名前のない関係
さて、その日の午後。蒼は帰路につきながら今の気持ちを噛みしめていた。
勇気を出せて、自分が成長している実感がある。その幸福にニマニマしながらスマホを見た。
まだ、やるべきことがある。蒼は気を引き締めた。
家に帰って勉強机にスマホを乗せ、椅子に座りながら操作する。
深呼吸を一つして、グループを開いた。
『話を遮ってすみません。夏祭りの時はすみませんでした。ある出来事があって、心が不安定でした。もう大丈夫ですが、雰囲気を壊したり、気を遣わせるような態度を取ってしまい、本当にごめんなさい。』
『あー、それ、俺ら別に気づいてなかったんだよなあ』
晴斗だ。
『そう、マジでごめん。なんとなく静かなー?とも思ったけどさ、いつも月待静かだし』
と平井。
『まあ、かむちゃんがバシい!って言って、思い返せばなるほどー!って感じ!』
絵文字を添えて言ってくれたのは未空。
『気にしなくていいよ』
おそらくグループ内の全員が蒼に言いたかった言葉は空良が代弁してくれた。
『はいはいっ! 村上ちゃんも月待さんもどっちもどっちだと思いまーす!』
『んー、まあ確かにどっちも悪いと言えば悪い、かな……?』
伊藤と茜音だ。
『村上は昔に比べりゃ大分言葉の使い方上手くなってきたけど、もうちょいオブラートに包むのを頑張ろうぜ。で、月待君は辛いなら無理して来なくっていいんだよっていうこと。悪気のないドタキャンで怒る奴、いないだろ?』
黒井だ。
『別にアタシも特別怒ってるわけじゃないっての』
村上が一度そう送って、
『よし、村上が文考え終わるまでしりとりしようぜ』
晴斗の一声でしりとりが繰り広げられている。
『しりとり』
『リンス』
『すね』
『ネット』
『トライアングル』
『ルビー』
『キャラ名?』
『宝石』
『ビーカー』
『カーレース』
『スリ』
『理科』
……と続いていったところで、ぶった切られた。
『表情とか言い方とか、あんたにとってはキツかったんでしょ。だったら、ごめん。カラス』
ぶった切られてなかった。
『……ありがとうございます。スイカ割り』
さらっとしりとりを続けている。蒼は自分の空気を読む力の上達に感動した。
ちなみに、蒼はすぐ勉強を始めたが、しりとりは小一時間ほど続いたという。
今日は凛香と一緒に服や化粧品を見て回る日だ。
いつもに比べてちょっぴりお洒落をしてみた。化粧もいつもより長い時間をかけて施したし、イヤリングやチョーカーなどの小物も多めにつけている。
服装はゴタゴタしすぎないようにシンプルにしている。青緑色の七分丈のトップスは例によって大きめだし、スカートも気持ち短めな脛までだ。
約束の大型ショッピングモールに着いた。
「ひっさしっぶりー!」
「……?!」
不意に後ろから声を掛けられ、びくっと振り返る。目を閉じて笑っている女性――美咲がいた。
えーと、……凛香さんに会わせてくれた晴斗君のお姉さんだ。
思い出すと、ぐ、と胃が重くなるなるように感じた。人見知りには辛いらしい。
「あ、え、あの、お、お久しぶり、です」
「うんうん。元気そうで何より。で、凛香は?」
「え? ああ、えと、た、多分、あの、えーっと、用事があるそうなので、少し先に回っておいて、と」
「ふんふん。んじゃ暇?」
「あ、え、あ、はい。僕は暇です、けど」
美咲は今にも走り出しそうな勢いで白杖を握った。
「っっっしゃあ! キタコレ! 」
「え、ちょ、あの」
ぐいぐい引っ張られては抵抗する気も失せてしまう。姉弟揃って人をペースに巻き込むが上手い。
自ら美咲についていき、美咲がどれそれを渡してほしい、というような要望に答え、手渡す。
その隙間隙間で雑談をする。雑談をすれば、蒼は慣れてくる。
緊張がほどけてきて、しっかりとしたお礼をいえた。
「ありがとうございます。あのとき、凛香さんに会わせていただいて」
「そんなの気にしなくていいんだよお! あたしは君が声を弾ませていることが、とおっても嬉しい!」
美咲はやはり、晴斗の姉なのだ。どこまでも晴れきった青空のように、明るく照らしてくれるような人。
「鈴木君――晴斗君にも、似たようなことを言われました」
――やっとお前、笑ったな!
