第9話 魔の狂騒-5-
ハンター協会は一種の混乱状態に陥っていた。職員たちは慌ただしく走り回り、屈強なハンターたちはそれぞれの得物を手に、街の外へ続く門へと集結している。
「状況はどうなっている!」
筋骨隆々とした男――バイルは、門のそばで不安げな表情を浮かべる警備隊の隊員に鋭く声をかけた。その横から、デオニアでは数少ない女性のハンターの一人が答える。
「魔物は四方八方に逃げて行っているわ」
「逃げた?」
「ええ、魔物の大量発生とは違う。これは――」
異常種発生――その言葉が周囲のハンターたちの脳裏をよぎる。通常ではありえない強力な魔物が突如として誕生し、弱い魔物たちは逃げ出すように大移動を始める。その現象は異常種発生と呼ばれていた。
デオニアが「ハンターの街」として栄えている理由は大きくわけて2つある。ひとつは、エラナル大森林という魔物の巣窟がすぐ近くにあり、仕事が絶えないこと。もうひとつは、王都に近いエラナル伯爵領にあるため、商人が頻繁に訪れることだ。なくなることのない仕事と、便利な暮らしが保証されたデオニアは多くのハンターから人気を集めていた。
エラナル大森林は魔素が集まりやすく、魔物が多く生息する一方で、非常に安定した環境であり、強力な魔物が発生することは稀だ。異常種の発生も生きている間に一度あるかないかというレベル。デオニアは仕事で溢れ、危険が少ない環境はハンターにとってこれ以上ない好条件。それだけに、今回の異常種発生は街全体に不安をもたらしていた。
「で、どうするのよ」
女性ハンターに問いかけられたバイルは、数秒間考えた後、決然と答えた。
「草原で異常種を討つ。ハンターたちには門の外で待機するよう伝えてくれ」
デオニア一の実力者であるバイルは、冷静に状況を判断し、異常種討伐の指揮を執った。
◇
「異常種発生……?」
代官邸にて、ダレクはヒューイからエラナル大森林で起きている異常事態の報告を受けていた。
「ええ、異常種が発生したときに起こる現象です。私が生まれる少し前……六十年ほど前にも発生したという記録が残っています」
「なるほど……それで、僕たちはどうすればいいのかな? ここで待機していた方がいいのだろうか」
「いえ、デオニアのハンターたちで対処できるでしょう。東門から出発すれば問題ありません」
「そうか。では、僕たちは出発しよう」
既に準備は整っており、あとは馬車に乗り込むだけだ。ダレクは、ナウロとミーナを引き連れて馬車へ向かう。最近胸に抱いていた不安が、的中してしまった。その事実に小さくため息をつく。ダレクは大きな被害が出ないことを祈ることしかできなかった。
「異常種発生……」
ぽつりとつぶやくミーナに、ダレクは問いかけた。
「ミーナ先生は、以前に遭遇したことがあるのですか?」
「はい、学園時代に一度だけ。北の国境付近に滞在していた時に、上級上位の魔物が出現しました。その時は幸い、小さな被害で済みました。今回も、そうなると良いのですが……」
馬車は街道を進む。東門付近では、散り散りに逃げた魔物を掃討するハンターたちの姿があちらこちらに見えた。
◇
西門前は、異常種の出現に備えるハンターたちで溢れていた。ハンターたちのまとめ役を任されているバイルは、次々と現れる魔物を倒しながら、じっとその時を待つ。周囲の魔物はほぼ片付いたが、異常種が現れるまでは気が抜けない。
最初に気が付いたのは、バイルだった。大森林の奥で、異様に大きな黒い影が動いている。一目見ただけで異常種だと直感した彼は、周囲に警戒を促し、その姿がはっきり現れるのを待つ。
