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最恐魔人、勇者(♀)のペットになる  作者: 神凪 浩
第二章 炎の軍団長イグニス
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第五話 灼熱の荒野

 クレセント家の屋敷を脱出し、数日が経過した。

 リディアとアビス(犬)の二人旅は、早くも、アビスにとって筆舌に尽くしがたい苦行となっていた。


「わあ、アビスさん! 見てください! ついに荒野です! これをまっすぐ抜けたら、イグニスさんの領地ですね! なんだか、本格的な冒険の始まり、って感じがします!」

(……冒険、ねえ。フン、能天気な小娘だ。お前が今から向かってるのは、お前が『ごっこ遊び』で倒してきたゴブリンとはワケが違う、俺様の元・四天王の領地だぞ)

 リディアの背負うリュックサック(犬用スペースが無理やり増設された)の中で、アビスは、灼熱の太陽から逃れるように、毛玉になって丸まっていた。

 屋敷を脱出したはいいが、そこから先が問題だった。

 最初の目的地、炎の軍団長イグニスの領地は、ここから南西に位置する「灼熱の火山地帯」。

 クレセント家の領地(比較的涼しい)からそこへ向かうには、広大な灼熱の荒野を数日間、徒歩で横断しなければならなかった。


 そして、現在。

 彼らは、その荒野の、ど真ん中にいた。


「…はぁ…はぁ…。あ、暑いです……」

 リディアが、額の汗を手の甲で拭う。

 遮るもののない荒野で、太陽の光が容赦なく突き刺さる。

(…暑い…)

 リディアの背中のリュックの中で、アビスもまた、限界を感じていた。

(…暑いなんてもんじゃねえぞ、これ…!)

 犬(ポメラニアン似)という、このフワフワで、毛量だけは無駄にリッチな肉体。

 それは、寒さには(多少)強かったが、この、灼熱の荒野とは最悪の相性だった。

 アビスの思考が、茹だるような暑さで、朦朧とし始める。

(…くそ…。この、クソみてえな毛皮のせいで、熱が、全部、体内にこもりやがる…!) 彼は、犬の本能に従い、リュックの中で、はっ、はっ、と、舌を出して、体温を逃がそうと試みた。

 だが、その姿は、リディアの目には、こう映っていた。

「あらあら、アビスさん。そんなに、はしゃいじゃって。よっぽど、お外に出られたのが、嬉しかったのですね?」

(違うわ!!! 暑くて死にそうなんだよ!!!)

 アビスは、全力で、脳内に抗議の声を飛ばした。

 だが、リディアは、その思考を完璧にポジティブに誤解していた。

「もう、はしゃぐと余計に暑くなりますよ? …あ、そうだ! いいことを思いつきました!」

 リディアは、ガサゴソと、リュックの横に括り付けていた水筒を取り出した。

(お? やっと気づいたか、小娘。水か。まあ、貴族の血には劣るが、無いよりはマシだ…)

 アビスが、そう期待した、次の瞬間。

 リディアは、その水筒の水を、自分のハンカチに、惜しげもなく浸し始めた。

(…は? 何やってんだ、お前? 水を、布に、吸わせて…)

 アビスの疑問は、すぐに、絶望へと変わった。

 リディアは、その水でびしょ濡れのハンカチを、満面の笑みで、アビスのフワフワの頭の上へと乗せたのだ。

 ―――ビシャッ。

(………………………は?)

 アビスの思考が、完全にフリーズした。

 頭が、濡れている。

 水が、滴っている。

 せっかくのフワフワの毛並みが、水を含んで、見るも無惨な束になって顔に張り付いている。

「どうです、アビスさん! 冷たくて気持ちいいでしょう? 私のハンカチ、特別に貸してあげますね!」

 リディアは、我ながら名案だ、と、誇らしげに胸を張った。

(…き、貴様ァァアアアアア!!!!)

 アビスの脳内で、何かがキレる音がした。

(俺様が誰だか分かってんのか! この、最恐の魔人である俺様の頭を、水浸しにしやがって…!)

 彼は、怒りに任せて、ブルブルブル! と激しく頭を振った。

 水飛沫がリディアの顔に飛び散る。

「きゃっ! もう、アビスさんたら、そんなに喜ばなくても! 水、飛んじゃいますよ!」

(喜んでねえ!!! 怒ってんだよ!!!)

