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花びらの骨

作者: 麻倉 聖

 明け方まで降っていた雨のせいで、雨戸を開けると濡れ縁には小さな水たまりができていた。

 きっぱりと晴れた外の気温はすでに二十度を超えているらしく、初夏のような眩しさが目を射る。だが、うす暗くしんと静まり返った室内の気温はまだ低く、掃き出し窓をはさんだ縁側に立っていると、足裏からふくらはぎにひんやりと冷気が這い上がってくるようだ。うっすらと曇ったガラスに人差し指の先をあて、ケイはそこに「ジョーイ」と書いた。

 眩しさに目を細めながら外を見回すと、いつからそこにいるのか、こちらに背を向けて庭の隅に屈んでいるカイの首筋に、日光に照らされた汗がきらきらと輝いている。


「ねえカイ、ごはんを出したのにジョーイが来ないの。どこにいるか知ってる?」


 ケイはガラス戸をカラカラと開けながら、自分の気配を感じているくせに、一向に振り向こうとしないカイに焦れたように訊ねる。


「カイってば、そんなところでなにやってるの?」


 右足の先を赤いサンダルに入れながら、十メートルほど離れたカイの背中を睨みつけた。

 それを感じたのか、カイは一瞬身をすくませたが、そのまま手元を動かしている。

 なにをやっているんだろう。土を掘ってるの? 何かを埋めるつもり? 

 ケイが一歩を踏み出すと、カイの肘が脇から現れた。青いシャベルを握っている。カイの前には赤茶色の土がこんもりと盛り上がっていた。きっと、穴を掘った土だろう。ほっそりした手がせわしなく動き、盛られた土はどんどん高さを増してゆく。

 あんなに掘ったら、水蜜桃の根に当たってしまう。今年はたくさん花が咲いたのに……。


 ケイが注意しようと口を開ける。夏になって水蜜の果実を収穫するのを楽しみにしているのだ。根っこを傷つけたら、実をつけてくれないかもしれない。

 大人もののサンダルをつっかけたので、先から足指が全部出てしまって歩きにくい。いちばん長い人差し指の先端が土に触れ、雨上がりのぬかるんだ土の気味悪い感触に、ケイは小さく悲鳴をあげた。


「カイ、返事してよ。ジョーイはどこ?」


 カイが手を止め、ゆっくりと首を回す。その顔は強い日差しを受けてまっ白だ。ケイからはカイの前髪も、目も鼻も見えないが、何か言おうとひらくピンクの唇だけははっきりと見えた。

 しかしカイの声は、ジョーイの行方をケイに告げたのではなく、少し前に語り合った、将来の夢のことを話す。


「ケイ、ぼく決めたよ。ギタリストになる。ロックンローラーになるよ」

「いまそんなこと訊いてない! ジョーイはどこ? もうごはんを出してあるのに」


 ケイは猫がみつからないイライラをカイにぶつけるように叫んだ。カイはそんなケイの手首を握り、口だけでにっこりと微笑む。


「だからね、ケイ、ケイにはベースを習ってほしいんだ」




 桜が散り始めていた。ケイの腕まくらで眠っていたジョーイは、花びらの気配を感じて布団からそっと顔を出す。猫の嗅覚が人間の何倍すごいとしても、ガラスが閉まった窓の外を泳ぐ花びらの匂いを感じ取れるとは思えない。それでもヒクヒクと小さなピンクの鼻を動かすジョーイのしっぽをそっと撫で、ケイは猫を抱き寄せた。


「ジョーイ、よく晴れてるね。お外に出たら、きっと気持ちいいよ」


 しましまの猫は、ケイの鼻に自分のそれを近づけ、すんすんと音を立てて匂いを吸い込む。そして薄い舌をちょろりと伸ばしてケイの頬を舐めた。

 ケイは掛け布団を捲ってジョーイを抱き上げ、窓際に近づく。水紅色のカーテンの向こうで、さらさらと音を立てて花びらが風に流れていた。


「ねえジョーイ、憶えてる? 子どものころ、隣のおうちに大きな桜の木があって、枝がうちの庭に張り出してたの。そこの下にレジャーシート敷いて、毎年お花見したんだよ。そう、人んちの桜で。風が吹くと花びらがね、さぁーって、雨が降るような音をたてて散るの。うちの庭にもいっぱい積もって、それを集めてジョーイの上に振りかけたりしたね」


