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救われて傷つけたら。

 蒼は樋口の話をにこにこと聞いていた。客観的ではないのだろうが、痛快な言葉と共に語られる話は物語風味で聞いていて気持ちが良い。

 この人はこれが好きなのだ、と分かるくらいにはうっすらと笑みが浮かんでいるのもあって、余計に。

『そういえば、樋口さんは独特のファッションセンスを持ってますよね』

「ああ、この服?」

 人差し指を首元にさす。

『はい。とても素敵だと思います。カッコいいです』

 蒼は憧れをにじませた顔で褒め称える。

「……ありがとう」

 珍しく照れたように俯く。

『特に、顔が白いのを利用して髪の毛の色とコントラストをつけたり、色彩を薄くくすんだ色味にしていたりとか! それに、お化粧やお洋服を、よく似合うようにお勉強されているんだなって感じがして、とってもいいです! なのに天才感もあって!』

「……あ、ありがとう。照れる」

 いよいよ居心地が悪そうに体をうずうずさせる。

 しかし、まだまだ蒼の誉め言葉は尽きない。

『さらに実用性もしっかりあって、服を使いこなしている感じがあって、静と動を服の中で生み出し、とか、雰囲気づくりとか、全体のまとまりも考えていますし!』」

「……あー、こりゃ、参ったな」

 樋口は出会って少しほどの蒼が、どうにも大切に思えてしまった。いい子だ。見る目もある。……今蒼が挙げたことすべて、樋口がこだわった部分だった。

 それだけで、なぜか救われた気すらしてくる。

「ほんと、ありがと」

 泣きはしないが、ほろりと来てしまった。だからだろうか。らしくないことを口走った。

「お前もさ、僕とか、似合ってるよ。……かわいい」

『ありがとうございます!えへへ、嬉しいです』

 樋口はまるで中学生みたいな純粋さだな、と思った。


 そんなことがあったあと、八月中旬。

「お願いがある。彼女のふりをしてくれ」

 衝撃的な言葉に、送られて来たメールを二度見した。

 送ってきたのは樋口である。そこそこ話が合い、それなりに良い関係を築けている。一回一緒に遊んだりもした。既に凛香と会い、ダーク系の服の試着をしているらしい。凛香から送られてきた。ちなみに凄く似合っていた。

 一旦会おう、という流れになったので、蒼は待ち合わせ場所に向かった。約束の五分前に到着。樋口は約束ぴったりに来た。

 彼女は実に尖った服装をしていた。黒と紫基調で、所々にチェーンなどの所謂中二病的な小物を散らしている。が、妙に似合って見える。特に首元のチョーカー。

「誤解するなよ。これは私にとって死活問題だからな」

 着くなり予防線を張り、樋口はカフェへと向かって歩き出した。蒼も後ろについていきながら、樋口と話したことを思い返す。

 最初は毒舌や歯に衣着せぬ、というより歯に毒を塗りたくったような言葉遣いで敬遠していたが、話してみるとやはり心地よい。この絶妙なバランスが、樋口本人の独特さを表していると思う。くだらないことに必死になったり、大事なことに斜に構えたり、奇妙なのだ。蒼にとってはそれが、未知の刺激になった。だから蒼は、樋口のことが好きだ。もちろん、恋愛的な意味ではなく。友達として尊敬しているということだ。

 カフェで席に座ると、樋口はことのいきさつを、身振り手振りを交えながら話し始めた。

「まず、私は女子高に通ってる」

『はい、学生証を見せてもらいました』

「そうそう。で、同級生にストーカーされてるんだが」

 いきなり理解不能な方向に話が進んだ。

「あ、そいつはあれ、なんだっけ、えるびーじーてぃー? ってやつ。の、……まあいいや。リアル百合っていえば伝わる?」

『女性の同性愛者の方のことですかね』

 内心ちょっとドキドキしながら蒼が答える。自分の性別について調べるうちについてしまった知識だ。

「あ、そう、それ。同性愛者らしい。ぶっちゃけ理解できんけど、まあそれはいいんだよ。で、そいつの一番変わってるとこは私が好きなとこ」

『樋口さんが好きだなんて、別におかしくありませんよ!』

「ああそう? なんで私なんかを好きになるのかマジで意味不明だろ。私を好きになるなんて、相当残念な人生を送ってるよ、ホント。まあどうでもいいや、そこは。まあ、ストーカーされてるわけ」

