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最恐魔人、勇者(♀)のペットになる  作者: 神凪 浩
第三章 氷の貴公子リュミエール
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第十一話 氷の領地

 イグニスが、灰すら残さず消滅した、あの地底湖の洞窟。

 その忌まわしき戦場を後にしてから、すでに数日が経過していた。

 リディアとアビス(犬)は、大陸の南に位置するイグニスの領地から、次なる四天王の領地がある大陸の北、「永久凍土の国ニヴルヘイム」を目指し、船に乗っていた。

(…くそっ…。…さっきから、ガタガタ震えやがって…。うるせえんだよ、この脳筋勇者(バカ)が!)

 リディアの背負うリュックサックの中で、アビスは、全身の毛を逆立てながら、不機嫌極まりない思考を飛ばしていた。

 無理もない。

 灼熱の火山地帯から一転、彼らが今いるのは、極寒の氷海の上だ。

 甲板には、氷の粒を含んだ風雪が容赦なく吹き付け、船室にいるリディアの体温をも奪っていく。

(…ひっ…。…だ、だって、寒いものは、寒いんですから…! アビスさんこそ、さっきから、私のリュックの中で、丸まって、震えているじゃありませんか!)

(当たり前だろ! このクソ犬の体は寒さに弱えんだよ! もっと、リュックの口を閉めやがれ!)

(も、もう閉まってます! これ以上閉めたら、アビスさんが窒息しちゃいます!)

(フン。それより、小娘。本当に分かってんだろうな?)

 アビスの思考が、急に、ドスの利いた低いものに変わった。

(…は、はい…。…例の『ジレンマ』のことですね…?)

 リディアは、ゴクリと唾を飲んだ。

 アビスがこの呪いの最悪の全容を突き止めてから。二人の奇妙な主従関係は、新たな緊張関係に突入していた。


 アビスのジレンマ。

 一、敵を倒すには魔人に戻る必要がある。

 二、魔人に戻るには、リディアが「生命の危機」になる必要がある。

 三、だが、リディアが本当に死んでしまうと、アビスは永遠に犬のまま。

 四、おまけに、魔人に戻った後、リディアの機嫌を損ねることをすると、「ハウス!」で犬に変えられる。


(いいか、小娘。俺様は、テメエがどうなろうと知ったこっちゃねえ。だがな。俺様が永遠に犬の姿(これ)になることだけは絶対に許さねえ)

 アビスの思考には、本気の殺意がこもっていた。

(…もしテメエが、俺様の指示を無視して勝手な脳筋行動(ムーブ)をかましてうっかり死んでみやがれ。その時は、俺様は、テメエの魂を地獄の果てまで追いかけて、永遠に責め苦を与え続けてやるからな!)

(ひいいいいいっ!? わ、分かってます! 分かってますから!)

 リディアは必死に頷いた。

 彼女は、あのイグニスを蒸発させた魔人の脅しが、決して冗談ではないことを理解していた。

 だが、同時に、彼女も決して譲れない一線があった。

(…で、ですが! …だからと言って! アビスさんがイグニスさんにしたような、あの、卑怯で残虐なやり方を見過ごすわけにはいきません! 約束してください! 次の四天王とは正々堂々戦ってください!)

(チッ。まだ言うか、この脳筋が)

 アビスは忌々しげに舌打ちをした。

(フン。分かった、分かった。正々堂々、だろ? ああ、やってやるよ。テメエのその、クソみてえな正義感に免じてな)

(ほ、本当ですか!?)

 リディアの顔が、ぱあっと明るくなった。

(ああ、本当だとも。だからテメエは、俺様の言う通りに動け。俺様が「死にかけろ」と言ったら死にかけろ。いいな?)

(そ、それは、ちょっと、ハードルが高いですけど…。…でも、卑怯なことをしないと約束してくれるなら…! はい! 頑張ります!)

 リディアは、単純だった。

 彼女は、アビスが、自分の正義感に折れてくれたと、本気で勘違いしていた。

 だが、アビスの内心は真逆だった。

(…フハハハハ! チョロい、チョロすぎるぜ、この脳筋勇者(バカ)め!)

