祈祷札(きとうふだ)
貴方と、父は友達だった。
同期の桜として、ずっと行動を共にしてきた仲間だった。
その関係は同じ会社に入社した後も続く。
まるで、親友のように笑い合い、時には嫌な上司の愚痴を言い合い、時には1人の女性をどっちが先に落とさせるか競い合った。
「20年前、貴方と父は、そういう間柄でしたよね」
と、青年が言った。
だが何も言葉が返ってこないので、もう一度口を開く。
「長い間、友達だった。それなのに貴方は、自分と同程度の金を持っている父の分も欲しくなってしまった」
やがて青年の前に立っていた老人が、か細い声を絞り出した。
「私を、どうするつもりだ?」
「20年前、私の父を殺した貴方にはもう分かっているでしょう」
そう笑っている青年の手には拳銃が握られていた。
廃村の一角に作られている神社に、青年は老人を連れ込んでいた。
境内は何年も人が訪れた様子はなく、かなり荒れ果ている。
20年以上昔、村が朽ち果てていく前に、住職が神社を捨ててしまったらしい。
「……今更、復讐か」
銃口を向けられている老人がそう呟いた。
「貴方にとっては忘れたい過去なのかもしれません。でも、最近その事実を知った僕には、現在進行形の話しでしてね」
「20年も前の話だ。証拠は何も残っていまい」
「ええ。だからこうして拳銃を手に入れたんです」
「……つまり、証拠など要らぬ。ただ、ワシを殺すだけだと?」
「はい。でも、その前に貴方に見せたいモノがあるんです。ほら、あれですよ」
老人は青年が指さす方向を見た。
その瞬間、倒木のように浅黒かった顔からサッと血の気が引いて白くなっていた。
乾燥した雑巾のような皮膚から、ゆっくりと汗が滲み出していた。
「雅か、そんな……」
呆然と呟いた老人の眼前には本殿があり、灰色に変色した祈祷札が壁に掛けられていた。
その下に、人がぶら下がっている。
鉄槌のように太い釘が顔面に突き刺さっており、そのまま壁にキリストのように貼り付けられている。
鉄が大きすぎて、どんな顔をしているのかは分からない。
ただ、夥しい出血で衣服は血まみれ、その足下にも血溜まりが出来ていた。
ここまでは普通の死体だった。
恐怖で硬直している老人を見て、青年は嗤っていた。
「閑田耕筆って本に、蜈蚣の逸話が乗ってましてね。その様子ですと、どうやら貴方は、その話を知らなかったようですね」
「……ああ」
と、老人が微かに絞り出した声は、今にも泣き出しそうなぐらい震えていた。
「これをやったのは貴方だというのに、恐ろしいんですか?」
「あ、当たり前だ!」
「僕もこれを見た時は、悲鳴上げましたよ。父だと分かっていても、近寄る事が出来なかった。くくくくく」
「……何なんだ、これは?」
「さあ、知りませんよ。ただ、閑田耕筆によれば、祈祷札の下に打ち付けられた蜈蚣は、二十数年経っても死ななかったらしいですよ。いえ、死ねなかったと言うべきか」
青年と老人の前で壁に打ち付けられている人間は、まだ微かに動いていたのだ。
カサカサと虫螻が地面を這うようにゆっくりと蠢いていた。
指先が曲がり、足がバタつき、苦しそうに藻掻いていた。
「蜈蚣と同様に、僕の父もまだ生きている。ただ、出血と傷から見て、釘を引き抜いた瞬間に死んでしまうでしょう。だから僕は、このままにしようと思いました」
青年はそう言いつつ、死体に近づくように指示を出していた。
すると老人の顔色がサッと悪くなる。
「ま、まさか!」
「察しが良いですね。そのまさかですよ」
「止めてくれ。それだけは許してくれ。なんでもする、勘弁してくれ」
「もう遅いですよ」
「頼む、お願いだ! 警察に自首するし、お金も財産も全て処分する。なんだったら、場所を変えてくれるのなら、殺されたって良い。だが、あれだけは止めてくれっ! 頼む」
助かりたくて必死になって訴えている老人を見て、拳銃を持っている青年はクスクスと嗤う。
「馬鹿だなぁ、貴方は」
「え」
「復讐する人間が聞きたい言葉を口にするなんてね」
「なにを……」
「最もされたくない事を、遣り返してこその復讐でしょ」
やがて、ダーンという、鉄を打ち付ける音が暗い山腹に響いていた。
その後、その朽ち果てた神社で二匹の大きな蜈蚣が貼り付けられている姿が目撃された。
風に揺られているからか、カサカサと動いているかもしれない、という嘘くさい噂が登山者の間で広まったのであった。