戻りし日常
そういえば…
真由里殿のビジュ、あんまり描写してないや
「いってきまーす」
身支度を整えた真由里殿
スーツに身を包み粧った様はきりと美しい
そうして一週に五日は職場へ向かう
昔も随分と忙しなかったが、今は身分差別も家の縛りも殆どない自由な時代
その分、彼女達の生活が目まぐるしく見えるのかもしれない
「恙無く 行ってらっしゃい 真由里殿」
真由里殿が好意的な表情で送り出す
からりと彼女の首飾りが踊った
「さて」
家仕事も恙無く。
皿洗い、洗濯、掃除
好きにしても良いと頂いた銭もある
外の声に耳を傾けながら使い道を考えていた
「ああすまない そんなつもりは 無かったよ」
角を引っ掻く様な、圧
言葉では無い。花屋で迎えた子らの声
消えかけの灯火を連れて来ていた
また違う子を相手取ると思ったらしい。子らの花弁を一つずつ撫でていく
「渇いたろう 水を差そうか 陽浴かな」
部屋の日差しへ鉢を持って行く
一つ一つ、鉢は全部で十五有る
子らにほんの少し力を与えながら。枯れかけていた子らが安らかに逝ける様に
水を汲もうと離れる時でさえ、角は赤黒い圧に後ろ髪を引かれる
如雨露とコップに水を注いで戻った
葉に落ちる水が正しく雨の様。
久しく聞いていた 唯一昔から変わらない音
雫を浴びた子らは陽に輝き美しい
垂れた雫を一つ、掬って唇を潤してみる
そんな傍らで喜ぶ声を聞きながら。
共に潤す水の、何とも美味な事だろう
こうしていると子らが時々羨める
か弱い様は彼女も変わらない。それなのに、ああして外の世界へ行ってしまう
あれから一年の間
此処で大人しく子らの様だったのに
何とも酷く、口惜しい
「………………その方ら 呼んでは居ないが まあ良いさ」
ふ、と静寂が降りてくる
陽も遮られた
風に揺れた木々でも無く、陽が傾いた訳でもない
それは黒い。だらりと下がった黒の髪
穢れに寄る寂しき影ら
手指の塊や髪を束ねた姿。生前の執着を体現した人影が真っ黒に蠢く
窓辺から何人も覗いていた
「この部屋へ 踏み入れぬなら それで良い 真由里殿へも 触れるは許さぬ」
朗らかだと彼女は言った。
合わせた顔は優しいと。聞こえる声音は鈴の様だと
それを捨て、"穢れ"に転じる
優しい声はかつての己。子供の彼女が手繰ってくれた私の姿
綺麗と言った何もかも。墨が先まで伝う様
血を飲み干した瞳、それに纏うのは漆黒に紅を飾る狩衣
己自身が得た"信仰"
恐れ続ける穢れの姿
赤黒い衝動が彼女の部屋を隅々満たしていく
差し伸べた手先は既に黒い
彼女の気配が鼻を掠めるというのに。室内はもう、陽光さえ既に照らすのを戸惑っている
『──────』
子らに差す光が、戻っていた
「…利口かな」
目を閉じ、深呼吸
装いが解けていく。戻るは彼女がくれた宝物
長髪は毛先から溶ける様。薄緑がゆっくりと現れる
部屋中は未だに薄暗い 荒げた気配を鎮めていく
外から入るは鳥や子らの声
心地良い憩いが舞い戻る
戻り行くそれらに一息着いた。
「ああすまない 怖がらせたね もうしない」
葉先の縮んだ子らを、ゆったりと慰めた
──────────
「ただいまあ…わあ」
疲れた
残業は無し。いい職場だけれど、逆に言えば"勤務時間は馬車馬"
事務仕事は思ったより体力仕事で凄く疲れる
座ってパソコンと向かうだけは楽、いや冗談じゃない。
言った奴には部署全員の仕事を押し付けて帰りたい位
正直キツい
でも他だと残業もあるのだから、音を上げるのは弱いかもしれないけれど
