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最恐魔人、勇者(♀)のペットになる  作者: 神凪 浩
第五章 魔人、ペットになる
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第二十三話 隠れ里への凱旋

「キャイイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!(…なんでだあああああああああああああああっ!?)」


 大地の迷宮の最深部、玉座の間。

 元・四天王の墓標となったその場所で、今や、ただの黒いポメラニアン似の子犬に戻ってしまったアビスの絶望の叫びが、虚しく響き渡った。

 目の前には、塵と化したバザルトと、涎を垂らし虚空を見つながら意味不明の言葉を呟き続ける廃人モルフェ。

 そして、自らの背後。

 そこには、自分をこの無力な犬の姿に叩き落とした張本人、リディア・クレセントが、聖剣(呪いの鍵)を握りしめたまま、その場にへたり込み、子供のように「うわあああん」と泣きじゃくっている。


 アビスは、犬の姿のまま、ゆっくりと振り返った。

 脳裏に、数秒前の、あの全能感が蘇る。

 魔人として復活し、裏切り者どもを一方的に蹂躙し、そのプライドごと粉砕した、あの最高の瞬間。

 それが、どうだ。

 たった一言。

 あの、忌まわしき呪文(「ハウス!」)で、自分はまた、このフワフワで小さな黒い毛玉に戻されてしまった。

 しかも、最悪なことに。

(…このクソアマ…! …聞きやがった…! 俺様の世界破壊計画、全部聞きやがった…!)

 アビスは、怒りと屈辱に、その小さな黒い体をガタガタと震わせた。

 もはや、これまでのような「騙し」は通用しない。

 この小娘は、自分が「世界を救うための封印」など微塵も考えておらず、ただ、邪魔な元・部下を粛清し、最終的には彼女を始末して、世界を破壊しようとしていた「完全な悪」であることを、完全に理解してしまった。


「…うっ…ぐすっ…。…ひどいです…。…嘘つき…!」

 リディアの、しゃくり上げる声が、アビス(犬)に突き刺さる。

 彼女は、涙に濡れた若草色の瞳で、憎々しげにアビスを睨みつけた。

「…わ、私、信じてたのに…! アビスさんは、口は悪くて、卑怯だけど…! …心のどこかでは、私と一緒に、世界を救うために戦ってくれてるんだって…! …リュミエールさんの時、私を庇ってくれた(ように見えた)のも、全部、嘘だったんですか!?」

(…あ? 庇う? …ああ、あの、クソ寒い牢獄から出すためか。当たり前だろ、バーカ! テメエが死んだら俺様が困るからだ! 恩に着せるために決まってんだろうが!)

 アビスは、脳内で、ありったけの悪意を込めて吠えた。

「キャンキャン! ワンワン!(勘違いするな、この脳筋が! テメエなんざ、俺様が魔人に戻るための『道具』でしかねえんだよ!)」

「…っ! …やっぱり、そうだったんですね…!」

 リディアは、犬の鳴き声と共に脳内に響き渡るその邪悪な本音に、再び、絶望の涙を流した。

「…最初から、私を騙して、利用して…! …用が済んだら、私を始末して、世界を破壊するつもりだったなんて…! …許しません…! 絶対に、許しませんから!」

(…フン。…許さねえ、だぁ? …それが、どうした)

 アビスは、開き直った。

(…テメエが、俺様の本性を知ったところで、何ができる? …テメエは、俺様がいないと、あの程度のゴーレムにも勝てねえ、ただの脳筋勇者だ。…そして、俺様は、テメエがピンチにならねえと、魔人に戻れねえ。…この、クソみてえな状況は、変わらねえんだよ!)

「…………」

 アビスの突きつけた、その冷徹な事実に、リディアは言葉を失った。

 そうだ。

 この魔人を、今ここで、聖剣で殺すことはできるかもしれない。

 だが、それでいいのか?

