お友達
……ゆえに、私はこの書を残そうと考えました。
最後の一行を読み終え、ほう、とため息をつく。
「なあ、蒼ちゃん」
本を閉じた蒼に、凛香が話しかける。凛香はだらりと腕をテーブルで伸ばし、頬をテーブルで潰している。
「え、はい」
不思議そうに首を傾げる蒼に、凛香は続けた。
「お外でお友達を作る気はないのかな?」
「……やっぱり、女の子の身体の方が、試着に役立つってことですか?」
聞く気はなかった。が、いつの間にやら心の扉が緩くなったらしい。つい卑屈気味な言葉を漏らしてしまう。
「あ、そのっ! ……すみません」
手をあわあわと動かして、言い訳を口にしかけ……しょぼくれた顔で、謝った。
「あ、違う。そういうことではなくてだな」
焦ったような声に少し安心して、肩の力を抜く。最も、すぐにまた沈んだ気持ちになるのだが。僻んだ見方をしてしまう自分に呆れて、あるいは嫌悪感を覚えて。
「せっかくかわいいのに、もっと他の人に見せたいとか思わないのか?」
「かわっ」
唐突の褒め言葉に二の次が継げなくなる。すぐに持ち直して、言い直す。
「……お、思いますけど」
諦めの滲んだ声に、凛香は優しく諭すように人差し指を立てた。
「じゃあ、お友達を作ろう。貴方が先程言っていたように、無料で試着してくれるという奇特な方を探すのを兼ねてね」
凛香の笑顔に無言の圧を感じ、蒼は頷くほかなかった。
というわけで、蒼は二つ結びに化粧を施した。凛香が作ってくれたスカートをふわりと広げれば、可愛い女の子の完成である。完全に女の子に見える恰好で出歩くのに緊張しながら、勇気を持って街に繰り出した。
汗をびっしょりかき、向かう先はない。酷い散歩である。ただ街を歩く中で良さそうな人がいれば声をかけてみる。
僕は一体何をしているんだろうと自分を見失いながら歩く。
周りの人の視線が気になって仕方ない。変だと思われていないか。それが心配でたまらなくて、蒼は頻繁に髪を触っていた。身体を動かすたびに視界を遮る薄茶の髪を見ると、どうしてか落ち着くのだ。足に沿って動かないスカートも同様に、存在しているという事実が安心感を与えてくれる。
あてもなく彷徨っていても、当然ながらそんなあっさり見つかるわけがない。……というより、そもそも人見知りの蒼に声をかけられるかどうか。
そうして数十分。体感だと数時間は優に超えているが、頭上の晴天がそれを真っ向から否定してくる。
ふと目についたカフェへ足を踏み入れてみた。
落ち着いた雰囲気のカフェは、凛香がいると絵になるだろう、と蒼に思わせた。濃い茶色の床。お洒落な装飾品が端々に飾られており、なんとも不思議な世界観になっていた。一つ例を出すと、カウンターにくすんだ造花が飾られている。間取りは決して広くはないだろうが、どこか広くのびのびとした雰囲気がある。天井で揺られ動いている照明が落ち着いた光を放っていた。
店員に案内され、店内のありとあらゆるものに目を奪われながら席に着く。紅茶のうち一つに注文を決め、鳴れない様子でボタンを押す。一人分、目の前の空いた席を眺めながら注文を済ませた。
さくさくと進んでほっと息をついた。辺りを見渡してみると、満席に近い状態である。いや、もしかすると既に空席がないかもしれない。静かだからか、混んでいることに気づかなかった。
嫌な予感がして、蒼はじっと椅子を見つめ続けた。
無事に紅茶が届いた。たったそれだけに少し緊張していた。店員から紅茶を受け取りテーブルに置く。水面に自分が写り、風でゆらゆら揺らぐ。その自分を見ていると、未だに今の自分の実感が沸かないような、そんな感じがした。数か月前までは、本当に考えられないことだったのだ。自分は一生スカートを履くことはできないと思っていて、それでいながらどこかに希望を持っていた。それが今はどうだ。スカートを着たところで咎められもせず、あまつさえ褒めてもらって、外に普通に出れたりする。
