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第1話 嫁入り

 うわ、すっごい霧。


 視界全体が白くけむって、窓の外に広がるはずの森は薄ぼんやりとしか見えない。

このままだと部屋の中まで湿っぽくなりそうであたしはあわてて窓を閉める。


 薄暗い部屋を見まわしてため息をつく。

アイボリーの壁紙に木製の棚とテーブル、ソファから絨毯までファブリックは全てモスグリーンで統一されている。


 昨日からあたしの場所になったこの部屋にはまだ馴染まない。

身の置き場がわからない、知らない家の知らない部屋だ。


 たたっと、廊下を早足で歩く音が聞こえて、ドアがノックされた。


「フリューリンク様、おはようございます」


 入ってきたのはあたし付きの召使い、カトレアだった。

このタイミングで来たのは、もしかしたら窓を閉めた音を聞かれてたのかもしれない。

行動を見張られてるようで、少し嫌な気分になった。


「食堂にお食事の準備がございます」


 あたしは窓辺に立ったままカトレアを見る。


「ありがとう……だんな様は?」


 だんな様とは昨日結婚したあたしの夫、ルフトのことだ。


「もうお出かけになりました」


 マジか……すっかり寝過ごしたけど、妻として仕事に行くだんな様を見送るくらいはしたほうがよかったんじゃないか。

確か、次の週末まで帰ってこないはずだ。


「起こしてくれたらよかったのに」


 小さくつぶやくとカトレアは表情を変えずに言った。


「ルフト様から寝かせたままでいいと言われましたので」


 まあ、だんな様がそう言ってるならいいか。

あの人もあたしに見送られたいとは思ってないのかもしれない。


 思わずため息がもれる。

寝坊したのは別に、初夜で疲れ切ってぐったり……とかそういうクソゴミみたいな可愛らしい理由じゃない。


 だって、だんな様は昨夜、あたしを抱かなかった。





 話は1か月ほど前にさかのぼる。


「フリューリンク、私は嫌よ、そんなの」


 人形のように無表情なあたしの前で、お母さまは震える声で言った。


「手塩にかけて育てた娘が、修道院に入るなんて……」


 あたしは何も言わずにただお母さまを見ていた。

目の焦点はぼやけて、目の前のことすらあまり現実感がない。


「尼にするために今日まであなたを育てたわけじゃないんですよ……本当に、アカデミーになんてやらなければよかった」


 お母さまはついに泣き出してしまった。


 悪女とかいうやけに立派な称号をもらって全寮制のアカデミーを退学した挙句、婚約破棄までされてあたしは家に戻ってきた。

こんなことになって今更嫁のもらい手もないだろうし、もう修道院に入るくらいしか道はのこされていない。


 あたしはもはや考えることすら面倒で、すべては人ごとのようにどうでもよかった。

ただただ、お母さまを悲しませていることだけが辛かった。

本当に、親不孝な娘でごめんなさい。


 まるでこの世の終わりのような泣き声が響く中、部屋のドアが静かにノックされた。


「入るぞ」


 そう言って、ドアを開けたのはお父さまだった。


「フリューリンク、お前に縁談だ」


 お父さまは何でもないことのように、淡々とした声で言った。


「なんですって!」


 お母さまはがばっと顔を上げる。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔、目だけがギラっと輝いてる様はなんだか新種の妖怪みたいだ。


