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第二章 疲れ果てた公爵の息子

ぼんやりと漂うアルコールの臭いが、気に障った。


クラウゼルは重たいまぶたを何とか開き、天井を見つめた。


長い悪夢の内容は思い出せなかったが、背筋が寒くなり、体中の傷がズキズキと痛みを伴い、時折火照る感覚があった。


目が覚めるとすぐに襲いかかってくる痛みは耐え難いほどだったが、奇妙なことに頭はまるで夢から覚めたばかりのようにぼんやりとしていた。


そのため、自分が何の状況に巻き込まれて負傷し、この見知らぬ場所で横になっているのかを認識するまでには、少し時間がかかった。


「……。」


周りを見渡せば、白い壁に囲まれ、左右に並んだいくつものベッドが目に入った。


ここは、彼が帰りたいと切望している邸宅でもなければ、戻りたくないと思う寮の部屋でもなかった。


「えっ?」


ぼんやりしていたクラウゼルは、急にハッとして身を起こした。


状況を把握できていない彼にとって、見慣れない場所で目覚めたことは混乱そのものだった。


普段から訓練や実習に適当に取り組み、負傷することがなかった彼にとって、医務室は全く馴染みのない場所だった。


クラウゼルは記憶をたどろうとした。


『あのチビ女に切られた後のことは覚えていないな。』


肩の傷がひどくズキズキと痛んだ。


意識を失っている間に治療は済んだようで、鼻を突く薬品の臭いや、身体に巻かれた包帯の不快感が、全身から伝わってきた。


身体中に刻まれた深い傷跡と意識を失った事実、それはすなわち「敗北」を意味していた。


「ハッ!」


クラウゼルは苦々しい表情を浮かべ、鼻で笑った。


やはり勝てなかったのだ。


その事実を自覚すると、大胆に挑んだ自分の姿が虚しく感じられ、さらには情けないとも思えてきた。


こうした喪失感はどうにも気持ちが悪かった。


無駄な努力なんてするべきじゃなかったと考え、クラウゼルは体を起こした。


右肩から胸にかけての傷や左腕の傷が火傷を負ったかのように熱を持っていたが、動けないほどではなかった。


傷の痛みに愚痴をこぼしながら部屋を出ようとしたクラウゼルだったが、ふと足を止めた。


戻りたいと願っていた邸宅には、戻れないのだと思い出した。


だからといって、自分を見下し、嫌がらせをしてくるルームメイトが待つ寮にも戻りたくはなかった。


要するに、行く場所がないのだ。


痛みを癒やし、心から安らげる場所すらないことに、彼は心底うんざりした。


怒りがこみ上げ、床にへたり込みたくなるほどだった。


クラウゼルはよろよろと窓辺に近寄り、白いカーテンを開けた。


外は暗く、白い月が高く昇り、かすかな光を放っていた。


その景色を見ていると、大会で相手をした少女の顔が思い浮かび、歯ぎしりした。


途中で頭が真っ白になったため、後半の戦いについてはよく覚えていなかった。


それでも、確かに命をかけて挑んだはずだった。


それでも勝てなかった。


相手は愛らしい顔立ちをしていながら、優れた武勇を持ち、学院内で最高のアイドル的存在として崇拝されている強者だったことは、元々知っていた。


だからこそ、勝てるという無駄な望みは抱かなかった。


それでも、ほんの一瞬でも勝利の光がまばゆく感じられてしまったせいで、期待してしまったのだ。


勝てるかもしれないと。


結局、それはただの幻想だった。


訪れた結果は、自分が最初から分かっていた通りであり、そして学院の全員が予想していた通り、自分の敗北だった。


「チッ!」


クラウゼルは拳を握り、いっそのこと壁でも殴りつけてやりたい衝動に駆られた。それでもこの胸の内で燃え盛る感情を発散できるなら、それでよかった。


だが、実際には拳を強く握ることすら困難だった。


結局、力なく手のひらで壁を叩いたクラウゼルは、自分の弱さと情けなさに震えた。


「なんなんだよ……。クソが!」


胸の内から噴き上がる抑えきれない感情。それは、先ほど意識を取り戻して状況を理解したときに感じた虚しい喪失感とはまったく異なるものだった。


最初は、どうせ負ける勝負なのに死に物狂いで挑んだ自分の姿が情けなくて仕方なかった。


他人の笑い者になったに違いないという思いで顔が火照るほど恥ずかしくなり、やはりこの「獅子の城」で直面するすべてのことに本気で取り組むべきではなかったと後悔した。


だが、昼間の大戦を思い出しているうちに、その後悔は激しい感情へと変化していった。


それは「悔しさ」だった。


勝てたかもしれないのに勝てなかったという事実がもどかしかった。


もし時間を巻き戻せるなら、昼間の戦いに戻って冷静さを失ったいくつかの失敗を正し、勝者として立ちたかった。

いや、たとえ勝者になれなくても、途中で意識を失うような情けない姿を見せず、後悔のない戦いを繰り広げたかった。