夢物語のようだと思う。こんな簡単に、悩みが溶けていっていいのだろうか、とも思う。
だけど、案外現実ってそんなもの。そう、受け入れてしまっている自分もいる。
いいのかな。僕がこんなに認められちゃって。だって、ズルい。僕は努力なんてほとんどしてない。約十割、運でしかない。僕と同じく苦しい思い――と言ったら傲慢だけれど――をしてきた人たちはきっといて、もっと、この幸せが降るべき人はいて。
「お客様。相席をお願いしても宜しいでしょうか」
はっとして、蒼は顔を上げた。目が合い、僅かに逸らしながら、大きく頷いた。すぐさまああ……。という、何とも言えない感情に苛まれたが。
店員は目に見えて緊張を緩めて、ありがとうございます、と答えた。そして相席相手を連れてくると、こちらでございますと蒼の前の席を指した。
「あ、ども」
ぼそりと呟かれた声に、そろりと相手を窺った。
暗い笑みを浮かべて椅子に座り、メニュー表を病的に白い指先で取った。
「あ、あの、相席、ありがと。や、ありがとうございます。うん。じゃあ」
あっまっ、あ、あの!
そう声に出したかったが、出した瞬間目の前の少女にとって不審者と化する。
よって蒼は、スマホで文字を入力し、少女に見せた。
『あの、わたし蒼と申します。お洋服の試着って、興味ありませんか?』
小柄で髪がサラサラだ。顔は前髪が長くて見えないが、服装のセンスが奇抜で、しかもそれが似合っている。チェーンや十字架などのモチーフを大量に使っていて似合う人なんて、そうはいないだろう?
相手の顔色を窺う。は? と言いたげに口が開き、バッと顔をあげた一瞬覗いた目が見開かれていた。
彼女は愕然とした表情を崩し、手をポケットに入れるような動きをする。しかし、メニュー表に気づき、途中で取りやめる。同時に、彼女は蒼に聞いた。
「あー……えーと、注文先でも、いいすか」
『当然です! ゆっくり考えてください!』
ケーキを一つ、紅茶を一つ頼み終えると、少女は口火を切った。
「えーと、蒼さん。私は……樋口陽菜って言います。樋口って呼んでください。で、その、話って」
さっぱりとした声で話しやすい。蒼は文字を打つ。
『いつも助けてもらっている方がいるのですが、その方がお洋服を作っていまして、完成したお洋服を試着して下さる人を探しています。もちろん無理にとは言いませんが、どうでしょうか?』
文字を読むと、樋口と名乗った少女は悪い顔色の顔を紅茶に向けながら考え始めた。ポケットからスマホを取り出し、慣れたように片手で持ち、顔を上げた。
「その人の名前は?」
鋭さがある声で聞かれ、蒼は答えるか躊躇した。言い淀むように口を動かしたあと、スマホに指を滑らせた。
『凛香、という方です』
「凛香……? ……。その人インターネットやってる?」
問われ、蒼は記憶を辿ってみる。……言っていた、気がする。
『はい。多分やっていたと思います』
「へえ……!」
僅かに喜びの滲んだ声を上げると、樋口は迷うようにスマホを右手で握りこんだ。黒色のスマホケース。やがてスマホに入っていた力を抜く。
「……じゃあ私、やる。きっとその人、私が尊敬してる方だ。……あ、私友達少ないから、話し相手してくれると嬉しいんだけど」
「……ぇっ?」
慌てて声を殺して、またスマホを自分に向けなおす。
「……そんな反応しなくてもいいじゃんか」
顔をしかめつつ、刺々しく呟いた。
蒼は承諾の言葉を作りかけ、考え直す。
「警戒心は持て。いいな? 悪い大人に騙されることもあるんだから。」
