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夢見る機械(外伝)  作者: Aju
3/5

共有アプリ(上)

 ミウムは顔一面を輝かせて、それをムムニイに勧めた。

「一度入れてみたらわかるわよ。だめだと思ったら削除すればいいだけなんだから——。」

 ミウムが言うのは、最近話題になっている意識共有アプリ『MIROKU』のことだ。



 シャングリラ・システムは、個々人の意識の間には境界があって越えられないような設計になっている。

 それは、機械マシンの『身体』を共有はしていても、かつて個々の肉体を持っていた時と同じように暮らすためでもあり、またそれぞれのプライバシーを守るためでもある。

 ここ千年程は、人々はそれで何の不自由も大きな不満もなく暮らせていた。

 シャングリラでは、心の距離がそのまま物理的な距離になるから、不快な人間関係にいつまでも縛られるということもないからだ。

 一方で日々新しい出会いはあったし、皆がさまざまな自己表現を行なっているので、特に退屈するようなこともなかった。

 何しろ、ここには55億に近い人数がいるのだ。その全てに出会おうとしたら、いったい何万年かかるのだろうか?


 そんな中、つい最近になって委員会の承認を得た1つのアプリが販売されるようになった。

 一時的に他者と意識を共有できる空間に入ることができ、「自分の限界」を超えられる——というものだ。

 ニルヴァーナ・エンタープライズという宗教系のカンパニーが開発したもので、例によって「価格」は有って無いようなものだ。ほぼ無料配布と言っていい。


 使った人々は、これを絶賛した。

「あなたも一度使ってみたらわかる。これまで、自分がどんなに小さな殻の中に閉じこもっていたか——。」

「かつて、地球の裏側に泣いている子どもが1人いたら私は幸せになれない、と言った人がいたけど、これを試せば、それが単なる比喩ではないことがわかるよ。私は他者のために、他者は私のために生きているのだ——ということが。」

 まるでいにしえの聖人のようなことを語る彼らの表情は、まさに聖人のそれのように穏やかな微笑ほほえみを湛えているのだった。


「これは革命よ。」

 今もムムニイの妻として傍に居てくれるミウムもまた同様だった。

「うん・・・」

と、ムムニイは煮え切らない。


 これは、一種の麻薬なのではないか?

 ムムニイはふと、そんなふうにも思うのだが、麻薬などというものは、このシステムがスタートして10年程の間に消えてしまった。

 当初には「生活の習慣」の一部として使用する人たちもいたようだが、そもそもシャングリラは意識だけの世界だ。望むものは何でも手に入るし、不快な人間関係もない。意識に対して常に不快な警告信号を発していた「肉体」もない。

 肉体を誤魔化して意識だけでトリップする必要など、どこにもないのだ。


 実際、ミウムの表情にもそういう面妖なものに侵された精神の歪みのようなものは全く見えず、むしろ本当に後光が差しているようにさえ見えてムムニイには眩しく感じられた。

 精神の高みに上ったものだけが持つような雰囲気があり、しかも以前よりもはつらつとして活動的になっている。

 かつて個別訪問をしては「宗教」を売り歩いていた人たちによく見られた思考を停止してあらぬ(・・・・・・・・・・)ところを見ている(・・・・・・・・)ような表情は微塵もなく、ミウムの個性はくっきりとそのままであった。

 ミウムの他者への愛は本物でありながら、それでいてムムニイへの愛も衰えてはいないのだ。

 彼女の勧めるアプリがもたらしたものは、ただただ好ましい変化であった。


 それでも、ムムニイは煮え切らない。

「別に無理にとは言わないけど、この経験はしないともったいないわよ。」

 ミウムはそう言って、いつもの凡人くさい笑顔を見せた。



 ムムニイはミウムから渡された小さな楕円形の「アプリ」を、しばらく手のひらに乗せて眺めていた。

 厚みと丸みがあり、ちょうどラグビーボールを押しつぶしたような形をしている。虹色に明滅するようなほのかな光を放ち、宝石のようでもある。

 もちろん、ここでは「物体」は存在しないので、この形はニルヴァーナ・エンタープライズが与えた「イメージ」に過ぎない。


 ミウムが言うには、この小さな楕円形を額に埋め込むようにすればインストールできるのだという。ミウムの額にもそれがあった。着けていると第三の眼のように見える。

 仏像にもそんなものがあったな・・・インドの方の文化にも、たしか額にそんな印をつける風習が・・・とムムニイは思い出している。このインストール方法は、おそらくそんなイメージで設定されたものなんだろう。

「オンもオフも、自分がそう意思するだけでできるし、暴走なんかしないことは委員会が検証済みだから安心よ。削除したい時は外せばいいだけだから、簡単でしょ?」

 ミウムは手渡す時、そんなふうに言った。


 たしかに——。ネガティブな情報は一つもない。いいこと尽くめだ。


 ムムニイはカラムにも会ってみたが、彼もまた額に第三の眼を着けていた。

「ムムニイさんは、なんで躊躇してるんです? サイコーの経験ですよ。」

 そう言って笑うカラムの笑顔は、以前よりももっと自然な好ましい感じがした。


 なぜ?

