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崩壊

 スマホが鳴った。メールを見ると、母からだ。

『友達と一緒に食べるよね。お弁当だけ渡すから、どこに行けば目立たないか教えてくれる?』

 どうやら母は、蒼が友達の話をすることが余程嬉しかったらしい。眉を下げて幸せそうにしながら、蒼は返信を打とうとした。

『前誘ってみたら、皆家族と食べるって言ってたよ』

「ねえねえ、月待君。一緒にお昼食べることって、出来ないかな?」

 繊弱(せんじゃく)の含まれた、いや、甘さの感じられる声。振り返らずとも誰か、すぐにわかった。

 送りかけた言葉を一瞬で消して、スマホを閉じた。

「えと、うん。もしよければ」

「良かったあ……。わ、私、恥ずかしいんだけど、一人が怖くてね」

 茜音は力が抜けたように、赤く染まった頬をむにむにとした。

「あ、でも、ちょっとお母さんからお弁当をもらってくるね」

「え。ご、ご両親とは、食べないの?」

 茜音の顔が、不安で陰る。

「え、ううん。食べないよ」

 とにかく安心してほしくて、蒼は断言した。

「それは、どうして?」

 まだ弱弱しい表情でいる。蒼は焦って、

「友達と食べてきてねって言われて。だから丁度良かった」

「……本当?」

 月雪さんらしくないな。

 蒼は茜音の態度に心配になりながら、頷いた。

「うん。ほんとだよ」

「……そっか。ごめん。分かった。お弁当もらったら、教室で一緒に食べよう?」

 ようやく茜音が少し明るくなる。それにしたっていつものぱっきりした表情や仕草からはほど遠いが。

「あ、うん。えと、それじゃあ、また教室で」

「うん」

 茜音と別れて、返信を改めて考え、送信した。

『友達の月雪さんと一緒に食べるね。今保護者席向かってるから、待機してもらってていい?』

『分かった。あ、服装は黒色のキャップに白のなんかゆるっとした白いブラウスとデニムね。お父さんは変な帽子に黒のポロシャツにチノパン?ってやつだって』

 ファッション用語皆無の母なので、今回はイメージできただけマシな説明だと思うことにする。チノパンなんて言葉、父が一緒でなければ出てこなかったので、そこは幸運である。……ぶっちゃけそこまで参考にならないが。

 人が抜けていくのもあり、数分で見つけられた。

「……完全に、蒼だな」

 父が蒼の顔を見てなにやら妙なことを言っている。

「そうでしょ。貴方、蒼の化粧を見てた?」

「えと、お弁当……」

 呆れたような母親に、蒼は口を挟んだ。

「これ。食べきれなかったら残していいからね」

「分かった」

 中一の頃は私からの挑戦状よ、などと言いながらプロの大食い選手かと思うほどの量のお弁当を渡されたが、今回は常識の範囲内のようだ。これでよしこれでよし、と蒼は何度も首を縦に振った。

「楽しんできてね」

「なあ、ところで月雪さんって女の子か? ガールフレンドなのか?」

 父の言葉を無視し、母にだけお礼をする。

「ありがとう。あ、マスクあげる」

「そう。お父さん、これ蒼からのお礼の品物よ」

「二人揃って他人にいらんものを押し付けるな」

 やはり父の言葉を無視し、茜音のいる教室へと急いだ。

 心配でたまらない。絶対になにかしらおかしい。蒼が茜音のそういう面を知らなかったにしたって、おかしい。蒼のように誰にもばれないように隠してきたものでない限り、おかしい。晴斗と茜音は小さい頃から一緒で、幼馴染らしい。そんな晴斗が違和感を覚えているなら、おかしいと言っていいんだろう。

 もし仮に、蒼にとっての性別であれば、それこそおかしい。

 だって、隠しきれてないってことになる。僕は性別を隠し通すつもりだったけど、中学のとき、出来なかった。それであんなことになった。

 手遅れになっては駄目なのだ。自然と足が急ぐ。速くなる。

 半ば駆け込むようにして入った教室には、意外と人がいた。ざっくり考えて半数程度だろうか。いつもの席に座っていた茜音に駆け寄った。

「……想像してたよりも、早かったな」

 感情の籠ってない声に、蒼の不安と焦りは膨張する。

「えーと、いただきます。なんか変な気分だな」

「ね、ね」

 上手く言葉が繋がらない。茜音の言葉は独り言じみているし、蒼は話し上手ではない。会話という会話もすぐ尽きて、目の前の弁当を黙々と食べ進めるしかない。 

 蒼はなにか聞けないかと横顔を盗み見た。青色の瞳はコンビニで買ったであろう弁当に注がれており、気づかれなさそうだった。蒼は気づけば盗み見どころかガン見になっていた。