『人の迷惑になるようなことはしちゃダメです!』

「私だから、別にどうなろうと誰も文句言わないけど、それは別として、うざいじゃん、人が常に付きまとってくるって」

 うざいで済ませられる問題じゃない、と思いつつ蒼は頷くだけに留めておいた。話が進まないので。

「とにかくそういうわけで、同級生にストーカーされてんの。私はそれを解決したいと。でも普通にやめろっつったって聞かねえの。警察も実害出てないし、同級生だし、十七だし、取り合ってくれない。私がこんななのもあると思うけどな!」

 ははっと皮肉気な病人じみた笑みを浮かべる。お化け屋敷の出し物で幽霊役やってもらえば大繁盛しそう、と蒼はかなり失礼なことを考えた。

「で、こっぴどく振ってやったら、あいつなんて言ったと思う?」

 蒼は首をかしげる。樋口は治安が悪い笑み、というようなあくどい顔をした。

「差別だ! っつったんだよ。ふざけんなって話だけど、そいつの中では同性愛者は絶対に両想いにならないといけないらしい。じゃないと差別だと。私が女だからだろって。凄い自信だよな、男だったら好きな人に好かれているって思えんの」

 徐々にヒートアップしている。蒼は会ってから人を評価するタイプなのだが、その話を聞い、ちょっぴり引いた。

「で、ようやく本題。ごめんな、私話長くて。私はじゃあ彼女がいるんだったら諦めるよな? と思ったわけ。で、私が頼れる人なんて蒼さんしかいねーんだわ」

 蒼は、まだ樋口に自分のことを言っていない。そのことに罪悪感と苦しさを覚えながら、何気なく聞いた。

『樋口さんにとってその人はどういう人ですか?』

「あいつのこと? 親しくもない知人以下の性悪な人って認識だけど?」

 後悔した。次に、ためらった。もし自身のことがばれて、今の関係が崩れてしまったら……というのもそうだし、誰かにまた、ひそひそ笑われ、自分を否定されるのが怖い。――でも。

 樋口はいつも通りに見えるが、手に持ったカップが少し震えている。いつにも増して陰鬱そうだ。

 僕でも力になれる。

 蒼は覚悟を決めて頷いた。

『僕で良ければ、お手伝いします』

「マジ? ありがと。バイト先も同じでさ、そいつは必ずバイトの帰りのときつけてくるから、その時連絡するから、迎えに来てよ」

『分かりました』

 現実的になってきて、蒼は手が震えた。心が冷や汗をかく。どうか悪いことが起きませんように、と祈った。祈りながら口にした紅茶は、渋く苦かった。


 さて、当日。

 夕方頃言われた通りの店の裏口で待機していた。服装も顔周りも完璧である。

 落ち着きなくうろうろしていると、裏口が開いた。樋口だ。ほっとして、身体から少し力が抜けた。

「緊張して顔が固まってる」

 樋口は蒼をちらりと見て、すぐ歩き始めた。

「事前にもう彼女いるからって拒絶しておいた。でも食い下がってきたので、是非見てもらおうと思う」

 妙に楽しそうな樋口。ストーカーの女性ははっきりした態度の樋口のどこを勘違いして両思いだと思ったのだろうという疑問が蒼の頭に浮かんだ。

 歩いていると、ねっとりとした視線を感じるようになった。

 なにこれ、怖い。

 ぞわぞわと血の気が引いてくるような感覚をひしひしと感じ、ぎこちなく樋口の方を見る。青ざめながら、引きつり笑いをしていた。

 強がり気味に軽口を叩く。

「ほら、ホラーかよ。なんつってなあ……」

 樋口は、小柄で、力が弱くて、手も小さくて。

 対して僕は、身長は高いし、力も強いし、手も大きい。

 それが、男女の差だから。

 苦々しく思いながら、泣きそうになりながら、樋口を守ることを蒼は決めた。……怖いけど!