 リディアは、ゆっくりと立ち上がった。

 彼女は、塵と化したバザルトと、廃人となったモルフェを見渡した。

 そして、自分がこれまで辿ってきた旅路を、頭の中で反芻した。

 炎のイグニス。

 氷のリュミエール。

 そして、今、目の前に転がる、策略家のモルフェと、大地のバザルト。


「……でも」


 リディアの、震える声が、響いた。

「…四天王は、全員、いなくなりました」

(…は? …ああ、そうだな。俺様が、直々に、この手で粛清してやったからな)

 アビスが、ドヤ顔で(犬だが)思考を飛ばす。

 リディアは、そのアビス(犬)を、じっと見つめた。

 その瞳に宿っていたのは、先ほどまでの怒りや絶望とは、少し違う色だった。

「…アビスさんは、最悪の魔人で、嘘つきで、卑怯で、残虐で、世界を破壊しようとしている、どうしようもない悪党です」

(…フン。…今さら、分かりきったことを、グダグダと…)

「…ですが」

 リディアは、言葉を続けた。

「…その、アビスさんの『悪』が、大陸を支配していた別の『悪』(四天王)を、全て倒してしまった。…それも事実です」

(…………)

 アビスは、この小娘が何を言い出すのか、黙って聞いていた。

 リディアの、その単純な脳筋回路が、この複雑な現実を、彼女なりの「正義」で解釈しようと、必死に回転していた。

「…『悪』が『悪』を倒した。…ということは…。…結果的に、大陸を支配していた脅威はいなくなった…? …ということは…?」

 彼女は、一つの結論に辿り着いた。

「…もしかして…。…大陸に平和が戻ったんじゃ…?」

(…………はあ!?)

 アビスは、その、あまりに突拍子もない結論に、耳を(犬の)疑った。

(…お、おい、小娘! テメエ、本気で言ってんのか!? 平和だと!? …俺様が、まだピンピンしてんだぞ!? 世界破壊計画、継続中だぞ!?)

「…たしかに、アビスさんという一番の『悪』は、まだ残っています」

 リディアは、アビス(犬)の小さな体を、むんずと掴み上げ、目の前に掲げた。

(なっ!? 降ろせ、この無礼者!)

「…ですが! 今のあなたは、ただの小さな黒い子犬です!」

(…ぐっ…!)

 アビスは、その、反論のしようのない事実に、言葉を失った。

「…四天王はいなくなった。…そして、元凶の魔人アビスさんは私の『ハウス!』の一言でこの無力な子犬になる。…それも、事実です!」

 リディアの若草色の瞳に、徐々に、いつもの、あの、見当違いな自信の光が戻り始めていた。

「…ということは…。…私が、あなた(犬)をちゃんと見張ってさえいれば…。…世界は平和なんじゃ…?」

(…な…)

 アビスは、戦慄した。

 この女、もしかして、本物の馬鹿なのでは、と。

「…そうです! …そうに決まってます!」

 リディアは、ついに、彼女なりの「真実」に到達した。

「…やりました、アビスさん! …私たちの旅は終わりです! …私たちは世界を救ったんです!」

(…はあああああああ!?)

 アビスの、脳内に響き渡る絶叫。

 だが、リディアは、その絶叫さえも、もはや、勝利の雄叫びか何かだと、盛大に勘違いしていた。

「…よし! …決まりました! 父様に、報告に戻りましょう!」

 リディアは、アビス(犬)の抗議(「キャンキャン!」)を完全に無視し、彼を、いつものリュックサックに乱暴に詰め込んだ。

(おい! 待て! 冗談じゃねえぞ! あのクソみてえな田舎屋敷に、また軟禁されるなんざ、真っ平ごめんだ!)

「さあ、帰りましょう、アビスさん! 私たちの故郷へ!」

(故郷じゃねえ! 牢獄だ!)

 リディアは、もはや、アビスの思考など聞いてはいなかった。

 彼女は、自分が「世界を救った(という勘違い)」という達成感と、一刻も早く父に報告したい(そして、自慢したい)という衝動に駆られ、意気揚々と、崩壊した玉座の間を後にした。

 アビスの「世界破壊計画」は、今、この脳筋勇者(小娘)の、あまりに脳筋な「平和宣言」によって、再び、完全に頓挫してしまったのだった。


 ◇


 帰還の道中は、奇妙なものだった。

 アビス(犬)は、リディアのリュックの中で、不貞腐れたように、一言も思考を飛ばさなくなった。(リディアが、無理やりドッグフードを口に突っ込もうとした時だけ、「こんなモン食えるか!」と絶叫していたが)