 いつもの茜音なら気づきそうなものだが、どこかぼんやりした様子で口に食べ物を運ぶ。とても美味しいと感じているとは思えない。その時、耳から黒髪が外れて垂れた。顔が見えなくなってしまった。絹糸みたいな髪の毛。それを直そうともせずにいる。背筋はいつも通り伸びているし、上品な仕草は「月雪茜音」といえるものではあるのだが、それ以外は本当に別人のようだ。

「ごちそうさまでした」

「! ……ご、ごちそうさまでした」

 わずか五分で食べ終わった茜音につられ、ついごちそうさまと言ってしまった。

「もう食べ終わったの? 早いね」

 いまやっと耳に髪をかけ直しながら、茜音が蒼を見ながら微笑んだ。壊れかけだ。

 実は五分の一も食べられていない。

 どこかのタイミングで食べられないだろうかと考えるが、無理な気がする。……家に帰ったら食べよう。あとは午後まで体力が持つか……。

「月雪さんも、早いね」

 ぽつりぽつりと他愛ない話をする。茜音はゆったりした声で答え、どこか幼く感じた。

 一条は茜音の後ろで早々にご飯を食べ終えると、ノートを取り出しなにか書き始めた。

 蒼はそれを気にせず、夢中になって茜音と話していた。

 茜音がいつもの調子じゃないのが心配なのだが、好きな人と話せるのは嬉しい。

 少女らしさのある笑みで茜音と話すうち、時間はやってきた。

「ああ、そろそろ時間だね」

 多少落ち着いてきたのか、茜音はいつもの顔をした。

 茜音が立ち上がった。

「私は、やることがあるから先に行ってるね。ごめんね。ちょっと調子悪くて、誘ったくせに自分から話できなくて」

 自分に呆れるように眉を垂れた。蒼は慌てて、

「えっ。いや。そんな、気にしなくてもいい、よ」

「……ありがとう、本当に」

 痛々しいほど優しい声音で、茜音は去っていた。

 ぱたん、とノートを閉じる音がした。一条が立っている蒼を見ていた。

「今、いいですか」

「あ、はい」

 座っている一条に合わせ、蒼も座りなおす。

「てっきり私は、貴方のことを自分から話しかけるタイプではないものと考えていました」

 丸眼鏡越しの目が蒼を観察するように動く。

「え?」

「入学式の時から貴方は一気に変わったように感じます。私、人間観察が趣味なんです。貴方のご両親より鋭いわけではありませんが、月雪さんや鈴木さんよりは鋭いと自信を持てます」

 淡々と話を進める一条に、ちらちらと時間を気にしながら聞く蒼。一条の独壇場だった。

「ですから、私にとっては不思議なんです。貴方は、月雪さんが好きですよね」

「え」

 顔が熱を帯びた。

「貴方は付き合いたいと努力しているように見受けられます。ところが、友達以上になろうとしないのです。矛盾しているのは人間として当たり前ですが、そのよじれ具合が実に不思議です」

「あ、あの」

 弁明しようと動く蒼を静かに眺めながら、一条は席を立った。

「私は貴方を応援しています」

 しゃがんでノートと筆記用具を机にしまった。

「的外れであれば気にしないでください。もし心当たりが少しでもあれば、よく考えてください。……ああ、最後になりますが」

 椅子を押して机にくっつけた。

「ありがとうございます。私に話しかけてくれて。これはそのお礼とでも考えて頂ければ」

 返事を望んでいないようで、急ぎ気味に教室を飛び出していった。蒼もハッとして、その後を追った。時間が迫っている。

 応援席にはもう全員揃っていた。

 応援合戦が真っ先に行われ、次に二年がパン食い競争をする。独走一位の人が一番遠くのメロンパンを取りに行っているのが面白かった。

 次は部活対抗リレーだ。文化部門と運動部門がある。茜音と蒼は帰宅部なので不参加だが、軽音楽部として未空が、意外なことに弓道部として村上が、陸上部として黒井が、バスケ部として晴斗が出ていた。空と伊藤は部員数の関係か出ていなかった。

 ここの高校は生徒が色々な活動を自発的に行っているので、見ていてとても面白い。美術部はグラウンド内に大きな白いシート?を敷いておき、走行中や待機中に描くなんてことをやっていたし、写真部は走りながら応援席の方に風景の写真を飛ばしながら走ったり、写真を撮っていたりした。特に蒼が注目したのは演劇部だ。リレーの中で一つの劇を作り上げていた。走っている人が代わるごとにシーンが変わっているようだ。走者は台詞を叫んでいる。走りながら、呼吸を置き去りに。なのに台詞に息切れなどを感じさせたいプロ意識に感動した。