 アビスは、リュックの暗闇の中で、邪悪な笑みを浮かべていた。

(…そうか。…そうだよな。…なにも、俺様が直接手を下す必要はねえんだ。…あの、イグニスの時みてえに、リディア(こいつ)にバレなきゃいいんだよ)

 彼は、イグニスとの戦いで学んだのだ。

 この小娘は、恐ろしく単純でチョロい。

 それっぽい大義名分(正義の革命、だの、領民の解放、だの)を与えてやれば、それがどれほど卑劣な計画の一部であろうとも、勝手に納得し、自ら危険に飛び込んでいく。

(フン。次の相手はリュミエールか。あいつはイグニスとは違う。頭が切れるインテリ野郎だ。だが、それ故にプライドが高い)

 アビスは、次の獲物の顔を思い浮かべた。

(…あいつを始末する、最も卑怯で残虐で、そして、この小娘にバレない方法…。フフフ。決まったぜ)

 アビスの、新たなる卑劣な計画は、彼の頭の中ですでに完成していた。

 そして、その計画の生贄(リディア)は、今、(アビスさんが、改心してくれた…!)と盛大に勘違いし、船室の中で凍えながら、希望に胸を膨らませていた。


 ◇


 数日後。

 二人はついに、第二の四天王の領地「永久凍土の国ニヴルヘイム」の城下町に辿り着いていた。

 リディアは、その、あまりに異様な光景に、息を飲んだ。

(…な…? なんて静かな街なの…?)

 活気に満ち溢れていたイグニスの城下町とは真逆。

 この街は、まるで時間が止まっているかのように、静まり返っていた。

 家々は全て、寸分の狂いもなく、同じ形、同じ高さで、整然と並んでいる。

 道行く人々は、誰一人、私語を交わさず、まるで糸で操られた人形のように、無表情で正確な歩幅で歩いている。

 物売りがいない。

 子供の笑い声がしない。

 酒場の喧騒もない。

 ただ、凍てついた風の音だけが、完璧に整備された石畳の上を吹き抜けていく。

(…フン。相変わらず気味の悪い領地(ナワバリ)だ。あの、潔癖症のインテリ野郎(リュミエール)らしいぜ)

 アビスは、リュックの隙間から、吐き気がするというように、その完璧に管理された街並みを見渡した。

 彼が知る、氷の貴公子リュミエールは、四天王の中でも随一の論理主義者であり、潔癖症だった。

 彼が愛するのは「美」ではない。

 「完璧な静止」と、「絶対零度」。

 彼にとって、あらゆる感情、動き、生命活動()こそが、「無秩序で醜い不純物(バグ)」であり、排除すべき対象だった。


 その時。コツ、コツ、コツと、規則正しい足音が、二人の後ろから近づいてきた。

「…止まりなさい」

 冷たく無機質な声。

 リディアが振り返ると、そこには、氷のように白い鎧を身につけた衛兵が二人、立っていた。

 その顔は兜で隠され、表情は窺えない。

「…あなたたちは、旅行者ですね。この街のルールを説明します。一つ、感情を表に出してはいけません。笑うこと、泣くこと、怒ること、全て禁止です」

「え…!?」

 リディアが驚きの声を上げる。

「今、あなたは、ルールに違反しました。『驚き』という感情の発露です。今回は見逃しますが、次はありません」

 衛兵は淡々と告げた。

「二つ、許可なく走ってはいけません。三つ、許可なく声を発してはいけません。以上です。理解しましたね?」

(…な…! なんて滅茶苦茶なルールなんですか!?)