 アビスは、あまりの屈辱に、本気で涙が出そうになった。

 だが、彼の受難はまだ始まったばかりだった。


 灼熱の荒野を、さらに、数時間。

(…もう、ダメだ…。暑くて、死ぬ…。いや、死なねえけど、この屈辱で、プライドが死ぬ…)

 アビスは、リュックの中で、完全に伸びていた。

 そのぐったりとした様子を見て、リディアも、ようやく、彼が本当に暑さに参っていることに気づいたようだった。

「…アビスさん。大丈夫ですか? なんだか、本当にぐったりと…」

(…今ごろ、気づいたか、この、鈍感勇者が…)

「…いけませんね。このままでは、アビスさんが熱中症に…。…あ!」

 リディアが、また、何かを、閃いた。

(…やめろ…。その顔、嫌な予感しかしねえ…)

 リディアは、おもむろに、背中に背負っていたあの禍々しい黒い剣を抜き放った。

(なっ!? 何しやがる、小娘!)

「大丈夫です、アビスさん! この聖剣様が、きっと、私たちを守ってくれます!」

 彼女は、そう言うと、そのクソ重たい黒い剣を、自分の頭の上に掲げた。

「…どうです? 聖剣様が、太陽の光を遮ってくれて…」

(…………)

「…………」

 二人は、沈黙した。

 剣は、細い。

 当たり前だが、日傘になるはずもなかった。

 剣の細長い影がリディアの顔に一本の黒い線を引いているだけで、それはあまりにもシュールで滑稽な光景だった。

(…こいつ、本気で言ってるのか…? 俺様、もしかして、とんでもねえバカに捕まったんじゃねえか…?)

 アビスの脳裏に、深刻な疑念が浮かび上がる。

「…だ、ダメ…みたいですね…」

 リディアが、恥ずかしそうに剣を降ろした。

(フン! そもそも、こんな、呪いの元凶が、役に立つわけ…)

 アビスの、思考は、そこで、止まった。

 彼は、気づいた。

(…ん? 待てよ? この邪魔くせえ剣…。確かに黒くてデカい。…俺様が直接持てば、いい日傘になるんじゃねえか…?)

 魔人アビスのプライドは、すでに暑さで蒸発していた。

(おい、小娘! その剣、俺様によこせ! 俺様が持ってやる!)

「え? アビスさんが、ですか? …でも、犬のそのお手々で持てるわけ…」

(うるせえ! いいから、よこせ!)

 アビスは、リュックから強引に這い出すと、リディアが背負い直そうとしていた剣の柄に、その短い前足でしがみついた。

 そして、渾身の力を込めて、その剣を自分の方へ引き寄せようと試みた。

「(う、ぐぐぐ…! なんだ、これ…! クソ重てえ…!)」

 見た目以上に、その剣は重かった。

 犬の非力な筋力ではびくともしない。

「あ、アビスさん! 無理しちゃ、ダメです!」

 リディアが、慌てて彼を助け起こそうとする。

(離せ! 俺様は、こんな、鉄クズ一本に、負けるわけには、いかねえんだよ!)

 アビスは、犬としての本能も、プライドも、何もかもをかなぐり捨て、そのクソ重たい剣に、まるで木登りでもするかのようにしがみついた。

 だが、次の瞬間。

 あの、忌まわしき、ストーカー性能が、発動した。

 剣は、アビス(犬)を、「所有者リディアから剣を引き離そうとする敵対者」と誤認したのだ。

 ―――バチィッ!!!

「ギャン!?」

 アビスの小さな黒い体が、紫色の魔力の火花に、弾き飛ばされた。

 彼は、荒野の乾いた地面の上を、数メートル、無様に転がった。

「アビスさん!!!」

 リディアの、悲鳴。

 アビスは、土埃の中で咳き込みながら、立ち上がった。

 全身の毛が、静電気で逆立っている。

(…あの、クソ剣…! 俺様を攻撃しやがった…!)

「だ、大丈夫ですか、アビスさん!? 聖剣様が、アビスさんを、敵だと勘違いしたみたいで…!」

リディアが慌てて駆け寄ってくる。

(…もう、いい…。もう、何もかも、どうでもいい…)

 アビスは、その場で地面にうつ伏せに寝転がった。

 暑さ。

 屈辱。

 ストーカー剣。

 そして、天然の、飼い主。

(…俺様、もう帰りたい…。あの、暗くて涼しい封印の遺跡に…)

 魔人アビスの世界破壊計画は、その第一歩を踏み出す遥か手前で、あまりにも過酷な自然環境と、天然勇者(の卵)のせいで、破綻しかけていた。

 そんな彼の絶望には、全く気づかないまま。

 リディアは、その焦げ臭い毛玉を優しく抱き上げると、再びリュックサックに詰め込んだ。

「さあ、アビスさん! 元気を出してください! あの山の向こう側が、きっとイグニスさんの領地ですよ!」

(…もう、喋るな…。俺は、寝る…)

 アビスは、犬であることを最大限に利用し、この理不尽な現実から逃避するように、意識を手放した。

 彼らの、前途多難すぎる旅は、まだ始まったばかりだ。

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