情緒のジェットコースターには原因があったらしい
その日、蒼はがつんと頭を殴られた。当然比喩である。
「え。そ、それそれ、いいんでsか」
「動揺しすぎてすがsになってるけど大丈夫?」
動揺させたのは茜音だろうに。
「な、なんで?」
年頃の女の子が異性の家に泊まるというのは、こう……色々どうなのだろう。
「別に晴斗君と二人ってわけじゃないしね。というかあいつがそんなことするわけないんだな。人間的には真面目だし。課題はしょっちゅう提出し忘れるし、サボるし、うぇーいってノリは好きだけど」
そういう問題か、そうか……。にこにこの茜音に何を言っても揺るがないと分かったので、蒼はそれ以上言及することはなかった。
ただ少し、もやっとした。
「それでね、ハンカチをお返しします。あと、一緒に服買いに行かない? っていうお誘い」
「え、あ、ありがとう」
理解の及んだハンカチだけ受け取る。
「いいよ」
舞い上がってしまった。ついつい了承をすると、茜音はなにかまた、口を開きかけた。
と同時にチャイムが鳴り、その言葉は形になる前に消えた。
引っかかったが、それよりも、一緒に買い物に行くことになってしまったことの方が大切だ。
浮ついて、授業も全然聞けなかった。休み時間も昼休みも、机に突っ伏して寝たふりをした。……今話しかけられると、大事ななにかが壊れそうなので。
家に帰って、一度冷静になって考えてみた。女の子同士なら、一緒にお買い物くらい普通、かもしれない。
決してデートではないのだ。
決して。
多分。
十二月に入った。本格的に寒くなってきて、制服のほかにカーディガンやパーカーの姿もちらほらと。
冬は好きだが、乾燥と風邪が怖いのだけが難点だ。あとみかんは美味しい。
反対に、茜音は冬が嫌いらしい。腕で反対の腕をさすりながら、茜音が話しかけてきた。
「寒いね」
「うん。……足、寒くないの?」
「これでもストッキング履いてる」
「そうなんだ」
「もっと暖房強くしてもいいのになあ」
天井を見て茜音が嘆く。蒼は微苦笑を向けておいた。
「あー、体育かあ……」
窓に茜音の目が写る。……冬っぽい風合い。蒼は茜音の目の色、好きなのだが、本人はそうでもないらしく、時折冷めた目で窓の自分を眺めている。
その週末、蒼は茜音と買い物をした。
大分早めに着いてしまった。白い手袋をしてきたのだが、指先の感覚が薄い。……今日に限って、とびきり寒い。
ほんとのほんとに来てくれるだろうか、不安に思い、そっと俯いた。
寒い。
ウィッグが思いの外暖かったのが幸いだった。
待ち合わせの五分前に茜音は来た。
「え、待って待って。蒼、何分待ってた?」
「ほんのぴょっぴり」
えー、めっちゃ冷えてるじゃん、早く中入ろ。中ならまだあったかいと思うよ。
茜音に手を引かれて建物の中に入る。
歩いてみれば、かわいいものだらけである。
隣に茜音もいるので、蒼のテンションは一気に上がった。
「はわあ……!」
頬を赤くして、飛び跳ねるように店へと茜音を引っ張っていった。
「茜音ちゃん茜音ちゃん、見てみて! かわいい!」
「買う?」
「いい!」
「あ、あれ見て! かわいい!」
「うんうん、かわいいね」
「あ、あれかわいい! 茜音ちゃん、つけてみてよ。絶対似合う」
「えーほんと? ならつけてみようかな」
「わあ……! かわいい」
「あ、こっちは蒼に似合いそう」
「……そ、そうかな」
「つけてつけて!」
「わ、わかった」
結果。二人揃って大量買いをした。八割相手のプレゼントだった。
約束通り別行動をして、ハンカチをプレゼントしあったりもした。お互いのプレゼントを交換したあと、またファミレスに寄ってお昼ご飯を一緒に食べた。
それはそれはもう、楽しい時間を過ごしたのである。樋口との時間も心地いいのだが、それとは違う種類の、はしゃぎまわるような楽しさだ。
蒼がそう思ったのはもちろんのこと、茜音も楽しかったのだろう。完璧ではない、年相応の顔をした少女だった。
僅かな微笑を含むアンニュイな雰囲気。どこかから影が落ちているその表情に蒼はドキリとする。人間らしさを極限まで魅力的に仕立て、細かな欠点すら全てまとまって月雪茜音という魅了をなすような、茜音の魅力を端的に表しているからだ。
「あ、待って」
さよなら、と言って分かれるときに、呼び止められた。蒼は振り返る。茜音が駆け寄ってきて、