 リディアは、そんなアビスの態度を、「自分の正義の前に、ついに改心した」か、「四天王がいなくなって、寂しい」のかな、と、またしても盛大に勘違いしていた。

 だが、道中、立ち寄った村や宿場で耳にする噂は、彼女のその脳天気な「平和宣言」に、微妙な影を落としていた。


「…おい、聞いたか? …大陸の南、『炎の国』の話だ」

 酒場で、リディアが(アビスには内緒で)リンゴジュースを飲んでいると、隣のテーブルの商人たちが、声を潜めて噂をしていた。

「…ああ。…あの、恐怖政治を敷いてた、イグニスってのが、消えたんだとよ。…おかげで、街は、無政府状態。…イグニス軍団の残党が、今や、ただの山賊になって、街道を荒らしまわってるらしいぜ」

「…ひええ…。…そいつは恐ろしいな…」

(…フン。…当然だ。俺様の恐怖が消えれば、ああいうクズどもは、すぐにそうなる)

 アビスの思考が、リュックから漏れる。

 リディアは、聞こえないふりをして、リンゴジュースをすすった。


 別の街では、北からの避難民が、こう叫んでいた。

「…助けてくれ! …『氷の国』が、地獄になったんだ!」

 その男は、凍傷で、半分、壊死したような顔で、衛兵に掴みかかっていた。

「…あの、リュミエールってのが、いなくなった途端だ! …人形みたいだった街の人たちが、一斉に狂っちまったんだ! …笑いながら、人を刺したり、泣きながら、火を放ったり…! …あれは、解放なんかじゃねえ! …地獄だ!」

(…フハハハ! …最高の混沌(カオス)じゃねえか! …俺様の計画通りだ!)

 リュックが、楽しそうにカタカタと揺れている。

 リディアは、その避難民の悲痛な叫びに、胸を痛めながらも、目をそらした。

(…わ、私が、やったことは、間違って、ない…。…はず…)


 そして、ついに。

 数週間にわたる長い旅路の果て。

 二人は、あの懐かしい「忘れられた谷」の、クレセント家の隠れ里へと、辿り着いた。

 リディアは、旅立った時とは比べ物にならないほど、泥と埃と、そして、かすかな罪悪感にまみれていた。

 だが、彼女は、胸を張った。

 自分は、やり遂げたのだ、と。

 彼女は、あの、厳格な父が待つ、屋敷の正門を、堂々と、蹴破る勢いで開け放った。

「ただいま、戻りましたー!」

 リディアの、その、場違いなほど元気な声。

 屋敷のホールは、静まり返っていた。

 掃除をしていたメイドたちが、目を丸くして、その、あまりに変わり果てた(汚れた)主の娘の姿を見て、固まっている。

 その、静寂を破り。 ホールの、二階の階段の上から、地を這うような、低い声が響いた。


「―――リディア」


「…あ…。…父様…」

 リディアが、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには、あの厳格な父、バルドル・フォン・クレセントが、腕を組み、仁王立ちで、娘を見下ろしていた。

 その顔は、怒りを通り越して、もはや、能面のように無表情だった。

「…お前…。屋敷から一歩も出るなと、あれほど、言ったはずだが…?」

「あ、あの! 父様! 違うんです! 言い訳させてください!」

(…フン。始まったな。この、脳筋親子の、茶番が)

 アビスが、リュックの中で、高みの見物を決め込む。

 バルドルは、ゆっくりと階段を降りてきた。

 彼は、娘の、その、泥だらけの姿。

 その背に、相変わらず背負われている、あの忌々しい呪いの鍵(聖剣)。

 そして、リディアが胸に抱きかかえている、あの小さな黒いアビス

 その全てを、その鷹のような鋭い目で見据えると、深いため息をついた。

「…言い訳、だと? …お前が、この数週間、大陸中で、どれほどの騒ぎを起こしてきたか、分かっておるのか?」

「え…? さ、騒ぎ、ですか…?」

 リディアが、きょとんとする。

「…とぼけるな! …炎のイグニスが、謎の蒸発! …氷のリュミエールが、自城ごと自壊! …そして、つい数日前だ! …モルフェとバザルトが、二人同時に、魔力の反応をロスト!」

