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善行が運んだ出会い

 心が、ひりつく。被害者にとって、傍観者は加害者の内になる。女性にとって、蒼は加害者になる。

『え、キモ』

 でも、蒼には助ける程のものはなくなってしまった。

『でも、月待君ならできる気がするんだ。……私の勝手な希望なんだけどさ』

 なんでこんなときに、月雪さんの言葉を思い出すんだろう。

 蒼にとって、月雪茜音というのは凄い人だ。自分よりもしっかりしていて、優しくて、正しいと思ったことを出来る、そんな人物だ。学級代表なんかも立候補無しであったので立候補してしまう人だ。一ヶ月話しているから、それは分かる。

『余裕があるなら、やってみてほしいなって思う』

 身の毛がよだつほどの恐怖があっても、……どうせ、他人だから。他人なら、別にいい。僕には、余裕がある。

 数歩歩いた足を止める。新品のスニーカー。

 ゆっくりと深呼吸をする。唇をくっつける。震える足を動かした。一歩一歩歩くたびに、足のスニーカーが熱された硝子の靴のように絡みつく。死刑の執行を待つ罪人のような心持ちで、心臓を高鳴らせる。心細いのに、頭は焦りのほかに冷静さを携えていた。

 ざわざわと別方向に抜けていく人々のすき間を縫うように近づいていく。空はからりとはれている。じわりと汗が滲む。

 物陰に隠れるような位置にいる二人。じりじりと近づくと、男は訝し気に蒼に目を向けた。蒼はキャップのつばを深く深く被って、目を閉じて、開けた。震えないように気を付けながら、口を開いた。

「――嫌がってるので、離してあげてください」

 低い声。確実に相手に気づかれた。奇妙なものを見る目を向けると、男はハッと笑った。

「いや、邪魔しないでよ。雰囲気分からないの? というか、なに? 君その恰好――」

 男が蒼に何か言おうとして近づいた瞬間、女性は素早く右手の白杖で蹴るようにして男の股間にぶつけた。ざまあみろ、とでもいいたげに口を歪めると、蒼の手を掴んで走り出した。

 蒼は嫌な言葉を聞かずに済んだことに心底ほっとしつつも、現状に理解が追いつかない。

 でもなんとなく、清々しい。アドレナリンが出ているように脳が熱を持っている気がする。そんなこと、本当にあるのかはわからないけど。

「いやあありがとう、ホントに助かったっ!」

 目を閉じたまま笑顔でお礼を言う女性に、蒼は、

「あ、はい」

と固まった。ぎこちないことの自覚を持ちながら、しかしそれを改善は出来ない。

「あたし、普段はこの辺来ないからさ、まさかあんなしつこいとは知らず。や、あいつだけかもしれんけど」

 朗らかな口調の女性を、改めて蒼は見てみた。失礼ながら、特別美人というわけではないが、さっぱりとした気持ちのいい笑みは、なるほど確かに魅力的だ。可愛い、というよりは綺麗な雰囲気が似合う人だ、と思う。

「そうなんですか」

「あ! あのさ、君、モデルって興味ある?」

「え」

 思わぬ言葉に蒼が顔を上げると、女性は振り返って笑顔を向けた。

「大した話じゃないけどね。と、そろそろ疲れたな、歩こうか」

「えっと、あの」

「まあ、簡単な話で」

 女性は走るスピードを落とした。蒼の話を無視し、つらつら話す。

「今ソーイングスタッフっていう、服を作る仕事を目指してる友達がいてね。できれば誰かに実際に着て貰いたいみたいなんだよ。まあ多分あいつは知らん奴でもその人に似合う服を着させたいみたいだけど――。で、そんなわけで、性別も年齢も身長も問わず、とりあえず着てもらえればそれでいいんだって。ちなみに腕は確かだよ。これも今、大量に試着してきたお礼として貰ってきた奴だし。あたしは目が見えないから君の恰好は今どうなってるかわからないけど、絶対声の抑揚からしてかわいいと思うんだよね。あたしの勘がそう囁くんだ。うん。だから、今また友達の家行ってるんだけど、いいかな。助けてくれたお礼も兼ねて、ちょっとやりたいことがあるんだよ。あ、そういえば丁度近くのカフェがリニューアルオープンしたんだよ。これがめっちゃ美味しくてね? 行く時間あれば奢るよ」

 一人で話続けてくれる女性は、人見知りの蒼にとってとても話しやすい相手であった。安心して聞き手に回れるのだ。が、どんどん話が進んでいることに危機感を覚え、蒼は口を挟んだ。

「あ、あの、まず、お名前は……?」

 蒼はすぐ、聞く質問を間違えたことを悟った。

「あー、忘れてた。あたしは鈴木美咲(すずきみさき)。で、ど?」

 それ以上に聞くことがあったはずなのだがまあいいかとどうでもよくなってしまって、蒼は曖昧な言葉を吐いた。

「えっと……」

「まあいいや。そろそろ着くから、詳しくはその子に聞いてみてねー」

 ここ、と付け足して、美咲と名乗った女性は古いアパートの前に止まった。一番近い扉に近づいていくと、慣れた手つきで階段を上った。蒼は感嘆して、それからすぐ美咲の後ろをついていった。