 そう、私は何に引っかかってるんだろう?


 ムムニイにはそれが解らなかった。解る前にその極上の「経験」をしてしまったら、たぶん、ずっとその何かを見失ったままになってしまうのではないか——?

 クルムとシャロンにも会ってみたら、2人はまだ着けてはいなかった。

「なぜ?」

「僕らはほら、最初だってジョーモン・コミュニティを選んじゃったくらいですから——。基本的に保守的なんだと思います。」

「わたしたち、あんまりアプリとか体内に入れないの——。だって、なんか怖いじゃない? 自分のデータが変化するわけじゃない——って理屈は分かるんだけど。」

 ムムニイはそんな2人を見てちょっと安心したような気分になったが、しかし、それではないな、とも思った。

 自分が躊躇している理由が——、である。




 ムムニイはマイケルのラボを訪ねてみた。彼は、このアプリをどんなふうに評価しているのだろう。

 ここに来るまでの間でも、5人に1人くらいの割合で額にアプリを着けている人を見かけた。

 流行ってるんだなぁ。


「やあ、久しぶりだね。何か相談ごと?」

 マイケルは屈託のない笑顔でムムニイを部屋に招き入れた。

「なに? 僕の顔に何かついてる?」

「いや・・・、ついてないな、と思って——。」

 ムムニイはそう言って破顔した。思わずまじまじと見てしまったらしい。マイケルの額には、あの第三の眼がついていなかったのだ。

「ああ、あのアプリね。」

とマイケルが言った時、奥の部屋から目のくりっとした黒いウェーブヘアの若い女性が出てきた。

 いや、若いかどうかは分からないな。ここでは皆、見た目は若い人が多いのだ。当初からの移住者であれば、とうに1000歳は超えているはずだ。

 こちらは額にあのアプリをはめ込んでいる。


「お客様?」

「ああ、初めてだったよね。紹介するよ。彼はダン・コミュニティーの時からの友人で、ムムニイ・スライさん。いわゆる第一世代だ。彼女はクマリ。最近、僕のワイフになった。」

「5番目の妻で〜っす♪ ジョーモン・コミュニティの第4世代です。若いでしょ?」

 アフリカ系の顔立ちだが、少しアラブ系も混じっているかもしれない。お茶目な小娘っぽく話す彼女は、きらきらとよく動く目を持っている。

 人は老化する肉体から離れてしまえば、何百年経ってもこんなふうでいられるんだな——とムムニイは思った。

 そういえば自分だって、千年一日のごとく、というか、成長もしてなきゃ年寄りくさくもなってないなぁ。

「たしかに。」

 ムムニイは思わずつられて笑った。

「お若いです。私よりはたぶん100歳くらいは——。」

 クマリはそれを聞いてころころと笑った。

「すごく長いお付き合いなんですね。だったらマイケルのカタブツぶりはよくご存知ですね。1000年も経つのにまだわたしで5人目なんですもん。」

 クマリは、明るい笑顔で他人事ひとごとみたいに言う。

「女の子には、まあ嬉しくもあるんですけどね♪」

 えーっと、ざっと計算して900歳くらいだよね? 「女の子」って言うかなぁ。


 マイケルが苦笑いしながらクマリに言った。

「ムムニイに比べれば、僕は普通の男だよ。彼なんか、ダン・コミュニティーの時からずっと1人の女性と夫婦なんだよ。」

「ええ——っ! 本当ですかぁ? 千年ミレニアムの恋なんですね——! ロマンチックぅ!」

「いや・・・、そんないいもんじゃなくて・・・。ただの惰性というか、習慣というか・・・。あんまり得意じゃないんですよ、『恋』っていうのは——。」

 ムムニイは頭をかきながら苦笑いした。

「ケンカとかしないんですか?」

 クマリがごく素朴な表情で聞いた。

「いや、ケンカはしょっちゅうですよ。・・・あ、でも最近は妻の方がさらっと笑顔で受け流しちゃうかなぁ。」

 そう言って、ムムニイはクマリの額を見た。

「そのアプリ使い始めてから、すっかり菩薩化しちゃってね。」



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