入学して環境に慣れていない頃、学校を休まず行けたのには、間違いなく晴斗の存在がある。蒼は、茜音と晴斗に返しきれない恩を作ったつもりでいる。
「おお、晴斗はちゃんとやってんだ。良かった良かった」
心から思っていることが態度で伝わってくる。
と、その瞬間、美咲のスマホがけたたましく鳴った。
『美咲! 俺の部屋漁っただろ! いくつか漫画消えてんだけど!』
「あーごめんごめん。あたしの部屋からもってけ泥棒」
『泥棒はお前だよ!』
「じゃ、切るねー」
なにやら聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がする。
「あ、そろそろ凛香来るって」
その時、丁度スマホがまた通知を知らせると、美咲はメールの内容を確かめずに歩みを止めた。美咲は晴斗からの電話が無ければ多分気づかなかったのではないか?
美咲はかなりの数見て回った(本人が見れるかどうかは別として)にしてはあまり買っていない。意外と節制タイプなのかもしれない、と蒼は美咲への認識を改めた。
「蒼ちゃん! 本当にすまなかった。美咲も、ありがとう」
凛香が息を切らしながら駆け寄ってきて、顔を合わせるなり第一にそう言った。
「いや、たまたま近かったから。それほどでもー」
ふへ、と顔を溶かすと、美咲は去っていった。
凛香はそれに手を振った。
「美咲とどこまで回った?」
「えと、雑貨屋が基本でした。なので、目的のお店にはほとんど行ってません」
「そうか。じゃあ一番近いここから……」
目的地を決め、二人は進み始めた。
「わわ、かわいい!」
「っ! かわいい……!」
「あっ。かわいい!」
「かわいい……」
「かわいいよお……!」
「かわいいっ」
「か、かわあ……!」
「うああ……。かわ˝い˝い!」
ありとあらゆるものにテンションを上げ続け、挙句の果てに道端に落ちているゴミにすら笑いかけるようになった時、凛香からストップが入った。
「ま、待って。待ってくれ。蒼ちゃん、体力があるのはいいことだ。ああ。でも、お昼ご飯を食べてから休憩せずずっと歩き続けてるから、私が疲れたよ。一回! 一回休憩しないか!」
「ああっ! すみませんすみません!」
蒼は約一時間と三十分、いつもの十倍くらい高いテンションでいた。それはもう、茜音あたりが見れば天使様みだいだよー、と笑いそうな喜色満面だった。
己の行動を振り返り、恥ずかしさと申し訳なさとで顔を覆った。
「いや、うん。蒼ちゃんが楽しそうだったから、それでいいんだ! こう、うん。眼福だったから安心してほしい!」
疲れがくっきりと分かる顔つきで、蒼の目を近くのカフェへと誘導する。
「あそこで、一旦休もう」
がやがやとしていて、カフェ風の飲食店、というイメージが近いかもしれない。少なくとも蒼の思い描いていた、樋口と話したカフェとは大分違った。
場所が場所、時期が時期だからか、子連れが多いように感じた。
背の高いテーブルに頑張って口を伸ばし、その上にある紅茶を飲もうとする子ども。背伸びがしたいお年頃らしい。
それを微笑ましく見守る母親の眼差し。
――そういえば、僕と凛香さんってどういう風に見えているんだろう。それに、僕にとって凛香さんってなんだろう。
案内された席に座り、蒼はまたメニュー表によってはしゃぎ始めると、もう先程のことは霧のように消えてしまった。かわいいかわいいと連呼する。勿論、誰かに聞かれたら終わるのでこそこそと。
「うわあ、甘そうだな」
しかめっ面で蒼の見ていたページを覗き込んだ。
「僕も甘いの苦手です」
「そうか」
苦手でもかわいいものはかわいいらしい。
「あ、これにします」
「チョイスが上品だな」
「そうですかね」
凛香も選び終わったらしく、店員を呼んだ。呼ばれた店員が来る前に、蒼はメニュー表を開いて凛香の方へ向ける。
「えーと、これと……あと」
蒼は逆さのメニュー表の頼みたい飲み物に指先をそっと置いた。
「これで」
無事に注文されたことに指の力が抜けた。
店員が去っていくと、途切れていた会話が繋がる。
「ところで、色んな店で楽しそうにしていたわりに、買っているものが少ないな」
「……後悔、しないかなって考えてしまって。絶対、絶対にほしい!って思ったものだけを買っています。それに、買いすぎても置く場所がないので」
今でも蒼は自室ではなく、凛香の部屋に置いてしまっている。そのせいで空間を圧迫してもいる。これ以上余計なものを増やせない。いや、今置いてあるものを余計なもの、というつもりはないが。
「置く場所は作れるぞ?」
「え?」
予想外の言葉に答えあぐねているうち、凛香は平然と続けた。
