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夢見る機械(外伝)  作者: Aju
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この大地と空の間に

「他の人に薦めようとは思わない。俺はおばあから個人の尊厳とはどういうものかを教えてもらったからね。」

 髪に白いものの混じり始めたシドアは、精悍だが穏やかな表情でそう言った。




 この時期、ソーラーバッテリーで飛ぶ小型のドローンは年に4回、決まった日に決まった場所に現れ、ジョーモン・コミュニティとシャングリラの人々との「交流」を担っていた。

 ジョーモン・コミュニティからシャングリラに「移住」した人々にとって、それは残してきた子どもたちや孫たちの「今」を知りたい、という強い要望から始められた「儀式」でもあった。

 かつて、世界のあちこちの文化には「死者の魂との交流」という儀式があったが、これはそれに近いのかもしれない。もっともこの場合、形は違えど両方とも生きているのだけれども——。


 予想されていたことではあるが、先に移住した者は人情として子や孫に来てほしいと思うから、この事業が始まるとコミュニティからシャングリラへ移住する者の割合が増えるという現象が起きた。

 シャングリラの生活に憧れて若いうちにさっさと肉体を捨ててしまう者もいたが、多くは年をとって「肉体の死」を意識するようになってから、まだ体の効くうちにと移住を決断する者が多かった。


 もちろん、シャングリラの運営委員会では、この状況は織込み済みである。

 ジョーモン・コミュニティからの移住者が増えた場合のシャングリラ・システムの容量について若干の議論はあったが、基本的には数千年程度の間には容量オーバーを起こすようなことはない、という計算結果に基づいてこの事業はスタートしたのである。

 むしろ、人類が2つに分断されて交流を失ってしまうことで、かつて環境に対して犯した過ちが伝えられなくなってしまうことを心配する意見の方が大きかった。


 そんな中で、ジョーモン・コミュニティでの肉体を持った生活は、「自然」の中で人間の意識が育つための「幼年期」といったような位置付けになりつつあった。

 そこで育った意識は、やがてシャングリラの社会に合流、参加する——。


 マンネリ化する危険のあったシャングリラは、これによって最小限のエネルギーで新たなクオリアを取得することが可能になり、当面の間、「身体」の成長を伴うことなく「世界」の豊かさを積み増してゆくことができるようになった。

 数千年の先には身体マシンの拡張も必要になるかもしれないが、その頃には地球上の環境もまた変わっているはずだ。

 少なくとも、人類によって100年ほど前に危機的状況に陥った生態系はその危機を脱し、安定した状態になっているだろう。

 今のところの状況を見る限りは、人類が「幼年期」を過ごすことができないような生態系に変化してしまう兆しは見られない。


「我々はかろうじて、間に合ったようですね。」

 このシステムの提唱者マイケル・ダンは、委員会の定例会でそんなふうに言ったものだ。




「もう1回だけ、シドアに話してみてもいいですか?」

 秋の交流会の日が近づいた頃、マイケルはシャロンを訪ねてきてそう言った。

「無理だと思う。彼は考えを変えないと思うわ。」

 シャロンが少し悲しげにそう言うと、傍らにいたミントも頷いた。

「私たちが・・・、『儀式』を教えたことが、あの子の意識を縛っているのだろうか——? あんなことを教えなければ・・・」

 クルムがそんなふうに言う『儀式』とは、あの狩の獲物に対する祈りのことだ。それが幼少期のシドアの心の奥底にしっかりと根を張ってしまっていて、獲物たちの生命に対して、自分だけがシャングリラに行くことの罪悪感を感じさせているのじゃないか。

 それがクルムの心配だった。


 ミントが大きくかぶりを振った。

「違うよ、お父さん。あの子はそんな頭の悪い子じゃない。あの子は、ちゃんと自分の頭で考えた上で、向こうに残ると決めたんだ。そりゃあ、やがてあの子と永遠に会えなくなるんだと思ったら・・・・」

 そこまで言って、ミントはその目を潤ませた。

「わ・・・私たちは寂しいけど・・・。それは、でも私たちの、エゴで・・・・」

 とうとう堪えきれなくなって、ぽろっと涙を頬につたわせた。

「それをあの子に押し付けちゃいけないんだ——。」

 シャロンが、そっとミントの肩を抱き寄せた。

「まだ、すぐ死ぬわけじゃないんだから——。」

 シャロンは優しい笑顔になってミントの濡れた瞳を見た。

「明後日は楽しいことをいっぱい話そう。まだ人の命が有限だった頃、わたし達はそうやって生きてきたんだよ。」


「もう一度、僕に説得させてもらえますか? 彼のクオリアは、とても得難いもので・・・・」

 そこまで言ってマイケルは急に言葉を詰まらせ、やや自重的な微笑を見せた。

「・・・違うな———。僕は、彼を失いたくないだけだ。ダン・コミュニティーのメンバーで、シャロンとクルムの孫で、ミントの子どもで——!」

 マイケルの目も赤くなって潤み始めた。

「ただのワガママだ。委員会最高顧問をかさにきた単なるえこ贔屓だ——。わかってる。・・・・わかってるけど・・・」

 落ちそうになる涙を隠すように顔を背けながら、マイケルはややうわずった声を出した。

「もう1回だけ、説得させてほしい。それでもう、ちゃんと彼の意思を尊重するって約束するから——!」




 その日、マイケルは最後の交流者として画面越しにシドアに向き合ったが、ついにシドアを説得することはできなかった。

 画面越しにみるシドアは、相変わらず精悍で生命エネルギーに満ち、シャロンたちのシャングリラでの暮らしぶりを興味津々で聞いていた。

 が、移住についてはきっぱりと否定したのだった。


「もし、身体からだが衰えてきて気持ちが変わるようなことがあった時のために、『交流日』に限らず僕に直接信号が届く通信チップをおいてゆくから・・・・」

「必要ないよ、ダンさん。」

 シドアは爽やかな笑顔とともに即答した。


「みんなの気持ちは嬉しいけど——」と前置きした上で、シドアは柔らかくマイケルに話し出した。

「おばあはここで死んだ。でも、おばあの魂はそちらに再生された。そのことを俺は疑ってはいないし、良かったと思ってる。おじいやお母あやみんなの魂も——ちゃんとそこにあることも知ってる。そこに行けば、またみんなと暮らせることも解ってる。

だから、そこに行くことも考えなかったと言ったら嘘になるけど・・・、でも俺には——、おばあと同じことはしないでほしい。約束してくれ、ダンさん。」

 マイケルは何かを言いかかったが、シドアの真っ直ぐな瞳に見つめられてたじろいだ。

「おれの魂は、ここで生まれてここで育った。ここにいるたくさんの生命いのちたちと一緒に。」

 空の雲がオレンジ色に染まり始めた。カメラには写っていないが夕陽が美しいのだろう。『交流日』もまもなく終わる。


「だから、みんな解ってほしい。俺は、ここに——、自分の魂を、この大地と空の間に置いておきたいんだ。おばあ達には悪いけど・・・。」

 そう言って白い歯を見せたシドアは、夕陽を浴びて、何か冒し難い野生動物のようにも見えた。



「尊重・・・するよ——。」

 しばらくの沈黙のあと、マイケルはそれだけを言って通信回路をオフラインにし、それからドローンに帰還のコマンドを打ち込んだ。

 その手をパネルの上に留めたまま、マイケルは小さくため息をついた。そんなマイケルの肩を、シャロンがそっと両手で包む。


 ややあって、マイケルは誰に言うともなく小さくつぶやいた。

「僕は、つくづくただの技術者なんだな、と思うよ。」



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