「お帰りよ 食事が先か 湯浴みかな」
玄関から直ぐにリビング
出迎えた燈魔がにこりと笑う
真横からは炊きたての白米と独特なスパイスの匂い
以前は返事も返って来なかった
でも今は燈魔が居る
「ご飯がいいな 出来たてでしょう?」
「そうともさ "かりい"とやらを 拵えた」
硬いヒールを脱いで上着を燈魔に渡す
直ぐにハンガーへ掛けてくれた
明るい部屋でお帰りと返事が返って来る。しかも食事や風呂まで
もう、この生活は抜け出せないかもしれない
独り身には贅沢過ぎる
「直ぐつごう ゆるりと座り 待ってくれ」
「うん、ありがとう」
相変わらずのゆったり
自分は凝った肩や足裏を解しながら正座を崩す
にこやかな彼の様が程良く力を抜いてくれた
「……あれ、燈魔。指、どうしたの?」
少し深い皿に白米とカレー
よそってくれる姿が有難い
けれど器も米も白いからか、運んで来る指先の黒ずみが目立ってしまった
「食材の 土を落とすや 色移り かりいとやらも 慣れず終い」
こと、とテーブルに食事が置かれた
出来立てで湯気が立っている。横にはスプーンと水が入ったコップ
そして葉野菜のミニサラダ
スパイスに混ざってツンとしながら、深い食欲をそそるドレッシングの匂い
添えられた作り置きのゆで卵
本当に。なんて贅沢なんだろう
まるで、まるで
彼氏が泊まりに来た日の様
お別れも花で告げてきた。もう、会えないのだけれど
「よっし、いただきまーすっ」
カレーを口いっぱいに頬張った
火傷しそうになったけれど、だからこそ。熱くて美味しい
スパイスが鼻に抜ける
溶け出した野菜達の甘みと旨みが淡白なお肉と柔らかい野菜からも溢れて来る
ルーの塩気も白米で優しく和らいでいい塩梅
水で流すのが勿体ない。けれどやっぱり熱くて少し辛い
リセットしながら頬張る
スプーン休めにサラダを一口。
小気味好い食感と瑞々しさがまた違う
後味さっぱりの玉ねぎドレッシングがまた良い
そんな口がまたカレーの熱さを欲してしまう
「本当に 食べる姿が 愛らしい まるで子らでも 見る様だ」
夢中で食べる様子を眺めながら燈魔は水を飲んでいる
ちょっぴり恥ずかしいけれど、一年もすれば慣れてきた
「んん、美味しそうに食べるって事?」
「そうとも言う その解釈で 違い無い」
ふーん、なんて頬張りながら
確かに子供っぽいかもしれない。昔から夢中で食べるから
小さい頃は給食もよくからかわれたっけ
そうして楽しくからかってくれたのは、紛れもない彼氏だった
「…ふぅ、ご馳走様ぁ」
真後ろのソファに凭れて一息
かちゃかちゃと食器を扱う音がする
「あ、ごめん燈魔 今片付け…」
優しく口元を拭われた
指にはカレーが付いている。気が付かなかったみたい
そのまま口に運んで、ぺろりと舐めていた
「湯浴みなら 既に用意は 出来ている 片しておく故 入ると良い」
至れり尽くせり。
もうなんというか、凄く、嬉しい
「うん、ありがとう」
朗らかな笑顔を見て脱衣場へ
電気を付けた。もう部屋着や下着、タオルも用意してある
お湯はいつも保温で暖かい
しかも入浴剤まで傍らに置いてあるから、凄い。
気が利き過ぎてびっくりする
「ああそうだ 首飾りだけは 外さずに。そうでなければ 意味が無い」
「はあい」
皿を洗う燈魔の声
聞きながら服を脱いで風呂に入った
髪を洗ってから洗顔。
リンスを流して、身体を洗う
それから湯船に入るのがいつもの順番
身体を洗う時だけは首飾りを外してしまう
一応ボディソープでそのまま手もみ洗いするけれど。