 言いながら窓を開けて手を伸ばすと、ケイの手のひらに花びらが何枚か舞い降りた。柔らかなピンク色は先端にいくほど薄く白っぽくなり、花の中心近くになる付け根の部分は、淡い紅色だった。こんなに小さな一枚の花びらも、いくつもの色で彩られている。薄い赤から桃色に、そしてさくら色、一番端っこは水色にさえ映る。


 隣の桜は、住人が変わった時に伐採されてしまった。あれは何年前のことだっただろう。では、いま手の中にあるこの花びらは、どこから漂ってきているのだろうかと、ケイは窓から上半身を乗り出すようにして外を見回した。抱かれたままのジョーイが、窮屈そうに鼻を鳴らして身じろぎする。


 ふと、カイが「ぶっ放す」ギターの音色が聞こえたような気がして、ケイはジョーイごと部屋の中を振り返った。ドアのすぐ内側に立っていたカイの顔は、やはり強い陽射しを受けて表情まではわからない。


「カイ、びっくりした。黙って入ってくるなんて」


 寝起きの顔を見られるのは、いくらきょうだいでもいいものではない。お互いにもう大人なのだ。

 そう思った時、「もう大人」という言葉がケイの頭の中で回った。何かがひっかかる。何かを置き去りにしてきたような寄る辺のなさに、ジョーイを抱く手に力が入る。

 ケイの腕から飛び降りたジョーイが、カイの足元に近づいて顔を擦りつけている。ごわごわしたジーンズにこすられ、ジョーイの顔や首から抜けたふわふわの毛が、室内に差し込む春の光に舞っている。

 ケイは一度ぷるんと首を振り、手のひらで自分の頬をぱちぱちと叩いた。


「さあ、起きようか。ジョーイもお腹すいたでしょ」


 再び猫を抱き上げ、ケイは寝室のドアを後ろ手に閉めて黒光りする廊下をキッチンへと向かった。




 カイが学校帰りに保護したとき、ジョーイの瞳はまだキトンブルーだったので、生後二ヶ月未満だと思われた。耳ダニがびっしりつき、涙で張り付いた右目の瞼は腫れていて、獣医からは失明の可能性もある、と言われた。

 八歳だったふたりにはあまりにもショックな言葉だったが、それでもいい、うちの子になったんだから大事にする、とカイは泣きながら訴えた。ケイはその横で唇を結び、黒々とした大きな瞳で何かに耐えるように獣医師の目を見つめる。

 ボロボロに汚れた子猫は、赤い口を開けて精いっぱいの声で泣きつづけている。

 だって、この子は生きている。こんなに大きな声で鳴いてるの。だから助けて。この子をたすけて。

 ケイの目を見つめ返した医師は、黙って頷くともう一度子猫の全身を丹念に調べた。怪我はない。心音も正常。問題は右目だけだね、と言って赤茶色の涙が絶えずあふれ出している子猫の瞼を丁寧に拭うと、眼球の外側にある膜が飛び出しかけているから、それを防ぐために瞼を縫い閉じると言った。それで落ち着いてくれれば、眼球を摘出するようなことはないし、両目とも見えるようになるかもしれない、と。


 瞼を縫い閉じるということが、ふたりにはとても恐ろしいことのように思えたが、医師がそれを勧めるなら、子猫にとって良い結果をもたらすのだろうと納得した。付き添っていたふたりの母も了承し、子猫はその場で右目を縫われた。


 診察室から出てきた子猫は、病院の白いバスタオルにくるまれてじっとしていたが、開いた左目だけでカイの顔を見ると、四肢をバタバタと動かして嬉しそうに暴れた。縫われた目は痛くないのだろうかと、ふたりは恐るおそる手を伸ばす。看護師に抱かれながら、子猫は高い声で叫ぶように鳴き声をあげて、カイの腕に流れるように移ってきた。


 その時に感じた気持ちを、ケイはまだ忘れていない。言葉で表すことはとても難しいのだが、小さな命を受け取った重みと、自分たちの腕の中で息づく子猫への祝福と、これから子猫が立ち向かうであろう治療という困難への覚悟と、子猫へのエール。たくさんの感情が胸の中で溢れかえって渦を巻き、八歳のケイとカイは子猫をはさんで抱き合うようにして、動物病院の待合室で大声で泣いた。


 あれから十五年。十五歳になったジョーイは、食欲もジャンプ力も好奇心の強さも、子猫の時と少しも変わっていない。高齢猫と言われても、ずっと愛らしく美しいままの彼を見ると、どうにもピンとこない。

