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第8話 笑顔の肖像

「吸うか?」


 差し出しされた煙草を無言で断る。


 ベッドに腰を下ろしただんな様は、困ったように部屋を見まわしてから、あたしに視線を戻した。


「なにかあったのか?」


 あたしはベッドの前に立ったまま、ぎゅっと唇をつぐむと、小さく口を開く。


「あ、あの」


 喉がつかえたみたいに、言葉がうまく出てこない。

声が震えないよう、こぶしを握りしめる。


「あたしと、その、一緒に寝てほしいの」


 宙に放たれた言葉に、だんな様の目が大きくひらかれる。


「フリューリンク……」


 だんな様の目に、困惑の色が濃く現れた。


「その、君を愛するつもりは……」

「いいから」


 あたしは予想していた通りの答えをさえぎった。


「いいから、その、愛さなくて……だっ、抱かなくていいから」


 心臓の主張が強くなって、呼吸が苦しくなる。

だんな様は真意を探るかのように、まっすぐあたしを見ている。


「怖い夢を見たの、その、それで、ひとりで寝るのが……怖くて」


 あたしの発した言葉が、まるで他人のもののように耳に帰ってくる。

こうやって聞いてみると、うんざりするほど甘えた、子どもっぽい言い分だ。


「隣で寝させてほしいの……あ、あたしの、だんな様なんだから、いいでしょ、そのくらい」


 言い切って、あたしは口を閉じた。


 だんな様はしばらく黙ってあたしを見ていたけど、ゆっくりまばたきをひとつして頷いた。


「わかった」


 ベッドの奥に半身を横たえて、だんな様は両腕を広げた。


「ほら、おいで」


 低い声に胸がざわつく。


 あ……そういう感じなんだ。

本当にただ隣で寝させてもらうだけのつもりで来たんだけど、今さらそんなことも言えない。


 そっと腕に身を寄せると、だんな様は包み込むようにあたしを抱きしめた。

だんな様の肌は温かくて、そのときはじめてあたしの手足が冷え切っていたことに気づいた。


 流れるような動きで、だんな様の手があたしの髪に触れる。

思わずビクッと体が震える。


 大きい手のひらはぽんと優しく肩を叩くと、子どもでもあやすかのように髪を撫でていく。


 よそよそしかった体温がじわりと溶けだして、あたしの肌に沁み込んでいく。

ゆるく髪を撫でる手のひらからは、優しさが流れこんでくるみたいだ。


 すごい、気持ちいい。

あたしはそっと目を閉じると、だんな様の胸に額をすりつけた。


 あたしの動きを感知したかのように、頭を撫でていた手の動きが止まった。

どうしたのかな……夢うつつのように目を開いた瞬間だった。


「……あっ」


 息が止まるかと思った。


 あたしは熱い両腕にきつく抱きすくめられていた。

額がぎゅうとだんな様の胸に押し付けられる。


 腕の力が強くて、つぶれてしまいそうだ。


 体があつい……この熱はだんな様のものなのか、それともあたしが発しているのか、もうわからなかった。


 心臓が激しく鳴って、呼吸が早くなる。


「だんな……さま?」


 切れ切れに言葉を発すると、答えの代わりのようにさらに腕に力が込もる。


 すぐ近くで心臓の音が聞こえる。

あたしはぴったりと、押し付けられるように腕の中に閉じ込められていた。


 狭くて、あつくて、苦しい。


 それなのに、ずっとこうしていたいような、心地よい温かさに身体中が満たされていく。

気づけば、熱い腕の中で必死にだんな様にしがみついていた。


 どれくらいそうしていたのか、だんな様が腕をゆるめたとき、あたしはもう体に力が入らなくなっていた。

ぐったりと体を預けるあたしを見てふっと笑うと、だんな様は両腕で包み込んでくれた。


 いったい何が起こったのか、いまいち整理がつかないまま、あたしの意識は優しい体温の中に溶けていった。





 目を覚ますと、だんな様はあたしを抱きしめたまま、静かに寝息をたてていた。

一晩中こうしていたせいか、すっかり肌に馴染んだ体温が心地よい。


 相変わらず部屋の中は薄暗いけど、どうやら夜は去ったらしい。


 ゆっくりと打つ、心臓の音に耳をすませる。


 知らなかった。

温もりに包まれて眠ることが、こんなに優しく、安心するものだったなんて。


 だんな様の眠りを邪魔しないよう、そっと体を起こす。


 物憂げな薄明かりの中、部屋を見まわすとベッドサイドのテーブルに小さな絵が飾ってあるのを見つけた。

昨夜は気が付かなかった。


 おそらくは前妻のブリーゼだろう。

栗色でカールのかかった豊かな髪に、さくらんぼみたいに真っ赤な唇。


 すごく、可愛らしい人……でも、なんかちょっと、その絵は変だった。


 ふつう肖像画っていったら、こう、とりすまして、笑ってんのか笑ってないのかよくわからない表情で描かれるものだと思ってたんだけど、彼女は違った。


 小首を傾げて、まぶしそうに目を細めながら、はじけるような笑顔でこちらを見ていた。





 その朝、あたしは初めてだんな様と一緒に朝食をとった。


 昨夜、あたし達の間には何もなかったし、むしろ夫婦なんだから何があってもいいんだけど、なんだか気恥ずかしいような、変な気分だった。


 屋敷の扉を開けると、相変わらず外は霧で真っ白だった。

こんな中で馬車を走らせて大丈夫なんだろうか。


「すごい霧……気をつけてね」


 だんな様は「霧?」と不思議そうに外を見たあと、あたしに向き直って笑った。


「じゃあ、行ってくるよ」


 白い世界に飲み込まれていく馬車に向かって、あたしは深々と頭を下げた。


 また、1週間が始まる。

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