これはクラウゼルが「獅子の城」に入学して以来、初めて抱いた感情だった。


これまでの彼はどんな屈辱や仕打ちにも耐えてきた。確かにそれは辛かったが、それを乗り越える努力をしたことは一度もなかった。

卒業さえすれば、デオドール公爵家の後継者として輝かしい名誉を得られると思い込んでいたからだ。


幼い頃から何不自由なく育てられた彼は、怠惰と怠慢が染みついていて、「努力」という言葉とは無縁だった。


ただ「卒業さえすればそれで終わりだ」と自分に言い聞かせることで、毎日をどうにか耐えていた。


その情けない自己慰めは、彼のアカデミー生活において単なる支えにはなっても、成長の土台にはなり得なかった。


そんな日々を繰り返し、停滞したままのクラウゼルだったが、今は確かに意欲に燃えていた。


「弱い姿を見せて敗北することが、そんなに恥ずかしいことなのか?」


決してそうではない。

勝ち負けはどうあれ、目の前の状況に全力で立ち向かう姿はむしろ立派だろう。


そのことをクラウゼル自身も心の奥底では分かっていた。


「獅子の城」のすべての生徒たちは、どんな状況でも熱意をもって臨んでおり、その姿は時にクラウゼルの目にも眩しく映ることがあった。


だが、彼と彼らの間には明確な違いがあった。


クラウゼルは自分の意思とは無関係にこの「獅子の城」に強制的に入学させられた立場だった。


一方で他の生徒たちは、何らかの目的を持って自らこの場に足を踏み入れた立場だった。


そのため、この生活に意欲を持てず停滞するクラウゼルと、明確な目標意識を持って耐え抜く他の生徒たちの間には、埋めようのない溝が存在していた。


「…だが!」


やる気に燃え、これまでの自分を振り返りながら変わりたいと思い始めたクラウゼルは、ふと考えを止め、疑問を抱いた。


他の学生たちは本当にこの場所での生活に明確な目的や意味を持っているのだろうか? 果たして自ら望んでこの場所に足を踏み入れたのだろうか?


それぞれが異なる考え、性格、意識、出自、宗教を持つ人々が、皆同じであると考えるのは無理がある。

クラウゼルは再び考え直した。


彼らの中にも、自分と同じように無理やりこの場所に入学させられた者がいるかもしれないし、不本意な生活に不満を抱いている者も多いのではないだろうか、と。


では、なぜ彼らは現実に最善を尽くして向き合っているのだろう?


何かをきっかけに心を入れ替えたのか? それとも単に他の選択肢が考えられないために、歯を食いしばってこの生活に耐えているだけなのだろうか?


「うーん……」


考え込んでいたクラウゼルはふと動きを止めた。


暗い部屋の片隅から、場違いな女の子の寝息が突然聞こえてきたからだ。


音のした方向に視線を向けると、白い毛布が上下しているのが見えた。


「……。」


クラウゼルは身構えた。


『なんだ? 誰だ、お前!』


「獅子の城」において、クラウゼルが気楽に接することができる相手は一人もいない。


そんな立場の彼にとって、誰かと対面するという状況自体が嫌悪感を引き起こすものだった。


その時、彼の顔を曇らせる少女が毛布を押しのけ、体を起こした。


「ふぁあ……」


ぼんやりとした表情の少女は、ぐーっと大きく伸びをした。


涙を浮かべながら大きくあくびをするその姿が、月明かりに照らされてはっきりと見えた。


眠りに酔った彼女は、傍に誰かがいることにも気づいていないようだった。


普通、他人の前ではしないような無防備な姿は、一歩間違えばみっともなく見えるかもしれない。


だが、彼女の持つ優れた美貌のせいなのか、その仕草すら愛らしく可愛らしく映った。


常識的な男性なら、思わず抱きしめたくなるような愛くるしい姿だった。


だが、クラウゼルはそんな感情を抱くことはなかった。


いや、むしろ眉を寄せ、まるで見てはいけないものを見たような顔をしていた。


「ん?」


一方、あくびを終えた少女は半開きの目で周囲を見渡した。


自分がどうしてこんな場所にいるのか理解できないというように辺りをキョロキョロした後、渋い顔をしたクラウゼルと目が合った。


「……。」


「……。」


二人の視線が交差し、クラウゼルと少女の間にぎこちない静寂が流れた。


そして静寂が続き、まるで室内の時間が止まったかのような錯覚を生み出した。


『なんだ、この女。まさか俺をここに連れてきた張本人なのか? 一体何のつもりだ? くそっ! 初めて会った時から「先輩」だの何だのと怪しいことを言っていやがったな。』


硬直したままその場に釘付けになったクラウゼルは、どうしてこの薄紅色の短髪の少女が自分と同じようにここで寝ているのか疑問を抱き、妄想の渦に飲み込まれていた。


『それにしても、ここは一体どこなんだ!』



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