 だが、やはり十五歳の猫にはそれなりのフードが必要で、若い猫と同じものを食べていては、腎臓や肝臓に負担がかかってしまうらしい。高齢猫に適したたんぱく質の少ないフードは、きっとあまり美味しくないのだろう。ジョーイは毎日そうするように、お皿の中身をちらっと見たあと、ケイを見上げて鼻を鳴らす。


「わかった。じゃあ少しだけだよ」


 言いながらケイは、おやつの袋からチキンとチーズ入りのカリカリを出し、ジョーイのお皿にトッピングしてあげた。

 美しい老猫は満足そうに頷くと、小気味よい音をたてて食事をはじめる。

 そのつやつやの背中を撫でながら、ケイはぼんやりと庭を眺めた。強い風が、桜の花びらをはらんで庭を横切っている。あの中に立ったら、どこかへさらわれてしまいそうだ、と思い、ケイはもう一度頭を振った。



 

 ギターとベースの教室は同じ建物の中にあった。小学生から受け入れてくれるクラスといえば、カルチャーセンターのようなところしかないと思っていたが、ケイたちの母が見つけてきたそこは、地元で若い頃からバンドを組んでいた、現役のミュージシャンがティーチングしていた。初日のふたりはとても緊張していたが、お父さんのようにやさしく厳しい先生のおかげで、上達は早かった。週末になると、先生たちが出演するライブに出かけ、生のステージの楽しさと興奮を味わった。


 地元にいくつかあるライブハウスは、どこも小さなものだった。ステージとフロアの距離は近く、高低差は二十センチほどしかない。ぽん、と誰かが飛び入りで上がってしまえる気軽さはあったが、クールなロックンローラーになりたいカイには物足りなかった。


「おれはね、もっとステージが高くて奥行きがあって、めちゃくちゃ眩しいライトで強烈に照らされるようなところでやるんだ。ライトの海に溺れながら、フロアから伸びてくるファンの手を掬うようなプレイがしたい」


 ケイは、まったく具体的でないことを言うカイにあきれながらも、きっと実現させるだろうと思っていた。カイにはその力がある。ケイはカイのかき鳴らすギターの音が世界で一番好きだ。

 ふたりが中学生になると、先生たちのライブのサポートメンバーとしてステージで演奏する機会も与えられた。耳の肥えた大人たちがフロアで聴いていると思うと、ケイは足が竦んでしまいそうだったが、カイは目をギラギラと輝かせ、オーディエンスをねじ伏せるようなプレイをした。そんな生意気なカイのスタイルを、面白い子どもだと受け入れてくれた客たちから話が広まり、いつしか音楽業界の人間が足を運ぶようにもなった。


「男女の双子で、美形。演奏もまずまず。デビューしてみる?」


 先生たちも信頼している人に言われ、カイは舞い上がった。半年後のイベント出演を目標に、それまで以上に練習に励み、自分たちの曲も作った。ギターのカイ、ベースのケイ。ボイストレーニングも始まり、ふたりは忙しくなった。



 ケイがスタジオに着くと、カイはカラフルなエフェクターを床に並べ、その前にあぐらをかいてうつむいていた。


「カイ、ねえ聞いて。すっごくいいフレーズが浮かんだの」

「う……ん」

「カーイ、どうしたの? 悩みごと?」

「あのさ、ケイ」


 真剣な顔で見上げられ、ケイは何を言われるのだろうと身構えた。するとカイは、思いがけないことを口にしたのだ。


「ジョーイの誕生日って、一月? それとも十二月かな」


 今までは、ジョーイに出会った二月二十日を「うちの子記念日」として祝ってきた。野良だったジョーイがいつ生まれたのか、正確に知ることは出来ないので、保護した日の成長具合から推定するしかない。


「あの日、病院で計った体重が850グラムだったでしょ。軽くて小さいけど、乳歯は生えそろってたから、生後一ヶ月半以上ではあった。それでキトンブルーだったから、二ヶ月になるかならないかだねって、先生言ってたじゃん。だから逆算すると……クリスマスあたりじゃないかな!」


 ふたりは顔を見合わせて「おぉ!」とハイタッチして喜んだ。子どもにとって、クリスマスに生まれた子猫は特別なものなのだ。


「わかった! おれ、いま作ってる曲のタイトル、『ゴッド・ブレス・ユー』にしよう!」

「あ、いいね! すてきすてき」


 イベント出演の目標である十二月は、クリスマスシーズンだ。その日にぴったりな曲を作り、カイの美しく切ないギターが海の底のような青いライトに照らされたら、きっと泣いてしまう……。ケイはその様子を想像し、鼻息を荒くしてストラップを肩にかけるカイを見つめて涙ぐむ。