 リディアが脳内で絶叫する。

(…フン。…始まったな。…リュミエールの趣味の悪いおままごとが)

 アビスは、楽しそうに、その様子を眺めていた。

「…返事を、しなさい」

 衛兵が、リディアに詰め寄る。

「あ、は、はい! わ、分かりました!」

 リディアが慌てて頷いた、その時。


「―――あはははは!」


 甲高い子供の笑い声が、静寂な通りに響き渡った。

 リディアと、衛兵が、同時にその声の方を向く。

 通りの向こうから、小さな男の子が雪玉を転がしながら走ってくる。

 その顔は、この街の誰とも違う、生命力に満ち溢れた笑顔だった。

「あ…!」

 リディアが、その無邪気な笑顔に、ほっと息をついたその瞬間。

「警告。レベル3の感情汚染(バグ)を検知」

 衛兵の一人が、無機質にそう告げると、その手を男の子に向けた。

「即時、冷却します」

 それが何を意味するか。リディアは、イグニスの領地を出た後、アビスが(不機嫌そうに)語っていた、次の四天王の情報を思い出していた。

『次のリュミエールというインテリ野郎はな、感情を「不純物(バグ)」としか思ってねえ。ルールを破ったヤツは、容赦なく「冷却」される…』

(…冷却…! まさか、凍死させるということですか!?)

 リディアの脳裏を最悪の予測がよぎった。


「―――やめてくださいっ!」


 リディアは、思考より速く動いていた。

 彼女は、衛兵と男の子の間に割り込み、その聖剣(呪いの鍵)で冷気を弾き返した。

 キィィン! と、甲高い音が響き渡る。

「…なっ…!?」

 衛兵たちが、初めて狼狽の声を上げた。

(…ほう? やるじゃねえか、脳筋勇者)

 アビスが、感心したように、思考を飛ばす。

「あなたたち! たかが笑ったくらいで、子供を凍死させるつもりですか!?」

 リディアの声は、正義感と怒りに震えていた。

「警告。不適合者(バグ)が他の不適合者(バグ)を擁護。これは、レベル5の重大な規約違反です。抵抗する場合、実力で排除します」

 衛兵たちが氷の槍を構える。

(…アビスさん! こうなったら、やるしかありません! あの人たちを止めます!)

(フン。まあ、いいぜ。だがな、小娘。ただこいつらを倒したところで、何も解決しねえぞ?)

 アビスの思考が、リディアの脳内に響く。

(こいつらは、ただの駒だ。衛兵(こいつら)を操ってる大元のヤツを叩かなきゃ、この気味の悪りい街は元に戻らねえ)

(大元の、ヤツ…?)

(ああ。恐らく、この街のどこかに、領民全員の感情を無理やり抑制してる、魔道具があるはずだ。…『魔導コア』とでも言うか)

 アビスが、さも、今思いついたかのような口調で告げる。

(そいつをブッ壊せば、領民どもは感情を取り戻す。そうすりゃ、こんな狂ったルールも終わりだ)

(…魔導コア…! …分かりました! やってみせます!)

 リディアは、アビスのその言葉を、疑うことさえしなかった。

 彼女は、聖剣(呪いの鍵)を握りしめ、衛兵たちに向き直った。

(アビスさん! その「魔導コア」の場所まで、案内お願いします!)

(…フン。…仕方ねえな)

 アビスは、リュックの中で、邪悪な笑みを浮かべた。

(かかったな、脳筋勇者(バカ)め。テメエがこれからやろうとしてることは、ただの器物損壊じゃねえ。あの、潔癖症のインテリ野郎(リュミエール)が最も嫌う、「秩序の破壊」。…つまり、「革命」という名の大混乱だぜ)

 アビスの卑劣な計画の第二弾。

 それは、リディアの正義感を利用し、彼女を「革命の英雄(テロリスト)」に仕立て上げ、リュミエールの「完璧な静止」を内側から崩壊させること。

 そして、その混乱中で、リュミエールを始末する。

 リディアに、一切、気づかれることなく。


(さあ、行くぞ、小娘! 派手なお祭りの始まりだぜ!)

(は、はいっ!)

 リディアは、アビスの、その悪意に満ちた思考に気づくはずもなく、ただ、「領民を救うため」という正義感に燃え、氷の衛兵たちに斬りかかっていくのだった。

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