 日はどんどん暮れていく。焦らすかのようにゆっくりと、影が濃くなってくる。

 しばらく歩いていると、粘着質な目を向けた女性は堂々と向かってきた。その目で分かった。ストーカーだ。先回りでもしたのだろうか。不気味だ。

 蒼は必死に喉仏を隠し、声を出さないようにしていた。

 突然、女性は樋口のことを叩いた。バチン、と遠慮のない音が轟く。

 蒼は混乱しつつ、思わず樋口の方を見る。赤くなった頬を押さえながら、呆然と立ち尽くしている。蒼と同じだ。驚愕に目を見開きながら、女性をただ、眺めている。すかさず、女性は叫んだ。

「この浮気者ッ! あんなに優しくしてくれたのに、どうして他の女といるのよ! ねえ、なんで? 飽きたの? 貴方サイテー! ……もしかしてその女に変なことを吹き込まれたの? 陽菜は照れやだけど、あたしのことが好きなの! 邪魔しないで頂戴!――」

 涙を目に溜めて、あたかも浮気された女性であるかのような。

 怖い。蒼は反射ですみませんと動きかける口を、手で思い切りおさえる。

 一歩前に出ると、樋口は蒼を守るように手を広げる。何かしら文句を言おうと話し出しかける。それを遮るように、女性は続けた。

「ねえってば! 無視しないでよ! なんで無視するの?! 図星なの?! 嘘って言ってよ!」

 高くて、響く。ヒステリックな声は、聞いているといらだって、底知れない恐怖を覚える。蒼は耳に手をやる。

 力は蒼の方が強いはずだ。なのに、なんでこんなに怖いんだ。

 樋口の手は力なく落ちて、女性はその隙をついて蒼の腕をつかんだ。長い爪でぎりぎりと削る。振り下ろされた腕に、蒼は咄嗟に腕を顔の前で交差させ、目を閉じた。

「いたっ」

 腕が真っ赤になるほどの痛みに、声を出した。

 声を、出した。

 理解した瞬間、時が止まったみたいな気がした。

 最近の記憶と、中学の頃の記憶がごちゃ混ぜになる。やがて、トラウマが蘇る。震える。頭になにも詰まってないみたいだ。俯く。だらだら汗が流れる。耳を塞ごうと手が動く。一瞬にして目の前から光が消える。目が回る。焦点が合わなくなる。謝ろうと口が開く。勝手に動く。もう喋んないでほしいのに。

 幸い、蒼は言葉を口にすることがなかった。にわかにたじろいでいた女性が、ドン引きするような声を発したからだ。

「は? あんた、男なのにスカートなんて履いてんの? キモ」

 そこには、馬鹿にする意図も故意に貶すような感情もなく、零れ出た本音のようだった。だから、蒼に刺さる。傷がつけば、血が流れる。ぽたぽた、水滴が地面を濡らした。

 俯いたまま、蒼はぼやける視界の中、水中にいるように遠い女性の声を聞き続けていた。

「やっぱり、男がいいの? ……ねえ、そんな奴よりもあたしのほうがいいじゃない。なんであたしという存在が居るのに浮気なんてしたの?――」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 中学のときは、意味なんてなかったけど。焼け石に水だ。むしろ助長ですらある。謝罪など、自分を下げ、相手を上げる言葉でしかない。

 ずっと黙っていた樋口が、そこで女性に言った。

「少なくとも、お前よりはマシだから。なんで生きてんの? 人様傷つけて、自己陶酔して世界を作り上げんのがそんなに楽しい? なら黙って寝てろよ! そんでもって自分勝手な想像を一人夢見て勝手に満足してろよ! なんで他人に絡んでくんだよ! お前みたいな勘違いする人間が大っ嫌いだ! 勘違いして勝手に押しつけて! そんで決まって私を否定するんだよ! だから、お前みたいな奴はもう二度と話しかけてくんなッ! 関わんな! じゃあな、自分大好きなメンヘラ女」

