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離れるならば傷つかない。

「月待君!」

 徐々に暑さも引き、寒さが気になり始める十月上旬

 さあお昼を食べるぞという蒼に、茜音が弁当を引っ提げてやってきた。さきほどまで伊藤と話していた気がするのだが。

「月雪さん? どうしたの?」

 体育祭が終わり一週間程度。あれ以来茜音は変わったこともなく元気に見えるので、悩みが解決したのかな? でもどうなんだろう……。と、蒼があやふやもやもやしていたところにである。

 が、それはそれとして話しかけてもらえてうれしい。

 かわいいのは羨ましくもある。

 と、非常に複雑な感情。必然的に態度もふわっふわのどっちつかずになってしまう。

「一緒にお昼食べない? いいところ見つけたんだ」

「うん。いいよ」

 渋る内心とは裏腹に快諾してしまった自分を半分恨みながら半分絶賛し、蒼は茜音がおすすめする中庭へと移動した。

 中庭とは名ばかりの、桜の木のためだけのスペースである。桜の木が大きな根を張るので、大きさ自体は広いが、それだけだ。せっかくのスペースなら活用すればいいのにとも思うが、それならそれで、木が邪魔なのである。桜の木を丁度真ん中に配置してしまったせいで、なにをするにもまず木が遮る。それでも広大なスペースを使って保存するのは、なんでも、著名な音楽家から寄付をしていただいたからとか。ということで、造られたのは中庭で唯一の人工物は桜の木をぐるりと囲うような木のベンチのみ。

 茜音がそのベンチに座ると、チェックのスカートがかれ色のベンチに流れた。左手で持っていた弁当を太ももの上に乗せ、右手で箸を引き抜く。

 茜音のスカートを踏まないよう気を付けながら、ほんの少し距離を取って座った。

 蒼も弁当を食べ始めて、およそ十分後。

「ここの木も、散っていくのかなあ」

 茜音が物憂げに目を細めた。蒼は急いで卵焼きを飲み込んだ。背に大木を感じながら、ちらりと茜音の弁当を覗いた。

 茜音は綺麗に弁当を平らげていた。体育祭の時も思ったが、茜音は案外食べるのが速い。

「でも、春になればまた咲くよ。桜の木、綺麗だったなあ」

「そうだね」

 茜音の一言で、会話が途切れた。この隙に、とばかりに蒼は弁当をかきこむ。茜音は弁当を元通りに整えると、蒼を観察し始めた。それに気づかず、蒼は喉を詰まらせながら弁当を空にした。

 弁当を食べ終わったタイミングで、茜音が話し始めた。話し時を見計らっていたらしい。

「……月待君」

「はい?」

 教室で声をかけてきたときと同一人物とは思えないほど、起伏のない淋しげな声だった。

 茜音の方をじっと見つめて、先を促す。茜音はそれに気づいて、こわばっていた顔を崩した。眉を下げて笑った。

「もし、……そう、例えば友達――晴斗君とか?が犯罪者だったら、月待君は、どうする?」

「え? んーと」

 想像する。もし、鈴木君が犯罪者だったら……。

 片付けをする手が止まる。

「僕だったら、どうしてそんなことをしたのって、聞く」

「……すぐに失望は、しないの?」

「しない、かな。だって、鈴木君は人見知りの、一緒にいて、多分楽しくはできない僕なんかに、話しかけてくれた。優しいから、きっとね、人を助けるためとか、理由があると思う、から?」

 それに、もし見知らぬ人であっても、償いを終えたのだとしたら、犯罪者という一部分だけで人を批判すべきではない、から。

「……そうなんだ。そっか。じゃあ、じゃあね」

 焦りと不安がないまぜになった顔。辛うじて浮かんだ笑みが、かえっていびつに見える。

「もしもの話だよ。もし、憧れてて、好きで好きでたまらなくて、そんな人がいたとして、その人が、実は思っているのとは全く違って、軽蔑するくらいに醜くて、欠点だらけで、それでその人が、月待君に受け入れてくれると聞いたとしたら、月待君はどうする?」

 理路整然としていない話し方。触れられたくないだろうから、蒼は触れないように、思案顔で弁当に目を落とした。『――ごめん、整理がつかない』『ごっ、ごめんなさい。あの、少しおしゃべりが好きな子にね、蒼君のこと、相談しちゃったの、本当にごめんなさい』……親友。『ごめん、無理だわ』『無理だわ』『気持ち悪い』『元々出会わなかった、それでいい? いいよね? だって、私無理だよ』……樋口。彼女らにとって、もしかすると蒼は、茜音の話の『その人』だったのだろうか。

 いくらか自分なりの答えがまとまったところで、口を開いた。

「……頑張る。欠点とか、ちょっと、どうなんだろうって思うところとか、人だからあるのは当たり前、だと思う。でも、それ以上に好きなところはある、はずだから。受け入れられるように頑張って、それで二人とも傷つくなら、離れる。かな」

「……離れる?」

「うん。関わってるだけで辛いなら、それはもうどうしようもない、だろうな、って」

「……ど、どうやって? どうやって離れるの? その後、どうなるの?」

 蒼はびくりと肩を震わせた。茜音が蒼のブラウスを引っ張っていた。動揺しながら、答えた。

「えと、あの。それは、分からないです。その人と、僕?の関係性とか、環境とか、性格とか、分からないと、予想も出来ません。その後のことは、そのときは悲しいかもしれないけれど、長い目で見れば悪い選択肢ではない、と、思う、よ?」

「……そっかあ」

 蒼は何気なく茜音の方を振り返り、後悔した。

 今にも涙を落としそうな具合に歪んだ目があった。それなのにこちらが泣きそうになるほど優しそうな笑顔で、蒼はどうすればいいか分からなかった。

「気にしないでね」

 察されてしまった。

 今までならそこで引き下がっていただろうと思われる。

 けれど蒼は、だらりと垂れた茜音の右手に、自分の左手を被せた。……手が、氷のように冷たい。と同時に、驚く気配。

 確かめることはできなかった。俯いて、顔の熱が引いてくれないかと祈りながら、もごもごと言い訳じみたなにかを話す。

「泣きそう、えと、あの、その」

「……あはは。駄目なあ、私」

 涙の塊の声。それで会話は終わった。

 蒼の手が冷えてくる。茜音の体温が移ってきた。反対に茜音の手は暖かくなってきているのだと思うと、左手の冷たさに安堵を覚えた。

 しばらく鼻をすする音が響いていた。

 月雪さんの手、柔らかい。僕とは違って。細くて壊れそうで、でも奇麗だな。

 ああ、好きだな、と思った。

 蒼にとって茜音は特別で、かけがえのない存在だ。けれど、茜音にとってはその限りではない。友達はいっぱいいるし、蒼が茜音になにかしたわけでもない。

 羨望か独占欲か、分からない。

 ただ蒼は、ほんの少し、茜音と繋がった手に力を入れた。

 時間の許すだけ、そうしていた。

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