「髪崩れてる。直すから、ちょっと端よって、かがんで……」
壊れものを扱う手つきで、蒼のウィッグに触れると、一度髪をほどいて、手櫛で整えると、綺麗に結びなおした。
蒼はびっくりして茜音を見て、にこりと笑われて、火照った。
「ばいばい」
「うん」
呆然としたまま手を振って、茜音に背を向けた途端、思わずにやついてしまった。
防寒と風邪予防のため、マスクをつけていたから、頬は見られてないし、にやついたのも周りの人には分からない。
眉を寄せて、地面を睨んだ。
「……茜音ちゃんて、やっぱりあれ、わざとなのかな」
ずるい。どちらにしても、あれはずるい。反則だ。嫉妬とかもう出来ないレベルだ。骨抜きだ骨抜き。
ほろりと溶けそうな感情が、胸にしみた。
こんな思いをするなら、茜音のことを好きな気持ちなんていらなかったし、女の子である自分なんて、もっといらない。
いらなかった。いらなかったのに、今僕は、茜音ちゃんが好きであることが、嬉しい。
どうせ僕が好かれることなんてないから、諦めて友達でさえいれれば、それだけで僕はもうよかった。
女の子だって、かわいいっていってもらえて、それだけで満足だった。満足でなきゃいけなかった。
もう中学生じゃないから。
夢を呑気に見ていられるほど、子供じゃないから。僕は男として生を受けた以上、どうあがこうが男だ。女の子なのは当たり前じゃないし、かわいいっていってもらえるのも当たり前なんかじゃないから。
不安がごぽごぽと溢れる。
茜音ちゃんは僕なんかが掬わなくたって、一人で生きていける。
おかしいことに、涙が出てきそうだった。
焦って走って転んだ。ばらりと荷物が散る。全部、蒼が好きなものだ。
恥ずかしさと迷惑になっている申し訳なさと、注目されている居心地の悪さとで、雑に集めて拾って、立ち上がる。けがはない。
「おい、待て。……待てってば」
嫌そうに話しかけてきたのは、樋口だった。
「樋口さん? なんで」
「ほら、これ」
ハンカチだ。そうだ、これだけ別のところにしまっておいたんだ。
蒼はありがたく受け取って、それじゃあ、と帰ろうとする。妙に、顔のあたりが寒い。風が響く。
「……私ん家来い」
「な、なんで?」
今人といると、泣きそうだ。
「なんでって……泣いてる友達を放っておくほど鬼畜じゃないんでね」
「え?」
手袋を外して、触れてみる。ああなるほど、だから視界が変だったのか、と不思議なくらい冷えた頭で納得した。
「へーきです。寒さでおかしくなっただけ」
「はあ」
「だから、僕はこれで」
「いいわけねーだろ。お前自分の状態もロクに見れねーの? ほら、とっとと来いや」
呆れ気味に毒を吐いて、蒼を引きずっていく。
「わ、分かった、歩く、歩けるから!」
樋口の家だというそこは、奇麗なアパートだった。
ここのオーナーをご両親がやっているんだとか。
樋口が二階の一室の鍵を開き、蒼を手招きする。
「お邪魔します……」
樋口の部屋に入って、カーペットに座った。もふもふしててあったかい。色合いは暗いけれど。
「で、なんで泣いてた」
「……わ、分かんない」
「分かんない?」
声を裏返して、ため息。樋口は荒々しくコップに入った水を飲みほした。
「じゃ、今日用事は?」
「……と、友達と買い物に」
「ん? じゃあお前、それわざわざ着替えたの?」
「い、いや。その、前にほら、文化祭の話したときの」
ちなみに文化祭以外のことも大体話した。この前の合唱コンクールも話した。
テノールが嫌だとか、そんな程度の話だったが。
「あぁ、あれか。……この際はっきりさせときだいんだけど」
自然と蒼の背筋が伸びる。
「蒼さん、その子のこと絶対好きだよね?」
「え?」
爆発したように言い訳を始める。
「ち、ちち違うよ! ぜ、全然そうじゃないよ。ただその、その子がとってもかわいくて完璧でかっこよくて憧れでその、助けてもらったり救ってもらったりしたことがあったり、それだけ……いや、それだけじゃないけど、そんな小さなことじゃないけど、えと、……それだけだよ!」
「露骨に焦ってんじゃねえか。まあ分かったよ。ずばり、それが原因だ」
どこぞの名探偵のように目を鋭くして、人差し指を蒼に向ける。
「……えー、と、な、なんだってー……」
目を最大限逸らして、しらじらしさを意識してみた。樋口は即座に、