「今持っている服を樋口ちゃんに着てもらっているから、あとは樋口ちゃんが一度着てしまった分洗濯して、ネットで売ることができれば少しスペースに余裕ができる。その開いた分置けばいい。それに、いざとなれば私は布団を売ってリビングで寝るから安心してほしい」
「いや……いやいや! それはダメです!」
理解するまでに一秒。そこから止めるまで、わずか0.5秒。
「大丈夫、冗談だよ。蒼ちゃんが困るようなことはしない」
透き通った茜色の瞳を蒼はむっと細めた。
「……凛香さんの冗談は冗談に聞こえません」
「美咲にも樋口ちゃんにも同じことを言われたな」
凛香は目を逸らし、気まずそうに頬をかく。
「冗談以上のことを平気でやってるからです」
「……待て、いつ私がおかしなことをした?」
「僕と関わろうとしたこととかですね」
「それは」
「僕も人のこと言えないのでえらいこと言えませんけど。でも自分がちょっと変わってるという自覚は持っておいてください」
「わ、わかった」
変な部分でエンジンがかかっている自覚はある。それでも、蒼は真剣な口調を止められなかった。
「と、とにかく! 蒼ちゃんは気にしなくていいんだ」
凛香が強引に話を終わらせる。
蒼が口を開かずにいると、凛香はスマホに意識を移した。
蒼は手元のスマホを見るふりをしながら、最近したばかりの考え事。夏祭りのときの茜音のことと、茜音の言葉。
一つ一つの言葉に今まできつく縛っていた何かが緩んできている。分からないけれど、なにか悪いことである気がしてならない。
「ああ、来たな」
考えても埒が明かないことに心を奪われていると、現実に引き戻すように凛香が呟いていた。
「あ、僕気づきませんでした」
「そうか」
凛香が左手でストローをつかみ、一口飲んで顔を綻ばせた。
「おいしい」
「良かったですね」
同じような顔で蒼はいい、自分の頼んだ紅茶を口に入れた。
「おいしいです」
「それは良かった」
先程と同じ応酬をして、二人は無言になった。飲み物をちびちびと飲みながら、各々好きに過ごしている。
凛香をぼんやりと眺め、思い出した。
そうだ。僕、凛香さんの事どう思ってるんだろう。
両親のように心から甘えられる相手ではないし(最近はそもそも甘えるなんてしてないと思うが)、かといって友人ではないだろう。対等ではない。蒼が助けられっぱなしなのだ。なのに気を許している……とは。上手く言葉に出来ない。
「……凛香さん」
なので、凛香にとって蒼はどういう存在なのか直接聞いてみることにした。
「ん?」
スマホから顔を上げ、ストローから手を離した。
「僕は、凛香さんにとってどういう関係の相手ですか?」
面食らったような表情で蒼をじっと見つめていたが、やがてスマホを手放し顎に手をあて考え始めた。
思ったよりも深刻に受け止められたことに内心びくびくしながら、蒼は誠実を表すように凛香に目を向けた。
「……多分」
歯切れの悪い回答に一層顔を引き締める。
「私は、蒼ちゃんのことを、近所にいるかわいい年下の子だと思っている、と、思う……のだと思う」
実に歯切れの悪い回答に力が抜けた。
「えと、あの……」
なにか言いたかったが、それははっきりした形にならずむずむずした表情として散った。
「いや、言いたいことは分かる。なんだそれ、だろう。私も頑張って考えたんだ。もうちょっとマシなのを。でもそれ以外しっくりこなかったんだ」
その他にも言い訳らしいものを並べ、凛香は蒼からしれっと視線を外した。
「……そんな曖昧で、いいんですかね」
「白黒つける必要なんてないだろう。恋人と婚約者の違いはつけるべきだと思うがな。なにせ人生がかかってるから。だが、私と蒼ちゃんの縁はそうじゃない」
法的ななにか、心情的ななにかが変わるわけではない、ということだろう。
「……そう、ですね。ありがとうございます」
蒼にとって凛香は気を許せる相手。今はそれだけ分かっていればいい。未来ですら、それ以外は必要ないかもしれない。
気が楽になって、蒼は一気に紅茶の喉に流し込んだ。
凛香は全て飲み終えていたようだった。
「凛香さん。気になっていた化粧品専門店があるんです」
「分かった。じゃあここを出るか」
荷物をまとめると、凛香と蒼は席を立った。
「ああ、会計は私が払うから」
カウンターで蒼が財布を出そうとすると、そう止められた。大丈夫ですと言いたいが、あいにくそばに店員がいる。声を出せず、ぺこりとお辞儀した。
カフェを出るなり、蒼は凛香に感謝を告げた。
「本当にありがとうございます。ここに連れて来てもらっただけでなく、お昼ご飯も、今飲み物も奢っていただいて」
「気にしなくていいんだよ。私がそうしたかったんだ」
「……ありがとうございます」
あ、と蒼は声をあげた。
「あそこです、行きたいお店」




