第3話 秘密の扉
「ルフト様はあまり読書はされませんが」
暗い廊下を歩きながらカトレアは淡々と話す。
そんなことより早く歩いてほしい。
屋敷の中央に位置するカッコウ時計が開く前に早く部屋に入ってしまいたかった。
扉が開いた先の暗闇はできることなら見たくはない。
「先代の趣味でして、歴史書から海外文学までひと通り揃えております」
どうせそんな小難しいの読まないからいいんだよ。
あたしは心の中で毒づく。
「では、こちらでございます」
書斎のドアを開けるカトレアの前であたしは固まった。
なんで気付いてしまったんだろう。
書斎の前、吹き抜けの手すりの隙間には、ドアを見つめるかのようにガマガエルの置物が鎮座していた。
◇
部屋でぼーっとしてても気が滅入る一方なので、あたしは本を読むことにした。
物語でも図鑑でも、とにかく遠い世界のものに触れていれば、耳元で鳴くカエルの声や巣箱の奥の暗闇から一時的にでも逃れられるんじゃないか。
それにしても……ずらりと並ぶ本棚を見まわす。
これは確かに圧巻だ。
実家にある申し訳程度の書斎と全然違う。
いや、もしかしたらアカデミーの図書室よりも蔵書は多いのかもしれない。
でも、何を読もう。
ミステリー小説が好きだったけど、フィクションとはいえ、今はとても人の死を娯楽として消費する気にはなれない。
だからと言って、安いハッピーエンドの騎士道物語なんて余計に気分が沈みそうだ。
海外文学もあると言ってたけど、外国語はあまり得意ではなかったし、そもそもアカデミーを中途退学したあたしに読めるんだろうか。
なんだか疲れてしまってあたしはソファに腰を下ろす。
なんでだろう、気分を変えるために来たはずなのに、嫌なことばかり思い出してしまう。
カタン、とカッコウ時計の扉が開いた音がして肩の後ろがひやりと寒くなる。
本なんてなんでもいい、とにかく頭の中を埋め尽くす不気味なものから離れられればいいんだ。
あたしはなるべく分厚い本を手にとった。
仰々しい表紙には植物図鑑と書かれている。
今までのあたしならまず読まないような類のものだ。
でもまあ、この際だし植物に詳しくなるのも悪くないかもしれない。
ソファに座って本を開くと、草木や花など、写実的な絵と共に詳細な説明が載っていて意外にも面白かった。
普段ただ木とか草と認識していたものの名前を知るだけで、少しだけ世界が豊かになった気がする。
適当に選んだけど、当たりだったな。
嬉しくなって頬杖をつきながらページをめくると、不吉な骸骨のシンボルとともにやけに物騒な文字が目に入った。
『危険! 毒のある植物』
ざらっと何かが背中を這うような嫌な感触がした。
思わず窓の外を見る。
本来なら常緑の針葉樹が一面に見えるはずの空間は、今日も深い霧に阻まれてカーテンでも下ろしたみたいに真っ白だった。
◇
次の日もあたしは書斎にいた。
相変わらずカエルはうるさく鳴いているものの、この家の中ではここがいちばんマシな場所に思える。
昨日は植物図鑑の骸骨にびびったけど、よく考えたらどうってことはない、ただの記号だ。
この屋敷に来てから疲れているのか、少し過敏になっているのかもしれない。
今日は何の本にしよう。
昨日の続きでもいいし、もっとほかの本を読んでみてもいい。
今まで1ミリも興味のなかった植物図鑑がわりと面白かったし、歴史書でも読んでみようかな。
久しぶりに、本当に久しぶりに浮き立った気分になってあたしは書斎を歩き回った。
つまり、あたしは完全に油断していた。
だから、また変なものを見つけてしまったんだ。
書斎の端、いちばん入り口から遠い角の奥から2番目に、なんだか変な棚がある。
ほかの棚は一定の規則に従って整然と本が収められているのに、ここだけ歯抜けのようにまばらで、秩序が失われている。
そして棚の下段……あたしの目線よりやや下方に、イボだらけの無機物が見えた。
「グエエ」と、まるであざ笑うかのような鳴き声が一段と大きく耳に響く。
間違いない。
こちらに背を向けるようにして一心に棚の奥を見つめているのは、例のガマガエルの置物だった。
ぐっと、吐き気にも似た感覚が胃から上がってくる。
片手で胸を押さえて必死に呼吸を整えると、ガマガエルよりさらに下段に、気になるものを見つけた。
重厚な表紙で飾られた他の本とは明らかに違う、大ざっぱに切った紙を紐で留めただけの冊子が素っ気なく置いてある。
『春をさがせ!』
表紙にはたどたどしい文字だけが書かれていた。
あたしはカエルをなるべく視界に入れないように、数枚の紙で構成された薄っぺらい本を手にとった。
いったい、なんでそんなことをしたんだろう。
どこか温かい題名に少し気をひかれたのかもしれない。
表紙をめくった瞬間、「ヒッ」と小さく悲鳴をあげてあたしは冊子を取り落とした。
アンバランスに大きい頭に、深い洞穴のような暗闇がふたつ、赤い唇は奇妙な形に歪んで、胴体はピンク色でぐちゃぐちゃに塗られている。
ページを開いた先にあったのは、まるで子どもの手で描かれたように稚拙な、それでいて一度見てしまったら頭の中にずっと居座りそうなほど強烈な絵だった。
カタン、と部屋の外で巣箱が開いた音がする。
本当は触るのも嫌だったけど、あたしは震える手で冊子を閉じるともとの場所に戻した。
あたしはその場にしゃがみ込む。
なんなの、この屋敷は……1日だってあたしが穏やかな気分でいることを許してはくれない。
さっきから耳元でカエルが騒いでいる。
1匹鳴き始めたらほかの声も鳴きだして、すぐにおぞましい共鳴がはじまる。
胸に手をあてながら大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
大丈夫、大丈夫……ひとつひとつ分けて考えろ。
これはただの鳴き声で、あのカエルはただの置物だ。
変に関連付けようとするから、おかしいことになる。
あの冊子は……見なかったことにすればいい。
とりあえず読書は中止だ、部屋に戻ろう。
立ちあがろうとしたとき、手前の本棚との間に隙間があることに気づいた。
あれ、奥に何かある?
手をすべりこませると、本棚は驚くほどなめらかに回転した。
本棚があった場所の壁に現れたのは、小さな片開きのドアだった。
なんだろう……なんで、こんな隠すようにドアがあるんだろう。
ごくりとつばをのみこむ。
わかっている。
この先に進んだところで、どうせロクなことにならない。
こんな屋敷の奥に隠されている秘密なんて、絶対に気持ちのいいものではない。
はぁーっと息を吐くと、あたしはドアノブに手をかけた。
「その先は屋根裏です」
心臓が止まるかと思った。
振り返るとカトレアが静かな目でこちらを見ていた。
ドアノブを引いてみても、施錠されているようでドアは開かなかった。
「物置になっています。奥様がお気になさるような場所ではありません」
感情の乗らない声でそれだけ言うと、カトレアは慣れた手つきで本棚を戻して部屋を出ていった。
あたしはしばらく立ち上がることができなかった。