「慣れないことすんな。二人揃ってみじめになるだけだわ」
「あっはい。それで、どういうこと? それが原因、って」
「さあ。それは私が言っていいことじゃない、……気がする。ちゃんと自分と向き合って決めるんだな。はー、お前らわけえな。私にゃ無理だ」
「若いって……一年しか変わんないよ……?」
「人間性が違う。私はお前みたいになれねえよ。凛香さんみたいにも、な」
苛立ちで羨望を誤魔化したみたいな、その言葉が、妙に胸に詰まった。
数時間、樋口と他愛もない話をして家に帰った。帰ってすぐ、ぼんやりと考えていた。
なんで泣いたのか。
自分と向き合って決める、とは。
若いってなんのことだろう。
茜音とこれから、どうやって関わるべきなんだろう。
取り留めなく考えていると、だんだん、少しずつ体が冷えてくる。樋口と話した記憶を何度も再生して、僅かに体温を留めることに成功する。
こうなったら、悲しみ切って、泣ききって、どうしようと思う存分悩むのがいいのだ。間違っても未消化で終わらせちゃいけない。
翌日、凛香の家を訪ねた。そして、尋ねた。
「凛香さん。僕、とっても不思議なことに気づいたんです。分かりますか?」
「さあ」
凛香と目を合わせて、やっぱり逸らして。ウィッグに手をかけ、外して。そうしてやっと、口を開いた。
「僕は、中学のときから、何一つとして変わってないのだと思います。僕は僕だと分かってるし、きっと、きっとかわいい女の子だと、思うんです」
彼女は微笑のまま、耳を傾けてくれる。
「半年前から、偶然と必然のおかげで、僕は今、少しだけ、僕を好きでいられているみたいです。それで、それと同じくらい、周りの人達とも、無理せず接することが、できるんです」
なんの気を使うことなく、自分が自分じゃないことを気にすることもなく、ひたすら、一緒にいる時間を好きだと思えた。
「僕は、ずっとずっと、生まれてからずっと、周りが僕を僕と言わないのであれば、僕は僕じゃないと、思っていました。でも、僕が僕だと思う限り、僕なのかもしれない、と、理解しました」
当然だ。自分は自分。当然だが、蒼には当然ではなかった。
「だから、逃げてました。――僕の、僕の好きな女の子は、」
まだ、まだ泣いちゃダメだ。震える喉を押さえつけて、宣言した。
「とってもきれいで優しくて、かわいくて弱くて人間で、優秀で不器用でどうしようもなくて、それでもやっぱり人から好かれて、完璧な人です。僕がほしかったものを、その人は両手に抱えて余るほど持ってる。それが、気に食わなかった。僕はそれを全て、性別に押し付けました。きっと、元から女として生まれていれば、僕だって、茜音ちゃんみたいになれたんじゃないかなって。環境が違えば、僕もあんな風に、なんでもできちゃってユーモアがあって、僕の理想を押し固めた人に、なれたんじゃないかな、って思ってました」
なに話してるんだろう、話したって解決しないじゃないか。そう自嘲しながらも、口は全てを吐き出した。
「自覚できたのが、不思議なんです。それに、考え始めたとき、それより気になることがあったはずなのに、どうでもよくなっているんです」
そこで初めて、凛香は口を動かした。
「私も、恋愛について特別経験が多いわけじゃないが」
まだ迷うような口ぶりだった。
「多分、恋愛ってのは、重い感情を一人の人間に永遠いだく行為だ。蒼ちゃんは、さらにそこに、憧れとか嫉妬とか、友達や家族、赤の他人にいだくであろう感情全部、その人に乗せてしまった。その結果、自分でもその人にどう接したらいいか、分からなくなっちゃったんじゃないか?」
私は簡潔に話す練習をする必要があるらしい、とブツブツ言って、言葉をまとめ終えたのか、再び語った。
「つまりその、疑問がどうでもよくなったのは、蒼ちゃんが自分と向き合って、解決したからなんじゃないか、と……」
そうなんだろうか。そうなのかもしれない。
「僕は、その人に好きになってもらえるよう、努力してもいいですか」
「そりゃあそうだ。この世に成就しちゃいけない恋なんてものはないね。まあ、美咲の受け売りなんだが」
蒼は、ふわりと、風に揺れる花のように笑った。
「それじゃあ、頑張ってみようと思います。茜音ちゃんに、好きだって言ってもらえるような、女の子になることを」




