第一章 不幸な公爵の息子 (4)
クラウゼルとセシリアの模擬戦の後、学生たちはざわめいていた。
クラウゼルが意外と強いのではないかという噂が飛び交ったが、結局のところ、彼が卑怯な奇襲を仕掛けたおかげでセシリアが混乱したため、あの程度の戦いが成り立っただけだという結論に至った。
「さあ、注目、注目!」
あれこれ噂が飛び交い騒がしい校庭に、ザイロン先生が戻ってきて場を一気に静かにさせた。
彼は負傷したクラウゼルとショックを受けたセシリアを医務室に運び込んだ後、他の教師たちと協議を重ねた末、模擬戦をそのまま続行することを決定してきたところだった。
『馬鹿な奴のせいで余計な手間が増えたじゃないか。』
クラウゼルを思い出して面倒くさそうに頭をかきながら、ザイロンは対戦表を確認した。
そして、すぐに面白そうだというように笑いながら赤旗を掲げた。
「イベリアンとベイカースだ。二人は前へ出ろ。」
ザイロンの言葉に、校庭の隅で不満そうな顔をしていた赤髪の少年と、一方で仲間たちと愉快そうに話していた薄緑色の髪をした少年が、ザイロンのそばに歩み寄った。
「さっきの間抜けた奴らがふざけている様子を見て、ここがどんな場所か忘れているんじゃないかと思ったから、教えてやるよ……。」
赤髪の少年はニヤリと笑いながら背中に背負っていたツヴァイハンダーを引き抜いた。
それは彼の身長を軽々と超える長さを持つ、圧倒的な存在感の武器だった。
剣を両手で握りしめた赤髪の少年は、薄暗い目元を怪しく輝かせながら大声で笑った。
「ククク、ここが『獅子の城』だってことを忘れるな!忘れたら死ぬことになるぞ!キャハハハ!」
狂気じみた笑いを響かせるこの赤髪の少年の名前は、イベリアン・デ・キエラ。
かつては名将を輩出したことで有名だったが、3代前から数々の困難に見舞われて没落しつつある南部の名門武家、キエラ子爵家の次男である。
12歳で「獅子の城」に入学し、驚異的なスピードで成長を遂げたイベリアンは、2年生になった今では「最強の4人」と称される存在にまで登り詰めた彗星のごとき少年だ。
キエラ子爵家の名誉を取り戻す人材として期待されている一方で、喧嘩好きで粗暴な性格を持つ彼は、「獅子の城」で最も厄介な問題児としても知られていた。
命を奪ったり再起不能にすること以外はすべて許される模擬戦で、彼の手によって重傷を負い倒れた生徒の数は、既に一人や二人ではなかった。
しかし、そんな問題児を前にしても、ベイカースは全く緊張していなかった。
彼は、キエラ子爵家が衰退していた時期に名を高め、現在では東部を代表する武家となったイレスカ子爵家の長男である。
尖った印象の美少年で、両手の指にはめた10個の豪華な宝石の指輪が、彼の派手好きを物語っている。
ベイカースは「最強の4人」には入っていないものの、彼の名の下に集う生徒たちがいるほどの武勇とカリスマを備えていた。
狂ったように笑い続ける目の前の少年をじっと見下ろしていたベイカースの金色の瞳が一瞬動いた。
「お前こそ心配しておけ、この礼儀知らずなガキめ!」
家柄の関係で元々相性が悪かった二人は、お互いに容赦なく言葉を投げつけた。
それを見守る他の訓練生たちは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
さっき模擬戦を行ったセシリアがどれだけ優れた実力を持っているかは周知の事実だが、この二人には及ばないということも皆が理解していた。
「イベリアン対ベイカース、模擬戦開始だ!」
二人の間で挑発が繰り広げられるのを楽しそうに見守っていたザイロンは、興味深そうに赤旗を掲げた。そして、
ドォン!
赤旗が掲げられるや否や、漆黒のツヴァイハンダーが地面を叩き割った。その場所は、つい先ほどまでベイカースが立っていた位置だった。
ベイカースはすでにその背後に回り込み、わずかに湾曲した鋭い刀身を振り下ろしていた。
彼はイベリアンの低い身長を考慮し、意図的に重心を前に傾けて下段を斬り込んだ。だが、どういうわけか、巨大な両手剣を抱えたままで高い跳躍力を見せたイベリアンは、軽やかにその隙を突き、空中へと舞い上がった。
『そうこなくちゃ、面白くないだろう!』
地上のベイカースと空中のイベリアンの視線が交差し、その直後、激しくぶつかった剣と剣が火花を散らした。
チャアァン!
