かわいいはずるい
「……終わったあー……」
ぐぐっと地面に向けて腕を伸ばす。天井に向けてやる勇気は、蒼にはない。
「お疲れ」
クラス全員に主役として労いや称賛を受け、蒼は戸惑いつつも、はにかんだ笑いを向けた。
「ありがとう」
各々気が抜けた姿勢でやり切った面持ちをしている。この後はもう下校だ、と記憶を探り、蒼は教室へ向かうべく足を進める。それに引きずられるように、皆が動き始める。伊藤は――『彩音』役の子と話しながら帰っているし、村上は黒井や女A,B,役の子と話している。平井はそれを遠巻きに、音響などをやっていたクラスメートへと近づいていった。一条は一条で、手元のメモ帳にペンを走らせ、隣にいた男子生徒に引っ張られ障害物をよけた。いつの間にか友人を作っていたらしい。そして蒼は、晴斗に近寄った。
「お疲れ様」
「お疲れ。俺より月待だろ。お前が主役なんてよくやったよ」
言われると、どうも気恥ずかしさがこみあげてくる。同時に、達成感もまた、ひとしおなのだが。
緩やかに流れる時間の中、彼らの姿を、夕焼けが赤く染め上げていた。
家に帰った蒼に、母があっと声を上げた。
「劇、お疲れ様。色々、大変だったでしょう? お風呂沸いてるから、先に入ってきなさい」
うん、と小さく微笑んで、いう通りにした。少し、照れくさい。
その雰囲気のまま夜ご飯を食べ終え、部屋に帰ってベッドに寝そべる。うつ伏せになって、枕の上で茜音にメールをする。
「元気……いや、今どう?……」
悩んで、悩んで、打ちなおして……としているうちに、突然スマホが震えだす。電話。それも、茜音から。音の大きさにびくっとして、蒼は即座に電話を受けた。
『今大丈夫ー?』
大好きな声だ。なんだか一日聞いてないだけのような気がしなくて、耳がしばらく不慣れだった。
「うん」
『そっか。ならよかった。えーと、こっちはただいま帰宅中。コンクール終わりましたー。そっちは?』
「えっとね、文化祭、……無事に、成功したよ」
少し自慢気になっただろうか。茜音にどう受け取られたか、心配する前に返答が来た。
『そっかそっか。良かった』
「……茜音ちゃんは?」
『……私?』
予想だにしなかったような、そんな声に、蒼はなんともいえない切なさに襲われた。自己犠牲が端々に現れている感じがしたので。
「うん。茜音ちゃん、コンクール、どうだった?」
『私かあ、私も、楽しく弾いてきたよ』
その一言に、蒼はにまにましてしまった。
「……茜音ちゃんが楽しく弾いてくれて、嬉しい」
『蒼は素直だなあ』
カラカラと笑う声には憂いが見当たらなかった。それがまた、蒼を笑顔にする。
『……一つ、言おうと思ってたことがあるんだ』
和やかから少し離れた声に、蒼も身を起こして背筋を伸ばす。
『私ね、入学式のとき、ものすごく、怖かったんだ』
「え?」
『体育祭のときも。高校になったら、まさか親が来るなんて、思わなくて』
ざりざりと、軽やかに歩く音が響く。
『私、ボロが出て、本当の自分に失望されるのが、怖かった。馬鹿みたいでしょ』
「馬鹿じゃないよ」
不思議とよく通った。
『あはは。……そうだね。うん、そうだ。言いたいのは、弱音じゃなくてね』
ふと、雑音が消える。信号待ちだろうか、それとも。
『感謝なんだよ。蒼には、気持ち悪いって思ってるはずの、自分が出せるんだ。素直で、真っすぐで、なのに眩しくない、蒼だから。つまりね、蒼が、今こうして生きてくれていることへの、感謝』
好きな人にそんなことを言われた少女の顔はただ一色。真っ赤である。花も恥じらうくらい、恥ずかしがっている。照れに照れては、茜音に何も言えまい。せいぜいが、意味のない音をとぎれとぎれにいう程度のもの。
『……蒼ー?』
蒼がそんな状態になっているとは露知らず、茜音は、夜風に当たりながら最近寒くなってきたね、などといってさらっと話題を変えた。
「……茜音ちゃんって、ズルいね」
一方的に話し続けていた声を遮って、少々抗議をしてみる。
『そうだよ。私は狡いよ』
思いの外真面目に返された。
「……なんで?」
『自分から言っておいてそれ訊く?』
そう言いつつも言葉をまとめて、茜音は続けた。
『好かれるために、相手の弱い部分をつつく癖があるからかな』
あと恋愛的に好かれるのもある程度狙ってる、と衝撃的な発言が付け加えられた。蒼は手を滑らせかけた。スマホを落とさずに済んで良かった。
「そうなんだ?」
『そうそう。突然話しかけるとかして驚かせると、吊り橋効果みたいにびっくりしてバクバクした心臓を恋と錯覚させられる』
「へー」
多分茜音ちゃんは引っかからないだろうなと、少し残念に思った。
『……そろそろ電話切るね』
家に着いちゃうや、と残って、ぶつりと切れた。その余韻を数秒間味わった後、息をつくようにベッドに倒れこんだ。もっと話していたかったと名残惜しさが喉をかすめ、強欲になってしまったことへの嫌悪と、ちらりと顔をのぞかせた嫉妬全部が、茜音の承認で空気に溶けていった。
自然と笑みが浮かんでいた。




