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ナンパ

「蒼ちゃん、午後暇?」

 ナンパのような口ぶりで凛香に問われ、蒼は一瞬、意図を分かりかねて静止した。

「あ、ああ! はい、とくに予定はありませんけど……」

「……今まで全部一点ものとか、サイズ展開がいくつかあるか、あるいは量産するにしても私個人としてではなくそういうコラボ?みたいな感じで、結構値が張っていたんだが」

 服の話か、と察し、自分の服に目を落とした。今のところ、蒼が持っている服はほとんど全て凛香が作ってくれたものだ。凛香の中で蒼にとびきり似合っていると感じたものだけもらっている。半ば強引に押し付けられる、と言った方が適切だが。

 それがどうしたのだろうと、蒼は凛香の続きを促す。コーヒーカップを傾けて、ことりと置いた。

「今回、めでたく、私の会社を作ることになりました!」

 パチパチパチ―、と、凛香は幼稚園の先生のノリで拍手をしている。それを向けられた蒼は、それどころではない。

「え、……え? あれ?」

 今僕が訊いたのは、なぜ午後の予定を訊かれたかであって、今日機嫌がいい理由ではなかったはずだ。蒼の中ははてなマークでいっぱいだ。

「それで、これからは服の試着もモデルにお願いすることができそうなんだ! こつこつ売ってきたお洋服で貯金が出来てだな! これで私は試着させるための服以外の好きな服を思う存分樋口ちゃんと蒼ちゃんに着せられるわけだ!」

 思うことはあるが、ひとまず蒼は本題に戻した。

「凛香さん、それでどうして、僕に午後の予定を聞いたんですか?」

「ああ、それは、今から二人に着せたい服を作る時間がないからだ。会社の方をやらないとだからな。そこで、蒼ちゃんに蒼ちゃんが着る服を勝ってきてほしいんだ。もちろん、お金は私が出す。これが全部だ」

 紙を渡された。ずらりと服のブランドと正式名称が書いてある。

「わ、分かりました。明日買いに行ってきます」

 全身コーデと、それにあう小物だろう。どんなふうになるのだろうと期待する。

 その後凛香の家で自作弁当をほおばり、満腹になったところで、蒼は勇ましくも拳を二つ作り、外へと出発した。

 美咲をナンパから助けて以来(つまり、一番最初の一回以来)、あそこのあたりを一人で出かけることは久しくしていなかった。……まさかとは思うが、その、ナンパが怖かったので。凛香や茜音、蒼自身の家は、そこから少しそれた位置にある。

 が、今回の目的地は美咲がナンパされていたあたり、ど真ん中である。

 視線が、妙に突き刺さる。……もしや、気づいていなかっただけで、今の恰好は変なのだろうか。

 女装だと思われていたりするのだろうか。

 いやいや、それはないだろう。自身でさえ女の子にしか見えなかった。

 ……不安になってきた。

 人が多いのも、不安をあおる一因である。人見知りには、きついものがある。

 帽子で視線をさりげなく避けつつ、目的の品を買う。

 堂々と好きな服を買うことができることをぎゅうっと噛みしめて、合わせ方が見事な服装に舌を巻いた。

 歩き疲れたが、無事に全て買いそろえることができた。あとは持って帰るだけ。色んな店のものを買ったためか、少し荷物が多い。

 帰り道、呼び止められた。記憶にない声だった。

 顔を見ても知らない男の人で、顔色が少し悪くなる。話しかけてくれるような人のことを、自分は覚えていないということが、蒼を酷くうろたえさせた。

 いくら記憶をひっくり返して探しても、見つからない。知らない。

「君、可愛いね」

 嫌な予感がした。後ずさった。その分詰められて、ぞくりと背筋が凍る。

 返事なんてしていないのに、怒涛の勢いで話してくる。褒められているのに何も感じない。女の子だと思われているのは、ちょっとだけ嬉しいかもしれない。どうするのが正解か分からず、ただ怯えながら立ち尽くして、手をつかまれないように避けて、いざというときに、美咲が白杖でしたようなことができるよう構えておく。