「呆れたものね。」
校庭の中央で繰り広げられるベイカースとイベリアンの激戦を眺めていたミリエは、冷ややかに頭を振った。
周囲の訓練生たちが手に汗を握り、目を輝かせているのとは対照的に、彼女は退屈そうな表情だった。
「せいぜいアノ虫ケラに手こずる程度だなんて。フフ、ドレコ伯爵家の騎士は最強だという話も、どうやらもう過去の栄光のようですね。そう思わないかしら?オホホホ!」
彼女が言及している相手は、目の前の二人ではなく、ついさっきクラウゼルとともに医務室へ運ばれたセシリアだった。
入学以来、毎日のように剣をまともに振ることもなく、防戦一方で降参していたあの情けないクラウゼル相手に、恐れをなしていたセシリアを思い出し、ミリエは何度考えても笑いが止まらない様子だった。
しかし、彼女の周囲に立つ生徒たちは、簡単には同調しなかった。
確かにセシリアがクラウゼルに手こずった姿は滑稽だったが、彼女も伯爵家の令嬢であり、同等の地位にあるミリエ以外の者が軽々しく口に出せる存在ではなかったのだ。
「私の言ってることが間違っているとでも?」
周囲が無反応でいると、ミリエは冷え冷えとした声で問いかけた。
自分の言葉に同調しない周囲の態度が気に入らないようだった。
このように、彼女は常に周囲に崇められるのが当然だと思い、自分の機嫌を損ねる者には決して容赦しなかった。
そのため、彼女の顔色を窺わないクラウゼルを嫌い、また、同等の地位にあり正面から扱うことが難しいセシリアの存在も快く思っていなかった。
「まあ、いいわ。」
ミリエはセシリアについて無言を貫く周囲の生徒たちの困惑した様子を見て鼻を鳴らした。
苛立った顔をしていたが、心の中では『ここで彼女について語れるのはこの私くらいのものね』と自負し、口元に微笑みを浮かべた。
その頃、10分以上にわたって繰り広げられていたイベリアンとベイカースの模擬戦は、終盤に差し掛かっているようだった。
イベリアンの漆黒のツヴァイハンダーがベイカースの持つ剣に激突し、その圧倒的な威力で彼の体を剣ごと吹き飛ばしたのだ。
ベイカースは地面を何度も転げ回り、イベリアンは素早く追撃を仕掛けた。
倒れ込む彼を最終的な一撃で制圧し、「弱者の分際で偉そうにするな」と言い放つ準備をしているのか、その心は高揚していた。
だが、それはイベリアンの過信に過ぎなかった。
地面に何度も転げた後、素早く受け身を取り、相手に隙を見せないようにしたベイカースは、右膝を地につけてバランスを取りつつ立ち上がり、迫り来る漆黒の一撃を壮大な金属音とともに受け止めた。
ドォォォン!
「ぐぅ……。」
ベイカースは歯を食いしばり、重い攻撃を何とか耐え抜いた。その勢いを利用して足を上げ、イベリアンの腹部を蹴り上げた。
イベリアンは自分の力に耐えつつ、その支えとなる下半身を使った攻撃を見せるベイカースの熟練した技と根性に驚き、後退しながらその一撃をかわした。
その間にベイカースは完全に体勢を立て直すことができた。
彼は荒い息を吐きながら、汗と土で乱れた緑色の髪を手でかき上げた。
右手を軽く動かし、イベリアンを挑発するような仕草を見せながら、先ほどの反撃で負担をかけた腰が鋭く痛むのを表情に出さないようにしていた。
「これが“大人の根性”ってもんだ、坊や。」
「貴様……!」
倒れない――。
イベリアンは自分の猛攻に最後まで耐え抜いたベイカースが気に入らなかった。
自分は怪物がひしめくこのサイの城でも「最強」と称される存在だ。それなのに、どうしてこの男は倒れず、降参もしないのか理解できず、それを認める気にもなれなかった。
「そのまま地面に伏していろ!」
こんなやつ一人すら倒せないとは――。
しかも「あいつ」が見ているかもしれないという考えが頭をよぎり、イベリアンはさらに焦燥感に駆られた。
興奮しきったイベリアンは奇声を上げながら剣を振り回したが、その過剰な興奮のせいで動きが無駄に大きくなってしまった。
その隙を鋭く見抜いたベイカースは、イベリアンの腕を狙う攻撃をかろうじてかわし、反撃に転じて彼の太ももを斬りつけた。
ザクッ!
苦痛と怒りで顔を歪ませたイベリアンは、自分の太ももから滴り落ちる血液にもひるむことなく、それを振り払うように続けざまに攻撃を仕掛けた。
その攻撃は極めて荒々しく勢いがあったが、冷静さを欠いた剣筋は極めて単調になっており、ベイカースが防御するには十分だった。
チャキン! チャキン! ガキィン!
「クソ! なんで! なんで! なんで!」
イベリアンは攻撃しながら、叫び声を上げ続け、太ももの痛みを忘れようとしていた。裂けた鋼鉄の脚甲の隙間から傷口から流れる血が溜まり始めているのが見える。
確かに深い傷ではあったが、彼はその痛みに動じることなく、ベイカースを怒りの目でにらみつけ、攻撃の手を緩めなかった。
興奮に満ちたイベリアンの真っ赤な瞳を見つめながら、ベイカースは今こそ反撃の機会だと考えた。
イベリアンは生まれ持った身体能力に恵まれ、幼い頃から極限まで鍛錬を重ねてきたが、若年ゆえに感情を制御する術を身に着けていなかった。
冷静さを保ち、隙を突けば、きっと勝機を掴むことができる――そう考えたベイカースだったが、彼の体力は着実に消耗していった。
ベイカースの体力は限界に近づいていた。
イベリアンの攻撃は、一撃一撃が重く、ベイカースの体力を削り取っていく。攻撃を受け流しながら隙をうかがう余裕もあるにはあったが、少し前に痛めた腰がさらに悲鳴を上げ、思うように動けない。
一方のイベリアンは、太ももに大きな傷を負いながらも、疲れを知らないかのように攻撃を繰り出していた。
「化け物か、この野郎……!」
荒い息をつきながらベイカースは心の中で罵った。自分がまるで深い沼に飲み込まれていくかのような錯覚を覚える。
このままではやられる――。
額から流れる汗が視界を覆い、ベイカースはイラついた。手で髪を整えたい衝動に駆られたが、目の前には猛然と迫り来る漆黒のツヴァイヘンダーがある。