 美咲の友人だという人の家に上がり、リビングのカーペットに座り込んだ。事情を知らぬまま、家主らしい女性は笑顔で出迎えてくれた。その女性を両手で指し、

「こちら、ロリータシックボーイッシュ、オールジャンル完璧デザインも出来て作ることもできる天才の凛香さんです」

 蒼は改めて、ぺこりとお辞儀をする。美咲に聞きたいことがあったのだが、今の状態では聞くに聞けない。

「えーと、こんにちは。私は楠木凛香(くすのきりんか)。そこの馬鹿野郎の友人だ。貴方は多分、美咲に連れて来られただけだろう。今の時点で断りたいというなら、遠慮なくいってほしい」

 真っすぐ見つめてくる彼女に、蒼は気まずそうにうつむいた。声を出したくない。

 ああそうだ。思いついて、蒼はスマホのメモ帳アプリを起動させた。文字を打ち込み、凛香に見せる。

『興味はあります。けれど、もちろん不安だし、それ以上にこわいです。』

 赤の他人に定期的に会い、服を切るということそれ自体が厳しい。人見知りなら、尚更。そこに蒼は、身体が男であるということがある。が、それ以上に色んな洋服を着てみたいという気持ちもある。ところが、それ以前に、蒼はぽんぽん進む現状に困惑している。

 スマホを見た凛香は、苦笑した。

「まあ、そりゃそうだな。むしろいきなり即決される方が怖い。知り合いとも言えない人間を急に信頼しろ、なんて言わない。……いや、ちょっと待て。なんで貴方は見知らぬ人の家に上がった?」

『いつの間にか、入ってました』

 凛香はまた、苦い笑みを浮かべた。

「私が言うことじゃないが、警戒心は持て。いいな? 悪い大人に騙されることもあるんだから。特にお年頃の子は……」

 凛香は言葉を切り、蒼を見た。

「そういえば、貴方、名前は?」

『蒼です』

 見せてから、蒼はしまったと思った。苗字を言ってないからプライバシーはいい、と考えても、名前で男だと分かる。

(あおい)ちゃんか。綺麗な名前だな」

 ……読み方、間違えた? ほっと息をつきかけ、気づいて飲み込んだ。

「……蒼?」

 そこで、美咲が割って入ってきた。

「なんだ?」

 厄介なことを持ってくるなよ、とでもいいたそうに眉を寄せる凛香。美咲はいやにご機嫌に言った。

「もしかして蒼って、くさかんむりに倉で、それに君の苗字って、月待?」

「…………」

 無言で頷くが、美咲は見えない。

「頷いてるぞ」

 凛香が口を挟むと、美咲は、やっぱりと太陽のような笑みを濃くした。

「あたし、鈴木晴斗のお姉ちゃんでーっす!」

「えっ」

 鈴木晴斗、というのは、蒼に話しかけてくれた、入学式隣の席の人だったクラスメートだ。ちなみに彼は、翌日心臓をドクドクさせながら話しかけたら笑顔で答えてくれた。蒼にとって信じられないほど嬉しかった。いい人だ。その後も定期的に話しかけてくれるし。

 まあつまり、知り合いである。

 蒼は固まった。冷や汗がだらりと垂れるのを感じる。時が止まったような沈黙に息が詰まる。頭の中で、自分の声を思い出す。確実に声を出してしまった。

 恐る恐る蒼が凛香を見ると。

「えーと、つまり、知り合いってことか? いや、友達の知り合い? 晴斗、って、美咲の弟だった……よな?」

 蒼の声については一切触れず、何もなかったかのように進めた。

 心から、ほっとする。

「うん。そゆこと」

美咲が蒼の方向に顔を向ける。

「で、どう? 知り合いだから怪しくないよ!」

 断ろうとしていた心が、ガクンと承諾に動いた。蒼はそれでも、確証が出てから、と思った。口を開きかけた途端、美咲がスマホを取り出した。その起動と同時に蒼の口が閉じる。人見知りにとって、よく知らない相手に返答を返すのは、とても緊張することだ。

『……美咲? は? え、急に何?』

 スマホから聞こえてきたのは、蒼の知る――困惑たっぷりの――鈴木晴斗の声だった。

「じゃーね」

えっちょっホントになんだよ用事ないならかけてくんな()――。電話が切れた。

「やりますッ!」

 気づけば前のめりになっていた。声なんて気にも留めず、ただ、勝手に口が動いていた。……蒼は、こう、少々変なところで行動力がある。

 その声を聞いた部屋の二人は、それぞれ嬉しそうな笑みを浮かべた。

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