6 若桜陽一
「よし、こんな感じでどうでしょうか。」
私はカバンから小さな鏡を取り出すと、おばあさんに見せた。
彼女は自分の顔をまじまじと見ると、さっきまで下がっていた口角をクイっと上げて、微笑んだ。
「素敵。ありがとうね、お嬢さん。」
彼女は目尻に涙を浮かべて笑っている。その瞬間、ぱらりと髪が一房顔にかかった。
彼女はそれを耳にかけた。
そういえば、お化粧はなんとかなったけど、髪の毛は櫛を軽く通したくらいだったな。私は自分の髪からパチンと音を立ててバレッタを外した。
「あらあら?どうしたの?」
おばあさんは目をぱちくりとさせた。
そして私のバレッタに目を見た。
「まあ、チューリップね。私この花好きよ。」
「私も一番好きな花です。」
よかった、おばあさんがチューリップ好きそうで。嫌いな花をつけるわけにはいかないもの。
「仕上げをするので、そのまま頭を動かさないでくださいね。」
私はおばあさんの後ろへ周り、髪にバレッタをつけた。
白髪の髪に、真っ赤なチューリップの花はとてもよく映える。
淡いピンク色のチークや、口紅と相性も良さそう。とても春めいた温かい雰囲気を纏って見える。
「完成です。どうでしょう。」
私は再度おばあさんに鏡をみるように促した。
おばあさんは、自分の髪や顔をもう一度見た。目がさっきよりもキラキラしている。よかった。喜んでくれいているみたい。
「すごいわ。さっきまでとは別人みたい。あの、この髪飾り頂いちゃってもいいの?あなたの大切なものなのではなくて?」
「いえいえ、髪飾りはいっぱい持っていますので、心配なさらず。是非受け取ってください。よくお似合いですよ。旦那様にも見せてあげてください。」
そんなに高価なものではない。むしろ、確か300円程度の髪飾りだったはず。
私は、ジェスチャーをしながら、どうぞどうぞ。とおばあさんに促すと、彼女は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
「いえ!そんな頭を下げないでください!私プロのメイクさんでもないですし、ほんと軽くお化粧したくらいなので…むしろ素人ですみません!」
「そんなことないわ。私、これでやっとで夫に会えるもの。あなたのおかげよ。本当にありがとう。」
彼女は何度も頭を下げてくれた。
その瞬間だった。彼女の周りに蛍のように光がポツポツと飛び始めたと思ったら、その光はどんどん増えていき、彼女を包み込んだ。
「これで夫に会うことができます。」
おばあさんは少し曲がっていた背中をすっと伸ばした。
彼女の様子を見て、青年たちはキョトンとしていた。
「お兄さん方、お化粧したてで綺麗なうちに夫に会いたいわ。連れて行って下さる?」
先ほどまでとは違うおばあさんの様子に一番驚いているのは男子高校生くんだ。
「え、ちょ、これどういうことっすか。」
「ほら、茂樹くん。早く鈴子さんをお連れして。」
その隣で青年は彼の脇腹を肘で小突いた。
「え、あ、はい。それでは草原鈴子さん。迎えにいこ課、山川茂樹がご案内します。行きましょう。」
「はい。」
男子高校生くん…、いや名乗ってたから山川茂樹さんか。
彼は、おばあさんに手を差し伸ばすと、彼女はエレガントに手を重ねて微笑んだ。
そしてあっという間に光に包まれて、消えてしまった。
彼女だけではない。そこには山川茂樹さんの姿もなかった。
私はその様子をただただポカンと見ていた。
「助かったよ、お嬢さん。」
いつの間にか私の側に青年がいた。
「あの、今のって…。」
「ああ、あの世に行ったんだよ。いやー困ったもんです。鈴子さん、入院期間が長くて、こんなんじゃ夫に会えないって駄々こねられちゃってね。」
「いや、そういうことじゃなくて。あなたっていったい…。」
彼は私から二、三歩離れると、くるりと振り返り、にっこり人懐っこい笑みを浮かべた。
「俺はあの世管理局、迎えにいこ課所属の、若桜陽一と言います。いわゆる死神ってやつですね。」
「死神!?」
変わった人だとは思っていたけど、ファンタジーすぎる単語に私は目をぱちくりとした。
「あー怖がらないでね。分かりやすく言っただけで、実際はあの世へ連れて行く案内サポートというか、お役所の職員というか、外回り担当の会社員みたいなもんだから。思ったよりファンタジーな存在ではないよ。」
「冗談ですよね?」
「それが冗談じゃないんだよね。」
「………。」
揶揄われているのか、それとも本当の話なのか、どう反応を返したら良いのか、私はなんともいえない表情をしていたのだろう。それが面白かったのか、陽一さんはクスクスと笑っている。
「笑わないでください。」
「ごめんごめん。しかし驚いたなぁ。あなたには鈴子さんが視えていたから。昔から霊感とか強いのかな?現世の人でも見える人は見えるからね。」
鈴子さんが視えたってことは、今までの文脈から察するに、鈴子さんはすでにこの世の人ではなかったってことだろうか。だとしたら思ったよりも幽霊っていうのは普通の人と変わらないんだな…ってそんなのは置いておいて、私に霊感?
そんなもの今まで見たことも感じたこともない。どちらかといえばそういうものには疎いし、鈍感な方だと思う。
「幽霊なんて今まで見たことないですよ。」
この返答に彼は驚いたのか目を大きく見開いている。
「おかしいな。元々の素質があって今開花したとか?いや、そんな都合のいいことがあるわけない。」
彼は腕を組んで首を傾げた。それから何か思いついたのか、はっとした。
「お嬢さん、喫茶店で食べました?」
「何か…、あ!クッキーをいただきました。」
「それだ!んもー!桃さんだってさりげなく協力的じゃないですかー!」
急にテンションが上がったのか、陽一さんはピョンピョンと跳ねて喜んでいる。
「とりあえず、今日のお礼をしたいので、今から夕飯とかどうですか?ご馳走しますよ?」
「お礼なんて、私何もしてませんし。」
「いえいえとんでもない。お嬢さんがいてくれて本当に助かった…あ、そういえばまだ名前聞いてなかったね。聞いても?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべている陽一さん。さっきからコロコロ表情が変わる人だなあ。
「早瀬まもりです。」
「まもりちゃんね、オッケー!覚えた。」
その瞬間だった。陽一さんの携帯が鳴った。
「もしもし。若桜です。え、あと一件!?俺別件の予定が…えー待ってって。それは困る。もーしょうがないなー。行くって。」
はあ、とため息をついて陽一さんは携帯をポケットへ仕舞い込んだ。
「ごめんね、まもりちゃん。予定が入っちゃったから、お礼はまた今度させて。ああ、明日の予定は?」
「特になにも…。」
しまった、正直に答えてしまった。適当に予定があるっていえばよかったかも。
「じゃあ、明日また喫茶スズメまで来てね。待ってるよ。」
陽一さんはそれだけ言うと、私の返事を聞く前に走り出してしまった。
「私、行くって返事してないけど…。」
思ったよりも足が速いのか、彼の姿はあっという間に見えなくなってしまった。