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第9話 視線の先

 左手で握った刃にペン先を斜めに削りつける。

このくらいでいいかな……軽く息を吹きかけて削りくずを散らすと、鋭く尖った先端が現れた。


 真っ白な羽根の切先を瓶に浸して、静かにインクが吸い上げられるのを待つ。


 瓶のふちで余分なインクを落としたら、広げた紙にまっすぐ線を引いていく。


 えーと、まずホールがあって、ここが階段で、廊下をこう曲がって……ここが書斎か。

大ざっぱな間取りに、部屋名を書き入れる。


 再び切先をインクに浸す。


 あたしはこの屋敷で起こった事象を整理してみることにした。


 ガマガエルに、溺死体グロ人形に、消えた小鳥。

前はただ怖がっていたけど、もしかしたらなんらかの意図が隠されているのかもしれない。


 まずはカエルだ。

確かカエルは4匹、屋敷の入り口と、階段の途中、書斎の前の廊下、そして本棚。

あたしは間取り図に✖️印を書き込む。


 それから、カエルの向いていた方向。

階段をにらむカエルと、階上を見るカエル、書斎のドアを見つめるカエル。


 矢印でたどっていくと、カエルの視線の先には次のカエルがいることに気づく。

そして、本棚のカエルは後ろ……隠し扉の方を向いていた。


 偶然にしてはできすぎている。

そもそもあのカエル自体、目的があって置かれたものだとしたら。


 わからないけど、この仮説に沿って考えると、本棚のカエルが示す先、扉の向こうにやっぱり何かあるんじゃないか?


 本棚……以前見かけた不気味な絵を思い出して首の後ろがひやりと冷たくなる。


 いや、大丈夫、見なければいいだけだ。

とりあえず、明日もう一度書斎に行ってみよう。


 息をついてペン先を布で拭う。


 それはそうとして……不完全に引かれた間取り図のだんな様の部屋を見つめる。


 昨夜のあれは何だったんだろう。

あたしを抱きしめるだんな様の腕はあつくて、すごく、すごく優しかった。


 ペンを置いて、自分を抱え込むようにぎゅっと身を縮める。

思い出すだけで、今でも体の奥から熱が湧き上がってくる。


 長いため息をついて窓に視線を向ける。

外は相変わらず真っ白で何も見えない。


 いやだな。


 あたしはまた、愛してくれない人を好きになってしまうんだろうか。





 ずらりと背表紙が並ぶ、本棚の横を歩く。

こんなに広かったか、ずいぶん歩いた気がするけど、部屋の端、例の棚はまだ見えない。


 それにしても……あたしは整然と収められた背表紙を見上げる。


 すごい数の本だ。

このひとつひとつに膨大な情報が詰まっていると思うと、途方もなく広い景色を見ているような、どこか心細い気分になる。


 ふと思いついて、近くにあった本を一冊抜きとる。

真ん中よりちょっと手前あたりのページを適当に開いた瞬間、全身に戦慄が走った。


 変な角度に裂けた口、えぐり取られたような2つの空洞、ぐちゃぐちゃになった胴体。


 無作為に開いたはずのページから現れたのは『あの絵』だった。


 思わず本を握っていた手を離す。

手の中からすべり落ちた本は、床に当たって硬い音を立てた。


 そのとき、がちゃり、と後ろでなにかが動く気配がした。


 ふいに冷たい風が首の横を通った気がした。

ごくりとつばを飲んで、あたしはおそるおそる振り返る。


 すぐ後ろに『あの棚』があった。

さっきは気が付かなかった。


 棚はすでに偽装としての役割を放棄し、奥の扉はあたしを誘うように細く開いている。

いや、あるいは、中から何かが出てきたあとなのかもしれない。


 あたしはドアノブに手をかけると、ゆっくりと手前に引いた。


 心臓がいやな角度に跳ねた。


 できることなら記憶を消して、扉を開く前に戻りたい。

そう願わずにいられないほど、その先の光景はおぞましかった。


 扉の中の暗闇には、おびただしい数の人形がびっちり押し込まれていた。

でろりと、暗い目が一斉に動く。


「人殺し!」


 声が出ない。

2、3歩後じさると、あたしは扉に背を向ける。


 逃げ出したいのに、脚に力が入らなくてうまく走れない。


 無理やり踏み出した脚はもつれて、がくりとその場にくずおれる。

嫌だ、逃げないと、早く、早く立ち上がらないと。


 捕まってしまう。


「どうしたのぉ?」


 頭の中に声が響いて、足首をぐいっとつかまれた。


「ねえええ」


 それは、折れそうなほど強い力だった。

床の下では彼女が空洞の瞳でどこか遠くを見ながらあたしの足を握りしめていた。


 おおよそ、生きている人間ではありえない方向に首が傾いて、肌もどろどろにふやけているのに、指先だけしなやかに長く、美しかった。


 いやだ、離して。


 口をひらいても、ただ唇が力なく震えるだけだ。

まるでせき止められているかのように、声が上がってこない。


 助けて、嫌だ、死ぬのは嫌。


 がっ、と細い手があたしの腰まで上がってくる。

いつの間にか太腿のあたりまで、あたしは冷たい水に浸かっていた。


「うそつきいいいいい」


 息ができない。

もがきながら口をあえがせると、ねっとりと重い液体が喉を塞ぐように流れ落ちてくる。


 だめ、苦しい、お願い……もう許して。


 引きずり込まれるようにして、あたしはなす術もなく沼の底に溺れていった。





「かはっ……」


 喉から上がってきた乾いた呼吸で意識が戻った。


 ぼやけていた視界が少しずつ合わさって、モスグリーンの天蓋が像を結ぶ。


 浅く短い呼吸を繰り返すうちに、体が息の吸い方を思い出してくる。

手足が、凍りつきそうなほど冷たい。


 まだ、彼女の指の感触が足から離れない。

寝巻きとブランケットは汗で湿って、寒くて震えが止まらなかった。


 両手で顔を覆う。

もう嫌だ……なんでこんな夢ばかり見るんだろう。


 どこにいても、何をしていても、あたしはこの先一生、彼女の影に怯えながら生きていかなければいけないんだろうか。


 朝が訪れてもなお薄暗い部屋を見る。

寒々しい室内、窓辺に置かれた羽根だけが白く、際立って見えた。

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