 ふと思いついたように、樋口は力を入れて重力ごと女性の顔を殴りつけ、その隙に蒼の手を引っ張って走った。

 女性を撒いた後、息を切らせながら樋口は蒼を見た。

「あー……。ごめん。こんなことになるとは思ってなかった。私が馬鹿だっった、んだけど」

 言いづらそうに遅く話すと、樋口は一度、口を閉じた。それから、蒼が泣き止むまで待った。

「ごめん、無理だわ」

 乾いた言葉の意味の理解を脳が拒んだ。

「趣味か性別がどーのこーの? なのか知らんけど。ホント、無理だわ。気持ち悪い。蒼さんが悪い人じゃないってのは分かってる。否定もしない。どうぞご勝手にって感じ。でも、私とは、もう関わらないでほしい。……私にとってはけっこーおっきい存在だったけど、その性格ならいくらでも友達いるっしょ? それに付き合いだって数週間だし。元々出会わなかった、それでいい? いいよね? だって、私無理だよ」

 蒼は、なんとかない嘘を引きずり出して、

「気にしてません」

そう言って、壊れないように大切に、決壊しないよう丁寧に、笑顔を浮かべた。ここで泣けば、樋口は必ず気にする。短い付き合いでも、そのくらいは分かる。

 両親と高校の友達にすることと同じだ。笑って自分を騙す。大丈夫、大丈夫、平気平気、そうやって無理矢理思い込めば、まだなんとか平静を装って話せる。

「じゃあ、僕は帰ります」

「……ごめん」

 樋口さんは、優しい。本当に優しい。気にする必要なんてない。だって、それは当然のことだから。僕が被害者ぶるなんてことはおかしい。傷つくのも、僕が勝手に傷ついただけだ。なのに樋口さんは、謝ってくれる。

 だから、か細いその呟きで、心がおかしくなりそうだ。

 まだ、あと、少しだけ、もう少しだけ、涙腺、頑張ってくれないかな。なんて思いながら、どっぷりと暮れた日の中、誰にも見られていないことを確認して男子トイレの個室に入る。ウィッグを外して、メイクを落とす。服を着替えて出れば、どこからどう見ても普通の男子高校生だ。

 薄く鼻が赤らんでいる。冷水で顔を冷やして、ハンカチで顔を拭く。そこで唐突に、凛香の家に行かなければならないことを思い出す。今は一人でいたい気分なのだが、仕方ない。こっそり行ってこっそり帰ろうと、ハンカチをポケットに入れた。

 トイレを出て、凛香の家に真っすぐ走る。夏といえ、流石にそろそろ暑さもなくなってくるし、辺りも人工的な光ばかりが目立つ。

 夜は怖いから、好きじゃない。

 息を切らすこともなく、蒼は凛香の家に辿り着いた。合鍵を使って家に入る。お邪魔します、と囁いた。リビングは明るい。どうやら服を縫っているらしい。そんな感じがする。内心ほっとしつつ寝室に入る。自室にはおいておけないものを置かせてもらい、とんぼ返り。家の鍵を差し込み、ただいまーと叫ぶと、呑気にも思える声がする。その声で、蒼は気が抜け、力が抜けた。

 廊下に座り込む。

 本当なら、泣いてしまいたい。泣きわめいて、泣きわめいて、誰かに共感してもらいたい。そんなことないといってほしい。出来ることなら、両親に。

 馬鹿な想像を振り払い、蒼は手を洗った。涙声にならないよう気を付けて、自室で引きこもった。

 一人だ、と思うと、その途端、涙が溢れてきた。そうしたら、弱音も押し殺した声で出てきた。どちらも止め処なく零れてくる。

「僕だってっ……自分の身体が気持ち悪いよお……」

 嗚咽が出た。情けない。

 十五分後、蒼は何事もなかったようにリビングへと降りていった。

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