「ああ、少し年は上だが伯爵家でな、去年奥方を亡くされたらしい。お子さんがひとりいて」


「そんな……フリューリンクはまだ17歳ですよ」


 お母さまは話を遮って言った。


「いくら家柄が良くたって、子どもまでいる人の後妻だなんて!」


 悔しそうに言葉をしぼり出すお母さまを腕組みをして眺めたあと、お父さまはあたしに視線を移した。


「おい、フリューリンク」


 穏やかだけど、真剣な眼差しだった。


「お前はどうしたい?」





 厚ぼったい雲に覆われた空の下、馬車が揺れる。

淡いブルーの生地に金糸の刺繍、袖口と裾にたっぷりとフリルの入ったドレスが重苦しい。


 結婚式なんてしないと言ったのに、これだけは着てほしいとお母さまが泣いて訴えるので仕方なく着てきた花嫁衣装だ。

昼間なのに妙に暗い、寒々しい景色の中できらびやかなドレスだけが浮いている。


 しかし、すごいな。

あたしは窓の外に広がる森を眺める。


 門をくぐってからどれだけ走ったんだろう。

いまだに屋敷は見えない。

この森全体が伯爵家の敷地だとしたらとんでもない広さだ。


 辺りに湿った空気が立ちこめて、霧が出てきたころ、屋敷の入り口についた。

中庭をぐるりと囲むように建てられた石造りの建物は、森の広さに比べるとだいぶ小作りに見えた。


 いつからいたのか、馬車を降りると召使いがひとり屋敷の前に立っていた。


「お待ちしておりました」


 歳のころはあたしより10ほど上だろうか、愛想のかけらもない顔で彼女は頭を下げた。


「本日より奥様の身の回りのお世話をいたします、カトレアと申します」


 奥様という響きに少し身がすくむのを、深く息を吸ってごまかす。

カトレアは屋敷の扉を開けてあたしに入るよう促した。


 扉を入った先のホールは吹き抜けになっていて、奥には木製の階段があった。

二手に分かれている階段の踊り場には巣箱を形どった木彫りの大きな時計が掛けてある。

文字盤の上に小さな扉がある。

よくある、時間になると扉が開いて、カッコウが時を告げる仕掛け時計だろう。


 部屋を見まわすと、さっき入ってきた扉の近くに、異様なものを見つけた。

陶器製の……おそらくガマガエルなんだけど、大きさは人の頭くらい、まだら模様やぼこぼこしたイボの質感がリアルで、調度品というにはあまりに生々しい、今にも動き出しそうな置物がじっと階段の上をにらんでいた。


 なんだ、あれ……気味が悪い。

明らかにホールの雰囲気と合ってないし、向いてる方向も斜めでなんだか変だ。

なんであんなものがここにあるんだろう。


 そのとき、階上からペタン、ペタン、と足音が聞こえてざわっと首すじが寒くなる。

見上げると、歳のころは4、5歳といったところか、ミントグリーンのドレスに長い黒髪の、曇り空みたいに陰鬱な目をした女の子がよたよたとずり落ちるように階段を下っていた。


 よく見ると身長の半分はありそうな大きな人形を抱えている。

ピンクのドレスを着た、金髪の女の子の人形。

その顔を見て声が出そうになった。


 不自然に大きな目にはガラス玉が埋め込まれているんだけど、微妙に左右の高さが違う。

ぎょろりとこぼれ落ちそうな瞳には光がなく、歪んだように開いた口からは歯がのぞいていた。


「ほら、今日から一緒に暮らす奥様ですよ。ご挨拶なさい」


 世話係だろうか、後ろからついてきていた女性が女の子に促す。

女の子は暗い顔でうつむいたまま、何も言わずに世話係の後ろに隠れた。


 継子がひとりいると聞いていたけど、もしかして……こいつ?