「よし、ケイ、ぶっ放すぜ!」


 たった今タイトルが決まった『ゴッド・ブレス・ユー』のリフを弾きながら、カイは白い貌をうっすらと赤く染めていた。



 スタンディングの客席は満員で、小柄な人はちゃんと呼吸ができるのだろうかと心配になるほどだった。小さく流れている曲は、カイがセレクトしたものだ。柔らかでやさしい女声の、古いポップス。これからカイが鳴らすギターの音とはまったく違う質のもの。


 楽屋でメンバーとスタッフ全員が円陣を組み、カイの「いくぜぇ」という声にみんなで応える。狭い廊下を無言で進むころ、客電が落ちる。沸き起こる歓声。カイとケイを呼ぶ声。それは初めさざ波のように足元にひたひたと押し寄せ、やがて大きなうねりとなってカイをさらいに来る。

 カイが暗いステージを中央まで進み、ストラップをゆっくりと肩にかける。右手をあげて「ハロー!」と声を張り上げる。

 悲鳴と雄叫びが嵐のように吹き付け、何十本もの腕がしたから伸びてくる。カイは唇の端をにぃっと上げて笑うと、ピックを絃に当てた。

 強烈なライトがカイの正面と背後の両方から襲い掛かる。それに挑むようにスピーカーの上に片脚を載せながら、カイは目を閉じて指を動かす。


 何か黒いものがカイの足元に忍び寄っている。ケイはステージの端からそれに気づいているが、カイに知らせることが出来ない。

 あれはきっと、災いを招くものだ。カイをさらいに来たんだ。逃げてって言わなくちゃ。今すぐ逃げなくちゃダメ!


「カイ! カイ!」


 叫んでいるのに、喉が裂けそうなほど叫んでいるのに、観客の声にかき消されて自分の声さえ聞こえない。


「カイ! カイ!」


 必死できょうだいの名前を呼ぶ。やっと気づいたカイがケイを振り向く。だが、その顔は強いライトに照らされて、また唇しか見えない。


 そうだ、わたしは……カイが大人になった顔を知らない。


 誰よりも大切だった双子の兄とは、一緒に大人になることはできなかった……。

 ふと足元に目を落とすと、歩道に敷かれたブロックがガラガラと崩れ始めている。ケイが立っているそこは地上ではなく、歩道も街も、空中に放り出されていた。遥か下に隣の庭の大きな桜が満開の枝を揺らしている。カイはその下の土を深く深く掘り続けている。 

 カイ! カイ! わたしに気づいて! そこを掘ってはダメ! だってそこに埋まっているのは……。



 自分の悲鳴で目が覚めた。あれは夢の中で発したものだったのか、それとも実際に叫んでいたのか、どちらなのだろう。

 腕の中のジョーイが、心配そうな顔でケイを見つめていた。

 ジョーイは、カイに似ている。

 顔も仕草も、やさしくてカッコいい性格も。

 ねえ、ジョーイ、今夜のライブをカイはどこかで見ててくれるかな?

 ケイはジョーイのぷっくりと膨らんだマズルにキスをして、その毛皮で涙を拭いた。

 ベッドを出て窓を開ける。今日もどこからか桜の花びらが風に流されているのが見えた。ふいに、ジョーイと出会った八歳の頃の記憶がよみがえる。ケイは急いで廊下に出て、濡れ縁につづく掃き出し窓を開けた。


 あの日、あの春の日に庭の隅に穴を掘っていたカイの記憶。あれは本当にあったことだったのか。カイは一体、なんのために穴を掘っていたのだろう。


 物置からシャベルを探し出し、確かこの辺りだったと、ケイは水蜜桃の手前の土を掘った。眩しい陽射しに照らされた、水色のTシャツを着た八歳のカイの小さな背中を思い出しながら、ケイは必死に記憶を手繰り寄せた。

 そしてシャベルの先がこつん、と何かに当たったとき、ケイはすべてを思い出した。


 ああ、そうだ、そうだったね。カイはここにいたんだった……。

 カイがギターの絃を入れて持ち歩いていたアクリル製のケースが、土にまみれても汚れないようにジップロックの袋に入れて埋められていた。それを取り上げ、ケイは指先で土を丁寧に拭う。透明なケースの中には、透き通るように白い小さなかけらが入っていた。