 演劇部に入ってみたいなあ、と夢想して、自分の変化にびっくりする。

 どうも、茜音と、皆と出会ってから生きてきた中で一番の急成長をしている。最近よく実感する。

 人と関わろうとするのもそうだし、蒼にとって演じるということは特別な意味を持つからだ。

 中学の頃、元親友の子に勧められて行った劇場がきっかけだった。圧倒的な熱と圧とに押しつぶされそうで、心をぐちゃぐちゃにかき回してくれる演技だ。そこで演じられるのは、存在しない人だ。けれども、薄くない。気づけば厚みを持った人間として、彼らのことを見ている。

 あのときほどではないにしろ、今繰り広げられているリレーの演技には、似たような感情を覚える。

 ほれぼれしながら演劇部を密かに応援する。

 その一方で、どうか誰も怪我をせず、全力を出して終われますように、とも考えた。

 蒼が演劇部に釘付けになっている間にリレーは終わり、三年生の借り人競争が始まった。

 未空の実況だった。その明るい実況に尊敬の念を覚えつつ、蒼はちらりと茜音を見た。

 やっぱり、いつもと違う。

 蒼は願わずにはいられなかった。

 心から元気になって。憂鬱な気持ちになんてならず、ずっと笑っていて。無理した笑顔をするくらいなら、誰かに吐き出して。僕で良ければ、僕にでも。

 けれど、僕の好きになんて、気づかなくていい、と、切実に。

 そこまで言葉にして、一つ、気づいた。

 月雪さんと、両想いになって付き合いたい、と思っていることに。

『貴方は付き合いたいと努力しているように見受けられます』

 ……そうか、それが僕の本心か。

 考えてみれば、ぼろぼろ答えが出てきた。

 好きだと気づいたとき、告白されているのに嫉妬した。

 他にも、いろいろ。

 直近でいえば、そう。リレーの時。あの時、好きになってもらいたいということをモチベーションにしていなかったか。

 点と点が繋がるように頭の中で合点がいってしまった。

 駄目じゃないか、そんなの。

 気づかない心持ちでいるべきだ。

 自分の気持ちを優先して伝えた結果、他人を傷つけるなんてこと、もう二度としないと決めたんだ。それは間違ってて、いけないことだ。

 僕は月雪さんが元気に笑ってくれればそれでいい。今の、月雪さんに迷惑をかけっぱなしな関係は嫌だ。月雪さんの負担になっているに決まってるんだから。

 ……ちょっぴり自己中心的なことを気にするなら、月雪さんに嫌われてしまうから。

 僕の気持ちはどうでもよくて、月雪さんがいい気分であればいいの。

 そんなことはない。

 月待蒼は、月雪茜音と付き合いたい。

 根拠はどこまでもある。

 蒼はもう一度、茜音の横顔を盗み見る。今日の中では普通の顔。いつもの中では異常な顔。

 あぁ、これは認めなきゃ。僕はやっぱり、月雪さんのことが好きで、付き合いたいや。

 借り人競争が終わり、二年生の徒競走が始まった。

 晴斗は先輩を応援していた。流石に運動部だ、ぶっちぎりの一位。そこかしこで黄色い叫びが上がっていた。

 伊藤がそこで茜音に話しかけ、貼り付けたような歓喜に勘づいた。村上は不愉快そうに眉をひそめる。とっくに悟っていたらしい。

 居心地が悪そうに肩をすくめたのを見て、伊藤はすみませんすみません、と追及をやめた。村上は、相変わらず苦虫をかみつぶしたよう。

 次は一年の二人三脚だ。いくら皆絶不調とはいっても、競技は始まる。

 村上と茜音と、蒼があまり関わったことのない女子生徒。未空に関しては、蒼は知っている生徒が誰一人いない。晴斗と平井にしても、蒼が特別関わりのある生徒とではない。

 二人三脚組は、聞いたところによると、全員全力ダッシュできるくらい練習をしたとか。

 最も、蒼はそれどころではなかったのだが。茜音以外見えてなかったと言って良い。注意してくれる晴斗もいないので、競技が続く限り永遠と見続けていると思われる。

 平井のチームは結構速かった。晴斗のチームも悪くない。未空も頑張っているのは伝わった。

 というところで、茜音と村上だが。始めの方はやや遅めに感じながらも一歩一歩確実に歩みを進めていて、四組中二位~三位をキープしていた。

 村上も焦心なのか、足が速い気もしたが、体勢が乱れるほどではない。

 が、半ばまで差し掛かったところで、村上以外にも焦りが見え始めた。反対に、村上は熱を欠いたように足が遅くなった。村上は速くなった二人についていけなくなり、危うく転びかけた。巻き返すように足を少し早める。

 それで、一人抜いた直後、抜かされ、結局順位は変わらないまま。息が合わなくなってきているようで、足が乱れがちになっている。

 とうとう最下位になってしまった。

 茜音が顔を上げた。一点に視線が注がれ、目が見開かれる。かろうじて原型を留めていた笑みが、明確に崩れ落ちたような気がした。

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