 どうしようどうしようと考えて、後ろへ足を進めても、距離は伸びるどころか縮まってくる。

 誰も、助けてくれないや。

 ああ、あのとき勇気を出して、美咲さんを助けることが出来て良かった。

 妙に呑気な頭になった。

「あの、何をなさっているんですか」

 聞き覚えのある声だった。けれど、冷たい。入学式、席に着くまでに見た佇まいから発せられたような。

 彼女は冷静に男を跳ねのけると、蒼の前に庇うように立った。

「彼女と、待ち合わせをしていた者です。それで、彼女に、何をなさっていたんですか」

 柳眉倒豎(りゅうびとうじゅ)、と言うには感情が見えないが、整った顔が怒りに歪んでいるのは、怖い。

 蒼に話しかけてきた人は、尻尾を巻いて逃げていった。

 蒼を助けてくれた人――茜音は、途端に表情を完璧な愛らしいものに変えてみせて、蒼と向き直った。

「えっと、大丈夫でしたか? 軟派(ナンパ)に困っているようでしたので、真に勝手ながら口出しをさせていただきましたが」

 よそ行きの表情に固まって、ショックのような笑いのようなものを覚えて、やっとの思いで蒼は絞り出した。

「……僕です、月待です」

 ぽかんと口を開いた。かわいい。というか、私服だ。

 思い出したようにやってくる恋慕がむずむずと心をかき回してくる。

 蒼がかわいいに脳が埋まっている中、茜音はケラケラと笑い始めた。

「……え、あ。そっか、蒼かあ。ふふふ」

 天真爛漫と高潔の混ざった笑い方。

 こういうところが敵わない。

「かわいいね」

 さっき言われた言葉が、どうしてか狂喜してしまいそうになる。じわじわと心が熱を持つ。

「今、予定終わったとこ? もし良かったら、一緒にお昼ご飯食べない?」

 断るわけがない。即答で肯定を返すと、ほっとしたように目が細められた。

 茜音と共に、蒼はどこにでもあるファミレスに入る。二人席に案内される。茜音が妙にはしゃいだ様子だった。

 蒼はそわそわそわそわしながら席に座った。

 茜音と二人になるのは一度目ではない。学校で二人きりになるタイミングはいくらでもあった。そうでなくとも、文化祭前日、二人で泣きじゃくったことは記憶に新しい。

 が、休日、普通の精神状態で気軽に二人で外に出たことはないし、私服だ。私服。蒼が制服以外で見たことがあるのなんて、浴衣姿程度だ。……いや、浴衣姿というのは、私服よりよっぽど貴重ではあるのだが。

 見慣れない彼女の私服は、いつもの態度をそのまま服にしたような姿だった。清純で高貴。

 白いワンピースにくすみがかった赤いカーディガン。つやりと光った黒いベルト。どれも、多分とんでもなく高いやつ。

 バチっとシンプルに着こなしているのを見ると、どうしても、心が入り組んでくる。

 それはともかく、無邪気にメニュー表を見ている茜音を眺めていると、心臓がおかしくなりそうだった。……ただでさえ私服と助けてもらった効果でテンションはだだ上がりなのに、である。蒼が彼女と出会って半年、こんな表情を見るのは初めてだった。

 それとなく目を逸らして自分もメニュー表をとり、蒼はすぐ注文を決めた。茜音は珍しく周囲に注意を払っていない。蒼がそこまで悩むかと困惑の目を向けるのに気づかないまま、十五分ほどかかってようやく決定したのだった。

 目をキラキラとさせて、店内を見渡してみたり、蒼と他愛ない話をしては酔っぱらった勢いでにこにこ笑ったり、茜音はまるで子供だ。

 耐えかねて、つい、蒼は聞いた。

「……そ、そんなに、楽しいところ、かな」

「うん! だってだって、なんかすっごいうるさいよ! それに、お水が無料だよ! こんなのってないよ!」

 口調まで幼い少女のようだ……。

 今にも立ち上がりそうな勢いで詰め寄られては、蒼もただ頷くことしかできない。

 注文が来ると、おおーと歓声を上げて食べ始めた。幸せそうな顔だ。

「蒼蒼、おいしい!」

「よ、よかったね!」

 もう吹っ切れて茜音とテンションを上げることにして、蒼は手元のハンバーグをつつく。肉汁と熱が口に広がって、まあ安定して美味しい。

「そういえば、蒼って私じゃないんだね」

 意味が分からず首をかしげると、茜音が補足してくれた。

「一人称の話。ほら、憧れないのかなって。礼儀が必要じゃないところ、まあ普段の学校生活とかで、男が私っていうと微妙な反応されたりするんじゃないの?」

 ――私が家でズボン履こうとされるといい顔されないみたいに。

 心ここにあらず、みたいな目で、茜音はフライドポテトを口に放り込んだ。真っ白な自分の手を見つめて、やがて思い切ったように、その手についた塩を舐めた。

「……僕、って、かわいくないですか」

 もちろん、一人称の話で――すぐ蒼が付け足すと、やっと茜音と目が合った。

「そっかあ……! うんうん、かわいいかわいい! だから僕っていうんだねー」

 言葉以上の感情はなく、ただ嬉しそうに破顔した。生温かさのある視線にむずむずと恥じ入って、蒼はせめてもの抵抗として開き直り、僕という一人称のかわいさを語ってみたりする。表情を変えずに、また茜音はフライドポテトを口に入れた。その後も茜音は、食べる合間に蒼へ、時々話しかけた。

 髪の毛はウィッグ?とか、いろいろ。

 なんだかんだ、一時間は経った頃。

 不意に、引き締まった声が飛んでくる。

「よし……。蒼、ハンカチ、借りられる?」

「え? ああ、僕ので良ければ」

 ポケットから取り出して、白いレースのハンカチを渡す。

「ありがとう。……洗って返すね」

 以前にこんなことがあった、とピンときた。

「……気に入ったら、あげるよ」

「申し訳ないから、いいよ。……今度、一緒にハンカチ買いに行ってもいいね! ほら、お互い別々に買って、プレゼント交換とか!」

 大切そうにカーディガンのポケットに入れて、そのあたりを押さえながら立ち上がった。

 茜音は立ち去っていった。

 別れた途端、会いたくなる自分の心を呆れながら、まだ劣等感が疼く。

 そんなことを思っていても仕方がないので、会計を済ませるべくカウンターに向かった。お会計済んでますよ。告げられて、手が止まる。さらっと奢ってくれた。かっこいい。

 もう全部負けた。

 あきらめの境地で、蒼は、元々の目的を遂行するのだった。

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