それを一言で表現するなら――蜘蛛。黒光りする巨大な体躯、地を這う八本の足。その全身が大地に影を落とす。バイルはかつて見た魔物図鑑の一ページを思い出した。
「みんな、構えろ――!」
その瞬間、バイルの視界が暗転した。遅れて襲いかかる激痛に顔を歪め、地に叩きつけられる衝撃を待つ。その薙ぎが彼の胴を叩く寸前、ギリギリで差し込んだ盾に命を救われた。地面を転がりながら、折れた左腕の激痛に耐え、バイルは立ち上がる。使い物にならない盾を捨て、周囲へ視線を巡らせるが、すでにその巨大な蜘蛛の姿は消えていた。
「バイル!」
駆け寄ってきた女性ハンターは、バイルの腕を見て息を呑む。
「奴はどこに行った?」
「あっち……たぶん、デオニアを迂回して東の方へ向かったと思う……」
デオニアの防壁を越えていないことにひとまず安堵しつつも、バイルはすぐに行動を再開する。
「代官殿に報告しろ! デオニアは騎士団の応援を要請する!」
◇
最初に異変に気づいたのはナウロだった。車輪の音に混じる微かな異音。それが徐々に大きくなり、近づいてくる。ナウロは馬車の窓から身を乗り出し、後方を確認すると、そこには巨大な蜘蛛が迫っていた。
「ッ! 異常種が追ってきています!」
ナウロは即座に馬車から飛び降り、剣を抜いた。事態を把握しきれていないダレクとミーナも、なんとか臨戦態勢を整え始める。馬車が速度を落とし、ダレクとミーナが馬車から降り立つ頃には、ナウロと巨大蜘蛛との戦闘がすでに始まっていた。
「嘘……あれは……」
ミーナが驚愕の表情を浮かべる。ダレクは彼女に説明を求めるような視線を送りつつ、同時に魔法陣の構築を始めた。前衛はナウロ、後衛はダレクとミーナという事前に決められた立ち回りだ。ミーナも一瞬遅れて魔法陣を構築し始める。
成人男性の三倍を超える巨体から異様に長く鋭い足が生えていた。その足で繰り出される突きや薙ぎ払いを、ナウロは剣で巧みに防ぐ。しかし、その速さと力は桁外れで、ナウロの額には汗が浮かんだ。
「シュネルシュ・ピンネ……」
「……あれの名前、ですか?」
呟くミーナに、ダレクは問いかける。
「はい。危なくなったら、ダレク様だけでも逃げてください」
ミーナの瞳には揺るぎない覚悟が宿っていた。彼女は魔法陣の構築を終えると、すぐさま声を張り上げる。「ナウロさん! いきます!」その言葉に反応し、ナウロは驚異的な腕力を発揮してシュネルシュ・ピンネを無理やり引き剥がし、距離を取った。
「【炎天】!」
ミーナの声に呼応するように、大地から天へと燃え上がる炎の柱が、巨大な蜘蛛を焼き尽くさんと迫る。第六星環魔法【炎天】。その魔法は、魔力制御の負担が少ない反面、莫大な魔力量を必要とするため、ミーナの顔には苦痛の色が浮かんでいた。しかし、彼女は集中を切らさず、必死に魔法を維持し続ける。
シュネルシュ・ピンネはギチギチギチと不快な音を立てながらも、その巨大な体をまだ動かしていた。だが、そこに追い打ちをかけるようにダレクが魔法を発動する。
「【拘地】」
炎に包まれた蜘蛛の足元の地面が突然砕け散り、崩れた土がその脚を絡め取った。大きく体勢を崩したシュネルシュ・ピンネの細い足に、崩れた大地がしっかりと絡みつき、逃がさないと言わんばかりに動きを封じ込める。拘束される魔物はさらに不快な音を周囲に撒き散らし、耳障りな金属音のように響き渡った。
しかし、その甲殻は強力な魔法耐性で炎の攻撃から身を守り、細長い足は常識外れの膂力で拘束を打ち破ろうとしている。ダレクはその光景を見て、息を呑んだ。
シュネルシュ・ピンネ――超級中位の危険度を持つこの魔物。ダレクにとって、人生最大の試練であることは明白だった。




