歩み寄り
蒼は具体的にどのような人間が、どのような罰を受けたか知らない。とにかく蒼は、不登校の子のための場所で勉強し、なんとか今の高校に入学したのだ。
手を変え品を変え、好きという感情や、自分という存在を否定され続けた数日間は、今でも色濃く影響が残っている。
たとえば、誰とでも一定の距離を取る敬語であるとか。
あれだけ否定され続けてきたものを身に付けてみたりとか、好きな服装で外に出るだとか、情熱があったとしても、そこまでの行動を起こせるなんて奇妙なものである。
月雪さんには超能力でもあるのかな。夏祭りの時だって、すっごくかわいかったし。
茜音のことを考え、なんとなく暑く感じた。まだ冷えている手を、特に暑い顔に押し付け、冷やす。多少ぬるくなった。
そうこうしているうちにカフェに着く。時間、八時十分。約一時間早くついてしまった。ゆっくり歩いてきてこれだ。
いないだろうなとカフェに入り、お茶の匂いに励まされる。
ぐるりと店内を見渡す。……あれ、いる。俯いて紅茶をちびちびと飲んでいる。
『待ち合わせです』
すみません面倒ですみません、とスマホを見せる。
客席の樋口の方へ、判決を待つ囚人のように歩いていく。自分の足音が妙に大きく聞こえる。バッグをぎゅっと握りしめながら、対面の席にそっと座った。
「……早いな、お前」
探るような音。
『……樋口さんも、お早いですね』
「……まあ、それは」
スイッチが入ると毒舌になる樋口にしては珍しく、口ごもる。
「あー、まどろっこしい。お前、謝るために連絡とったんだから謝れよ!」
隠れ気味な紫色の瞳が睨む。
『すみませんでした』
「…………」
肘をつきながら黙って聞く姿勢に入ってくれている。そのことに蒼は深く深く感謝をしながら、文字を綴った。
『まず一つ目に、騙していたことについてです。僕は貴方に対して性別を、偽ってしまいました。』
「……まあ、後でいいや」
ぼそりと呟かれた単語何を意味するか考えず、蒼はスマホに書き込んでいく。
『二つ目に、元々の頼み事の役に立てなかったことです。僕は情けないことに、立ちすくんでいることしかできませんでした。』
『なによりも三つ目に、貴方を傷つけてしまったことです。性別を偽っていたこともそうですが、言おうとせず、関係を続けようとしたことです。僕は貴方が傷つくと、多分どこかで分かっていたと思います。なのに僕は、平然としていました。』
『もう二度と関わりません。迷惑をかけません。許してほしくもありません。本当に、申し訳ありませんでした。』
「終わり?」
『はい』
立ち上がって店を出ようとする蒼に、樋口は、
「ちょ、待て待て待て。まだ行くな。勝手に行くな。私が言いたい事言えねえだろ」
『すみません』
内心えって気分だったのは秘密である。
樋口は紅茶をずるずる啜ると、嘆息した。
「あらかじめ言っておくと、私は一生理解できんし、気持ち悪いって考えは変えられない」
『はい』
話の流れが分からず、曖昧に頷いた。
「けど、ぶっちゃけお前が男に見えん」
『はい?』
今度は曖昧に首を傾げた。
「確かによくよく見ればあーなんか骨格違うかもなーとは思っても、別に私そんな見ないし」
『僕、褒められてますか?』
「黙って聞いてろや。で、私こんなんだから友達いないの。他人にも口悪い癖に自虐がちょくちょく挟まるしな」
『話してて楽しいですよ?』
「それはお前の価値観だろ。私は私と会話したくないし。で、できた唯一の友達がお前。はあ~せっかく私にも友達が出来たぜウェーイってなってたのにさあ」
ぐでーっと机に突っ伏した。髪がふわりと広がる。
「で、思ったんだけど。お前、どっち?」
『何がですか?』
「そーゆー趣味なの?」
『女装趣味ってことですか?』
「そう」
『僕は女の子です』
もうどうにでもなれ、という気分だった。樋口は無理だと思ったらそう言ってくれるから、むしろ気が楽だ。
「じゃあ、なんだっけ。英語のやつ」
体を起こし、顔を合わせる。
『LBGTですかね』
「そう、それ。それなの?」
『区切りで言えば、そうなると思いますけど』
「言い切れよ」
『LとBとGとTじゃ全然違いますし……それに、あんな問題起こしてる人と一緒にされたくはないな、と』
どうも最近そういう集団がおかしな要求や主張をしているのは、蒼もなんとなく知っている。
「ちなみに、お前トイレどっちに入るの?」
『勇気が出れば男女共用、自分なんか駄目だと思ったら男子トイレに行きます』
「女子風呂と男子風呂どっち入る?」
『そもそも銭湯とか行きません。母が行きたがるので、両親が日帰りで行く日はありますが。修学旅行なども休みましたし』
「え、お前修学旅行も林間も行ってないの、もしかして」
『はい。不登校だったのもありますが。部屋が男女で別れてるのもきつかったですし』
「マジか……」
樋口は絶句している。蒼は何をそこまで驚くことがあるだろうかと目を瞬いた。
「まあいいや。じゃあ、やっぱ女として接すりゃいいわけね。だったらまだ分かりやすいわ」
けろっといつもの調子に戻る。
「だから、お前声出すなよ。『女友達として』宜しくしよう。これでこの話は終わり! ……あ、待て。まだ一つあった」
思ってもみなかった嬉しい言葉に、理解をするのに数秒を要した。意味が分かると、蒼の顔は一瞬でとろけた。
「……悪かった。怖い思いさせて。私、まあなんだ、ストーカーって、一人でじゃ怖いじゃん。だから、お前引っ張り出しただけなんだ。ほんと、ごめん。あいつのこと、気にすんだよ。元々あーゆー奴だったから」
少し声が落ちた。
『全然、気にしなくて大丈夫です。僕が少しでも役に立てたなら、とっても嬉しいです』
「……蒼さんって、ほんと人がいいよな」
『樋口さんの方が優しいです!』
「んなわけあるか」
『理解してくれようと、してくれました』
「……あっそ」
樋口はぷいと顔を背けてしまった。
ふと思いついて、蒼は茜音を意識して笑った。
『敬語、外していいですか?』
「ん? ああ、ご自由に」
『嬉しい。ありがとう』
そうやって蒼は、澄み切った瞳を輝かせた。