それから湯船に浸かる
「ふぅ……」
入浴剤の匂い
森林の香りらしい。滴る雫の音が静かに浴室に響く
足を解したり、首を解したり
時には伸びてリラックス
肩まで浸かるのが本当に、じんわり熱くて気持ちがいい
「…………」
でも、静か過ぎるから。つい色々考える
仕事最中、過去や将来の事
失った友人や彼氏の顔や思い出達
水面に映る顔が波紋で歪む
甘い時間も楽しい時間も。全部思い出せる
彼等は今でも美味しいご飯を食べていたかな
自分は今、満たされ過ぎて怖い位
皆生きていれば笑ったかな。
生きてさえいてくれれば、今頃。また飲みにでも行けたかな
あまり考えても意味が無い。
分かっていても、静かな時間は自然と向き合ってしまう
嫌だ嫌だと、顔を沈めてみた
「………………っ」
ひたり
冷たい何かが首に落ちた
きっと雫。天井の結露か何か
顔を浸けたまま固まってしまった。
お湯の中だから息ができない。でも、顔を上げるのが恐ろしい
怖がりだから色々巡らせてしまう
これは雫。結露。大丈夫、大丈夫
顔を上げれば全部わかる
ゆっくり上げよう。何もないと安心しよう
だから顔を上げたい。
上がらない
踏ん張りたくても浴槽は滑る
息が続かない。苦しい。
そうしている内、またぴたりと雫が落ちてきて
今度は首から冷たい"何か"が頭に這い上がって来た
「っっ、ッッッ」
叫んだ。息が出来ない
押さえつけられている
燈魔を呼びたいのに、水の中だから次の息が吸えない
泡が一方的に出ていく
ごぼごぼと顔を掠めて、それだけ
肺がまるで水に入れられたビニール袋。
吐き出しきりそうな胸はもう、潰れてしまって膨らまない
「──ッッ、っ ────ッッッ」
手足をばたつかせて必死に藻掻く
抑える何かに触れた
冷たい。凄く冷たい
剥がしたいのに、がっしり掴まれて剥がせない
水面が虚しく荒ぐだけ
涙が湯に溶けていく
腹底からの震えがガクガクと。心臓もその位跳ねて、湯の熱さが全身を焼いてしまいそう
その内視界が暗くなってきた
違う
伸びてきた。視界の横から黒い手が
そうだ。彼氏がよくやっていた。
後ろから目を隠すそれ
細指の筋張った大きな手が目を塞いでいく
その指の隙間から見えたのは
「────────ッッッッッ」
水中から身体を絡め取る、髪と腕
長髪を揺蕩わせた赤黒い女の顔だった
「ッッあ、いやっ ひ、いやぁぁあああああっっっっっ」
顔が上がった
いや、引き上げられた
涙を流しながら必死で暴れる。掴む、泣き叫ぶ
絶叫が何重にも返って耳が痛い
ずるりと中で滑った
沈みそうになるけれど、身体は引き上げられてそのままだった
「もし、もし」
囁く優しい声
気付いた時には燈魔が後ろから支えてくれていた
「う、え…うぁぁあああ…っ」
浴室だからよく響く
泣き叫んだ。殆ど動けないまま子供の様に
ひ、ひと迫り上がる度、やっと吸えた空気が肺を満たして痛い
からりと小瓶の音がする
差し出す掌にはネックレス
そうだった。身体を洗って、外したまま
直すのを忘れていた
「……首飾り 外して終いや それは惜しい」
ネックレスを握らせてくれた
ゆっくり抱き寄せられ、ずぶ濡れの頭を数度慰められる。
暖かくも柔らかくもない
だけれどその心地は暖かな春の兆し
不思議だけれど、これは好き
懐かしい思い出の様
「これのみは 肌身離すは いけないよ」
髪が水面で揺蕩い沈んでいく
薄く、視界を優しい薄緑で染め上げてくれる
隙間から覗く花弁の数々は言い知れぬ程綺麗だった
続くかもよーぉ




