第7話 魔の狂騒-3-
エラナル大森林の奥深く、地図上では伯爵領と子爵領の境界付近にあたる場所。木々が密集し、空を覆う枝葉が陽光を遮っている。昼間であるはずなのに、この場所は常に薄暗い。湿った空気が漂い、足元の苔や腐葉土からは重く湿った匂いが立ちこめている。薄く霧がかかり、まるで空間が揺らいでいるかのような錯覚を覚える。
深い静寂の中、突如、一か所に魔素が集中し始めた。魔素の奔流が空気を揺らし、やがてそれが魔力に変換されていく。魔力は結晶を核に、ゆっくりと形を作り始めた。鳥たちが騒ぎ立て、獣たちも不安げに声を上げ始める。
地面に一筋の足が生えた。魔力の塊から、一本、また一本と合計で八本の足が伸びていく。それは周囲の魔素を吸収しながら、少しずつ自らの姿を完成させていく。異様なその姿は、他の生物すらも寄せ付けないほどだ。そして、周囲の魔素をすべて吸い尽くした後、そこにはそれ以外の命の気配は残っていなかった。
誕生したばかりのその存在は、かすかに人の住む方角を捉えると、ゆっくりと、しかし確実に動き出した。その体はまだ小さく、力も不完全だが、進む道に躊躇はない。それは大森林を抜け出し、人間の領域へと足を踏み入れようとしていた。
◇
大森林の一角では、木が倒れる音が響き渡っていた。周囲に生える樹木とは少し様相の異なる木が何本もそびえ立ち、それが次々と切り倒されていく。倒れた木はすぐに霧散し、まるで何もなかったかのように振る舞う。ミーナによって生み出された木々を、ダレクが【風刃】で切り倒していた。ミーナが360度あらゆる方向、距離に木を生み出す中、ダレクは平然とした顔で魔力を制御し、風の刃を巧みに当てていく。
「うーん……第二星環魔法の制御も完璧ですね」
ミーナが小さく感嘆の声を上げる。【風刃】は繊細な魔法であり、力を入れすぎれば余計な木々まで斬り倒してしまうし、逆に弱すぎれば標的にかすり傷を付ける程度の威力しか出せない。それをダレクは、一切の無駄なく正確に扱っていた。
「では、次は第三星環の魔法に挑戦してみましょうか」
そんな二人の様子を、ナウロは少し離れた場所で周囲を警戒しながら見守っていた。魔法を扱うことができないナウロは、自由自在に魔法を操る二人を見て、羨望の気持ちを抱く。しかし、その時、かすかに聞こえた音に即座に反応した。
「魔物が現れました! 赤狼が二体!」
ナウロから見て二人とは正反対の方向。緑の中をこちらに向かって駆けてくる二匹の狼は、王国内でごく一般的に見られる魔物だ。赤黒い皮が特徴的で、自然の中では目立つ上に、知能は高くなく単調な動きのため奇襲もされづらい。木の隙間から赤狼を視認したダレクは一歩前に出て、魔力を操作する。体内の魔力を活性化させ、素早く魔法陣を構築する。その瞬間、二匹の赤狼は首を切り落とされ、地面を転がりながらやがてその勢いを止めた。
それまで澄ました顔をしていたダレクは、初めての魔物の討伐に心が躍り、自然と笑みが浮かぶと同時に、ほっと胸を撫で下ろした。ナウロはダレクの元へ駆け寄り「ダレク様、お見事です」と称賛の言葉を贈る。
「ありがとう。実戦でもこれくらいなら問題なさそうだな。ミーナ先生、第三星環の訓練の後は、魔物との戦闘をメインにやってもいいですか?」
「そうですね……第三星環魔法を完璧にコントロールできるのであれば、中級の魔物までなら通用すると思いますし、そうしましょうか」
数分後、難なく第三星環魔法の制御を見せつけたダレクと、驚愕し口をあんぐりと開けてせっかくの美人面を台無しにしているミーナの姿がそこにはあった。
◇
「おかえりなさいませ、ダレク様」
家敷へと戻ったダレクたちを、デオニアの代官を務めるヒューイが出迎える。齢六十のこの男性は、ダレクの祖父にあたる先代伯爵が直々に登用した人物で、すでに二十年ほどデオニアの代官を務めている。ハンターたちが多く、他の街に比べて治安が悪化しがちなデオニアを上手く管理している。ダレクたちが戻ったことをメイドから聞いた彼は、すぐに玄関へと出迎えに来たのだ。
「ダレク様は明日も大森林へと行かれるのでしょうか?」
帰ってきてすぐに、明日の予定を聞いてくるヒューイの行動に疑問を覚えつつもダレクは正直に答えた。
「ええ、そうする予定ですが。何か?」
「念のためお伝えしたいことがありますので、後ほどお時間をいただけますでしょうか?」
夜が更け、月が空高くに浮かび上がる頃。風が木々を撫で、かさかさと葉が揺れる音が心地よく響いている。ダレクは、自室の窓から顔を出し、ヒューイから聞いた話を思い出していた。
ダレクたちが帰還するほんの少し前、代官邸にハンター協会からの知らせが舞い込んできた。「大森林に異常発生の可能性がある」という内容だった。本来、魔物が滅多に姿を現さないはずの大森林の入り口付近で、魔物の目撃情報が複数寄せられたというのだ。とはいえ、これは特に珍しい現象ではなく、二、三ヶ月ごとに数日間に渡ってこうした事態が発生する。魔素の乱れに起因し、魔物が大森林の端の方にまで出現してしまうのだ。これ自体がデオニアの脅威になることはない。しかし、稀に強力な魔物が出現することがあるため、ハンター協会からは警戒の旨が伝えられた。
代官のヒューイにとって、この二十年間に何度も経験したことではあったが、実際に大きな被害が発生したことは一度もない。数十年前に強力な魔物が大森林を抜けて出てきてしまうことがあったとの話を耳にしたことはあるが、それもデオニアを拠点に活動するハンターたちによって、すぐに討伐されてしまったのだ。それでも、危険な事態が発生する可能性がわずかでも存在する以上、次期伯爵であるダレクに知らせないわけにはいかなかった。
秋の風に優しく頬を撫でられながら、ダレクは眠気に襲われるまで窓際で思いを巡らせる。彼の心には消えないざわめきが広がっていた。それを少しでも和らげようとするかのように、彼は外の風景を眺め続けた。