凛香は、そう言った。たまたま美咲と凛香がいい人であっただけで、目の前の少女がいい人でない可能性もある。
『樋口さんは、いい人ですか?』
ド直球に聞いたところで意味がないことは理解しているが、蒼なりに考えてみた結果だった。
「何をもっていい人って言ってんのか知らんけど。……これ、学生証」
樋口が蒼の前に差し出したのは、学生証である。近くの女子高の名前と、その下に樋口陽菜の文字も見える。
「十七」
あれ、これは自分も見せなくてなならないのでは? と蒼は冷や汗をかいた。
え、ど、ど、どどどどうしよう。
頭をフル回転させてもなにも思いつかない。
「学生証、蒼さんは……」
首を傾げられ蒼は努めて平静に口を閉じた。絶対に開かないぞ、と心に決め、スマホを見せた。
『身分証明出来るものがないです……』
「……ま、いっか。どうせ私がどうなろうと誰も関係ないし。年齢と所属先は?」
『えと、十六歳です。高一です。学校は、雀山高校っていう高校です』
ちなみに蒼の誕生日は五月四日である。
互いに探りあうような会話を交わす。樋口の言葉には所々に毒が入っている。そんな相手に凛香から頼まれたことを全て、蒼は伝えた。樋口は口が悪いし卑屈である。が、一緒に話しているとなぜか心が穏やかになる、不思議な人。蒼はそんな印象を受けた。ぽつりぽつりと言葉を零す。相手がそれを拾い上げ、また言葉を零す。独特なペースの会話は、蒼に楽しさを覚えさせるには十分すぎるものだった。
「……リンカさんとお会いできるかもしれないなんて、夢みたいだ。……そういえば、蒼さんはあまり話してないけど。楽しいの?」
『僕は、聞いてて楽しいです』
そう、気を抜いてしまった。つい癖で僕と打ち、気づかずに文字を見せてしまった。
戻そうと動かすが、時すでに遅し。樋口はばっちりその目で僕という一語を見てしまった。
一気に身体が強張る。トラウマが蘇る。嫌な汗が垂れる。
「……僕っ子?」
間髪入れずに、
「似合うけど、止めたほうがいいと思うよ。私みたいな奴にとっては癪に障る」
想像していた反応とあまりに違い、蒼はその場で固まった。
樋口は皮肉な笑みを浮かべて蒼を眺めていた。
『ありがとうございます』
蒼はひとまず気持ちを込めた感謝を伝えておいた。
「……そ」
顔をしかめ樋口はそういうと、白いお皿に残っていたケーキ一口を口に運んだ。美味しそうに見えないが、味わうようにゆっくりと口に含んでいる。
「……あとはリンカさんからお聞きします。あとは……ああ、連絡先交換しよう」
蒼は頷き、スマホを樋口に差し出した。
「……やれと?」
『すみません。僕やり方分からないので……』
「……まあ、私がお願いしてるし」
パパっと操作を終わらせると、押し返すように蒼の手に落とす。紅茶に手を伸ばし、残りを飲み干すと、樋口は去っていった。
蒼はしばらく呆然と対面を眺めていたが、やがてお金を払って店を出ると、凛香の家へと向かった。人が溢れかえっている。街中は午前に比べ騒然としていた。
七月に入ってから一層空気が熱くなった。暴力的な暑さが襲い掛かってきて、行きかう人々は皆、汗をたっぷり滲ませた。衣服が気持ち悪さを生み、熱も服も邪魔にしか感じない。暑さを吸っているのだ。
そんな有様であるのに、蒼は夏休みが始まってから毎日凛香の家に足繫く通っている。だから両親には呆れられた。まあそれも、嬉しそうな蒼の顔を見れば消えたのだが。
閑話休題。蒼がこんな中凛香の家へと行く理由はない。それでも今、凛香の家に向かう理由は、無性に心地がいいからだ。自分の家よりも、凛香の家が。
そんなわけで、蒼の顔色は良好である。
お目当てのアパートの一室の前で止まると、鍵を挿した。




