嘘をつきたくない
月雪さんは泣き止むと、充血した目を僕に向けて、涙声で宣言した。
「私はピアノが好き。何もかも忘れて楽しめる。いつもなら、そう。それだけで、生きてる意味がある」
どうすればいいのか分からなくて、とりあえず拍手しておいた。店内に人はほとんどいなくて、拍手がとても響いた。なんか、恥ずかしかった。
「……僕も、……」
洗いざらい吐き出して、月雪さんに肯定されたい。自分のことが気持ち悪いと思うくらい自分のことが好きになれない月雪さんなら、もしかしたら僕のことも認めてくれるのかな、なんて思って、目を伏せた。
駄目だよ。それは。今の関係が壊れちゃう。樋口さんとは、つぎはぎだらけの関係になった。凛香さんと月雪さんとでは違うんだから。
あの子と同じように傷つけちゃうよ。僕やだよ。
心臓が勝手にそういう衝撃に備え始めているし、喉は調子を整えていうつもりでいる。
駄目だってばと自分に言い聞かせても、変な勇気が出てきてしまった。
「僕は、女の子です」
あああ…………。
一度そう言ってしまうと、するするするする言葉が出てきてしまって、小首を傾げる月雪さんに告げてしまった。
「あ、えと。か、体? っていうかなんていうかその。実体? っていうんですか、は、その、正真正銘の男なんですけどあの、……俗にいう、性別不合……ってやつだと思ってて、つまりその、心は女の子のつもりっていうか、女の子っていうか……引くなら、引いてください。気持ち悪いと思ったらそう言ってください。僕は、かわいいものが好きです! かわいいものを見るとふわふわするし、かわいいって褒められるととっても嬉しい、そんな気持ち悪い奴です!」
いっそ清々しい気持ちで言い終えて、ばっくばくとどっきどきで月雪さんを見ると、驚きつつも面白いものを見たというようにお腹を抱えて笑っていた。悪い感じの笑いじゃなくて、好意的な呆れを含んでいるとでも言ったらいいのだろうか。
「あ、あはは……! なんだあ、そっかあ。だいよぶだよー? そんな不安そうな顔しなくても。だって、その、……っふふふ」
子供をあやすみたいに言われて、なんかちょっとかちんってした。
「な、なに、なにがそんな面白いのっ。こっちは真剣だよ!」
「だって、……しどろもどろすぎるでしょ。……っていうかその、あの、って。相手私だよ? さっきまで号泣してた、私だよ?」
だから緊張するんでしょ。口をとがらせて恨めし気に軽くにらむと、月雪さんは笑い涙を拭きながらかしこまった様子でにやついた。
「えーと、うん。そうなんだね? ……あ、ちょっと待ってまた笑いが」
僕のなにがそんなに面白いんだよお……。
「で、うん。まあ、泣きわめいても明日の予定は変わらないので。翼が生えそうなくらい軽い心でピアノ弾きに行ってくるからさ、月待く……。あ、じゃあ、蒼って呼んだ方がいいかな。いや、なんかしっくりこないな……」
「あ、じゃあ、……蒼で」
「分かった。じゃあ、学校では蒼っていって、それ以外では蒼っていうね」
その瞬間、なにか、壊れたらいけないものが決壊して、ぼろりと涙が零れた。小さな水たまりが服にできた。乱暴に拭っても、拭った端から零れてくる。それをみる月雪さんの目がどこまでも優しくて、それだから余計に涙が止まらない。壊れちゃった。涙腺がおかしくなっちゃった。ごしごし袖で涙をぬぐっても、ぬぐった端から涙が出てくる。
でも、月雪さんがなんてことない話をしているのを聞いていると、なんとか涙が引っ込んだ。
空気を直すように、ごほん、とかわいい咳ばらいをして、月雪さんは笑んだ。
「蒼も、私のこと、下の名前で呼んでよ」
「え……」
なんと呼べばいいだろう。茜音さん……は他人行儀過ぎるし、かといって呼び捨ては性に合わない。……。
「あ、茜音、ちゃん?」
ドキドキしながら茜音を見ると、彼女は満足気に口を開いた。
「うん。それでいいよ。……あ! 時間だ」
茜音が自分のスマホの画面に目を投げる。
「蒼も、文化祭の演劇頑張ってね! あと、私の分も楽しんできてよ。あ、それにそれに、録画できるなら、してくれないかな? 私、蒼の演技みたい!」
「え、えへへ。両親に頼んでみます」
「ありがとう! ……あ」
すると、茜音ちゃんは自分の手を見て、僕の頭を見て、……と繰り返し、すっと僕の方に手を伸ばしてきた。
「茜音ちゃん?」
問いかける僕を無視して、悪戯っぽい笑顔で、つい先程僕がやったように、頭の上に手を置いた。揺れる。
ぽかんとして、意味を理解し、頬が火を噴く。顔が熱い。本当に熱い。
「さっきのお礼。あと、グループだけじゃなくて、個人でも連絡先交換しようよ」
スマホが震えて、友達リストに月雪茜音と追加される。ヤバい、今僕すっごいにやついてる。
「じゃあ、また」
かわいい笑顔で僕の分のお金を置くと、席を立ってカフェを出てってしまった。
僕は夢心地でそれを眺め、自身の成したことを考えて……。心からの彼女の笑みに、また顔が赤くなった。
ふんふん浮かれて真っ暗な帰路を進み、蒼はスマホの入ったジャケットに手を添えた。
明日はいよいよ文化祭当日である。緊張はある。楽しみでもある。なんてったって演劇だ。スカートとリボンの制服だ、わくわくしないわけがない。
蒼は踊り出しそうになりつつ、電灯の続く街道を歩いた。