「カイ、カイ……」


 土の中から掬いだされたそれは、ほんのりと暖かかった。カイの指先の温度と似ていた。ジップロックから取り出し、丸いケースの蓋をそっと回す。



 カイが死んだのは、あまりにも突然のことだった。中学三年の二学期。初めてのライブを三ヶ月後に控えていた頃だ。なんの前触れもなかった。誰も知らなかった。健康診断にも引っかからなかった。カイの心臓が、いつ止まってもおかしくないほど壊れていたなんて。


 カイの身体が焼かれ、華奢な骨が銀色の台の上に広げられたとき、放心状態で泣くことさえ忘れていたケイは、台の上から小さなカイの欠片をこっそり取ると、手のひらに握った。

 自宅にもどったケイは、まだ夏の気配が色濃く残っている庭に降り、毎年レジャーシートを広げて桜を見ていたあたりに、カイを眠らせようと決めた。


『桜の下に骨をうずめておくとね、魂がよみがえるんだって。いつかジョーイが死んだら、ふたりでそこに埋めてやろうな』


 ジョーイが五歳になったとき、カイがそう言っていた。

 だからね、カイ、いつでもよみがえっていいよ。またカイに逢ったら、大好きだよって言うから。


 ケイがふと横を見ると、土から桜の枝が伸びていた。黄緑色の若葉をたくさんつけている。何年か前に伐採されたはずの隣の桜だが、根は生きていたのだろう。よく見ると、細く頼りない苗木が何本も生えていた。

 こんな小さな苗だが、来年には花を咲かせてくれるだろうか。そうしたらまた、カイとジョーイと三人でお花見をするのだ。


 ジョーイが濡れ縁からケイを呼ぶ。朝ごはんの催促をしているらしい。ケイはジョーイの前まで行くと、手をひらいてカイを見せてあげた。ジョーイは少し驚いたような顔をしたが、すぐに喉を鳴らして目を細め、ケイの手のひらに載った透明な白い欠片に、とても懐かしそうに顔をこすりつけた。


 

 ケイたちを呼ぶ声はまだ続いている。「三度目のアンコールいくか」とギターとボーカルのインディが腰を上げる。ドラムのモモがスティックをくるくる回して頷く。「客電つけますか」と訊きにきたスタッフにメンバーが首を振ると、あどけない顔をしたその少年は、たちまち頬を紅潮させ、ステージ端へと走って行った。


「アンコールありがとね。これで終わりだからさ、もう一回みんなで一緒に踊ろうぜ」


 インディが手を挙げながら言うと、フロアはふたたびうねり始める。

 三度目のアンコールとは到底思えないほど熱のこもったプレイが二曲続き、残すは最後の一曲となった。

 ケイが肩からベースのストラップを外す。フェンダープレシジョンベース・ビンテージ。カイと一緒に選んだものだ。そしてステージを横切ると、隅に立てかけてあったギターのネックを掴んだ。真っ赤なグレッチテネシアンは、カイの一番のお気に入りだ。ベースのケイがギターを持ったことに、フロアは騒然となった。


「みんな、これはあたしの兄のギターなの。兄と一緒に十四のときに作った曲、聴いてくれる?」


 両手を挙げ、大歓声で応える客席に向かって、ケイは声を張り上げる。


「ぶっ放そうぜ!」


 ピンスポットがぐるぐる回り、真っ白い強烈な光がケイを照らした。カイの仕草を真似てギターを抱いたケイの瞳に、カイの笑顔がぼんやりと映ったような気がした。 

 フロアに目を凝らすと、波のように渦のようにうねる観客の上を、ゆったりと泳いでいるカイがいる。カイは笑っていた。心から楽しそうに嬉しそうに。


「ゴッド・ブレス・ユー」をぶっ放すケイは、眼下に広がった大海を泳いでくるカイを見つめながら、カイの魂はずっとそばにあったのだと気づく。


 ねえ、ジョーイ、帰ったらカイの話をいっぱいしようね。

 そしてまた三人で、桜を見上げながらぽかぽかしようね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悲しく、美しい物語だと思いました。ステージの最後で今はいないカイが作った曲を赤いテネシアンに持ち替えたケイの姿と美しいこの物語の作者が重なりました。 [気になる点] カイが引っ張って来たケ…
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