 バルドルは、わなわなと震えながら叫んだ。

「…大陸を支配していた四天王が! …この、わずか、一ヶ月足らずの間に、全員いなくなったんだぞ! …これが、お前の言う、『ちょっとした冒険』の結果か!」

 バルドルは、この数週間、各地から届く、そのあまりに荒唐無稽な報告に、頭を抱え続けていたのだ。

 そして、その全ての騒動の中心に、自分の、あの、家出した馬鹿娘の気配があることに、彼はとっくに気づいていた。

 だが、リディアは、その父の、当然の混乱を、全く理解していなかった。

 彼女は、父のその言葉を、自分への「賞賛」だと、完璧に勘違いしたのだ。

「…そ、そうです! 父様!」

 リディアは、胸を張った。

「…私、やりました! 父様が、ずっと、お説教で言っていた、あの四天王! 私が全員、倒しました!」

「…………は?」

 バルドルの思考が、フリーズした。

 リディアは、その父の驚愕を「感動」だと勘違いし、さらに続けた。「…いえ! 正確には、この、アビスさんが、倒したんですけど! でも、私が、アビスさんを、ちゃんとここまで導いてきたんです!」

 彼女は、胸に抱いていたアビス(犬)を、父の目の前に高々と掲げた。

「…父様! ご覧ください! …これが、元凶の魔人アビスです!」

(…おい、やめろ、このクソアマ! 俺様を、見世物にするな!)

 アビスが、屈辱に、その短い手足でジタバタと暴れる。

「…フン。フハハハ…」

 バルドルは、その、あまりにシュールな光景―――娘が、魔人(犬)を誇らしげに掲げ、「四天王を全員倒した」と胸を張っている―――を、前にして、ついに笑い出した。

 それは、怒りでも、喜びでもない。

 純粋な、虚無の笑いだった。

「…ははは…。そうか。お前が、倒したのか…。…この犬コロと、二人でな…」

 バルドルは、笑いながら、壁に手をついた。

 彼は、もはや、娘のその、常軌を逸した「天然」と「幸運」と「行動力」を叱る気力さえ失っていた。

 大陸を支配していた四天王が、全員いなくなった。

 それは、事実だ。

 そして、その元凶(とリディアが主張する魔人)は、今、目の前で、娘に掲げられている一匹の子犬。

 彼は、混乱の極みに達していた。

「…リディア。お前は、もう、休め…。父は、ちょっと疲れた…。…頭が痛い…」

「え? 父様? 大丈夫ですか?」

 リディアは、父のその深刻な疲労困憊の理由が自分にあるとは、一ミクロンも気づいていなかった。

「…それより、父様! 四天王は、全員いなくなりました! これで、世界は平和です! …私の軟禁も、解いてくれますよね!?」

「…………」

 バルドルは、何も答えず、ただ、よろよろとした足取りで自室へと戻っていった。

「…あ! 父様!? …もう! …まあ、いいです!」

 リディアは、父のその反応を、「(呆れてはいるが)許可した」と、超ポジティブに解釈した。

「さあ、アビスさん! …まずは、あなたの、そのドロドロの身体を綺麗にしないといけませんね!」

 彼女は、アビス(犬)を高々と掲げ直し、屋敷の風呂場へと意気揚々と向かっていく。

(…な…!? ふ、風呂だと!? やめろ! 寄るな! この俺様の、完璧な毛並みに、水をつけるなァァアアアアア!)

「キャンキャンキャンキャン!」

「あらあら、そんなにお風呂が嬉しいんですか? よしよし、背中からよーく洗ってあげますからね!」

「キャン!キャン!(…違う! 殺す! 俺様は、いつか絶対に、テメエを殺す!)」

 アビスの、その殺意に満ちた魂の絶叫は、リディアの耳には、ただの「お風呂が楽しみで仕方がない、元気な子犬の鳴き声」としてしか届いていなかった。

 アビスの、新たなる(そして、より矮小な)受難の日々が、今、幕を開けた。

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