とても面倒な幼馴染
体育祭が終わった放課後。晴斗は逃げ足が速い茜音を引き留めるため、強引に手首を掴んだ。荷物を持って帰ろうとしていた茜音は、その力に屈して振り返る。
「晴斗君?」
いつもの微笑はそこにはなく、ただ余裕のない少女が一人いた。
「この後、予定は?」
「……ない、よ」
歯切れの悪い答えは、予想通りとはいえ、彼女らしくない。
「じゃ、付き合ってくんね?」
晴斗と茜音が向かったのは、近くのカフェである。まず間違いなく茜音の心配するようなことは起こらない。
「それで、ええと……」
話の進め方が分からないというように左に右に、瞬き多めに視線を彷徨わせる。
二人席に案内され、向かい合った二人の間には、気安さと緊張が横たわっていた。
「とりあえず、飲み物頼もうぜ」
けろっとしてメニュー表を抜き取った。いつも通りの晴斗に警戒を強め、茜音は店員を呼んだ。
「おまっ、馬鹿。俺がまだ決めてねー」
口を尖らせた晴斗とは正反対に、涼し気な顔で、茜音は
「また呼べばいい」
「……やっぱお前、なんかいつもと違くね」
ぶつぶつ晴斗は腕を組んだ。
「そうでもないでしょ」
会話が途切れる。唯一二人を繋げる糸が切れてしまったように、互いに何を話せばいいか分からなくなった。
店員が行ったり来たり。何度かドアが開く鈴の音がカランと鳴り、ゆらゆら照明が揺れ、グラスの液体が半分ほどにまで減ったころ。
「お前、このままじゃ駄目になるだろ」
しびれを切らした、というよりも自分がそうしやすいからそうしたすっぱりさがあるそれに、茜音は目を歪ませた。
「……平気だし」
「無理してるだろ」
「キャパオーバーは分かってる」
「ならなんで、普通科にいるんだよ。爆発したからだろ。嫌だってな。だから音楽科じゃなくて、普通科に――」
「やめてよ。まるで私がピアノが嫌いみたいな言い方」
「好きだからこんな苦しそうにしてんだろ。俺が分かってるってこと、お前だって分かってるだろ。話を逸らすな。いくら下がった気分に合わせられない俺でも、それくらいは分かんだよ」
「知ってるよ。晴斗君がそういう人なこと。でもね、私は平気なの」
「ああそうか。そうなんだな? じゃあいうけどよ、夏祭りのとき、あれ、お前が限界だったんだろ」
「……なんの話か、教えてくれる? 誤解があるよ」
少々粗雑にコップの水を飲む。
一層目を鋭くし、感情的になりすぎないよう落ち着いて、晴斗は言った。
「月待も、茜音も、苦しかったんだろ。周りに合わせるのが。はしゃぐあの場が。現にあのとき、お前は月待の表情に気づいてなかった。……俺もだけど。それを、村上は気づいてたから、二人が離脱しやすい空気を作った。違うか?」
「あれはあの子は能力に対して経験が不足してるだけ。相手の心情を理解はしても、その先分かっている自分以外が解決する方法を知らない」
「村上のことはいいんだよ。俺が聞きてえのはお前のことだ。また話を逸らしたな」
「そっちこそ、肝心の用件を言ってない。なにをしたいの」
「俺はな、もうあんな思いしたくねえの。だから、俺じゃなくてもいいから、抱え込まずに、どっかで発散してほしい」
怒りは、いずれ消える。要因は時間であり、無気力だ。怒りがどこかに消えてしまったら、あとはただ、弱気が募るばかりである。
茜音は無造作に頭を抱え、髪を少しかいた。
「……誰に相談すればいいの?」
「誰でもいいだろ。素が割れてる俺でもいいし、他には……村上……はあれか。伊藤にも黒井にも縁のない話だからちょっと共感しずらいか。平井は駄目だ。相談したらもっとヤバい話が返ってくる。空良は論外。あいつには人の心がない。……あ、雨宮未空とかは?」
何事もなかったようなトーン。それに自分の居場所を確かめたような心地でいながら、茜音は顔を曇らせた。
「あの子は、沈んでるときは怖い。明るすぎて、見ていると眩しくなっちゃうんだ」
「じゃあ、月待は?」
「絶対駄目ッ!」
凄い剣幕の茜音に晴斗は大きくぶんぶんと頷き、即答か、とぶっちゃけ引いた。なんで駄目なんだ?とも。
「ただでさえ、今日やらかしてるのに……」
すねた口調に、晴斗は面白いものをみた感覚に陥った。
「ほお?」
「あ、失言」
「まあいいや。とにかく、ネットでもいいし、先生でもいいし、マジで誰でもいい。相談しろ。つか、今話逸らしたろ」
「あー……。ばれた?」
いつもの調子に戻って、悪戯っぽく笑って見せた。計算されつくされた瞳の動きで、けむに巻こうとした。
「その動きやめろ」
すかさず晴斗が指摘すると、茜音は半目になって背を丸めた。
「もー……。晴斗君面倒くさい。本当に面倒くさい。月待君だったら絶対引っかかるのに。今のでイチコロ」
茜音が机の上で、だらしなく両腕を伸ばし、頭をころころ左右に転がす。ぐしゃりとゴムが緩む。悠々自適に伸びをして、黒髪がぽろりと零れてくると、髪ゴムを外してポケットにしまい込んだ。
ああ、これは合図だ、と茜音の意をくみ、晴斗は普段通りのどうでもいい話に変えていく。空気が一変する。
「あいつはよく見てるぞ。実際俺はばれた」
「え、本当?」
入学したての頃を思い出しながら、晴斗は肯定した。
「マジマジ。だから、気づいて、あれだろ。心配ですつって終わりだろ」
強引に話を雑談に切り換える。それに茜音も乗った。
「いーや。あの子ならね、こういうね。……んっんん」
ご丁寧に喉をチューニングして、
「『大丈夫? 僕にできることがあれば、その……え、遠慮なく、言ってほしいな』」
「うわ、声優みてー」
「うーん、まだ研究中。どうしても女性らしさが溢れてるんだよね。どうせなら一人二役でデュエットしてみたいとか思うんだけど」
晴斗と分かれたあと、茜音は目を伏せた。嫌な汗が頬に垂れている。しばらくその場で隠れるように両手を顔で覆っていた。水がまるで張っていない眼球。乾ききった目を、瞬きを繰り返し潤して、ゆったり歩き始めた。




