰陽師だというのか?
オレの心中など知る由もなく、影蓮寺は弓を構えた。
矢がないにも関わらず、弦が引かれるにつれて着物の奴の顔が強張っていく。
弦がいっぱいにまで引かれる頃、影蓮寺が左手に持っていた札の一枚が発光し、
一瞬で矢となって弓につがえられた。
背を向けられているのに、影蓮寺が笑みを浮かべるのが分かる。
「全てに勝ってきた君でも、勝てへんもんがあるんやで」
最初に言った言葉を影蓮寺は繰り返す。
きりきりきり、と弓が鳴る。
「…それは、怪異や!」
パァンッ! と心地良い音と共に矢が放たれる。
矢は真っ直ぐ飛んで、着物の女の子を正確に射抜いた。
『ギッギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
腹に穴を開けた女の子は空中で悶え苦しんでいる。
本来目のある場所に空いた黒い穴からどす黒い何かが零れている。
『ユユユルサナイユルサナイコロスコロスコロスシネシネシネシネシネエエエエエエエエエ!!』
逆上してこちらに向かってくる女の子に、影蓮寺は一切怯まない。
弓を左手に持ち替えて、胸の前で右手に印を組む。
「謹製し奉る!降臨諸神諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令!」
高らかに叫ばれた呪文で女の子が吹き飛ぶ。
空中で徐々に砂のように崩れ始める女の子に影蓮寺は人差し指を突き出した。
「チェックメイトや!」
『ギギ…ッギアアア……!』
女の子が完全に砂になって消えた瞬間、
赤い鳥居や石畳が消えて、足元に元のアスファルトの感覚が戻ってくる。
張り詰めていた空気が溶けていくのを感じて、オレは大きく息を吐いた。
「終わった…」
「終わったなー」
疲れ切っているオレの隣で影蓮寺はニコニコしている。
こいつの神経は一体どうなっているんだ。
「えっと…影蓮寺、だっけ」
「あ、呼び捨てでいっちゃう?うち一応君よりいっこ年上やねんけど」
「え!?」
さらっと明かされる衝撃の事実。
高校生になると年上か年下かは分かりにくくなるのは承知していたつもりだったが、
完璧に同級生だと思い込んでいた。
「うち高校からこっちに引っ越してきてん。前は京都に住んでたんや。
引っ越してきたのはよかってんけど、やたら嫌な気配するし、ずっと探っててん。
そしたら君がえらい霊媒体質らしいやんか。
目はつけててんけど逢魔時以外に手ぇ出されるとは思わんかったわ」
「その割には名前も調べてなかったのか…ですか」
つらつらと言葉を連ねる影蓮寺…さんに戸惑う。
このまま話させると意味が分からない内容が飛び出しそうで、
無理矢理に話題を提示した。
「あ、あの着物の奴が影蓮寺さんのこと陰陽師って言ってたけど、それって?」
「さんってつけてくれるんやー。タメ口でええし呼び捨てでええよー。
で、陰陽師ってのは聞いたことはある?」
呼び捨てでいいのかよ、と内心突っ込みつつ、頷く。
影蓮寺は満足そうににこっと笑った。
「平安時代に活躍した占いしたり妖怪祓ったりする人のことな。
うちの家は安部家の血が流れてるらしくて、代々そっち方面の修行とかしてんねん。
さっきの矢とか札とか、真言とかはそれな」
大体合っていた。
なんだか質問タイムのようになってきたし、気になったことをもう一つ尋ねてみる。
「オレが勝てないものが怪異だっていうのは?」
「ああ、それな」
片手で髪をすいて影蓮寺は微笑む。さらりと髪が揺れた。
「そのままの意味や。今の君では怪異には到底勝てへん。
…やから、それを退け倒すんが、うちの役目や」
影蓮寺は腕を組んで、すっと目を細めて笑った。
陰陽師としての自分を誇りに思っているような笑みだった。
けれどその笑みは一瞬で、すぐにおちゃらけたものに変わる。
「そーいうことや!学校も同じやし、これからはうちが用心棒したるで!」
「え、は!?」
「安心しぃ、桂木っちの友人君にはもう話つけてあんねん!」
「いやいや早いだろう!」
「お、中々の突っ込みや!大阪のおばちゃんともいい勝負ちゃうか?」
「知らん!」
神隠しの異空間で出会った、黒く長い髪をした年上の現代陰陽師。
オレを変えることになったその女の子は、オレとは正反対の人だった。
直角に交わる関数のような、そんな関係。それはどこか法線ベクトルに似ていた。