「ごめんなさいね、クライノート様は少し引っ込みじあんでして」


 世話係が少し困ったように言った。


「いえ、よろしくね、クライノート」


 あたしは人形をなるべく視界に入れないようにして笑顔を作った。

クライノートは世話係の後ろでただ下を向いている。


 とりあえず、あたしが歓迎されてないことだけはわかった。

笑顔がひきつりそうになるのを頬に力を入れてこらえたとき、階上から声が聞こえた。


「ああ、よく来てくれたね」


 よく通る落ち着いた声だった。

彼の姿をみとめると、カトレアと世話係はさっと礼をする。


 そうか、この人が……あたしはごくりとつばをのみこむ。

背が高くて、鍛えているのだろうか、肩幅がしっかりしている。

娘と同じ黒髪を短く刈り込んでいた。


「よろしくな、フリューリンク」


 そう言ってこの家の主、あたしのだんな様になる人は、控えめに笑った。

ふだん着のだんな様の前で、あたしが着ている大げさなドレスはやっぱり場違いだった。





 そのあと、だんな様は自ら屋敷を案内してくれた。

食堂に書斎、舞踏室に遊戯室、だんな様の部屋、クライノートの部屋、そして、あたしの部屋。


「ええと、カトレアは若いけどしっかりしてるから、なんでも言いつけてくれたらいい」


 だんな様はとても丁寧だったけど、どこか事務的というか、よそよそしかった。

今日から夫婦になるとはいえ、初めて会った人だ、これが普通なのかもしれない。


 そのあとはだんな様とあたしとクライノートの3人で夕食をとった。


 夕食はたぶんすごく上等なものを用意してもらったんだろうけど、なんとなく味気なかった。

クライノートの横に座らされた、薄気味悪い人形が嫌でも目に入る。


 だんな様は「疲れただろ」と同じことを3回も聞いた。

あたしがよっぽどくたびれた顔をしていたのかもしれない。


 食事中、クライノートはひと言も口を聞かなかった。





 ランプの灯りが部屋をゆらりと照らす。


 飾り気のない木彫りの鏡台に、ソファがひと組と、モスグリーンのカーテンがかかった窓辺には机と椅子が一脚。


 あたしの部屋だと言われても、よそよそしい空間はどうにも落ち着かない。

やたらと広いベッドには、ご丁寧にベルベットの天蓋までついている。


 こんな……知らない土地の知らない家で、会ったばかりのよくわからない男に今から抱かれるのか。


 なんだか笑えてきた。


 あたしはなんでこんなところにいるんだろう。

なんでこの無駄に豪華なベッドの上で、生地の薄い露骨なワンピースを着て座っているんだろう。


「変なの」


 思わずつぶやいた。

すべてがちぐはぐで、不自然だ。

それとも、多かれ少なかれ結婚なんてこんなものなんだろうか。


 部屋をぐるりと見渡す。


 あたしはこの部屋で、だんな様をどんなふうに迎えればいいんだろう。

このままベッドに座り込んでいればいいのか、それともソファにでも腰掛けてた方がいいのか。


 そんなの、どうでもいいか。

こんなことに作法もクソもないし、そもそもだんな様の好みなんてわからない。


 ふぅーっと息を吐いたとき、遠くからひた、ひた、と足音が聞こえてきた。

全身にざわっと緊張がはしる。


 喉の奥がはらはらして、不安にも似た波が広がる。

足音は勝手知ったるというように近づいてくる。


 なんだろう……なんでこんな、張りつめた気持ちになるんだろう。

心臓はさっきからどくどく鳴り始めている。


 まさかあたしは嫌なのか?

だんな様に、知らない男に抱かれることが。


 小さく頭を振って姿勢を正す。

バカな……この期に及んで、そんなの通るわけがないのに。


 足音は部屋の前で止まった。

すべての音が消えてしまったような沈黙のあと、ドアが小さくノックされた。


 あたしはゆっくりと深呼吸してから、口を開いた。


「どうぞ」


 少し、声が震えたかもしれない。


 ためらいもなくドアは開かれた。


「今日は遠いところをありがとう。疲れただろ」


 寝巻きの上にガウンという格好で、だんな様は部屋に入ってきた。

あたしは結局ベッドに座ったまま深く頭を下げる。


「本日から、よろしくお願いします」


 だんな様は「そんなに改まらなくていいよ」と言ってソファに腰掛けた。

ベッドの横に座られなかったことにあたしは少しだけ安堵する。


「どうかな……この家は、気に入ってもらえたかな」


 どこかぎこちない口調でだんな様は言った。

もしかしたら、彼も緊張してるのかもしれない。


「まだ、来たばかりですので……でも、素敵な部屋をありがとうございます」


 あたしはうつむきがちに言った。

だんな様は頷いて顔を上げると、じっとあたしを見た。


 瞳の中で、ランプの灯りが小さく揺れる。


 あ……来るぞ、これ。

きゅっと喉の奥が苦しくなって、ひざの上のこぶしを軽く握りしめる。


 だんな様はあたしの目をまっすぐ見て、静かに言った。


「実は、その……君を愛するつもりはないんだ」


 ん? なんて?

あたしは何を言われたかわからずに目をぱちくりさせる。


「俺は仕事で週末しか帰ってこないけど、君はこの家で自由にしてたらいい」


 頭がついていかないあたしの前で、だんな様は淡々と話し続ける。


「何か困ったことがあったら、カトレアに言ってくれたらいいから」


 ああ、そうですか。


「じゃあ、その……おやすみ」


 だんな様は控えめに笑うと立ち上がって部屋を出て行った。


 ドアが閉まって、足音はすぐに遠くなった。

ひざの上で握ったこぶしの行き場がない。


 なんだ、なに……何なの?

目を見開いたまま、どさっとベッドに倒れ込む。

視界の端にモスグリーンの天蓋が映った。


 なんで……なんであたしが、なんかちょっとフラれたような気分にならなきゃいけないわけ?





 もう日は昇っているはずなのに妙に暗い部屋の中、カトレアはさっきから感情の読みとれない顔でこちらをうかがっている。


「わかった、すぐに行くから、食堂で待っていてちょうだい」


 できるだけ落ち着いた声で言いつけると、カトレアは礼をして部屋を出ていった。

廊下を歩く音が遠ざかると、もう何も聞こえなくなった。


 分厚いカーテンに縁どられた窓の外は、相変わらず霧でぼやけている。


 途方もなく広い森に隔てられた館、辛気くさくてクソ可愛くもねえガキに、あたしを愛してくれないだんな様。


「ふふっ」


 思わず乾いた笑いが漏れた。

笑い始めたら止まらなくて、鏡台に寄りかかって肩を震わせる。


 なんだ、これ、こんなのまるで牢獄だ。


 ひとしきり笑ったあと、あたしは両手で顔を覆った。


 どこかで「ゲコッ」とカエルの鳴く声が聞こえた。

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